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おはなし



有馬が歌っている。別にそれは珍しいことではない、というかあいつはしょっちゅう歌詞の曖昧などこかで聞き覚えがある歌を口ずさんでいるので、むしろ日常の一環に近い。むにゃむにゃと歌いながら、みかん片手に持って炬燵へ侵入してきた有馬は、上機嫌丸出しでいっそ面白い。それをぼんやり見上げている当也を朔太郎が見ている。ちなみに俺の横で炬燵布団を山にしてごめん寝してるのは伏見で、小野寺は風呂である。
「くっちっびーるーはー、しゃべるったーめじゃっなくー」
「なんの歌だっけ?」
「口紅のCM。あの、最近よく出る、あの……五人組くらいの女の子が、歌ってるやつ」
「きみのためーにっ、きーすするためにっ」
「あー、あのえろいやつ」
「え……それかなあ……」
「さーいてーるーのっ、じゃじゃじゃじゃんっじゃん」
ぺけぺけとギターを弾く真似をした有馬が、サビをもにゃもにゃ歌いながらみかんを剥いている。朔太郎の質問に当也が答えたけれど、朔太郎の理解が正しいのかは分からない。俺なんか多分そもそもそのCMを知らないし。柿の種を摘みながら、今ちょうどよくそのCM流れてくれたらいいのに、と思う。全く関係ない不動産屋のCMなんかどうだっていいから。英語の歌詞を曖昧極まりなく誤魔化している有馬が、いきなりはたと止まった。
「俺ギターね」
「は?」
「ギター、アンドボーカル、有馬はるか」
「出来んの?」
「んにゃ、触ったことしかない」
「触ったことはあるんだ……」
「軽音部の友達に触らしてもらった」
「弾けないの?」
「真似なら出来る。じゃーん、うぃーんぎゅいんぎゅいん」
「なに?工事?」
「ギターだよ!エレキ!」
立ち上がってエアギターを始めた有馬に、当也があまり温かいとは言えない目を向けている。今の工事の音だったよねえ、と朔太郎も悪気無く同意を求めているし、散々だ。諦めた方がいい。ギターってどっちの手で弾くの?押さえるのはどっち?と初歩も初歩な疑問をぶつけられて、そっぽを向いておいた。かじった事があると知れたらめんどくさい。
一頻り一人ぼっちでエアギターをして満足したらしい有馬が、ふむ、と腕組みをして、座っているこちら側を吟味し始めた。やめてくれ、同じ穴の狢にしないでくれ。せめて小野寺にしろよ、もうじき風呂から出てくるから。そんな願いは虚しく、指折りなにやら数えていた有馬が顔を上げる。
「ギターが多すぎるけど決まった」
「はい?」
「ベース、弁当」
「……触ったことすらないんだけど」
「顔がベース。ベース顔」
「……?」
頭の上にはてなマークを浮かべた当也は何も間違っていない。そんな言いがかり聞いたことねえよ。そもそも当也はベースを知っているのだろうか。ギターとベースを並べたらしばらく眺めていそうだ。バンドサウンドは好みなはずだからよく聞くと思うけど、そういう知識は皆無に近い。こいつは小学生の時、歌があまりに平坦すぎて、もう少し気持ちを込めて!と音楽の先生にさんざっぱら言われていたことを俺は忘れていない。当也からしたら精一杯気持ちを込めているのにいつまで経ってもそんなだから、何度も何度も注意され声を掛けられる内にめんどくさくなったこいつは、一時期合唱の度に口パクで誤魔化していたのだ。誰も面と向かって指摘したことはないだろうけれど、当也は、音楽苦手だと思う。音感もリズム感もない、よく考えたらリズムゲームはものすごく下手くそである。俺もそうだけど、当也も酷い。朔太郎は普通に出来るけど、当也は全部通り過ぎてからボタン押す。永遠にクリアできないパラッパラッパーが弁財天家には眠っている始末だ。そんな奴がベースを構えている様が想像できるだろうか。いや、出来ない。無理だ、笑う。
そんな俺の頭の中は声になることもなく、有馬の独断と偏見によるバンド編成はどんどん発表される。六人って多いな!と言われて、何で六人で考えちゃったんだ?と聞き返したかったけれど、我慢した。余計なことを突っ込むと、めんどくさいことを思いついた時の有馬は、間違いなく拗れる。付き合いが長いわけでもないけれど、それなりに時間を過ごした中で学んだ、事実だ。
「伏見もギター。俺の次」
「次って」
「俺が真ん中。伏見は横」
「……いや、間違いなく前に出てくるタイプだけどな……」
「伏見くんが真ん中の方が売れそう」
「なんだと!解散だ!」
伏見くんフィーチャリング愉快な仲間たちだったら売り出しても良さそうじゃない?俺CD買うわ、とへらへら笑っている朔太郎は、真ん中を取られかけていることにぷんすか腹を立てている有馬の、次の言葉に目を剥いた。
「朔太郎はピアノ」
「ぴっ」
「……ピアノ……?」
「だって、妹がピアノやってるんだろ」
朔太郎は、ぴっ、と素っ頓狂な声を上げたっきり動かなくなった。ピアノ、っていうか、キーボード?いるよね?キーボード。なんて問いかけている有馬の声なんて聞こえちゃいないだろう。朔太郎の中ではピアノって、数ある楽器の中で一番身近なものであると同時に、自分から最も縁遠くて弾ける気がさらさらしないものでもあるから。指があれば弾ける、と友梨音は言っていたけれど、それにしたってそういう問題じゃないだろう。現に朔太郎は絶対にピアノに触ろうとしない。自分の家にあるのに、絶対、死んでも、ってレベルで触ろうとしない。友梨音の演奏を心地好さげに聴いているところは見たことがあるけれど、隣に立って手を出しているところは見たことがない。こいつならやりかねないのに、絶対しないのだ。聴くときも、何故か扉の横とかに小さく体育座りしてる。隣に行くのが嫌というより、ピアノに近づきたくないのかもしれない。前世はピアノに潰されて死んだのかもな。そのぐらい近寄りたがらない。可愛い妹の友梨音はピアノをずっと習っているのに、変な話だ。
なんで有馬は各それぞれの地雷を踏み抜いていくんだ?逆に気持ち悪いぞ?と思いつつ聞いていると、ベースとは?と考え込んで固まっている段階の当也と、ピアノを任せられたショックでこちらも固まっている朔太郎が、同時にこっちを向いた。後はお前だ、という目だ。やめろよ、余計なこと言うの。
「こーすけはあ」
「航介んちアコギあるよ」
「おい!」
「航介のお父さんすげえ弾けるよ」
「昔教えてもらったんじゃないかなあ、航介もやったことあるんじゃないかなあ」
「やめろ!」
「アコギって丸いやつ?」
「丸い……多分そう」
「弾けねえよ!」
「酔っ払うと弾き語りしてくれるよ、航介」
「福山雅治やって。いつか父さんみたいになんとかのやつ」
「スピッツがいい。ロビンソン」
「うるせえ!黙れ!」
「見たい!見たい!見たい!」
「見せねえ!大体あれ親父のやつだし、」
「え?航介ってアコギできるの?すごーい」
「ああああ!」
小野寺まで帰ってきてしまった。余計なことを言うなとあれだけ念じたのに、このクソ共二人は何も考えていない、最低。
出来るってほどじゃない、コードが分かるくらい、簡単なものを押さえて弾くくらいなら今からお前らに教えることだって出来る、と有馬と小野寺に訥々と説明すれば、でもゆずが持ってるやつがそうでしょ?すごいね!と頭がゆるくて話にならなかった。朔太郎が何やら当也に携帯を見せ、当也が炬燵に突っ伏して震え出したので、てめえ何見せてやがると奪い取れば、随分昔のいつだかあんまりせがまれたから友梨音に弾いてやったところを隠し撮られていたらしい。そんなこと今知ったし、たった今消した。あーん、と残念がられたがこんなもの残しておいても何のためにもならない。初心者も初心者だし、弾き語りが聴きたいというならそれこそうちの親父に頼んだ方が趣味が高じていろんな曲に手を出しているので面白いだろう。俺のなんかどうだっていいから。ほっといてくれ。
「航介」
「ん?」
「ギター」
「……………」
「家のパソコンの履歴に消えないいやらしい動画残されるか、俺のためにギターを弾くか、選ばせてあげる」
「……いつから起きてた?」
「寝てなかった」
「……そうか……」
伏見にだけやらされた。あいつのことだから動画も何処かで撮ってた。こんなことなら小さい頃親父が一人で楽器に向き合うのに憧れなんて抱かなければよかった。くそ。



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