このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

独白



変えた場所の先は、最初に話したあの自動販売機の前でした。誰もいませんでした。この下にまだ500円玉は転がっているのだろうか、なんてことを俺は考えていて、無言のまま。自販を挟んで隣り合って、ようやく先輩がぽつぽつと話し出しました。
「……ちょうど彼女いないし、あと……あと、おれ、お前のこと、嫌いじゃないし。話とか、合いそうだし」
すぐ捨てられそうな理由をランキングにしたとするなら絶対に上位に食い込んでくるであろう台詞が先輩の口から飛び出しました。完全にぬか喜びだ、やっぱりクソだな、と内心で思った俺です。もしかしたら小さく口に出ていたかもしれません。それでもその場から逃げ出さなかったことを褒めて欲しいくらいでした。先輩はそんな俺を見て、冗談だって、と肩を落としました。冗談でも言わないとこんな話はできないだろう、と口を尖らせた先輩は、また言葉を溢しました。
「おれさ、お前がずっと見てんの、知ってたんだよね。結構前から知ってて、無視してた。どうしようか迷ってた。こっちから声かけるきっかけなんかないし、お前はばれてないと思って後からついてくるしさあ。隠れるにはでかいんだよ、お前。でも、きっかけが欲しかっただけなんだ、多分。だから、500円なんてあってもなくても良かったし、家の鍵だって財布だって良かった。お前がおれのこと可哀想がって、助けてくれるなら、なんだって」
そこで一度言葉を切った先輩は、助けてほしかったのか、と自分でも驚いたような口振りで呟きました。俺は先輩が何を落とそうが拾ってあげるつもりで、困っていたなら助けたいです、と俺も返せば、じゃあ500円玉は落とさなくても良かったのかもなあ、と先輩が独りごちました。それからまたしばらく先輩は黙って、あのお喋りな先輩が黙るなんて相当なことだって俺は他人事に思いながら、待っていました。予鈴が鳴った頃ようやく先輩は口を開きました。
「だから、まあ、助けてもらいたかったって時点で、やっぱりおれはお前のこと特別扱いしてたんだよ。それなら、告られといて振る理由もないだろ。普通のカップルみたいにはいかないかもしれないけど、付き合おうか」
世界ってこんなに素晴らしいものだったでしょうか。太陽、クソ喰らえなんて言ってごめんなさい。晴れ最高、学校大好き。照れたように自販機の陰に隠れて出てこない先輩を見て、全身びしょ濡れになるくらい汗をかきました。こんなことがあっていいでしょうか。先輩が俺のことを好きかどうかとか、そういうことは後からどうにでもなるのです。今の所は特別扱いだろうと、後から考えたら、やっぱり好きだなあ、って思ってもらえるように、俺は頑張らなくてはなりません。先輩が安心して頼れるように。先輩がいつだって助けを求められるように。今まさに頭の上で輝いているお日さまみたいな先輩と、まさかお付き合いが出来るなんて、夢みたいじゃありませんか。どうかこの夢が覚めませんように。いつまでも、覚めませんように。
それからの日々は、輝かしいものでした。俺の人生の中で一番光り輝いていた時期といっても過言ではありません。朝、2人の家のちょうど真ん中辺りで待ち合わせをして、一緒に登校しました。その道中で、他愛もない話をたくさんして、笑って、先輩は今までよりももっとお喋りになりました。学校に着くと、クラスが違うので、一旦お別れをします。お昼休みになると合流して、2人でご飯を食べることもあれば、先輩の友達も一緒になることもあったし、俺の友達がそこに加わることもありました。2人で食べるのが一番楽しかったけれど、他の人と話してる先輩を見るのも類稀なる時間でした。先輩が楽しそうならもうなんだっていいのです。いつも元気で、明るく笑っていて、みんなの真ん中にいて、俺より小さくて、しょっちゅう眼鏡を失くす先輩。失くしたくて失くしてるわけじゃないんだ!と先輩は怒っていましたが、おっちょこちょいなところも可愛いと思います。
そんな日々がしばらく続いて、俺は幸せいっぱいでした。けれど、時間は刻一刻と過ぎ去り、俺と先輩の間の大きな差が浮き彫りになったのです。
先輩は、俺より一年早く、高校を卒業します。
「健生、お前、どうしたい?」
先輩はそう俺に聞きました。縋るような目でした。何かを求められていることだけは、はっきりと分かりました。雪が降り積もる、二月のことでした。
一緒にいたい、別れたくない、と俺は必死で言いました。先輩は、静かに頷いてそれを全部受け止めたあと、でも終わりにしよう、と呟きました。もうこれ以上助けてもらってちゃ駄目なんだ、と振り絞るように零した言葉に、どういうことだと食ってかかりました。先輩、一番最初にもそんなようなこと言ってたでしょう。なにから助けてほしいんですか。なにが貴方を追い詰めているんですか。先輩はぐっと唇を噛んで、黙り込みました。静寂を切り裂いたのは、笑い声でした。
「あっやべ、ばれた」
「いいんじゃん、もうどうせ終わりだし」
「センパイ、ちゃんとこっ酷く振ってやれっつったじゃんかよー。しっかりやれって」
「……ぁ、ご、ごめん」
「今の謝りどころ?」
げらげらと大きな声で笑いながら木陰から出て来たのは、先輩の友達でした。先輩の友達は、友達なんかじゃなかったってことが、その時はっきり分かりました。千代田くん可哀想だろ、な、せーんぱい、と茶化すように先輩の肩に手を置いた一人に、びくりと先輩の身体が震えました。真っ青な顔と、怯える瞳の色に、「助けてほしかった」の本当の意味を知りました。そういうことだったのです。全部、そういうことだったのです。先輩はそもそも俺のことなんて好きでも何でもなくて、上っ面だけ明るくて元気なふりをしている人で、本当はいじめられっ子で毎日怯えていて、仲良くなろうと近づいてきた俺のことさえも利用されて、まとめてこいつらの玩具にされていたのです。すぐに失くす眼鏡だって、失くしていたんじゃなくて、壊れていたのかもしれません。だから要するに、楽しそうにする先輩は、嘘っぱちで、今俺の目の前で、気持ち悪いんだよホモって言え、って笑われながら頭を叩かれて震えているのが、本物で。やっぱりみんなクソだ、と思いました。明るくて太陽みたいな先輩のことが、本当に好きだったのに。俺といて、心から笑ってくれた瞬間は、どれだけあったのでしょう。もしかしたら無かったのかもしれないと思うと、心が張り裂けるようでした。ずっと、こいつなら助けてもらえないかな、としか思われていなかったのでしょうか。そしたら、ひどい。俺はただ、先輩のことが好きだっただけなのに。今のこの状況を作り出した、そうなるように仕向けたこいつらのことが、許せないと思いました。心の底から、そう思いました。
気付いた時には、やっちまったー、って感じでした。先輩も言っていました。俺は、隠れるにはでかいのです。家庭教師の先生のことを軽く突き飛ばせるくらいには、先輩のことを抱き上げられるくらいには、先輩の友達たちをみんな殴り飛ばせるくらいには、俺は身体が出来上がっていました。死屍累々と言った様子の彼らはまさか俺が暴力沙汰に訴えるとは思ってもみなかったのでしょう、さした抵抗もなく倒されてくれました。まあ、ちょっとした鼻血くらいは出ましたけど。
先輩は俺が大フィーバーしてる途中から、頭を抱えて丸くなってしまいました。やり切った感に満たされてしまった俺は、もしかしたら先輩惚れ直してくれるかなあ、なんて甘っちょろいことを考えながら振り向いたのですが、全然駄目でした。むしろ追い詰めているようにすら思えます。なんでこんなことしたんだよ、この先どうしたらいいんだよ、やり返されたらどうすんだよ、おれはお前じゃないんだよ、と呟いては震える先輩に、もうどうしていいか分かんなくなって、助けようと伸ばした手すら振り払われたように思えて、訳分かんなくて、意味分かんなくて、こんなの俺が好きな先輩じゃないなって思いました。こんな人、知らない。俺の好きな先輩は、こんなに弱くない。そこで泣いてろ、嘘つき野郎。
さて。その話はそれで、終わった話になりました。先輩と先輩の友達がその後どうなって、今どこで何をしているのかは、分かりません。ただ1人高校に残された当事者の俺はといえば、父母に多大なるショックを与えた結果腫れ物に触るような扱いを受け、周りの同級生からは誤解されて遠巻きに眺められ、散々でした。こんなとばっちりはないな、と思いました。全く何も知らない完全な部外者の知り合いがあの清楽さんぐらいしかいなかったもんですから、針のむしろでした。しばらくその中で過ごすうち、しばらくと言っても進級してすぐ春先ですが、卒業したら家を出ようと決めました。どこかそれなりに遠くに行って、1人で生活しよう。人がたくさんいるところだと、自分の耐え性のないところが高頻度で思いっきり前面に出てきてしまうから、できるだけ人の少ないところ。けど老い先短い両親を残して、実家からそこまで離れたいわけでもない。でも辺鄙な土地がいい。しばらく悩んで、迷って、やっぱりそんな決意なかったことにして親の脛をかじり続けようかとも思い、でも結局だらだらしている内に冬が近づいてきて焦って、まあなんとなく、ここでいいやって、次の寄生先を決めました。できればここで、人を好きになりたくないなあ、と思いながら。
余談。意外や意外、というか調べた時点でわかっちゃいたことですが、寄生先として拠り所にすることを決めたお魚屋さんは、清楽さんの実家に程近い場所でした。少なくとも今の俺の実家よりは近いことが判明するや否や、おいおいそんなに清楽さんが好きかねー、と彼女が蛸のように纏わり付いてきて、非常に迷惑でした。当然ながら、そんなわけありません。
話を本筋に戻すと、お魚屋さんのご夫婦、和成さんと美和子さんは、突然転がり込んできた俺にも優しくしてくれました。ここで良かった、ここじゃなかったら心が折れていたかもしれない、って本気で思いました。2人の間には息子がいて、俺より7つも年下の子どもでした。あんまり関わる機会はなかったけれど、年下の子どもが珍しかったので、俺は仲良くしたいと思いました。けれど残念なことに、あっちからはどうもそうは思われていないようでした。ままならないものです。
一年が経ち、二年が経ち、俺は二十歳になりました。深いことは聞かないから、お祝いにお酒を飲もうよ。そう和成さんに誘われて、すごく嬉しかったです。涙が出そうなぐらいでした。しかしながら、ここで一つ困った問題が発生しました。7つ年下の、和成さんの息子。航介さんと言うのですが、航介さんには勿論友達がいました。お隣に住んでる子が一番仲良しで、幼馴染に相応しくずっと一緒にいるようでした。彼らが中学生になって、もう1人登場人物が増えたのです。その子は、朔太郎さんと言いました。天真爛漫で、明るくて、表情がくるくる変わって、眼鏡をかけていて、小さくて、いつでも手籠めに出来そうな。お分かりですか。ど直球ストライクでした。そりゃもう、そりゃあもう、しょうがないじゃないですか。今までの2人よりも更に弱っちそうで、ちっちゃくて、なんていったらそりゃこうもなります。しかしながらそれはとても困った問題となりました。なんせ、7つも年下なのです。そして航介さんの右へ倣えなのか自分の勘なのか、俺にはほとんど近寄ろうとしませんでした。世界は残酷だなあ、と思いました。この子を好きになったのは人生史上最大の間違いだったなあ、とも思いました。けれど、今までの俺と同じように、二十歳の俺も、好きになっちゃったんだから仕方ないじゃないか、と割り切ろうとしてしまったのです。それはいけない。輝かしい未来が待っている子どもを、こんなところで泥沼に引きずり込むわけにはいかない。そう踏みとどまれるくらいには、理性が残っていました。その時は、の話ですけれども。
朔太郎さんから目を離そうと、俺は躍起になりました。女の子に今更目移りなんて出来るわけがないので、男の子を漁りました。手を替え品を替え、あっちこっちで試して、好きになろうとしました。新しい相手を愛そうとしました。けど、無理だったのです。そんなの、上手くいくわけがありません。その時に知り合った人たちから、今も後腐れのないセフレを紹介してもらってはいますが、その時得られたものといえばその人脈くらいのもんでした。誰かを好きになろうと足掻くたびに、その当時まだ中学生の朔太郎さんが、脳裏を過るのです。いっそ呪いの類だと言ってもらった方がマシでした。こんな好きならいらないと、本気で思いました。欲にまみれて、上手くいくはずもない恋愛もどきを繰り返して、日に日に心がささくれていくのが分かりました。そういう時に限って、和成さんとの仕事帰りの道で、幼馴染3人組がにこにこしながら駆け寄ってきたりするのです。お前さえいなければ、壊されたいならそう言ってくれ、と掴み掛かりたくなったことは、片手の指では足りません。だってきっと、あの子どもの笑顔を独占することは、酷く容易く、いとも簡単に、行えるのですから。ついに限界ぎりぎりになった時、一度だけ清楽さんを頼りました。頭の中が空っぽの彼女は、服を脱げと言ったら脱ぎましたし、そのまま俺がえづいても困った顔をしながら背中をさすってくれました。女の体に吐き下す俺を見て、彼女はどう思ったでしょう。俺は彼女じゃないので分かりませんが、こっちの異常な事情を知っていてなお、ふわふわと緩い繋がりを維持し続ける彼女は、正しく変わり者だと思います。その変わり者の彼女のおかげで、一度は踏み止まることができたのですから、感謝しなければならないのでしょうけれど。
それから俺は、逃げ続けて、泥のような思いを必死で無かったことにしながら、今も和成さんの家で働いています。幼馴染3人は、みるみるうちに大きくなって、高校を卒業しました。朔太郎さんはいつの間にか、俺をあからさまに避けるようになりました。航介さんも、俺と会話することにならないように上手く回避しています。それで、いいんです。そうしてもらわないと、困るのは彼らです。だって、自分に甘くて耐え性無しで、理性なんて年々がばがばになっていくような大人、自分で自分の制御ができるはずがありません。頭の回路のどこかが、ぷつん、ってしてしまったら、全部終わりです。好きだと口走って、彼に、ないしは彼らに、何をするか分かったものではありません。頭がおかしいと自分でも思います。壊れてしまっていると、自分でも思います。けれど、しょうがないじゃないですか。あんなことがあったんです。どれを指しての「あんなこと」かは受け取り手の皆様にお任せしますが、どれを取っても俺がこうなってしまったことの理由になるように、考えてくださいね。俺よりももっと大変な目に遭って、それでも真っ当に生きていこうとしてる人がいる?それは俺じゃないので、知ったこっちゃありません。千代田健生は、こうやって作られたのです。これからも、こうやって生きていくんです。
明日も、うっかり間違えて行動しないように、気をつけますから、なにがあっても許してください。


2/2ページ