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おはなし



「だってえ」
「なんでこんな切羽詰まってから言うの」
「やりたくなかったんだもん」
「灯にも迷惑でしょう」
「ごめんね、灯ちゃん」
「……いい」
ノートを広げてくれた灯ちゃんに手を合わせて謝れば素っ気なく切り返されてしまったので、代わりにありがとうを言ったらちょっと恥ずかしそうに目を背けられる。真希ちゃんも冷静沈着って感じでさばさばしてるけど、灯ちゃんは一匹狼ってイメージなのにちょっとした拍子に赤くなってたり拗ねてたりして、可愛いんだ。ギャップ萌えってやつ、なのかもしれない。真希ちゃんもそうだけどね、やっぱり人間ギャップが大事なんだよ。強面ヤンキーが雨の日見掛けた捨て猫にそっと傘を差し出して去っていく感じ。
今日だって、試験で一番やばいやつがよりによって真希ちゃんとコースの違う選択授業で、頼れなくて困ってたら灯ちゃんが助けてくれることになった。明るい髪の色とか、すらっとしてて大人っぽい雰囲気とか、人を寄せ付けない空気感とか。総括してちょっと怖めの見た目だけど、灯ちゃんは全然怖くなんかない。江野浦くんが怖そうに見えて優しいのと一緒。あたしが灯ちゃん灯ちゃんってきゃっきゃしながら話しかけに行くと、相手はしてくれるけど同じように盛り上がったりはしない。まあ盛り上がって欲しい時には他の友達のとこ行くし、ていうかあたし割と一人で空回って燃え上がるタイプだから冷静な子が近くにいてくれるととっても安心するし。真希ちゃんも灯ちゃんもあたしのこと落ち着かせてくれて、いつものことながらありがとうございます。
灯ちゃんの文字は丸っこくて可愛い。真希ちゃんの読みやすく揃った字のノートと並べて写していると、それは嫌だったのかばさばさと引っ込められてしまった。違うよお、比べてたわけじゃないよ。あたしの字より灯ちゃんの字の方が女の子っぽくて可愛いじゃない。そう縋り寄れば、どっちか片方にしなさいよ、と言われて成る程と思う。真希ちゃんのノートと灯ちゃんのノート、単元違うしね。
「かーぜのお、がーどれえーる、っ」
「うわ」
「……………」
「あっ瀧川くん。やっほー」
「やっほお」
ふにゃふにゃ歌いながら教室に入ってきたのは瀧川くんだった。あたし達がいたことにびくりと固まったけれど、すぐに順応してひらひらと手を振ってくる。完全に気を抜いてたんだろうな、一人で歌っちゃうくらいだし。ついうっかりと言った様子であんまり嬉しくなさそうな驚き声が漏れてしまった灯ちゃんと、無言のままちらりと扉の方を見やってすぐ目を教科書に戻した真希ちゃんは、瀧川くんにはほとんど興味がないようで、あたしみたいに手を振ったりしなかった。まあ、そんなもんだろう。だけどそこでただでは終わらないのが瀧川時満という空気の読めない男なのである。
「灯ちゃん、ここが分かんない」
「……これは、一つ前の例題の式を使う」
「数字変わったら当てはまんなくなっちゃう」
「んー……なんていうか……」
「当てはまるだろ?ここがa、かけるbの、こっちは二乗。個数は最後に割ればいい」
「うわ!?」
「ああー、そっかあ」
「俺これ得意」
がたがたん、と席からすっ飛びそうになった灯ちゃんからは真後ろで見えなかったかもしれないけど、瀧川くんは自分の席に忘れ物を取りに行って、当たり前のようにこっちに向かってきていた。真希ちゃんも教科書を見ていたから気づかなかったらしい。何故お前が話に入ってくる、と言わんばかりに目を丸くして瀧川くんを見ている。あたしからは瀧川くんがこっちに寄ってきてなにをしているのか覗き込んだのが見えてたから、そんなに驚かなかったけどね。
俺もこの授業取ってるし割りかし分かる、と自信満々に隣の机の椅子を引っ張って寄ってきた瀧川くんに、灯ちゃんがそっと距離を置く。んん、分かるよその気持ち、でもこの人案外喋ってみたら良い人だから!大丈夫だから!そんなことを思いつつ、せっかくだから使ってやれと瀧川くんを質問攻めにした。分からないところは取り敢えず全部聞きまくっておいた。灯ちゃんも、理解してないわけじゃないけどかなり感覚派だから、説明苦手なんだよね。
「ふー、分かったあ、ありがとー瀧川くん」
「お礼に家に来てくれるかな」
「行かなーい」
「またまた!」
「ねえ、二度目は無いよ」
「はい」
冗談はさておき、お礼も無しというのは良心が咎めるので、お昼の時に開けたポッキーを分けてあげた。袋開けちゃったけど食べきれなかったやつ、湿気ったりしてないと思うんだけど。ぽりぽりとポッキーを齧っている瀧川くんのことを横目で見る灯ちゃんが『邪魔』とはっきり書いてある顔をしていて面白い。真希ちゃんはもう全く興味なさそうに自分の鞄から出した文庫本を読んでいる。……一周回って瀧川くん可哀想だね。
「高井、今日の五限起きてられた?」
「ううん。寝た」
「だよなあ」
「あんな暗くされちゃ寝ちゃうよ」
「映画っつっても字幕だしな」
「瀧川くんは一番前なのに寝てたね」
「しょうがねえじゃん、暗いんだもんよ」
「先生見てたよ」
「男たるものそんなこと恐れないのさ」
「何か出席簿に書いてたよ」
「……謝りに行ったほうがいいかな……?」
「あはは」
「あ。いた、瀧川」
「ん?」
俺様をお呼びかな!と勢いよく振り返った瀧川くんは椅子の足に自分の足を引っ掛けて突っ掛かり、大変痛そうな音がした。かっこーんって鳴った。からからと開かれた教室の扉から顔を出したのは、弁財天くんだった。おう、なんだか珍しい面子が集まってしまった。ここでここに来たのが都築くんだったらあたしと灯ちゃんは嬉しいし、江野浦くんだったら真希ちゃんが嬉しかったのに。真希ちゃんも灯ちゃんも素直じゃないから隠すけどさあ。弁財天くんに文句があるわけじゃないし彼にはなんの非もないのだけれど、そう思ってしまってごめんなさい。そういえば今日は仲有が弁財天くんに勉強教えてもらうんだって言ってたんだけど、それは終わったのかな。そんなことを考えていたら、きょろきょろと教室内を見回した弁財天くんが中に入ってくることはせずに、口を開いた。
「図書館、蔵書点検で閉まるからみんな帰ったよ」
「はあ!?」
「みんな?」
「あー、俺と、仲有と、航介と、朔太郎と、都築。あと瀧川」
「なんでみんな帰ったんだよ!俺が教室行ったこと知ってんだろ!」
「中途半端だから都築んちで続きやろうって言ってた。瀧川の鞄は図書館に置いてある」
「なんで!閉まってんだろ!?」
「司書さんはいる」
「優しくねえなあ!」
「俺たちに持って行かれるより、司書さんがいる図書館にあった方が、瀧川も安心するかと思って」
「う、お、それは、そうかもしれないな……」
悪乗り大魔王の都築と何も考えてない朔太郎がいるしな……と頭を抱えた瀧川くんは完璧に完膚なきまでの置いてけぼりを食らったらしかった。やっぱり可哀想だ。哀れみの目を向けるあたし達女子勢に気づかないまましばらくうんうん唸っていた瀧川くんが、ぱっと顔を上げる。
「ん!?じゃあ、当也はどうしてここにいるんだ!?」
「……じゃんけんで負けた」
「またまた!本当は置いてかれたときみんのために残ってくれたんだろ!当也は優しいからなあ!」
「三回勝負まで引き延ばしたのに負けた」
「ま、またまたあ!素直になれよ!」
「本当に来たくなかった」
「終いにゃ泣くぞオラ!やめろ!いい加減にしろ!」
「あと、瀧川が遅いから何をしているのか証拠写真を撮れって朔太郎に言われた」
「なにしてやがんだあいつら!勉強しろよ!」
「えー、写真撮ったの?」
「うん。あの、ごめんなさい」
「いいよお」
「いいんだ……」
弁財天くんが嫌にもそもそしているから、何かと思った。別に写真くらいいいよ、減るもんじゃないしね。申し訳なさから謝りたくてそこに留まっていたらしい。完全におもちゃにされている瀧川くんは、高井と羽柴と本橋と仲良くしてたなんて知られたら人を馬鹿にすることに対して執念深くて見境無い見た目が取り柄の二人組に遊ばれ放題じゃねえかよお!と机に突っ伏して泣いていた。都築くんのことを遠回しに悪く言っているので、灯ちゃんがとても冷たい目を向けている。よーし、分かったぞ!灯ちゃんってば、瀧川くんのこと、嫌いだな!
それじゃあ俺はこれで、と出て行こうとした弁財天くんを呼び止めて、ポッキーを差し出す。最初は遠慮していたけれど、視線は釘付けだ。甘いもの好きだって風の噂で聞いたから、喜ぶと思ったんだけどなー、と思ってるうちにそろそろと指先が伸びてきて、ぴゃっと一本持って行かれた。もしょもしょとハムスターみたいに食べ切った弁財天くんに、ありがと、と言われてどういたしましてを返す。
「当也あ、俺都築んちの場所うろ覚えだからさあ、鞄持ってきたら一緒に行こ」
「俺も知らない」
「は?」
「ていうか、俺は行かない。仲有も帰ったし」
「じゃあ本気でお前なんで来たの!」
「だから、じゃんけんで負けたから」
「お前以外に絶対に適任がいたろ!」
「じゃあね」
「あってめえ、待てコラ!待っ、え、はっや、早え!当也!」
どたたたた、と駆け足の音が廊下に反響して、遠ざかった。弁財天くんは、意外と足が速いらしい。ふん、と息を吐いた灯ちゃんがノートをしまって帰り支度を始めたのを見て、真希ちゃんも文庫本を閉じる。
「ねえ!自販機行こう!自販機!」
「帰りたいんだけど」
「あたしのおごり!ねっ!」
「珠子のおごりでジュース飲むと話長いじゃない……」
「短くするからあ!」



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