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凍て解け


くっついてます


弁当はくっつくのが嫌いだ。どうも恥ずかしいらしいんだけど、ちょっと覗き込んだだけなのに何事も無かったかのように避けられると、流石にへこむ。一定の距離置いて、磁石みたいな感じ。
そんな恥ずかしがり屋さんの弁当だけれども、転機が訪れたのは冬のある日のことだった。お鍋食べた時に、弁当が洗い物して、指先が冷えきって、それを俺が温めるという名目でべたべたした。けど、その時は、そこまで嫌がられなかった。座ってる弁当の後ろから抱きついて俺も座ってたのに、首がくすぐったい、背中だけ暑い、ぐらいのもん。いつもだったらもっと抵抗して、いやだ、無理、離れろ、って言うはずなのに。俺はそれに気を良くして、冬の間はべたべたしてもいいらしいって思って、そうしてみた。そしたらなんと、なんとって言うか予想通りに、寒い冬の間は引っ付いてても嫌がられないのだ。細かく言えば、嫌がられる頻度が減った。無くなったわけではない、これ重要。とにかく、減ったもんは減ったのだ。大きな進歩である。
ここで問題が出てきた。ようやっと嫌がられなくなってきた今日この頃であるが、最近あったかくなりつつあるのである。これはまずい。あったかくなると、「背中だけ暑い」が「全身暑い」になり、最終的には「離れろ」に逆戻りする可能性がある。それは非常にまずい、困りまくる。せっかくここまで来たのに、そんなことってあるかよ。だから俺は過去最高に、春が来るのが怖いのである。と言ってももう四月に入って、結構あったかくなりつつあったりして。
「……………」
「……な、なに」
「……なんでもない……」
「なんでもなくは……」
なんでもなくはないだろう、と言いかけた弁当はこっちの気持ちも知らずに、口を噤んだ。何があったか分かんないからとりあえず何も聞かずにおこう、ってやつ。いつものやつ、と言い換えてもいい。聞いてくれた方がいいよ、今のところは。
恐らく弁当からしたら、俺が急に不貞腐れて距離を置いているように思うだろう。けどそうじゃない。俺からしたら、ぎゅっとして嫌がられて無駄に傷付くかそうじゃないかの正念場なわけで、さっきと同じトーンで、なに?なんて言われようもんなら、悲しい。普通に悲しい。いくら馬鹿でも悲しみって感情はある。床に直で横たわって弁当を見上げてたら、痛くないの、ってちょっと引いた声がした。すぐ引く!俺に対して!付き合ってんのに!むかついたから顔を隠してやった。お前の大好きな顔が見えなくなったら悲しいだろ。
しばらくして、居たたまれなくなったらしい弁当がおずおずと問いかけて来た。顔が見えないから不安になって、とかってかわいい理由だったらいいんだけど、考えるに珍しくも無言の俺に訝しさを覚えたからだ。
「……お腹空いたの」
「空いてない」
「眠いの」
「眠くない」
「……欲しいものがあったの?」
「俺は子どもか!違う!弁当の鈍感!」
「はあ」
じゃあもうわからん、と顔に書いてある。お前ね、仮にも恋人に聞く「機嫌が悪い原因」が本当にそれしか思い浮かばないなら、ちょっと改めたほうがいいよ。
もう、直接聞く勇気はないので、じわじわと距離を詰めることにする。横たわってるところから、弁当が気づかない程度にじわじわ近寄って行ったら、別に拒否られないかもしれない。ていうかいきなり今日になったら駄目とか、弁当も我儘だろ。よりによって今日に限って暑いぐらいだけど。
「……………」
「……………」
「……?」
「あー!くそー!」
「な、なに」
じわじわ寄ってたら、弁当が避けた。でも今のは多分、嫌とか駄目とか嫌いとかじゃなくて、もしかしてこの場所邪魔かな?って思っただけだ。そういう感じの顔をしていた。うっかり大声上げちゃったせいで弁当はびくっとして固まったけど、もういっそそこで固まっててくれ。
距離を取られたので、またやり直し。ごろごろ転がってたら、不思議そうな顔をしていた弁当が、もうこっちは放っておくことに決めたらしく、読みかけだった本に目を落とした。分厚いやつ。なんの本か、俺には分からないけど。ぺらぺらとページを捲る一定の音に、俺が近づいてる音は掻き消される。このままこのまま、と思いながら近づいていた俺に気づいた弁当が、ほぼ膝元に転がってるのを見下ろして、きょとんと言った。
「……来ないの」
「へっ」
「えっ?」
「……う、んん?」
時が止まった、気がした。弁当が当たり前みたいに零した「来ないの?」は、いつもみたいに背中に来るんじゃないの?の意で、弁当自身はそれに気づいていなくて、だから俺が聞き返したことの意味が分からなかったのだ。分からなかった、と過去形なのは、俺が二回も聞き返してしまったがために、自分が言ったことに気づいたから。現状、本で顔を隠して動かなくなってしまった。俺がちゃっかり背中を陣取っているのに、それはどうだっていいらしい。
「弁当あっついなー」
「……許して……」
「なにを?」
「……もうほっといて……」
それは出来ない相談だなあ。


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