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伏見くんの一人ぼっち旅行記



「航介さん」
「あ、これ。お願いします」
「はいはい。お預かりします」
「早いっすね」
「少しこっちに用があって。昨日の晩からいたんです」
「どっか泊まってたとかですか」
「そうですねえ」
隣の港に着いたはいいけど、伏見は寝ていて起きなかったので、用を済ませてしまおうと自分だけ降りた。起こす必要も感じなかったし。運んできてほしいと頼まれていた必要分を、先に待っていてくれたらしい千代田さんに渡す。ここから先、ここの港の人とのやり取りはやってくれるみたいだから、俺の仕事はここまでだ。ありがとうございます、と等閑に頭を下げて踵を返そうとすると、呼び止められた。振り向けば、缶ジュースを二本手渡される。ぶどう味とオレンジ味、よく自販機で売ってる見慣れた炭酸飲料だ。なんですかこれ、と問い掛ければ、お友達が来てるって和成さんに聞いたもんですから、余計だったならごめんなさい、と大人らしい答えが返ってきた。この人のこういう、上っ面です、みたいなところが、好きじゃない。でもジュースに非は無いので、有難く受け取っておくことにした。
「お友達はお家ですか?」
「そこにいます。ついてくるって一点張りで」
「仲良しなんですねえ」
「……そうですかね」
「僕がいたら邪魔でしょう。三日くらい、家にお邪魔するのやめますから。仕事に支障は出しませんってお父さんに伝えておいてください」
「はい」
「じゃあ、また明日」
「……はい」
やっぱり、苦手だ。さっき伏見に言われた、航介の知り合いなら誰とでも仲良くなって平気、なんて言葉に頷けなかったのはあの人のせいである。悪い人じゃないんだけど、良い人なんだけど、そんなこと分かってるんだけど。掴み所がない、と言ったらいいのか。何を考えているんだかよく分からない、だけど良い大人のふりをしていることだけは分かる。それが気持ち悪くて、悍ましい。野生の勘だけは冴えてる上にコミュニケーション能力に長けてる朔太郎が、千代田さんとは必死で距離を置きたがるのも、違和感に拍車をかけている。だってあいつが避けるって相当だろ。なにがあったかとか、なにがあるのかとか、知らないけど。あの人の前だと、下手くそな愛想笑いも出来る気がしない。だから伏見には会わせたくなかったのだ。変なことに勘付かれたり、なんかあったりしたら、って嫌な予感がびしばししたから。
「おかえり」
「……ただいま」
「だれ?」
「仕事の人」
「航介顔怖いよ。やなことあった?」
「なんでもない」
「悪い人?」
「ううん」
「そお……」
俺が出て行った後目を覚ましたらしい伏見が、窓から見ていた。下手にこいつも察しがいいから、何も言われないけど。ふうん、と目を細めた伏見が、俺の手の中にあった二本の缶ジュースを取って、何故かいきなりがしゃがしゃ振った。馬鹿か、炭酸だぞ、飲めないじゃないか。
「間違えた」
「冗談だろ……」
「飲まなくていいよ。俺が振っちゃったから」
「そうかな」
「しばらく置いとく」
「……それでいいのかな」
「今開けたら破裂するよ」
「困るな……」
車を発進すると、伏見が窓を開けた。ものすごく海だねえ、と訳の分からない感想を述べられて、ちょっと笑った。高校生の時とか友達みんなで、海っぺりをどこまで行けるか自転車で走ったり、さっきのおっさんじゃないけど釣り道具背負ってきてそこらへんで糸垂らしたりしてた、って話をしたら、何の変哲も無いことなのに嬉しそうに聞いてくれるから、なんかさっきのもやもやがどうでも良くなってしまった。
「いいなあ、楽しそう」
「部活とかやってなかったからな」
「帰宅部所属でしょ」
「それ部活か?」
「ねえ、子どもの頃なにして遊んでたの」
「……なにって、なんだろうな……外散歩したり、当也んちの犬連れて」
「うん」
「でもゲーム好きだったからそれも、あと、小さい頃から釣りは好きだったな。親父が連れてきてくれた」
「そっかあ」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「いや?ご飯も美味しいし、長閑だし、ごちゃごちゃうるさくないし、ここで子どもの時から過ごしたかったな、って」
「大袈裟だな」
「だって、つまんなかったもん。思い出とかないし」
「子どもの頃の?」
「そう。中高の思い出なら少しずつ残ってるけどね、もっと小さい時楽しかったことって覚えてない」
「……そんなもんじゃねえの?」
「でも航介は覚えてる。俺にはそういうの、なかったから、なんかなあって」
「今からすれば?」
「……簡単に言うよねえ……」
「子どもの時できたことだろ?今できないわけないんだから、今からやりゃいいじゃん」
「じゃあ付き合ってよね。犬の散歩から」
「……えっ、ししまるの?」
「やちよにお願いするから。ついてきてね」
「はあ」
「分かったあ!?」
「でかい声出すなよ!分かったよ!」

「ただよしくんち」
「おう」
「ピンポンしたい」
「どうぞ。俺これ持ってくから、押して」
「ん」
店の方が暗くて開いていなかったので、ぴんぽん、と実家の方のインターホンを鳴らす。中から急ぎ足にぱたぱたと寄ってきた足音の間隔が短いことに、少し違和感を覚えたけれど、気を抜くとずるりと滑りそうになる発泡スチロールで手一杯だったから、特に気にしていられなかった。からりと開いた扉から顔を出したのは、極度の人見知りで兄の友達をあまり好いていないことで有名な、都築妹だった。よりによって今。この子にとっても、こっちにとっても、不幸だ。
「はあい、ひっ」
「あっ、あー、こんちわ……」
「お、おにっ、おにいちゃんはっ、いま、いませんっ」
「配達なんで、別にあいつじゃなくても……お父さんか、お母さん、姉ちゃんでもいいや。いる?」
「おねえちゃんなら、おねっ、……」
「……………」
「……………」
がたがた震えながら扉に縋って腰が引けていた都築妹が、ぴたりと動きを止めた。同じく人見知りな伏見が、ひょこりと俺の後ろから顔を出した途端に。何故か俺を挟んで無言で見つめ合う二人に、あのう、一応これ重いんで、早く下ろしたいんですけど、と荷物アピールをしたけど無駄だった。人見知り同士通じ合うものでもあったんだろうか。いいから早くしてほしい。滑る。
「はちー、はっちゃーん、たくはいびーん?」
「……おうじさま……」
「初奈ってば、あっ、航介じゃん。あんた逃げなくていいの?」
「……初奈の、王子様……」
「航介、なにやばいスイッチ入れてんの、はち目ぇ飛んでんじゃん」
「俺なんもしてねえよ」
「じゃあ君か?ちびっこくん」
後ろから大声で呼びながら近づいてきたのは、一人で五人分うるさいことに定評のある都築姉である。伏見と見つめあった挙句、ぽややんと頬を染めてどっかの惑星まで頭が飛んで行ってしまったらしい妹の頭をぺんぺぺんと引っ叩いて直そうとしている。まあ恐らく無理だろう。都築姉は枯れ専寄りだが、妹は可愛い系に特化した面食い、しかもそれに人見知りの人嫌いが拍車をかけていて、一度ぽややんとするとしばらく現実に帰ってこないのだと兄がよくぼやいているのを俺は知っている。ちびっこくん、と不名誉な渾名をつけられた伏見はぶすくれてそっぽを向いた。こういうのが妹の好みにストライクなわけか、そりゃ俺やら瀧川やらを見るたびに悲鳴を上げて逃げるわけだ。我ながら天と地ほどの差がある。
伏見に王子様の幻影を見たまま遠い星から帰ってこない妹を諦めた都築姉は、仕入れたやつっていつもどこ置いてたっけ?と仮にも従業員とは思えない台詞を吐きながら、店を開けてくれた。見慣れた店内を突っ切って、厨房に勝手に侵入させてもらう。この辺に置いときゃ分かるだろ。
「ちびっこくんはどこの子だい」
「……………」
「航介の隠し子?」
「同い歳だから」
「冗談だよお、あんたのDNAからこの上玉が生まれたらびっくりするわ」
「失礼って言葉知ってるか?おい」
「お代はつけといてー。今度まとめて払う」
「都築父と都築母は?」
「父と母は市場の方に行った。都築弟もついてった」
「今晩の店当番誰?」
「たーちゃん」
「じゃあ今晩こいつ連れて飲みに来るわ」
「ただよしくん会える?」
「会える会える」
「おっ、やっと口きいたな、ちびっこくん」
「……………」
あんたの妹とどっこいどっこいの人見知りなんだからほっといてやれよ。よーしよし、と都築姉に頭を撫でられそうになった伏見がぴーぴー文句を言いながら俺の背中に飛び込んできて、隠れた。対朔太郎の時を彷彿とさせる。こいついきなり懐に飛び込んでくるタイプの相手が特に苦手なんだな。
夜来るって伝えとく、と適当女にしてはしっかりした約束を口にした都築姉と別れて車に乗り込むと、頬を染めて夢見心地の目をした都築妹が玄関口からまだ覗いているのが見えた。ここの家の兄弟は全員どこかおかしい。改めてそう確認できた。


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