このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

天才と努力



俺から小野寺に叩きつけていたのは、挑戦状だった。高校二年生の時、好きだ、付き合ってほしい、と真っ赤になって涙ながらに訴えてきた彼に対して我ながらとっても精神が意地悪に捻じ曲がっていた俺が突きつけたのは、一応の許容と、期限付きのお付き合いだった。しかもその期限は、俺の匙加減で決まる。もう小野寺はいらない、と俺が判断したら、そこでお付き合いは終了。さあ、いつまでこの関係性に我慢できるかな、と挑発しているのに近い。なんならそっちから切ってもらっても構わないんですけれども、なんて文句を多分に含んだ約束だったのだ、小野寺の気持ちを一ミリ足りとも信用していない。我ながら酷い話である。しかもあっちからしたら、首の上に備え付けられたギロチンがいつ落ちてくるか全く分からない状態ですっと過ごしてきているわけで。もう、あいつの精神の強さに感謝するしかない。
そんな不平等な約束は、裏を返せば俺が自分に向けた枷でもあった。この止まり木から、いつかは離れなければならない。心地が良く自分を無条件で受け入れてくれる彼を、俺は自分の手によって遠ざけなければならない。それが出来ないとは言わせない、一人で生きていけるふりはあれだけしてきたじゃないか。お前だけ幸せになろうなんて許さないと、俺の中の不幸せな自分が、恨み言を吐く。それで、小野寺とはたくさん喧嘩したし、いっぱい迷惑もかけたし、泣かせたし、怒ったし、怒られたし、泣いた。いつ何がきっかけで捨てられるか分からない小野寺は、それでいてよく俺を傷つけるような真似したと思う。自信があったとか、それでも良かったとか、そういうんじゃなくて、多分なんにも考えてなかっただけだと思ってた。結局俺は自分から彼を手放せないまま、甘えたまま、我儘ばかりを重ねてここにいる。自分の思いからは目を逸らして、あっちが求めてくるから仕方ないというふりをして。
俺が決定的に負けたのは、そのきっかけは、小野寺が人目も憚らずに泣いた、あの日だった。一緒に住もうって、俺が決めた日。小野寺は、捨てられる恐怖にずっと怯えていて、それを覆い隠して俺の隣にいたのだと、初めて知った。気にしてないんだと思ってた、何にも考えてないんだと思ってた、そんなわけないのに。自販機に隠れてわあわあ泣く小野寺を、当たり前みたいに慰める自分に、ふと思った。なんで俺、普通にこいつのこと甘やかしちゃってんの?って。甘やかされるのは当然だと思ってた。だって、俺を大切にすることを小野寺は好んでいるから。けど、逆はそうでもない。俺からあいつを甘やかして優しくして、愛おしんでやったことなんて殆ど無かった、はずだった。気紛れで何回かしか、と思い返してみて、衝撃。そんなこともなかったのだ。なんだ、俺って案外、あいつに優しいじゃん。それがどうしてかを考え出したのが、運の尽きだった。人はどうして他人に優しくできるのか、どんな感情が底にあるからこその優しさなのか、なんて、そんなの俺はよく知ってるじゃないか。
こっちが不安に思っていることを、突っ込んで聞いてこなくなったのはいつからだろう。前は何度もそれで喧嘩した。しつこくするな、お前なんか大嫌いだ、どっか行け、と激昂する俺に対して小野寺もぶち切れ返してきて、どうしようもなく傷つけあった。その喧嘩が無くなったのは、いつからだろう。それに、甘ったるい声を知っているのは俺だけ、なんて些細な事が優越感になったのは、いつからだろう。俺をいつでも甘やかしたがる小野寺は、ちょっと泣き出しそうな声を取り繕えば、ぽすぽすと頭を撫でてくれた。思い返す昔の彼はしつこくべたべたしたがって、それが俺はうざったくて、そういう気分じゃないと突っぱねていた。今となっては、いくらこっちが演技しててもそれすら受け入れてしまうのだから、嘘の吐き甲斐がない。残念でした嘘泣きです、と小馬鹿にしたところで、嘘泣きでよかった、と喜ばれるんだから。そうだ、彼が俺の嘘を見破れるようになったのだって、いつからだろう。疑問に思うことの全ては、きっとみんな、小野寺が大人になったことがきっかけなのだ。高校二年生の子どもだった彼が、大学四年生の大人になった。俺のことを愛したまま、手を離さないまま、全ての事柄に対して、今までより良い手段を身に付けたのだ。成長した事象全ての矢印を全方位愛しい相手に向けて、そのためになにもかもを使おうというのだから、そりゃあ過ごしやすくて甘え放題できるはずだ。毎日一緒に居過ぎて、いつも一番近くにいたから、気づかなかった。
俺は、尻尾を振って嬉しそうについてくるこの男のことを、愛おしむようになってしまった。手放せるはずがなかった、離れられるわけがなかった。負けてしまったのは、そのせい。一生勝てるわけがない、真っ白な従属宣言を掲げてしまったのだから。一方的に向けられていた献身と愛情は、俺に飲み下され、消化され、溜まりに溜まって、ようやく外に出てきた。言うことを聞いてあげたくなる。泣かせたくない。笑っていてほしい。側に居てもらいたい。離れたくない。愛しているとか好きだとか、そういうこととはまた違う。独占欲、も違うかも。この感情に、まだ名前はないのだ。強いて言うなら母性本能?またまた、そんな御冗談を、って感じだけど。
頭のてっぺんから足の先まで、蜂蜜みたいにとろとろの愛情に漬けられて、好い加減脳味噌も蕩けてしまった。小野寺達紀を悲しませちゃならない、と枷を引き千切った自分が這いずる。
愛し愛しと告げられて、嫌えるわけがないだろう?お返しの好意を持つのも当たり前だろう?そう、自分を正当化したいのだ。今度は自分が彼を甘やかす番だ、泣いたって許してやらないくらいにどろどろに蕩けさせないと気が済まない。先に言ったように、負けず嫌いなもので。


1/2ページ