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君はパナシーア



くっついてます
大学卒業する頃の話



「だって、今までだってずっとそう思ってきたんだから、しょうがないだろ」
真っ青な顔をした弁当はそう言った。泣きそうな声で、震えながら、拳を握りしめて、小さくそう零したのだ。二人っきりの部屋で、外からは遠くバイクの走る音が聞こえていた。水っぽく鼻を啜った彼は、涙を零すことなく、俺の返事を聞くこともなく、ひたひたと静かな足音で玄関に向かった。ゆっくりと丁寧に靴を履いたところが、とても彼らしかった。俺だったら、自棄っぱちで乱雑になってしまって、靴の踵なんか踏み潰して駆けていくだろう。そんなことを考えていたから呼び止められなかったのかもしれない。それとも呼び止める言葉も浮かばなかったのに、理由はないのかもしれない。ぱたりと小さく音を立てて玄関が閉まった。鍵の音は、しなかった。中に俺がいるからだろう、彼は優しいから。酷く、優しいから。
弁当は、その日はじめて、一晩中帰ってこなかった。

俺は、あいつに告白されてから、気持ちにようやく向き合って、自分も彼が好きだというところに辿り着いた。好意を伝えられてから、自分も好きだと返したのだ。弁当がそれまで長い間ずっと、秘めやかに淑やかに決して悟られないように俺のことを好いていたことを、後から知った身である。それも、彼が想いに整理をつけて半ば諦めかけていた頃に、だ。最初の頃、どうして弁当は俺と晴れてお付き合いを始めたのにあんなに距離を置きたがるのだろう?と伏見に相談したところ、どちらかというとあちら側の味方であるところの伏見には、しこたま怒られた。伏見からしたら、愛しの友達が長らく続けていた無言の片恋がようやく叶ったところなのだ。だから、何一つ気づかず察せず訳も分かっていなかった片恋相手のお前のことは憎々しくて仕方がない、それに重ねてその言い分は何だ、弁当のことを不幸にしたら俺が許さない、お前とはそれなりに友人関係を築いてきたつもりでいたが全力を持って社会的に殺しにかかるから覚えておけ、と凄まれた。とっても怖かったし、直接相談されていたわけでもなくただ単純に見守っていた立場である伏見がそれだけ強く思い入れる程に、弁当からは真摯にずっと想われていたのだと、そこで改めて知らされる羽目になった。胸が痛かったのを、よく覚えている。
『それで?脳味噌足りないぽんこつクソ虫の有馬くんは、自分の恋人について何を俺に聞きたいの?』
『言い方もうちょっとねえのかな……』
『無いよ。罵られたくなかったら自分で考えるんだね』
『う……』
『……大体。弁当が、今までお前をどう思ってたのか、分かってないでしょ。今更なに、彼氏面?』
好きでいられるだけでいいと達観してしまう程に、彼は自分の幸せを顧みず、相手の笑顔を望む。千晶ちゃんと付き合いだした時、弁当の精神に大きく入った罅を、お前はただの違和感として片付けていた。連絡も取れず学校にも来ない、もっと言って仕舞えば食事も摂らずに吐き下していた、そんな脆く崩れそうなところまで追い詰められた彼がそれでも隠した本心を、見て見ぬ振りをした。何か隠していることを知りながら、聞かなかった。お前がどうしたか聞けば、必死になって聞き出せば、いくら辛かろうと死にそうになろうと、きっとあいつは言ったのに。心の鍵を閉じなかったのに。そのたった一瞬がきっと、今現在に禍根を残すほどの最悪の手だったのだ。お前がきちんと問い詰めて、その蟠りを解消していたら、好きでいるだけで幸せ、なんて血吐きながら笑うようなこともなかった。お前のせいだよ。全ては、有馬はるかの責任だ。
そう強く、訥々と追い詰められて、俺は何も言えなかった。そうだ、と思ったのだ。俺はあの時、弁当が何も聞かないで欲しいと思っていたのを珍しく察して、そうした。聞いてしまったら何かが壊れる気がしたから、そうしたのだ。ふわふわ逃げ出そうとした彼をやっと捕まえて地面に無理矢理足をつけて、一緒に歩こうと強制して、それで満足だった。弁当がまた俺の隣で笑ったのが嬉しかった。それで良かった。良くないのに、良かったなあ、と蓋をした。それが、今に引き摺られている。弁当はあの瞬間、俺に対しての信用を地に落としたのだ。当たり前だ。自分の本心を曝け出せないような、抱えている何かを聞いてもくれないような、そんなやつ誰が信じる。だから、弁当は俺の言葉を信じない。好きだとまだきちんと言ってもらえていないのが、いい証拠じゃないか。
それが分かってからずっと俺は、彼に好きだと伝え続けた。信用してもらえないのは分かってる。俺はお前が好きだと口説き落とした直後、冗談言ってないで、と目を逸らされるのにも慣れ始めた。あいつの思う俺の幸せは、好きだなんて間違いだったと目を覚まし、自分のことを捨てて、可愛い彼女と二人で幸せな家庭を築くことだ。勝手に俺の幸せを決めるなと縋ったこともある。弁当はそれに対して、パニックを起こしたような顔をしていた。有馬はるかにとって弁財天当也といることが幸せになり得るということが、彼には理解不能なのだ。俺の「好きだ」は弁当には届かない。だって、弁当にとっては、嘘っぱちでしかないから。悲しかったし虚しかった、でも何度も何度も言い続けた。笑いながら、泣きながら、怒りながら、一年かけてずっと、刷り込み続けた。好いた相手に告白されるのは嘘でも嬉しいようで、信じてくれないものの、弁当は顔を赤らめて恥ずかしそうにすることが多かった。それがもうかわいくて、もっと見せて欲しくって、俺は全身で好きを伝えまくった。
きっかけは、ほんの数分前のこと。実家から届いた林檎を弁当が剥いてくれて、うさぎうさぎと俺がはしゃいで、いい年して何言ってるんだかと苦笑いした彼が綺麗なうさぎりんごを作ってくれた。一匹じゃ寂しいから二匹、と並べられたそれに、笑顔を浮かべるのが止まらなくって、俺たちみたいだね、とか馬鹿な軽口を言ってまた笑った。そこまでは良かったのだ。弁当も笑っていたし、俺も笑ってた。そこで終わりにしておけば良かったのだ。でも、俺は馬鹿だから、余計なことをした。優しい気分のまま、余計なことを言った。弁当のことがとっても愛おしくなって、でも今は好きだとか言うタイミングじゃないなって考えて、じゃあ褒めようと思ったのだ。
『弁当はさあ、気も回るし、優しいし、すっごくいい奴だな』
『……なに、急に。変なの』
『変じゃねーよ!ずっと思ってたよ!』
『あっそう』
『そうやってすぐ俺の言うこと流す……』
『……嫌なの?』
『え?』
『俺が、こんななの、嫌?』
はた、とフォークを止めた弁当が、俺を見た。ぐるぐるといろんな感情が渦巻いた瞳からは、何を言いたいのか分からなかった。どこかでかちりとスイッチが切り替わったような空気と、雰囲気。嫌とかじゃない、俺は、弁当のそういうとこ、そんな風に言いたいんじゃなくって、そういうとこも含めてお前だって分かってるから、好きだから、いいんだよ。そんなような言葉を返すつもりだったのに、あ、とか、う、とかばっかりしか出てこない唇は使い物にならなくて、頭の中で一生懸命考えてるもやもやは一向に口から出てこない。なんて伝えたらまた笑ってもらえるんだろう。そればっかで、弁当がなんでそんなこと言ったかまで考えられなかった。
『……ごめん。変なこと聞いて。忘れて』
「や、ううん、俺も、なんか、いっつもお前のこと困らせてばっかりだよな、俺』
『有馬、』
『弁当がなんで悩んでるかとかわっかんなくてさあ、俺やっぱ、全然だめだなあ』
『……だめじゃないよ』
『だめだよ』
だって、俺がどれだけ必死に伝えても、お前は俺のことを信じないじゃないか。ぽろりと零れたその言葉は、酷く恨みがましかった。止めようとしても止まらなくて、もうやめろと頭の中で自分が叫んでいた。それでも、どうしても、止まらなくて。
弁当の顔が真っ青になって強張っていくのも、見えていたのに。
『だめなんだよ。一年かけてもお前は俺を信じないし、これから先きっと一生、お前は俺の好きを聞いてくれないんだし、そりゃ俺が鈍感で弁当の気持ちに気づかなかったのも悪いけど、でも今はすっげえ好きって言ってんじゃん。なんで聞いてくれないのか、意味分かんない。好きと好きで両思い、ハッピーエンドなのにさ。お前にはお前の考え方があるのかもしんないけど、俺それ分かんないし、そもそも教えてもらえないし、つーか聞いたら喧嘩する気がするから聞けねえし。だから、……なんていうか、だからさあ……』
『……ごめん、なさい』
『……ちがう、謝って欲しいとかじゃねえんだよ、弁当』
『ごめ、っ』
『謝るぐらいならさあ、好きって言ってんの、ちょっとくらいは聞けよ。なんでお前は、俺がいくら好きって言っても、聞いてくれないの』
『……………』
蒼白になった弁当は、凍り付いたように俺の目を見ていた。はく、と唇が動いて、それでやっとなんとか呼吸してるのが分かった。俺の頭の中はもう空っぽで、今言った恨み言を忘れてくれと茶化す元気もなかった。だって、どうしようもなく本心だ。俺だってお前に好きだと言って欲しい。俺はお前じゃないから、渡すだけじゃ満足できない。それが叶わないなら、せめて俺の好きを受け取るくらいはして欲しかっただけなのに。
瞬きすら忘れて固まった弁当が、唇を開く。その目に映る俺は、追い詰められて死にそうな顔をしていた。聞きたくない。言わなくていい。このまま時間が止まって仕舞えばいいのに。そんな願いも叶わず、弁当の声が空気を震わす。俺の鼓膜に音が届く。
「だって、今までだってずっとそう思ってきたんだから、しょうがないだろ」
……ほら。理由なんて、俺は知ってるから。


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