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おはなし



「鍋が食べたいなあ」
「変わってんな」
「ん?うん、えっ?」
「土鍋か?ステンレスか?」
「や、やめてよ……伏見が言うと本気に聞こえる……」
「ふざけんな」
「弁当んち鍋ある?」
「……あるけど」
「つみれ鍋がいいな。鳥のやつ」
「えー、すき焼きがいい」
「我儘言うな」
「ねえ、一応聞くけど、もしかして俺の家でやるの?」
「うん」
「……俺の家の鍋がもしも壊れたら、うちでやらないことになったりするの」
「鍋壊れてんの?」
「壊れてないけど」
「じゃあいいじゃん」
「うん……」
「嫌?」
「……いや、な、わけじゃ」
「じゃあ決まりな!」
小野寺が言い出したのがきっかけで、伏見が悪乗りしたので拍車がかかって、有馬にとどめを刺された。嫌だなんて、思えるわけないじゃないか。あんな顔を見せられたこっちの気にもなれ。あんな顔って、別に変なわけじゃなくて、そういうんじゃなくて、俺が絶対に逆らえない顔のことだ。嬉しそうに幸せそうで、楽しみで仕方がないと言わんばかりの、ぱあっと咲いた満面の笑顔。馬鹿じゃないのか、いくら好いた相手だからって言いなりはおかしい、不満があるならきちんと言うべきだ。そんなことは分かってるし、普段は言ってる。嫌なもんは嫌だ、うちで鍋など認められない、と断っている。けれど今回は、タイミングが悪かった。もう辛抱堪らない、好きだ、全身全霊を以ってして尽くさせてくれ、というひた隠しにしている気持ちが溢れ出して止まらなくなってしまう時期が、時々あるのだ。残念なことに、今が絶賛真っ盛りである。ちなみに前そうなった時は、弁当最近機嫌良いけどなんか良いことあったの?なんて単刀直入な本人からの質問で一気に血の気が引いて冷めた。あっちに悪気はない。こっちに罪悪感と後ろめたさがあったのだ。
まあ、そんなこんなで。
言い出しっぺの小野寺は、出し損なった課題を纏めて提出してからうちに来るとのことで、六時過ぎの到着予定。伏見は授業が一枠入っているのでそれが終わり次第向かう予定。俺は暇!も言い切った有馬と暇ではないけど自宅を提供する俺は、もうこの後に授業も入っていなければ用事もないので、支度をしておくことになった。買い出しと、鍋の用意。
「つみれは俺が作る」
「……いいけど。作り方知ってるの」
「丸めればいいんだろ?」
「いや、その前っていうか」
「……肉を買う?」
「うん」
「買った肉を、丸くする」
「……その間は?」
「綺麗に丸くする」
「もういいや」
「なんだよ!なんか違うの?」
有馬に任せられそうなのはつみれの成形くらいだということが分かったところで、スーパーに向かうことと買わなければならないものが決まった。それしか任せられないと分かっても、かわいいやつめ、養ってやろうか、としか思えないのはまずい。今日は本格的にやばい日だ、頑張って自分を抑えなければ。
大学を出て、たらたらと家の近くのスーパーに向かう。今日は20日だからお客様感謝デーだな、と気づいた有馬が、大学から見るとうちを少し通り過ぎた先にある少し大きめのスーパーを目指すことを決めた。20日30日5%オフのところ。うちに一番近いスーパーより、大通りに面していることもあってか、そっちの方が大きい。それは人が多いということに直結しているわけで、嫌な予感がした。なんでかって、今日がこんな日だからだ。
「はつーっかさんじゅうにっちっ」
「歌わないで」
「なんだよ、誰も聞いてねえよ」
聞いてんだよ!お前を今抜かしたお姉さん二人が!かわいー、って言ったんだよ!それを聞く俺の身にもなれよ!可愛いことなんか俺が一番知ってんだよ、通りすがりのモブAよりは関わりが長くて深いつもりなんでね!こちらとしても出来ることなら全部歌っていただきたいんですがね!そんなん俺の理性が5%オフじゃねえかよ、ふざけんじゃないよ!そんなことになってたまるか!
冷静になろう。機嫌の良い有馬は俺には止められないし、何を言おうとプラス思考に巻き込まれることはもう分かっている。真顔を取り繕うことには自信があるし、有馬ごときに平静を乱したことを見破られるわけがない。落ち着けと自分に言い聞かせながらカゴを手にとって足を向けるのは、野菜売り場だ。怒ってんの?御機嫌斜めなの?とちょろちょろ周りをふらつかれて、そうじゃない、うろうろしないで、と唸るように返す。あんまり口聞いたらボロが出そうで怖いのだ。俺に構うことを諦めたらしい有馬が首を巡らせているのを背中に、買ってったら伏見が怒ることが予想される水菜を危うく手に取りかけて、やめた。俺の嫌いなものは入れるな、なんて予知予測が可能な理由で傲慢な鍋奉行に叱られたくはない。大根なら伏見も食べると思う?と聞きながら振り返ったら、有馬がいなかった。ふざけんな馬鹿、幼児か。迷子センターで呼び出してやってもいいんだぞ、と大根を戻して踵を返せば、思ったより近くにいた。
「あ、べんと」
「……なにしてんの」
「じゃーん。鬼」
「はあ」
「悪い子はいねえかあ!」
紙でできた鬼の面を顔に被せて怖い声を出した後に、流石にふざけすぎたのが恥ずかしかったのか、ちらりと紙をどけた有馬は、んへへ、と笑った。おいマジでやめろ!?俺をどうしたいんだ!?例えば俺の知性がマイナスだったとしたら今すぐにここで求愛の舞を始めてもおかしくはないぞ!?いやそれはおかしいな!落ち着こう!がんばれ、俺!
ちょっと今日は本格的に駄目な日である。一刻も早く一人きりになりたい、とても実家に帰りたい。なんか言えよ、黙られるのが一番辛い、と耳を赤くしながら鬼のお面を元の場所に戻した有馬は、そういえばもうすぐ節分だなあと独り言ちながら山になって積まれている豆を手に取った。節分か、そういえばそうだ。一人暮らしを始めてから、恵方巻きも食べてない気がする。ちなみに実家では食べさせられた。ほら!黙って食べるのよ!と母が真っ先に口を開いていたし、うちに遊びに来たとばっちりの航介と朔太郎も咥えさせられていたけれど、朔太郎が黙れと言われて黙るわけがないので、以下ご想像通りの結末。海苔が舞い散り米粒が飛び、恵方巻きの中身が引っ張り出される大事件であった、とだけ言っておこう。
「恵方巻き買ってく?」
「買ってかない」
「だよな」
「鍋の材料揃えに来たんでしょ。何がいるか考えてよ」
「肉?」
「うん」
「挽肉ってたくさんあるんだなあ」
ぶたー、うしー、とパックを見比べている有馬と、カゴの中をいっぱいにしていく。つみれ鍋だし、メインがそれなら野菜はそんなにいらないかな。好き嫌いが超絶激しい伏見もいるし、あんまり多種多様に揃える必要はないかもしれない。先を行く有馬について歩いていけば、チョコレート売り場で立ち止まった。見上げる上には大きなポップがあって、四人組のアイドルユニット。よくテレビでも見るCMが延々流れているそれを見ていた有馬が、ぷすー、と鼻息荒く吐いた。なにか気に入らないことでも有ったんだろうか。
「これのさあ、真ん中の人」
「うん」
「似てるってよく言われんだよな。俺こんなんじゃないのに」
「嬉しくないの?」
「嬉しくねえよ。俺こんなかっこよくないし、きらきらじゃないし」
いやいや、そっくりですよ。割と本気で似てますよ。
三人組のこの、なんたらっていうアイドルユニットは、最近出てきて流行っているみたいなんだけど、三人それぞれがちょっとずつ有馬みがあるので、俺は個人的に内心で有馬軍団と呼んでいる。有馬みがあるって何だろう。でもそういうことだ。
さっき有馬本人が似てるってよく言われると言った、真ん中の人は、最近俳優さんとしてもかなり出てきていて、ドラマの主演も張ってる。見た目が一番有馬に近いんだけど、中身はかなり冷たい感じなので、役も結構クールな感じのやつが多い。有馬に似た顔で、今期なんか一流レストランの料理長役をしていて、下っ端に冷徹な言葉を吹っ掛けるのだ。しかも結構きつめの言葉遣いで、ぴくりとも笑いもせず。そんなの見ないわけない、毎週録画しちゃってる。次に右側、あんまり笑わない真ん中の肩に手をかけている方。この人は、中身が有馬に近い。喋り方とか、態度とか。バラエティーによく出てるのを見るけど、美味しいものを食べた時のリアクションとか、驚かされた時のすっ飛び方とか、そういうものが有馬に似ているのだ。うるさい系として有名だし、本人も賑やかし担当と言い切っているけれど、静止画で有馬に近いのが真ん中なら動画で有馬に近いのが右側といっていい。動きとか、笑い方とか、そういうとこが似てる。見た目はそんなでもないのに有馬みたいだと思ってしまうのはそのせいだ。最後に左側、チョコレート齧ってる方。こいつが一番タチが悪いそっくりさをしている。なにが似てるって、声だ。ぽややんとしてて、動物番組でレギュラー持ってるんだけど、マジで声が有馬なので、気を抜いてるとびくんってなる。その動物番組は結構気合い入れて見ないと大変なことになる。「かわいいですねえ、なんの赤ちゃんなんですか?」とか言う。やばい。多分有馬はこの三人を纏めた総合体なんだと思う。アイドルになったらいいんじゃなかろうか。
じゃなくて。有馬軍団、もとい名前は忘れたけどこの人たち、に似ていると言われることは有馬本人的には気に食わないらしい。言わなくてよかった。
「チョコ買う?」
「なんで?」
「弁当好きじゃん。チョコ」
「買わない」
「買ってやろう」
「いらない」
「遠慮すんなって」
「ホワイトチョコのやつがいい」
「うん」
カゴに放り込まれたそれを見て、なんとなく嬉しくなった。なんか、あれじゃん。一緒に買い物して一緒に帰るとか、新婚さんみたい。そんな馬鹿みたいな妄想を、頭を振って追い払う。隣をすり抜けた本物の夫婦が、あと何か買うものあったっけ?と尋ねあっているのに被せて有馬の、あとなんか買わなきゃいけないもんあった?なんて声が耳に届いたので、妄想が加速するところだった。
「半分こして持とう」
「袋二枚もらった?」
「もらってない」
「……じゃあ半分こできないよね」
「片方ずつ持てばいいだろ」
少女漫画か!?何考えてんだ!?歩きづらいだろ!そんなことは言えず、無言のまま。片方の持ち手を有馬に引ったくられて、否が応でも分け合いっこ。つらい。なんで俺こんな我慢してるんだっけ?もう我慢やめていい?全部言っていい?ダメですよね。
この数十分で、俺の頭の中では何度か内紛が起きてそれが沈静化され、また暴徒が立ち上がっては洪水に流されて死んでいくのだけれど、今のところ生きとし生けるもの全てが死に絶えて神的なやつしか残っていないので、安泰。どうにかこのまま、理性を保ったまま、家まで着きたい。
有馬が丸めたつみれを食べなきゃならないことに気がついたのは、家に着いてからだった。


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