このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

血統書



それは、14歳の時の話。
「おはよう、みーちゃん」
「おはよう。みーちゃんって呼ぶな」
「昨日ね、親戚のお姉ちゃんの結婚式に行ったの」
「聞いてんの?」
ぽややんと両手を合わせて目を蕩けさせているこいつは、腐れ縁の友達、やっちゃんである。夢見がちで可愛いもの大好きで女の子らしい趣味を究めたがるくせに、勉強が苦手で無駄に力が強く手先が不器用で、キレるとべらぼうに口が悪い本性を持つ、残念な女の子である。そんなやっちゃんの特技はりんごを砕くこと、趣味は編み物。ちなみに編み物は二秒で毛糸玉がぐっちゃぐちゃになって絡まる。
履き古しのかわいくもなんともない運動靴に弛んだジャージのズボンと上着、ふわふわでもなんでもないマフラー。頭と同じく何にも入っちゃいない鞄をぱたぱたと揺らしながら、やっちゃんは歌うように話す。鞄についてる小鳥のキーホルダーは、あたしとお揃いのやつだ。歩く度に、小さな鈴が鳴る。やっちゃんの声と同じく、高くて可愛らしい音だった。
「すっごく素敵だったの。ドレスがね、まず真っ白なウエディングドレスでしょ。次にピンクのドレスで、お姫様みたいだった」
「ふうん」
「ははん。みーちゃんには分かんないだろうけどね」
「あ?」
「お?」
「逆切れんなよ……」
「いつかあんなドレスを着るんだあ。大好きな人と結婚して、素敵な式を挙げるの」
此処に指輪をはめて誓いのキスをするんだってえ!と左手の薬指を突き上げて一人盛り上がっているやっちゃんに、ふうん、ともう一度漏らした。やっちゃんがピンクのお姫様みたいなドレスなんか着てるの見たら、あたしきっと笑っちゃうや。

それは16歳の時の話。
「みーちゃあん!」
「みーちゃんって呼ぶな」
ぎゃりぎゃりぎゃり、と凄い音を立てて急停車したやっちゃんの自転車は、もうかなりオンボロで、酷使されすぎている。人間だったら過労死。ブレーキが馬鹿になってるのに無理矢理使ってるせいで酷い音がするのだ、どうにかしてほしい。
やっちゃんとあたしは、高校がばらばらになった。というか、あたしの受けた高校にやっちゃんが受かるのは無理だった。何故かって理由は簡単、偏差値問題である。みーちゃんと離れるのやだ!とかご立派なことを言えるレベルに無い。すったもんだはあったものの、結局大人しく適正値の工業高校を受け、見事合格したやっちゃんは、あいも変わらず制服プラス垢抜けないジャージを着込んでいる。曰く、制服が汚れるのは嫌、だそうで。それでいてよくもまあ、ウエディングドレスがなんたらかんたらと言えたもんだ。制服をただまともに着てるだけのあたしの方が女の子らしい格好をしてるんじゃないか、とすら思う。
「迎えに来たよ!」
「来なくていいって」
「待ってたくせにい」
「あんた学校に友達いないの?」
「そんなわけないじゃん、みーちゃんじゃあるいし」
「ふざけんなよ」
「一人で寂しがってるみーちゃんのために来てあげてるんでしょお」
「明日から来なくていいから。普通に友達と帰るから」
「またまた!」
「耳垢詰まってんの?」
「ぶぶー、昨日耳掃除しましたー」
「あっそ。鞄乗せて」
「みーちゃんごと乗ればいいじゃん」
「あんたの運転危なっかしくて乗ってらんないんだよ」
「何を仰りますか」
「おいやめろ、馬鹿力、離せ」
「乗れっつってんだよ!」
「てめえはそんな恰好でもこっちは制服でスカートなんだよ!やめろ!」
「あたしだって制服着てるんだから同じ土俵だろうが!」
「はあ!?そのクソジャージ脱いでから物言えや!」
「んだとガサツ女!」
「お前にだけは言われたくねんだよ!」
「死ねクソ女、ぴゃっ」
「あ、ごめん」
「あっ、すいません」
「ごめん、な、さい……」
自転車から手を離して飛び掛かって来たやっちゃんを避けたら、ちょうど曲がり角から出てきた人とやっちゃんがぶつかってしまった。うちの制服だ。見たことない顔だし、先輩かな。素っ気なくぼそりと謝って、ふいっとあたしたちが歩いてきた道の方へ行ってしまったその背中を見送って、人に迷惑をかけるな馬鹿、とやっちゃんに唸れば、返事がなかった。そういえばさっきも変に途切れ途切れだったし、ついに壊れたか、と顔を覗き込む。ボロ自転車のハンドルを握り締めたやっちゃんは、見たこともないくらい真っ赤で、半笑いのようなおかしな顔をしていた。
「なした」
「……ぁえっ」
「あえ、じゃなくて。顔汚いよ」
「う、うん……元から……」
「元からっすか」
「元からっすね……」
これは変だ。本格的におかしい。普段だったらこんな反応はしない、自転車を投げつけてくるくらいする。熱でもあるのか?脳味噌の回路がショートでもしたか?それともやっぱり壊れかけだったのがついにぶっ壊れてしまったのか?だとしたらさっきぶつかった先輩は大変なことをしてくれたことになる。別にいいけど。
「八千代、おい、八千代」
「聞こえてる」
「帰んないの?」
「帰る」
「じゃあ歩けよ」
「……みーちゃん……」
「みーちゃんって呼ぶなや」
「……あたし、今、恋に落ちた……」
「は?鯉がなんだって?」
「恋に!落ちた!フォーリンラブ!」
「うるっさ」
ていうか恋に落ちたどうこうはどうでもいいけど、あんたさっき先輩とぶつかる直前ガサツ女だのクソ女だの喚いてたけど、大丈夫なの?

それは17歳の時の話。
「重大発表があります」
「あたしテスト勉強してんだけど」
「重大発表が!あります!」
「いっ……」
耳を引っ張られてでかい声を出されたせいで、頭の中全部がきーんとしている。こいつ、勉強してる人の家にずかずか上がりこんで居座っといて、何様のつもりだ。ていうかやっちゃんの学校、テストとか無いのかな。勉強してるとこ見たことないんだけど。
半年くらい前から、長いことトレードマークだったクソダサジャージを脱ぎ捨てて制服一本で通すことにしたらしいやっちゃんは、ふふん、と得意げに息を漏らしながら膝頭を擦り合わせた。そわそわとスカートの上で落ち着きなく組み合わされる指先を見ていると、こっちまで落ち着きなくなってきそうで、嫌だ。言い出しにくいことなのか、机の上から人のシャーペンを勝手に取ってかちかちやり出したので、いいから早よ言えと急かした。悪いけどそんなに暇じゃない。成績悪くならないようにがんばりたいというこちらの思いも汲んでいただきたい。
「あのお、あのねえ」
「はあ」
「べんっ、きょっ、せんっ」
「勉強せん?」
「ちげえよ馬鹿最後まで聞け」
「早よ言わんから」
「きょうっ、きょ、っ先輩と、先輩が付き合ってくれるって、あたしと」
「はあ」
「はあって、もっと反応ないの」
「別に。がんばれ」
「せんぱっ、あっ、もうお付き合いしてるから先輩じゃあれかな?きょっ、きょう、響也さんとか呼んじゃおっかな」
「なんで名前呼ぶ前にもごもごすんの?」
「恥ずかしいからだよお」
「意味分からん」
「みーちゃんにはまだ無い感情かもしれないけど、人間には羞恥心というものがあるんだよ」
「お黙りくださいやがれクソゴリラ」
「今のあたしは心が広いから許してあげる!うっふふ!」
「あだっ」
全然許してないじゃん、なに今の岩をも砕くビンタ。背骨折れるかと思った。しかしながら、笑顔かつ嫌にぐにゃぐにゃしているところを見る限りでは、怒っているわけではなさそうだ。すっ飛んだ赤ペンを拾って、ノートにびっと線を引いた。そうか、やっちゃんに彼氏が出来たのか。しかも、あの時の先輩と。あたしもいろいろ手伝わされたけれど、念願叶って実ったことには素直に祝福を覚える。できれば長く続いて欲しいとも思う。それは嘘じゃない。
ただ、いつの間にかやっちゃんの鞄からいなくなったお揃いの小鳥が、あたしの部屋にだけぽつんと残されている小鳥が、何となく可哀想に思えた。

それは18歳の時の話。
「あ。またいる」
「……こんちは」
「やっちゃん?」
「あいつ、辞書持ってったまま返してくんないし、学校に置いてあるとか言って」
「ははは、らしいや」
「笑い事じゃないんだよ」
「でも今日はもういないよ。彼氏とデートだってチャリ飛ばして帰ったから」
「はああ!?」
「御愁傷様だね」
眉を下げて笑う男は、やっちゃんのクラスメイトで、最近よくばったり会うようになった。それがきっかけで話すようになり、名前を聞き、今に至る。ガタイの割に気が弱くて優しげな、面白いやつ。名前を聞いたはいいけど、呼ぶ機会はない。和成、と言うらしい。
「あいつ……」
「言っておこうか。美和子ちゃんが探してたって」
「美和子ちゃんって止めてくんない、そんな柄じゃないし」
「じゃあ、なんて呼んだらいいの」
「なんだっていいよ」
「うーん、そうだな、次までに考えておく」
「……ふうん」
楽しみにしておく、と言った気持ちに、嘘はなかった。同じくして、呼ばれたら呼び返してやろう、と内心で決めた。

それは23歳の時の話。
「重大発表があります」
「はあ」
「マジで重大だよ?感動の涙流すよ?ティッシュの用意はいい?」
「つーかあんたクッキー焼くの下手じゃない?すっげえ苦いんだけど」
「うるっさいな!上手くできたやつは響也さんにあげたんだよ!」
「焦げまくり」
「黙って食え!」
「はあ」
もそもそと、積み重なった焦げクッキーたちを消費する。確かに捨てるのは忍びない。食べ物に罪はないから。不器用なくせに料理を頑張っているやっちゃんは、三回に二回は失敗するのだけれど、その度に人を呼び出して食わせるのはやめていただきたい。申し訳ないことに自分で同じもの作った方が美味しく出来るから幸せな気持ちになる。
「たたたたーん」
「なに?」
「たたたたーん」
「ねえ。気持ち悪い」
「たたたたん、たたたたん」
「離れろ」
「いったあ!何しやがる!」
なぜか結婚行進曲を歌いながら背後に忍び寄ってきたやっちゃんを跳ね飛ばせば、逆ギレされた。後ろからべたべたされて喜ぶ趣味はこちらにはない。般若みたいな顔してるやっちゃんをどうどうと落ち着けながら、そこで話せ、ステイ、と指をさした。近寄りたいのと話したいのを天秤にかけたやっちゃんは、重大発表とやらをとったらしく、大人しくそこに座った。まあそうだよな、重大だもんな。
「あいらーびゅーふぉえーばー」
「うん」
「指輪です」
「うん」
「左手の薬指です」
「うん」
「なんと!やっちゃん!23歳にして!」
「もっと小さい声で喋って」
「響也さんにプロポーズされました!」
「うるさい」
「おめでとうは?はい!」
「声が大きくてうるさい」
「ありがとうございまーす!」
この女、なんっも聞こえちゃいねえ。左手の薬指に光り輝く指輪をこれ見よがしにひらひらされて、あたしにも我慢の限界ってもんがある。この前二人で新幹線で旅行に行ったの、そしたら綺麗な夜景の見える海辺の公園で響也さんが立ち止まってこれを出したの、それでなんて言ったと思う?こんな僕を好きになってくれてありがとう、今度は僕が君を幸せにする番だ、結婚してくれ、だって!もうやっちゃん泣いちゃったよね!ドラマのワンシーンみたい!と盛り上がるやっちゃんに、そりゃああたしと和成が考えたやつだ、あんたの趣味趣向憧れを尊重したがるあの鈍介のために三ヶ月も前から協力してやったんだ、と言いたいのは山々だったが耐えた。それを言ってしまったら最後だからだ。ふにゃふにゃと締まりのない笑顔を浮かべているやっちゃんが、頰に手を当てて、緩みを隠しきれないまま悲しげな顔をした。演技下手くそかよ。
「だからやっちゃんもうすぐ弁財天八千代になるの……みーちゃん、ごめんね」
「なにが」
「みーちゃんだけのやっちゃんじゃなくなっちゃう」
「やったあ、早く何処へでも行って欲しい」
「んだと」
「ああ。そうだ、あたしからも」
「ん?」
「はい」
「うん……んっ?」
「この前から、江野浦美和子になったから」
みーちゃんって呼ばないでね、やっちゃん。そう告げた時のやっちゃんの顔は、今まで見た中で一番笑えた。手渡した証拠の、婚姻届を二人で出しに行った時にお役所の人に撮ってもらった記念写真を返してもらえば、笑ってるんだか驚いてるんだか怒ってるんだか悲しんでるんだか、なんとも言えない表情のやっちゃんが、ぱくぱくと口を開いた。言葉にならない音を漏らして、しばらく黙って、また言いかけてはやめて、目を閉じて、深呼吸して、こっちを見る。こんなに動揺したやっちゃん、ほんと初めて見た。面白すぎ。
「……いつから?」
「なにが」
「いつから江野浦くんと付き合ってたの?」
「高三の終わり」
「だっ、どっ、高三!?なにっ、なんで言わないの!?」
「間違えた。つい最近」
「ええ!?みーちゃん!?」
まあ、いろいろあったもんで。


1/2ページ