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おはなし




配達帰ってきて、港の見慣れた道に車を乗り付けると、なんか、三人くらいの知らない奴がいた。でかいカメラ持ってる、マイク持ってる奴もいる。テレビかな、と車を降りてこそこそ中へ向かうと、こっちに気づいた女の人が真っ直ぐつかつかこっちに来るのが見えた。怖え、なんだよ、テレビならもうちょっとにこにこしてくれよ。特に写りたくないし。目立ちたくねえし。
「あのお」
「いっ、いそがしいんでっ」
「この辺で有名な、美味しいものってなんですか?」
「あぇ……」
家庭料理でも構いません、と俺に声をかけた瞬間、というかカメラが回り出した途端に、満点の笑顔を浮かべた恐らくはリポーターらしき人は、逃がさねえぞと言わんばかりの威圧感を放ってくる。俺が疎いからなのか、ローカルか深夜帯なのか、知らない人だ。カメラがこっち向いてんのが目の端に見えて、えー、あー、あのですねえ、なんてしどろもどろになっている間に、じわじわとリポーターの人が隙間を詰めてくる。怖え、この人目笑ってねえもん、俺なんか怒らせるようなことしたかよ。こんなことならもうちょっと向こうに車止めりゃよかった、と後悔するけどもう遅い。ここの港にも一応ちょこちょこテレビの人来たりするけど、俺が声をかけられたことなんてなかったから、普通に困っている。だって特に出たくないし、面白おかしくされても困る、使われないと分かっていたとしても特に嬉しくもなんともない。
「えっと、お」
「あ!おねーさん!お姉さん、夜のあの、あれの人でしょ!めっちゃ飯食う番組の人!」
「は?」
「こないだ見たんよー、カツ丼でけえやつ五杯くらい食ってたべ?別嬪さんなのにほんとにあんだけ食うんかなあって俺不思議でさあ、うはは」
「えー!やだー!そうなんですかあ?」
女の人の声が一オクターブ高くなった。俺の後ろから急に現れた牧市さんががんっがん喋り倒して、お姉さんと張り合う。頭の中に思い浮かんだイメージは、サイが角をぶつけ合っている様子だった。
どうやらお姉さんはローカルテレビのアナウンサー兼、大食いファイター的な人らしい。どういう取り合わせだよ、静と動の個性が完全にぶつかり合っちゃってるじゃないかよ。この辺で美味しいものを食べて、一日でどこまで行けるか?という企画をやっている、らしい。それで調度良く配達終わりで戻ってきた俺に声をかけたものの使い物にならなくて飢えていた、ということだろうか。まあ答えられなかった俺も悪いけれど、あまりに牧市さんとお姉さんが盛り上がるから、そっと後ろに遠ざけられた人間的には、知ってますか、このおっさん仕事以外では呑んだくれクソジジイなんすよ、都築の店に入り浸ってボトルキープしてやがるんすよ、とばらしてやりたい。しねえけどさ。
「そうそう!この辺にはなんもねえからさあ、もうちょっとこの道進んでみるといいよ。うまい飯屋があるからさ」
「ありがとうございますー」
「おー、気をつけてなー」
「……ありがとうございました」
「……お前ほんと、女駄目なんだな」
「ちげえんすけど」
「せっかく公共電波に乗るとこだったのによ、もったいねえ」
「嬉しくないです」
「まあ、こんなとこまで来る時点で、ゴールデンのレギュラーじゃねえけどな」
「へえ」
「牧市さんのイケオジっぷりが全国に流れねえなんてなあ、お前が映らなかったことの五億倍勿体ねえよな」
「この前注文されてたやつ、キロで卸しときました。牧市さんの名義で」
「あ?どこに?」
「駅の方にまだ配達あるんで行きます」
「おい、俺の魚どこやった」
踵を返してトラックの方へ戻れば、牧市さんは着いてこなかった。注文受けたのはうちだけどうちではやってないキロ数だったから、もっと大きい店を相手にしてる牧市さんにそのまま注文を流した商品があって、ありがたいことに卸まで牧市さんにお世話になったその商品の配達を、今さっきしてきたところなのだ。それが件の「俺の魚」である。あんたの魚ではないと言いたい。
キーを挿して、扉を閉めたところで、ようやく一安心した。配達が残っているというのは真っ赤な嘘だ。あそこに残って牧市さんとくっちゃべってて、万が一カメラが戻ってきたら困ると思って、逃げたのだ。本当は売り場に戻って伝票整理がしたいのだが、今あっちに向かうのは嫌だ。はああ、と深く溜息をついてハンドルに額をぶつける。なんだって俺に話しかけたかなあ。
「ぎ、ひっ」
こんこん、と窓硝子を叩かれて、裏返った声を上げる。外に居たのはさっき別れたはずのおっさんで、なにしてるんだ、と顔を上げて、凍り付いた。なんで、まだ、あの女とカメラがいるんだ。
「開けろー」
「……………」
「話があるー。開けろー」
「……………」
首を横に振ってんのが見えねえのかこのクソオヤジは。こんこんこん、と慎ましやかに叩かれていた窓硝子は、カメラが別の方向を向いているのを確認した途端、がつんがつん!に変わった。割れたらどうしてくれんだ馬鹿、脳みそアルコール漬けか。
「なあ、こいつら都築さんちまで送ってってやれよ。足がねえんだって」
「……………」
「聞こえてんだろー。おーい、こーすけちゃんよ」
「……………」
「和成に叱られたいならそう言えー」
「親の名前を出さないでください」
無視は決壊した。窓を開けて答えれば、手を突っ込んできて扉を開けやがった。千代田さんに言ったらどうですか、と文句を垂れる俺の首根っこを掴んで座席から引き摺り下ろした牧市さんは、にこにこしていて大変腹立たしい。ちなみに言い訳に使った千代田さんは親父について行ってしまったので今晩まで戻らないことがはっきりしてるし、もう嫌だ。
さっき言っていた「ちょっと行ったところにある美味い飯屋」というのは都築家のことだったらしい。牧市さんに同意したいわけではないけれど、確かにあそこの飯は美味い。魚だってここから卸しているから新鮮だし、和食洋食中華なんでもありだ。ていうかそれ以外に連れて行けそうなところも思い付かない。あんたが連れてったらどうですかね、と一応牧市さんを先にカメラの方へ押せば、俺は今から話し合いがあるから、大人の大事な話し合いだから、とはぐらかされた。面倒くさいだけだろ、てめえ。絶対家には無いサイズのカメラと、でかいふわふわしたマイクと、笑顔の女の人に囲まれて、喉がきゅうって鳴った。なんだって俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ、静かに平凡に生きたいのに。
「ありがとうございまあす」
「はあ……」
「よろしくお願いしますねっ」
「航介、トラックじゃ乗り切れねえからワゴン貸してやる」
「あ、や、往復します」
「全員一回で運ばないと撮れねえだろ」
「えーっ、車内撮ってもいいんですか?」
「えっ、待っ」
「いいよな」
「嫌です」
「ありがとうございますー!」
「嫌ですって」
「車回してくる」
「お名前、なんておっしゃるんですか?」
あのクソジジイマジ覚えとけよ。

「……着きました」
「ありがとうございました、本当に」
頭を下げられて嫌な気分はしないが、車内で質問攻めにされていた間そのカメラはどうなっていたのか聞きたくてしょうがないので、相殺して無である。都築の家の前に牧市さんのワゴンを止めて、一応許可が必要だろうと先に扉を開ける。昼だから都築父か都築母がいるだろうと思ったら、都築兄がいた。よりによってお前かよ。
「ん?なした」
「……カメラが、その。なんか、番組の、撮りたいって、ここの飯食う、飯作れるか?」
「日本語喋れさ……」
「うるせえな!」
「ていうか牧市さんから電話来てるよ。知ってるしオッケー、でも今日の仕切りは俺がやります」
「……お前テレビ出たいの?」
「出たいとは言ってない」
「出たがり……引く……」
「引かれてるとこ悪いけど」
ぱっと顔を上げた都築と目が合って、逃げる前にカウンターについていた手を取られる。嫌な予感しかしない。引っ張ったものの全く離してくれず、逆にカウンターを覗き込ませるように引きずり込まれた。準備の程が伺える、けどこれじゃ少なすぎるだろう。ここの一番上等な飯のコースって、もっと品数が多かったはず。そこまで考えて思い到ると、察しが早くて有り難いとでも言いたげな都築が、どこからか片手でエプロンを引っ張り出した。こいつら俺のことなんだと思ってるんだ、言えばなんでもやってくれるとでも思ってるのか!?
「一人じゃ準備が滞る、客を待たせるわけにはいかない、ので」
「離してください……帰らせてください……」
「お造りだけでいいから。ねっ」
「いくらお前の頼みでも聞けることと聞けないことがある……」
「そんなこと言ってえ、こーちゃんにしか頼めないのよ」
「都築母と都築父に仕込みはやって貰えばいいだろ……!」
「残念、今日いないんだよね」
元々用があって出かけているらしい。先程電話で取材が来たと教えたら、お前が店は回せ、取材は受けろ、以上。冷たい親だよねえ!と都築に言われたけれど、じりじりカウンターの中に引きずり込まれている身としては答えている余裕はない。
「嫌だ!」
「お願いお願いお願い」
「ふっざけんな、ここまで送ってくんのだってやりたくなかったのに、っ」
「今度奢るから!」
「……奢り……」
「しばらく美味しいもの毎日作ってお弁当にして航介のとこ持ってってあげるから!」
「……毎日……」
ここで言う美味しいものには定評のあることは舌が知っているし、都築は約束は守る奴だし、長らくお昼ご飯がお弁当であったことなんてないし、最近ずっとインスタントで嫌気差してきたし、しょっちゅうこいつと飯を食う身からしたら絶対奢ってくれると知れている日の食事が大層楽しみではあったりするし。
「こんにちはー」
「いらっしゃいませえ」
「わあ、すごい、素敵なお店ですね」
エプロンつけました。ええ、つけましたとも、手伝いを頼んだと明言しろと都築には確約したけれど。
もう少し時間をもらっていいですか、と朗らかに告げた都築が、繋ぎになればと出した御通しは、秒で女の人の腹へ消えた。大食いって言ってたっけ、そういえば。食いっぷりがいいと燃えるタチの都築は、その一瞬でもうでれでれしていた。早いよ。
魚捌きながら横目で都築を見れば、なんか俺の時より大分カメラの周りの装備が増えてた。なにあの白い板。俺の時には無かった。照れますなー!とかって都築はへらへらしてるけど、カメラマンの人すげえマジ顔だから。顔がいいからだろうな、と他人事に思う。ここにいたのが瀧川だったら血吐いて死んでる。御通しをぺろっと食い切った女の人が、にこやかに都築に話しかけ出した。カメラがあっち向いたりこっち向いたり、忙しそうだ。
「さっき、江野浦さんにも聞きましたけど、この辺りには若い人が少ないですよね」
「そうですねえ、みんな都会に出ちゃうので」
「どうして都築さんはこの店に?」
「父が立ち上げた店なんです。小さい頃から手伝いをしていて、料理も好きだし、楽しくて」
「お父様思いなんですね」
「はは、そんな、大した理由じゃないです」
地元愛が強いとかいうわけじゃないし、ここに残らなきゃいけない大層な理由もない。ただ出られなかっただけなんです、僕ら。そう都築がからから笑ったのが、嫌に真実を突いていた。よく切れる包丁が身を薄く割いていく。さっき車の中で、どうしてこのお仕事を?って聞かれた時も、特に理由なんて思いつかなかった。朔太郎にも昔言われた。「ここから出られなかっただけ」。ただそれだけだ。若いのが珍しいのは、出られなかった奴が少ないってこと。別にそれが、嫌とかそういうわけじゃないけど。
「顔が怖い」
「い″っ……」
「顔」
「刺すな馬鹿」
「ちょっとはにこにこしなさい、地域活性化、イメージアップ」
ぼそぼそぼそ、と早口で吐かれた言葉は御尤もだ。それもそうかもしれないけどお前みたいににこにこは出来ない、と内心で思っていると、都築はどうも俺の後ろを通って冷蔵庫へ行きたかったらしい。案外狭い厨房で、ぐええ、と潰れた蛙みたいな声を上げながら背後を抜けようとして、当たり前ながら詰まった。狭い、苦しい。ここに立ってるのはお前の妹や姉じゃないんだ、俺だぞ、後ろ抜ける余裕があるわけないだろ。押し付けられて苦しいのでなんとか引っこ抜こうと、後手に甚平の肩を掴んで力任せに引っ張った。
「あだだだ」
「千切れる千切れる!ぶちぶち言ってる!」
「いてえ」
「航介のデブ!」
「誰がデブだ!」
「幅取りすぎ!山葵取って!」
「ほらよ!」
「仲良しなんですねえ」
女の人に微笑ましげに言われて、言葉に詰まった。居残り同士仲良くやってます、と都築が茶化して、まあそうなんだけど。
料理のアップとか、女の人が美味しそうに食べてるとことか、店内の風景とかを撮りつつ、しばらく店にいたその人たちは、次の目的地を決めて出て行った。本日はありがとうございました、本放送は何月何日を予定していますので、なんて言葉を最後に。
「航介気付いてないみたいだけど」
「あ?」
「あれテレ東」
「……は?」
「テレビ東京。全国ネット」
「は!?」
「カメラに書いてあった。牧市さん、ローカルだと思ってるから伝えてあげてね」
「はあ!?」



「この前の、金曜?だっけ?」
「水曜。俺バイトあったし」
「そっかあ、水曜じゃだめだなあ」
「ていうかもう一回行くとか聞いてない」
「あっ、伏見!行ったとこ!」
ふわふわのクッションを抱いてたわいもない話をしていた日曜お昼時、背後でベッドに腰掛けていた小野寺がスプリングを軋ませて前のめった。指さしているのはテレビで、そこには少し前に行った弁当の実家の最寄駅が映っていた。何の気なしにつけたテレビだったけど、見てないうちに番組すら変わっていたらしい。俺がつけた時には海外ドラマだった、今はなんか、東西南北食べ歩きみたいなの。グラスに入った牛乳を傾けながら、ほんとだあ、と見覚えのある風景に目を向けていると、後ろで小野寺が話し出した。
「楽しかったねえ、みんなでご飯食べたよね」
「そういえばこの前、また来ないかって誘われたけど」
「行きたいね」
「そうだけど、弁当置いていくのもな……」
「えっ、伏見一人で行ったじゃん」
「それは航介とこ遊びに行ったからいいんだって」
「で、……」
「ぶっ、げふ、っげっほげほっ」
「……?」
「こ、っこ、っけふ」
ぶーっと牛乳を吐き出してしまったので、ふかふかのクッションはべしゃべしゃになった。小野寺も目を丸くして固まっている。俺は噎せて喋れない。取り敢えず、と震える指でテレビの本体に録画するボタンを押した。
やっぱり北と言ったら海の幸ですよね!ということで、岬の方に行ってみましょう!とそれなりの年をした女の人が歩いていく。見たことのある道だ、だってここ歩いたし。人に道を聞きながら海沿いをしばらく進んで、ここならきっと誰かいるはずと辿りついた先に、見慣れた金髪がいた。
『こんにちはー!あのお』
『えっ、いっ、いそがしいんでっ』
『この辺で有名な、美味しいものってなんですか?』
『あぇ……』
『家庭料理でも構わないんです』
「ぶふーっ」
「伏見笑いすぎだよ!」
「おっ、お腹いった、っも、ゆる、っゆるしてっ、ひっ、ひっ」
知らないおっさんが出てきて何たらかんたらと説明して、何の話の流れか航介が車で送っていくことになったらしい。めっちゃ嫌そう。もう最高。お腹痛い、死んでしまう。笑い転げてたら、着いた先はただよしくんちで、ただよしくんに頼まれたらしい航介が画面の端っこでまた嫌そうな顔で魚捌いてて、もう俺ここで喉から血出て死ぬ、ってマジで思った。
「ぉえっ、おええ……ぇふっ……ふぐっ……」
「航介なんで教えてくんなかったのかなあ」
「ひっ、ひぐっ、べんっ、弁当に、教えなきゃっ、ぶふっ」
「……そんなんなるまで笑われると思ったから教えてくれなかったんじゃないのかな……」


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