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天才と努力


はてさて、二人暮らしを始めるにあたって、献身に目覚めた俺がまずぶち当たった壁は、家事だった。してやりたいじゃないか、料理とか。俺がエプロン付けてフライパン片手にお帰りなさいなんてしてみろ、小野寺の奴きっとぶっ倒れてそのまま泡を吹くだろう。ちなみに意外だからとか危険だからとかじゃなくて、嬉しいからだから。そこちゃんと分かってほしい。先程まで大変長ったらしくがやがやと言い訳させていただいたけれど、要するに俺はあいつに尽くしてやりたいのだ。喜んだ顔が見たい、とも言う。まずは手始めに一番オーソドックスな、料理かな?みたいな。
ただ、問題がただ一つ。俺は料理が苦手で仕方がないのだ。ちゃんと真面目にやってるつもりなんだけど、ふざけた出来栄えの物しか作れない。焦がしたり吹き零したりはしょっちゅう、味だってなんかおかしいし、下手したら一皿空にしたら腹痛を起こす。自分で自分の料理なんて絶対に食べたくないと思う理由の一つがそれだ。やりたくないわけじゃないから、台所に立ってみたことは何度もあるのだけれど、試食係として大概の場合登場する小野寺に毎度被害を与えている。もうやめてくれ、見ていて辛い、と泣かれたこともあるくらいだ。そんじょそこらの料理下手と並べて貰っちゃ困る。でも、残念なことに、俺は尽くしたくてしょうがないのだ。やってもらったように、やってあげたい。小野寺に喜んでもらいたい。具体的に言うならば、俺の料理を食べて、美味しいと笑顔を浮かべてもらいたい!
「無理だよ」
「諦めないで」
「無理」
「弁当ならできる」
「まだ死にたくない」
「どういう意味だてめえ」
「伏見から小野寺へのお返しなら、もっと別の方法がいくらでもあると思う」
「体とか?」
「なんでそうなるの?」
呆れた、と顔に書いてある弁当に向かって、簡単!絶対失敗無し!と命題が打たれたレシピ本を差し出した。結構高いのな、こういう本。
先日の話である。絶対失敗無しのレシピ本を購入した俺は、これだけ大きな謳い文句ならば失敗などするわけがないと、包丁を手に取った。ちなみにメニューは肉じゃが。凝ったものを作ろうとするからわけがわからないなにかが出来上がってしまうのだ、と思って。なんか、今回は大丈夫な気がする、と心から思えた。だって今までとはやる気の持ちようも違うし、何より動機がとっても健全だ。これで失敗するわけがない!美味しい肉じゃがを作ってやろうじゃないか!と意気込んだはいいのだけれど。
「失敗っていうかさ」
「じゃがいもって思ったより硬かったんだなあって」
「それ以前じゃん。切るところから出来てないじゃん」
「だから硬かったんだって!」
まあ、お察しである。じゃがいも切るのって難しい。人参は割と上手くいった。肉はどうやったら見覚えのある状態になるのかがよく分からなかった。だってめっちゃ赤いし。火をよく通せば良いんじゃないかとやってみたら炭になったし。結果、上手に出来るわけもなく、惨敗。こんな本捨ててやろうかと思ったけど、その前に頼るべき相手が身近にいることを俺は思い出したのだ。逆になんで最初からこいつの手を借りなかったのか不思議なくらいだ。本で読むより、隣に立って口を出してもらった方が失敗する前に改善できるに決まっているじゃないか。
「お願い」
「……俺には荷が重いよ」
「お願いします」
「本があれば大丈夫だから」
「この通りです!お願いします!」
「遠慮します」
「手伝ってくれないと有る事無い事言いふらしてやる!主にふしだらなことを!」
「やらせていただきます」
「やったー!弁当大好き!」
「俺は好きじゃない」

「なに作りたいの?」
「……ご飯が美味しく進むもの」
「おかず?」
「味の濃いもの小野寺好きなんだよね」
「……あの、混ぜればできるやつ使えば?麻婆豆腐とか、青椒肉絲とか、中華揃ってるじゃない」
「違う」
「あれ俺も普通に使うけど」
「違う……」
そうですか、と呆れたように言われた。そうじゃないんだって、傷だらけになろうがちょっと見た目が悪かろうが構わないから、手間暇かけて作ったものを小野寺に見せてやりたいんだって。よく頑張ったね、とっても美味しいよ、が欲しいんだって。別に普段それを言われないわけじゃない、だってあいつ優しいから。でも、こう、嘘つかせてるっていうか、無理させてるのは否めないわけで。二人で暮らしたら、俺がご飯を作って待ってる日だってあったっていいはずでしょ。ぽつぽつと弁当にそう告げれば、カートをころころと押しながら黙って聞いてくれていた。
「手のかかるもので、簡単で、伏見に作れそうなものなんてないよ」
「なくない!」
「無いから、練習してね」
「う……」
「お母さんから、一人暮らし始める時に教えてもらったんだ。手間はかかるし、見栄えもそんなにしないけど、美味しいよ」
「……なに?」
「餃子」
籠の中に入っていたのは、餃子の皮、挽肉、キャベツ、ニラ、生姜とにんにくのチューブ、その他調味料類だった。なんで餃子?と聞けば、餃子って誰でも作り方なんとなく知ってるでしょ、と返された。確かにそうかも。弁当のお母さんがどうして餃子を選んだかって、弁当のお父さんが好きらしい。昔料理が下手くそだった弁当のお母さんは、それを知って必死になって餃子作りを練習して、美味しく作れるように工夫もして、今ではお父さんはお母さんの作った餃子を楽しみにするようになったそうな。弁当のお母さんが料理下手だったっていうのがびっくりなんだけど、よく考えたら弁当も一年生の時は自炊に呻いてたっけ。じゃあ俺にも希望があるんじゃないの、何回もやったらできるようになるんじゃないの、もしかして。そんなこんなしているうちに弁当の家に着いた。
「来客予定は?」
「ありません」
「へえ、珍しい」
「……基本うちに人なんて来ないよ」
「そうかなあ」
「時間かかるからとっとと作るけど」
「うん」
「包丁は使わないから置いて」
「えっ?」
「包丁を手から離して。伏見に持たれるのほんっと怖い」
渋々包丁を置けば、弁当が近づいてきた。近づいてきたってことは、離れていたってことだ。お前むかつくな、そんなに怖かったかよ。渡されたエプロンをつければ、少し汚れた使い込んでる感じの、要するに普段から使ってるエプロンを同じくつけた弁当が口を開く。
「包丁は使わない」
「使わないと切れない」
「使わない。伏見の指が7本になるところなんて見たくないから」
「使わないと切れない!」
「今日使うのはこれです」
「……キッチンばさみ」
「これしか使いません」
はい。とはさみを渡されて、しゃきしゃきと開閉してみる。次いでニラを渡され、このくらいに切ります、と指で表される。それは分かるんだけど、いいんだけど、なんではさみ。包丁使いたい。
「包丁なんか使ったら危ないでしょ」
「弁当までそういうこと言う!」
「伏見に限った話じゃないよ。当たり前だけど指は切れるし」
「大丈夫!」
「大丈夫じゃない。よく考えなよ。伏見が指切り刻みながら料理完成させて、絆創膏だらけの指で皿出して、小野寺嬉しい顔する?」
「……する」
「しないでしょ」
「するもん」
「そんなんで嬉しい顔する奴は少女漫画の中にしかいない」
「俺が頑張って作ったことに対して小野寺は褒めてくれる」
「指に怪我をしたことについて心配もするよ」
「やだー!包丁がいい!やりたい!」
「こわい」
「やりたーい!」
「殺すって字の間違いじゃないの、それ」
弁当と言い争っても無駄だ。こいつと口喧嘩したところで、大概勝てない。言い負かされる、もしくは負けなかったにしても延々平行線上で睨み合い続ける。仕方がない、引くしかないだろう。
ちょきんちょきんとニラを切ると、確かに包丁使ってない分楽だし、気を張らなくて済む。キャベツは千切れる、にんにくと生姜はチューブだから開けて出すだけ、肉も同じく、と材料を並べ立てられた。成る程、本当に包丁は使わないらしい。しかも餃子は手で混ぜればいいし、難しいのは焼くところだけ。なんと味付けは大さじ一杯ずつこれらを入れるのみです。どん、と置かれたのは醤油とごま油と料理酒。最終的には焼いてから醤油つけて食べるんだから、ここの分量が少し間違えたところで問題はない、と。すごい。これ発明した人天才なんじゃない?
「切れた?」
「切れた。はさみは簡単」
「千切って。小さめで」
「うん」
「……工作とかが苦手なわけでも、手先が不器用なわけでもないじゃん」
「ん?」
「だから、料理だけできないってこと、ないと思って」
「……やさしい……」
「千切って」
「弁当優しい。好き」
「千切って。早く」
「俺が女子だったら結婚を前提に付き合ってほしい」
「うるさいな」
照れ屋さんめ。褒められたり好意を伝えられることに慣れていないから、耳が赤くなっているのがよく見える。弁当のこういう初心っぽいところってとっても好印象でしかないんだけど、周りの女はどうしてこういうところに気づいてくれないわけ。意味わかんない。
キャベツを小さく千切っている間、弁当は一応隣にいてくれたけど、それでなにがあるわけでもない。手伝うつもりはあまりないらしい。弁当もお母さんにこれを教えてもらった時、特に手出しされなかったって。ぼけっと見ているだけだ。別に良いんだけど。キャベツ千切り終わってニラも切り終わったところで、肉のパックを開けた。3つとも弁当が用意してくれたボウルに入れて、チューブに入ったやつを二つともぶちまけようとしたら、そんなに入れないで!と悲鳴を上げられた。危ないところだった。調味料類を、大さじ一杯、大さじ一杯、と唱えながら入れて、入れたところまでは良かったんだけど。
「……手で混ぜんの」
「そうだよ」
「お腹壊さない?」
「不安なら手洗ったら?」
「ぐちゃっとしてる」
「嫌なら料理諦めて」
「どんな感じで混ぜたらいいの?」
「だいぶ混ぜて」
「心の臓を握りつぶす感じ?」
「そんな感じ」
「マジかよ」
「マジだよ」
「しねー!」
「ぐわー」
ぐちゃぐちゃ。あんまり見た目が綺麗とは言い難い。俺がボウルの中身に攻撃する度に、弁当が平坦にやられてくれて楽しい。もぎゅもぎゅと具を揉み潰していると、飽きたらしい弁当がどっかに消えてしまった。両手突っ込んでるとうまく振り向けなくて、なにしてんのー、どこー、と声だけで探す。ぱりぱりと何かを開ける音がして、足音が近づいてきて。
「ん」
「むぐあ」
「抹茶クッキー、おいしい」
「んむ」
「おいしいでしょ」
「んぐ」
口に入りきってないんですけど。肉まみれの手で触るわけにもいかず、もごもごしながらなんとか頬張り切れば、俺が食べたことが嬉しかったらしい弁当がちょっとにこにこしていた。餌付けかなにかかな。
どのくらい混ぜたらいいのか分かんなくてずっと手を動かしていたら、もうそろそろ大丈夫、とお達しが入った。それ言ってもらわないと俺永遠に混ぜ続けるからね。割といつもそのパターンでだめになる。混ぜすぎとか、混ぜなさすぎとか、焼きすぎとか、焼かなすぎとか。加減なんて分からないし。こうやって包むと綺麗に見えます、と一つ作って見せられて、それを覚える。真似っこは得意だ。弁当に比べたらもたもただけど、一つ作ってみたら結構上手くいった。なんていうか、餃子です!っていう見た目になった。それに満足していると、かなり時間がかかるであろうことを踏んだらしい弁当が、半分手伝ってくれることを申し出てきた。よかろう、許す。
「羽根つきのやつ、美味しいよね」
「……それはもっと上手になってから作ってくれる?」
「次回にする」
「次の次の次の次の次くらいがいいよ」
「遠い」
「餃子だけ作れたって暮らしていけないし」
「あれ作ってみたい。ロールキャベツ」
「……………」
「なにその顔」
「……お味噌汁とかにしたら」
「小野寺作れるもん、お味噌汁」
「カレーとか」
「スープカレーがいいなあ」
「我儘言わないでよ」
「アヒージョとか作れないの?あれ俺好きなんだけど」
「……なんでそういう……」
「ん?」
「食べたいものと作れるものは違うよ」
「でもこの前アヒージョの素が売ってた」
「横文字の料理が作りたいなら、カプレーゼとかにしたら」
「えー、切るだけじゃん」
「切るだけがまともにできない人がなに言ってんの?」
「天津飯も食べたい」
「ねえ」
「わあ、皮破けちゃった」
「もー……」
「弁当が話しかけるから」
「じゃあもう口きかない」
「えっ」
「……………」
「ごめん嘘、やだ、喋って」
ぶすりと黙り込んでしまった弁当の機嫌をどうにか元に戻して、餃子の完成。あとは焼くだけなんだけど、フライパンを弁当が持っているので俺からは何もできない。それ貸して、と言ったものの、片手にフライパンを持って、もう片手の携帯に目を落としていて、話を聞いてくれない。有馬から連絡でも来たんだろうか。なんなら焼くだけなら家でやってもいいから、とりあえず反応してほしいんですけど。
「ん」
「焼く?」
「うん。あとちょっと待って」
「なんで」
「なんでも」
「寝かすと美味しいの?」
「そんなこともない」
「じゃあ早くしてよ、お腹すいた」
「待ってっつってんじゃん」
「お腹すいた!」
「クッキーあげるから」
さっきの抹茶クッキーを渡されて、エプロンを取られて、クッションを抱えさせられた。なんだよ、焼くとこはやらしてくんないってことかよ。もすもすとクッキーを齧っていると、まあまあ、と弁当がお茶を持ってきてくれた。確かに慣れないことして疲れてはいる。でも俺は早くあれを焼いて食べてみたいし、美味しくできたならば小野寺に作ってあげたいのだ。今回のは試しだから俺が食べる、自信がついてから食わしてやる。それを早くしてあげたいの、弁当なら分かってくれると思ったのに、とフライパンをコンロの上に置いてこっちに寄ってきた弁当を見上げれば、目を逸らされた。こいつ何か隠してるな。
「おい」
「なに」
「持って帰って焼くからもういい」
「焦がしても知らないよ」
「誰か呼んだ?」
「……………」
「誰待ってんの?」
「……寝かした方が美味しくなるから」
「さっきそんなことないって言ったじゃん。ねえ、怒んないから教えて」
「んー」
「小野寺呼んだの?」
「……んー」
「帰る」
「だって食べさせたかったんでしょ」
「美味しいか美味しくないか分かんないようなの食べさせたくない、今日のが美味しかったら次食べさすの」
「でも今までだって味見してもらってきたわけだし」
「今までと今日は違うの!」
「でももう来るよ」
「帰る!」
「……いや、あのさ。俺は、伏見が食べてもらいたいかどうかじゃなくて、あっちがどうしたいかなって思って」
食べたいんじゃないかなって、自分だったら相手が初めて自分のために作ってくれた料理は美味しかろうが不味かろうが食べたいなあって、思ったから。だから連絡したし、焼き方は小野寺に教えるつもりでいた、と『いまついた』と連絡の入っている携帯を見せられて、クッキーの空箱を投げつけた。
「あいて」
「余計なお世話!航介みたい!」
「えっなにそれ……すっごい屈辱……」
「美味しくなかったらどうすんだよ!」
「はいはい、今開けます」
「入ってくんな!」
ぴんぽん、と鳴った音に歩いていった弁当はあっちの味方である。こんなことならフライパンを奪い取っておけばよかった。尽くしたい気持ちでいっぱいなのは本当だし、喜んで欲しいのも本当だし、弁当が小野寺を呼んだ理由だって理不尽でもない。けど、失敗を見られるのは嫌なのだ。あちゃーって思われんのだってやだ、やっぱりねって目で見られんのもやだ。ちゃんとしてないときっとそうなる。俺は何でも出来る天才じゃないから、そのふりをしたいだけだから、頑張らないと周りから置いていかれてしまう。劣るのは嫌だ、小野寺にそう見られるのはもっと嫌だ。靴を脱ぐ音と、ふしみ、と呼ぶ声に、我慢出来ずに押入れを開けて隠れた。逃げ場なんかないけど、逃げたくてしょうがないのだ。弁当の馬鹿。
「伏見?どこ行ったの?」
「その辺にいるでしょ。はい、これ」
「わあ、すごい」
「そっち、焼いてあげて。手洗って、やり方教えるから」
「うん」
コンロの火をつける音。そっち、と言われた方が俺が包んだ方なんだろう。弁当のと並べてあったら、どっちがどっちかなんてすぐに分かってしまう。真似は得意だし、綺麗に見せるだけなら出来るけれど、元々手慣れているやつになんか叶うわけがないのだ。なんか情けなくなってきた。がんばりたいって思ったのに、なんで俺こんなとこ隠れてんだろ。最初から喜んでほしいとか思わなければよかった。
「油どのくらい?」
「くっついちゃうから、うん、そのくらい」
「乗っけていいかな」
「ううん、ちゃんとあっためたほうがいいよ」
「ふうん」
「並べたら、お湯入れて、蓋しめる。開けちゃだめだよ」
「なんで?」
「……開けちゃだめだって教わったから」
「誰に?」
「お母さん」
「じゃあ開けない」
「そうして」
なんか楽しそうだし、二人で最初からやれば良かったんじゃないですかね。俺いらないよね、完全に。いいよもう、二人暮らししてから俺が料理する時コンビニでお惣菜買ってくるから、それで満足でしょ。出来合いの方が美味しいしお腹壊さないし、安心でしょ。襖の中でぐずぐずしてたら、足音が近づいてきた。
「伏見、おいしそうだよ。出ておいでよ」
「やだ」
「いい匂い、伏見が作ってくれたからだよ、一緒に食べよう」
「いい匂いしない」
「まだ焼けてないしね」
「う、そうだけど、弁当黙ってて」
「ごめん」
「今まで、伏見が作ったもの俺たくさん食べてきたでしょ。美味しくなかった時、美味しくない顔しちゃったから、伏見やだったよね」
「……それは美味しくないもの作った俺がいけないじゃん……」
「でも、美味しくなくても、嬉しかったよ」
今日も嬉しいよ。そう続けられて、小野寺が黙った。ぺたぺたと歩いていった音と、コンロの前でまた二人が話す声。蓋開けちゃいけないのに焼けたかどうか分かるの?分かるよ、音が変わるし、時間で大体。餃子の匂いがしてきた、できたかなあ。もうちょっと待ったほうがいいよ、あと少し。少しってどのくらい?一分くらいかな。そんな会話が襖の向こうから聞こえてくる。いい匂い。
「でーきたっ」
「うん、できた」
「伏見に見せる」
「俺、飲み物買ってくる。すぐそこの自販だけど」
「行ってらっしゃーい」
気を遣って出てったのがばればれだよ!弁当の馬鹿!この場でそれに気づいてないの小野寺だけだから!そう叫べるわけもなく、玄関が開いて、閉まった音が聞こえた。これでとうとう二人きりだ。
かたかたとお皿に移しているらしい音がして、いよいよ襖を開けられそうな予感。布団の向こうへ潜り込めたらいいんだけど、そんなスペースはない。縮こまって出来るだけ小さくなっていると、小野寺がぺたんと襖の前に座った。律儀にこんこんとノックされて、無言を返す。ねえねえ、のトーンが少しずつ下がって悲しげになることに耐えきれずに、返事をしてしまった。無視しきれなくなったのも、最近の話だ。
「おいしそうだよっ、二人で作った餃子」
「……誰と誰が二人で」
「俺と伏見」
「弁当のことなかったことにすんなよ……」
「触ってないって言ってた。伏見が作って俺が焼いたんだから、二人で合ってるよ」
「……………」
「お腹空いたでしょ。食べよう?」
「……なら、俺が全部食べる」
「なんで。けち」
「美味しくなかったら困るんだよ」
「食べちゃおっと」
「やめっ、馬鹿!」
「いただきます」
ぱん、と襖を開ければ、小野寺が大口開けて頬張ろうとする、まさにその瞬間だった。指ごと齧る勢いでそれを奪って、口の中がいっぱいになる。特別美味しいわけでもなければ、笑える程不味いわけでもないそれに、一瞬言葉を失って。飛び出してきた俺のことを受け止めながら器用に空いた手を皿へ伸ばした小野寺が、口を開いた。味わってる暇なんてなく無理やり飲み下して口の中を開けた俺が止めるより早く、唇が閉じられて、咀嚼される。
「んむ」
「あっ」
「……んー」
「……ぁ、え、っは、吐いて」
「……………」
「吐いて、吐けって、次はもっと上手にやるから!」
悲鳴じみた俺の声を無視した小野寺は、もぐもぐと充分すぎる程味わってくれやがっていて、死にたくなった。だって、失敗じゃないけど、美味しくもないのだ。俺が欲しいのは、すごいね、がんばったね、おいしかったよ、っていう完成への賞賛であって、次こそ頑張ろうね、って同情じゃない。喜ばせたい、笑ってほしい、それを得るには賞賛が必要なのだ。口を開けさせることも出来ず、吐き出せという文句に聞く耳も持ってもらえず、どうしようもなくてばしばし平手で殴れば、邪魔だと言わんばかりに止められた。両手首を一纏めにされて、ごくん、と呑み下された喉の動きに、息が止まる。小野寺は正直者だから、素直だから、感想は心から本人がそうと思ったものにしかならない。いっそこの場から逃げてしまいたいのに、それも許されることなく、ぱかりと口が開いた。
「焦がしちゃった」
「……え?」
「んーと、俺、焼きすぎて焦がしちゃったみたい。ごめんね」
「……味は?」
「焦げてた」
「ちが、あの、中身は?」
「分かんない」
「……な……」
なにそれ、なんてことを、なに言ってんの。どれでもない単語の最初だけが漏れて、小野寺が当たり前みたいにしゅんとした。ごめん、次はもっと上手に焼くから許して、中身もっかい作ってください、と言われて、目が丸くなっているのが自分でも分かる。えっ、え、なにそれ、それってあり?どういうこと?俺のせいじゃなくて自分なの?どれも口からは出ないけれど、お、ど、そ、えっ、みたいな頭だけは溢れて、小野寺がますますしゅんとしていく。
「ごめん……せっかく作ってくれたのに……」
「……………」
「嬉しかったんだ、弁当から連絡来て、写真ついてて」
「写真!?」
「ひえっ」
「なんの!?」
「ふ、伏見がなんか混ぜてるとこ」
「……あ、そう……」
「危なくないように包丁も使わないレシピ弁当が教えてくれてるって聞いて、急いで来て」
「……………」
「俺も料理なんかあんましないのに、出来る気がして、ごめんね、伏見」
「ぁ、あや、っ謝んないでよ」
「うん……」
「またっ、作れば、いいんでしょ」
「うん、お願い」
変な風に声が裏返って、言葉がつっかえる。目が合わせられなくて、照れ隠しに皿に乗っかったまま放置されてた餃子に手を伸ばせば、やっぱりとびっきり美味しくもなければ馬鹿みたいに不味くもなかった。次は絶対上手くやってやろう、と二人して妙な約束をしたせいで、二人で作ることが前提になってしまったけれど。
ほんとにただ自動販売機へ行っただけらしく、割とすぐに帰ってきた弁当が、一つだけ残ってた餃子を食べて、「うわっ」って言いやがったからちょっと喧嘩した。うわってなんだよ、不味くはないだろ!


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