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おはなし



最初から、望みがあるわけじゃなくて。付き合いたいとかじゃなくて、先輩と後輩の関係性から発展したいっていうのも違って。だから、好きだと伝えるだけで満足したわけで、今だって好きでいられているわけで。
しかしながら、それとこれとは話が違うと言いますか。
「……………」
現在地、美化委員で使っている教室の、先輩がいつも座っている机の前。座っていいものか、いやそれはちょっと止した方がいいんじゃないか、でも誰も見てないからセーフか、とかれこれしばらく悩んでいる次第である。だって別に先輩の席ってわけじゃないし、ありでしょ、あり、全然オッケー、座っちゃえ。そう自分の中の積極的な奴がゴーサインを推す度に、倫理的で理性的な方の奴が、いや気持ち悪いよ、変態かよ、とドン引く。あたしは、こう、両方の気持ちが分かってしまうだけに、確かにね、そうね、分かるわ、と言うしかない。堂々巡りだ。
「……………」
……誰か、来たら、やだし、やめとこっかな。今日は卒業式だから、この教室に誰かが来るはずもないのだけれど、そうやって理由付けて、やめた。そんなもんだ。どことなく鉛筆の匂いがして、それだけでもうなんとなく、充分な気がした。先輩もここで、友達と喋ったり、議事録とったり、大好きなお花のことを考えたり、したのだ。あたしのことを考えてくれたかどうかは、分かんないけど。
鈴芽先輩とか、部活の先輩には、後でありがとうございましたの会をする予定なので、今この時間は暇だ。なんとなく、馴染みのある教室を巡っているのだけれど、自分が卒業するわけでもないから、手持ち無沙汰。先輩がよく座っていた席から離れて窓際に寄れば、美化委員が管理する花壇がちょうど真下にあって、その周りには卒業生がぽつりぽつりと見えた。花が咲き誇る花壇の前で写真を撮る人。自動販売機で買ったジュース片手に話している人。それぞれてんでんばらばらなことをしているけれど、花壇の周りに人がいることは確かだった。三年前に先輩が整備し始める前は、人なんて寄り付かなかったって先生から聞いた。後者の裏手側の花壇なら、尚更。それが、先輩が手塩にかけて花を育てて、少しずつ大切な場所になって、今ではこれだけ人が集まるようになった。もっと南の方ならいざ知らず、ここでは卒業式に桜なんて咲かない。だから、せめても花いっぱいの場所で記念撮影をしようとするなら、この花壇はうってつけの場所になる。卒業を間近に控えても先輩は花壇のことを気にかけていたから、夏ごろに植えた球根も、最近植え直した鉢も、日の光を浴びて花弁を揺らしている。それをふと目に止めてくれた人が、少しでも頰を緩めてくれたら、それが先輩の望みなんだろうな、って今なら分かる。
「……………」
チャイムが鳴って、卒業生が校舎内へ引っ込んで行く。そろそろ卒業式の準備が始まる頃なのかもしれない。在校生も参列はできるから、あたしも行かなくちゃ。窓から人の少なくなった花壇を見下ろして、落ちそうになった。
「めだかちゃーん!」
「……せっ……」
「おりといでー!お話ししようよー!」
あんたは卒業生じゃないのか。人がいなくなったのを見計らったのか、先輩が満面の笑みで手を振っている。滑らせかけた手で、窓枠を掴み直して、口を開いた。
「……ぃ、いま、行きます……」
「えー?なにー?」
「今行きます!」

「上から見てたのが見えてね、一人で寂しそうだったから」
そうですか、とぼんやり返事をした。先輩は卒業式に出ないんですか、って開口一番に聞いたら、出るに決まっとるでしょうが、と不思議そうな顔をされた。あたしはいまいち卒業生のタイムスケジュールが分かってないけど、どうやらさっきのチャイムは、教室に帰ってくる合図ではないらしかった。確かに、時計をよく見れば、またもう少し時間がある。一階の廊下を歩いている卒業生の姿もあるし。じゃあ、神様が取り計らってくれた偶然、ってことで。
「綺麗に咲いたね」
「……最近、風も穏やかだったので」
「そっかそっか。俺が登校日じゃない時は、めだかちゃんが面倒見ててくれたんでしょう」
「そうですね」
「ありがとね」
へら、と笑われて、どんな言葉を返したらいいか分からなくて、黙り込む。先輩がいない花壇の整備は、ただの惰性と言っても差し支えないぐらいのものだったけど、それでも、お礼を言われるなら、やって良かったと思う。単純。
揺れているのは、どこかから種が飛んできたらしい蒲公英と、白と黄色のヒヤシンスと、ネモフィラと、二輪草と、鈴蘭水仙。珍しく落ち着いた色合いの花壇は、四月になったら、チューリップやポピーで、色とりどりになる。そのための準備、と言ってもいいかもしれない。一輪だけ、くたりと花が萎んでしまっている鈴蘭水仙の隣にしゃがみこんだ先輩が、慈しむようにそっと撫でた。
「先輩」
「んー?」
「鈴蘭水仙の花言葉って、知ってますか」
「花言葉には詳しくないなあ」
めだかちゃんの方がよく知ってるんじゃない、と上向かれて、いえ、あたしも知らなくて、と嘘をついた。鈴蘭水仙の花言葉は、純粋、汚れなき心、皆を惹きつける魅力。先輩みたいだなって、思ったから、覚えてる。まっすぐな目で見られるのは何となく居た堪れなくて、爪先を見つめた。先輩がこっちをずっと見上げているのは分かる、でも目は合わせないように、視線をずらして。
「めだかちゃん」
「なんですか」
「今からでも遅くないよ」
「……なにがですか?」
「まだぎりぎり間に合うよ」
「だから、なにがですか」
「めだかちゃんだけのものに、なってあげようか」
「……なに言ってるんですか」
「告白の返事を、無かったことにしないであげてもいいよって、言ってる」
このままお別れなんて寂しいじゃない、なんて先輩はあっけらかんと言った。あたしが伝えたかっただけの独りよがりな告白に、今から返事をしよう、と。はい聞きました、おしまい、じゃなくて、それ以上に進もう、と。そういうことだろう。しかもその決断の最終決定を、こっちに任せて。なんて無責任で、傲慢で、我儘なんだろう。こっちの押し殺した心のことなんて一切合切無視で、分かろうとすらしていない。けど、酷いと思う傍で、ここで頷いてしまえば今までの全てが報われることも、楽になれることも、あたしはどこかで気付いているのだ。先輩の隣に自分がいる未来は到底想像できないけれど、それを無理やり作り出すことは、出来るから。さらさら、風が吹き抜けて、花々が揺れた。夏の終わりのあの日に、ここで先輩に告白したことと被って、泣きそうになる。
「……先輩」
「うん」
「立ってください」
「はい」
「……ありがとうございます」
「いえいえ」
「ご遠慮します」
「……んっ?」
「ありがとうございました」
「ご遠慮します?」
「はい」
「なんでさ。お試しだと思ってやってみたらいいじゃん」
「嫌です」
「ちゃんと彼氏になってあげるよ?」
「先輩」
「はい、ぶえっ」
ぱしん。先輩の頰を打ったのはあたしの手で、先輩はされるがまま打たれた。何か理由があって叩いたわけじゃなくて、とにかくそうしなきゃいけない気がしたから叩いたんだけど、先輩は怒るでもなく、あーいてて、女の子に叩かれるなんて久しぶりだよ、とへらへらしながら赤くなった頰を押さえた。
「ごめんなさい」
「ううん、俺が悪かった」
「はい」
「肯定しちゃうんだ……」
「もう少し、人の気持ちも考えてください」
「そうだね」
「……告白して、付き合いたいって言わない人は、今までいなかったんでしょう」
「めだかちゃんぐらいのもんだよ」
「じゃあ、そうした理由を、考えてください」
「俺が変わってるから?」
先輩がどうこうって問題じゃなくて、あたしの気持ちの問題です。そう答えた途端、堪えていた涙が溢れた。少し間を置いて、そっか、と返事をした先輩は、それは俺には難しい問題だ、と噛みしめるように呟いた。
泣き顔は見ないであげよう。俺の中のめだかちゃんはまだ、鈴蘭水仙のままだよ。そう、後ろを向かされて、振り返れば、先輩は手を頰に当てたままで、あたしには背中しか見えないように、花壇の方を向いていた。知ってるんじゃんか、嘘つき。嘘つきで、どうしようもなくて、人の気持ちも知らないで。けれど、それでも好きだと、心から思った。

春になって、赤や黄色やピンクに花壇が彩られた頃。美化委員の担当の先生に、廊下で呼び止められた。
「おーい、目高」
「はい」
「お前、今年も美化委員やるのか」
「そうですね」
「うん、良かった。辻が、お前に花壇は任せてあるって言ってたから」
「……そうですか」
「あと、これはついでの話なんだけどな」
「はい」
「目高、部長もやるんだろ?」
「鈴芽先輩が任せてくださったので、はい」
「んん……じゃあ、やっぱなあ……」
「なんですか」
「……これを見なさい」
先生が差し出したのは、生徒会役員の名簿だった。部長をするから美化委員長は出来ないと辞退してあるから、あたしの名前は無い、はずだった。
「……………」
「……あっ、やっぱ、知らなかった?」
「……誰ですか」
「えっ」
「誰が書いたんですか、あたしの名前を、こんなところに」
「……生徒会長推薦?」
名前があったのは、生徒会書記の欄だった。苦笑いで首を傾げた先生から名簿を奪い取って、足音荒く教室へ向かう。途中運良く犯人を見つけたので、首根っこを持ち上げた。
「うわーお!わーお!もずくちゃん!どうしたの!」
「書記はやりません」
「あっ、誰かから聞いた?でもねー、俺も困っててね、さくちゃん先輩に相談したら、もずくちゃんならきっとできるよって、優しいからって!」
「……………」
「ほんとだよ!さくちゃん先輩にも聞いてみなよお!」
「……………」
「ふぎゃっ」
手を離したら呆気なく落っこちた砧くんを見下ろしながら、お世話になった先輩二人の顔が頭の中でぐるぐる回る。任された部長の仕事は、なにがあってもやり遂げたい。そのために委員長を辞退したのに、辻先輩から生徒会書記を与えられてしまった。おまけに、今までもやってきたことだけど、花壇の整備と管理も、勿論加わってくる。どれか一つ切り捨てるか、きりきり舞いになるの覚悟で全部やるか。いたーい、と目をばってんにしていた砧くんが、でももずくちゃん、とあたしを見上げた。
「できるよって言われたんだから、きっとできるよ!俺もそう思うよ!」
「……うるさいです」
「うああん、頭を押さえつけないで!」



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