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伏見くんの一人ぼっち旅行記



「伏見くん、久しぶりだねえ。元気してた?」
「イカ!」
にこやかにカウンターの向こう側で歓迎の言葉を吐いた都築だったが、目を輝かせた伏見は皿に乗ったイカしか見ていない。かわいそうだ。少しくらいはしゅんとするのかと思いきや、そうだよ、イカだよ、大サービスなんだからね、うふふ、とにやつき始めて気持ちが悪い。やっぱり都築三兄弟は頭の螺子がすっ飛んでいる。「いっぱい食べる君が好き」を地で行く都築忠義という男は、自分の出したものを貪り食ってくれる相手のことを無条件で好意的に思う、どこかずれた天秤を掲げているのだ。普通もっとなんかあるじゃん、好き嫌いの線引きの方法って。都築にとっては、食欲旺盛か、否か、でしかないのだ。だからそれに基づいて、以前ここに連れて来た時一心不乱に好物を口に詰めていた伏見のことも、大層気に入ったんだろう。ていうか大サービスってどういうことだよ、よく考えたら俺やら瀧川やら朔太郎やらが飲みに来てる時こんなもん出たことねえよ、ずるいぞ。
「伏見くんは、ただよしくんのご飯はおいしいって言ってくれた。俺はとても満たされた」
「ほう」
「お前らはそんなん言ったこと無い。俺は満たされない。よって残飯処理になる」
「残飯処理って言うな」
「お前らが来る時普段のメニューなんて出したことないもん。残り物の頂上決戦みたいなもんしか出してない」
「イカおいしい」
「そうでしょ!他にも食べたいものがあったら言ってね!」
扱いが違いすぎる。いそいそと準備をする都築に冷たい目を向けながら、普段瀧川や朔太郎と来る時よりがやがやしている店内を見回した。いつもはこんなに人なんかいない、ていうか下手すると貸切とか閉店の札が勝手に掛けられてたりする。理由はうるさいからに他ならないのだけれど、他の客が入ってこなければ都築も酒が飲めるので、そのため、ってのもある。今日は店員をやる気らしい、なんてのは冗談で、俺たちが来た時には既に客がいたのだ。ここに配達に来てから家に戻って、ちょっとゆっくりしてたら伏見が寝息を立て始めて、つられて俺まで昼寝してしまったので、家を出るのが遅くなった。飲み会真っ只中の頃合いがいい時間に入店したので、待っていた都築は相当やきもきしたようだったけれど。
顔見知り程度ならいくらでもいる狭い町だ、わいわいがやがやしている中には、何度か話したことがある人もいる。その輪から少し離れて、俺と伏見はカウンターの端っこに通された。頻繁に注文が入る忙しさは無いみたいだけど、都築もぼんやり突っ立ってるわけじゃない。くっちゃべりながら手が動いてるとこ見ると、邪魔してるなあ、って気になってしょうがない。人が多いので、伏見も静かだし。
「うまい?」
「うん」
「くれよ。一口」
「ん」
「うん、うまい」
「伏見くんお酒飲むでしょ、なにがいい?」
「甘いの」
「前もそうだったねえ」
「たーちゃん」
「なあに、こうめさん」
からからと自宅と繋がる引き戸が開いて、狭くて細長い厨房に、髪をひっつめてシンプルな前掛けをした都築姉が出てきた。仕事の格好なんて珍しい物を見た、と思ったら、仕事をしにきたらしい。ていうか、引き戸の隙間から都築妹が目をハートにして覗いているのにみんな気づいてないのか?あそこに突っ込まなくていいのか?
「あっちの相手お姉ちゃんがしてあげるから、忠義は今日は終わりでいいよ。って言いなさいってお母さんに言われた」
「えー?俺飲んでいい?」
「お姉ちゃん的には駄目かなー、さぼりたいから」
「やったー、ありがと」
会話の途中からいそいそと手を洗って、適当に引っ掛けてた前掛けや三角巾を取った都築が、カウンターのこっち側に出てきた。座敷席にいた客がちらりと振り向いて、歩いてきた都築に注文しようとしたので、都築姉が面倒くさそうに、頼みたいもんがあるならここまで聞こえるように叫べ、と声をかけていた。いや、お前が注文を取りに行けよ。それでも店員かよ。ちなみにまだ都築妹は熱烈な視線を伏見へと送り続けている。誰も何も言わないのが怖すぎる、あれ見えてんのまさか俺だけじゃないよな。
「わーい、かんぱい」
「かんぱーい」
「伏見くんがまた来てくれるなんて、嬉しいなあ」
「来るっつったじゃん。帰る時」
「聞いてない」
「言ってない」
「秘密にしてたのね!ひどい!」
「だって本気だと思わねえだろ……」
「嘘だと思ってたの」
「……まあ」
「確かにねー。俺も嘘かと思っちゃうかも」
カウンターの端っこに椅子を一つ増やした都築は、手を伸ばして皿やら箸やらグラスやらを用意している。飲みたいものがあったら作ってくるからね、と言われた隣の伏見は、ちまちまと何やら赤っぽいやつを飲んでいたので、平気らしい。
「なにそれ?」
「甘いの。飲む?」
「いい」
「飲んで」
「いいってば、やめろ」
「ただよしくんが作ってくれたのに」
「そうだ!俺が作った酒が飲めないっていうのか!」
「ほんとにいらない!甘い酒は!」
「ちぇっ」
「航介甘い酒飲めないんだよね」
「そうなんだ」
「別に飲めないわけじゃない」
「ていうか、そうだね、ジュース感覚で飲むから、感覚分かんなくなっちゃうの。頭悪いでしょ」
「ふうん」
「うるせえな!」
「お酒強いのに」
「うけるよね。前飲んだ時も、俺カクテルセット買ってもらったばっかで、嬉しくてさあ」
「うん」
「もうその話やめろよ……」
「甘いお酒練習したくて。航介と瀧川、同い年の友達なんだけど、高校の時の」
「弁当も?」
「当也は高校生の時あんまり一緒にはいなかったかなあ。航介と朔太郎と、瀧川と俺とでいたかも」
「ふうん」
「それでね、その二人に実験台でしこたま飲んでもらったのさ。朔太郎じゃ何飲ましても甘いとしか言わないから」
「うん」
自分が恥かいた話だから、都築に話されても全然嬉しさとか楽しさは感じないのだけれど。伏見が興味津々って顔で真面目に聞いてるので、止める気が失せた。もう何回って笑われてる話だし、いいや。
結局、その話の流れとしては。しこたま飲まされた挙句酔い潰れて、昏睡よろしく寝腐っていた俺と瀧川は、残った二人の手によって都築家のリビングへと運び込まれた。起きたら水を飲まして笑ってやろうとか、最初はそんな話だったらしい。ただ、残された顔触れが最高に悪かった。脳味噌の八割が思いつきで出来てる朔太郎と、面白そうなら取り敢えず後先考えず乗っかってみる都築は、何を血迷ったか寝言一つ零さず泥のように眠っている無抵抗な俺たちの服を剥ぎ取り、布団に包み、小道具を設置したのである。要するに事後だ。散々笑いこけて、写真を撮り、また笑って最終的に嘔吐く程俺たちで楽しんだ二人は、ああ笑った笑った、楽しかったねえ、と落ちをつけて、俺たちをその状態で放ったまま、二人だけでまた店の方へ戻りやがった。後はもうご想像の通りである。遅かれ早かれ、死んでるわけでもあるまいし、目を覚ます。そのタイミングが運悪く、階下の騒がしさに目を覚まして様子を見に来てしまった都築妹と鉢合わせてしまった、というだけで。
「やばかったね。阿鼻叫喚ってあのことだなあって俺思うよ」
「ふっ、ふぐ、っふ」
「……いっそ大笑いしてくんねえ?」
「写真見る?」
「消せっつったろ!」
「消せるわけないじゃん。スイートメモリーだよ?はい、伏見くん」
「ぶふうっ」
「……他の奴らに言うなよ」
「ふひーっ、ひっひっひっ、ひぅっ、ぇっ、げほげっほ」
「言うなよ!」
「写真送る?ライン教えて」
「ぉええっ……ぇふっ、ぐっ、ぷふっ」
「伏見!こら!」
また嘔吐くほど笑われると思わなかった。耳まで真っ赤になって机に突っ伏して震えている伏見が、ぶるぶるしながら携帯を操作するので、送ってもらわなくていい!と咄嗟に取り上げておいた。当也からこの話題でコケにされてないことが奇跡だと思ってるんだ、下手にあそこに繋がりそうな道を作りたくない。朔太郎が写真を持ってる時点でダメな気がするけど。
「……はああ……つらい……」
「きついでしょ。絵面が」
「死にそう……」
「お前ら俺と瀧川の気にもなってくれない?」
「なんか、うまく言えないけど……すごい、一番ニッチなニーズに応えてる気がする……」
「写真後で送っておくね」
「うん。元気無い時見る」
「俺の声聞こえてる?」
「聞こえてる」
「貧相な体でもないんだから、いいじゃん」
「良くねえよ」
「航介はお酒強いけど、ただよしくんは?」
「んー、そんな弱くない」
「こいつワクだぞ。朔太郎と張れる」
「酔っ払ったことある?」
「あるよお」
「振りだけな」
「……こっちの人ってみんなお酒強いの?」
「ていうか、よく飲むからかな」
「暇だしな」
「普段から浸かってるから、体が慣れてんじゃない?」
「ふうん」
納得したようにこくこくと頷いた伏見のグラスが空になって、都築がつまみ込みでいろいろカウンターの中から引っ張ってきた。厚焼き玉子を突ついている伏見に話しかける都築の向こう側に、携帯を構えている都築妹が見えた。まだいる。
「伏見くんって枕変わっても平気な人?」
「別に平気な人」
「……お前確か、寝るの浅いよな。元々」
「うん」
「そうなんだ。座り寝とか無理?」
「余程へとへとじゃなければ、しようと思わないかも。目閉じたり、寝たふりしてたりはあるけど」
「眠りが浅いからしょっちゅううとうとしてるんじゃねえの」
「んー……そうなのかなあ」
「安心するとうとうとしちゃうの?やだー、母性本能くすぐられる」
「母性?」
「そう、母性」
「いつから母になったんだろう……」
「寝やすい体勢とかあるんじゃない?うつ伏せとか、仰向けとか」
「……あー、それはある」
「どんな?」
「一人じゃない時しかできないんだけど」
「ふむふむ」
「こう、寝てる人がいるじゃん。ただよしくんは寝てる人ね」
「はい。真っ直ぐでいい?」
「なんでもいい。そこに、こう、上からこうするの、寝やすい」
ぎゅう、と都築の身体に腕を回して引っ付いた伏見が、もそもそと良い位置を探して、ここがベスト、と落ち着いた。一人じゃない時しかできないって、寝る時なんて一人だろ、一人じゃない時なんてあるのか。そう思ったので素直に伝えたら、とっても残念そうな顔をされた。しかも二人揃って。
「未使用は黙ってて」
「かわいそうに」
「なに?」
「でも分かる。くっ付くの安心するよね」
「よく寝てる人の近くにいるとよく寝れる気がする」
「……ああ、だからお前、昨日くっついてきたのか」
「うん」
「あったかいから寝やすいのかなあ」
「心臓の音が良いとか聞いたことある」
「赤ちゃんか!かわいい!」
「本日撮影オッケーです」
「かわいい!かわいいよ!」
「めんこいって言うんだよ」
「めんこちゃん!」
真顔でダブルピースしてる伏見にきゃっきゃしながら都築が携帯を向けているけれど、その向こうですごい連射音が響いてるのに早く気づいた方がいいと思う。妹が手遅れになる前に。三人で写真撮ろう、と引き寄せられたはいいけれど、この中に入るのすっごいハードル高い、ってぼんやり思った。


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