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おはなし



一番上のお兄ちゃんは、勉強ができて、心の根っこからとっても優しい。二番目のお兄ちゃんは、力持ちで、真面目で、一番頼りになる。三番目のお姉ちゃんは、砂糖菓子みたいに甘ったるくて、何でも許してくれる。四番目のお兄ちゃんは、家族のために本気で怒れる熱血漢で、でもちょっとだけ抜けてて可愛い。一つ下の妹は、誰よりしっかり者で、物事をよく分かっていて、頑張り屋だ。一番最後の弟は、いつまでも天真爛漫で、幼い子どもみたいで、かと思えばふとした時ちゃんと大人の顔をしているような、それが時々お姉ちゃんとしては寂しいような、そんな感じ。
じゃあ清楽はどうなのかって?砧清楽は、できそこないである。ばばーん。



「あっ」
「んー?」
「……真守くんのお姉さん、です、よね?」
「……んー?」
その辺で知り合ったお友達とお酒を飲んで、ふわふわしながら歩いてたら、茶色い髪の毛の男の子に声をかけられた。スーツだ、いいねえ、スーツ。真守と同じくらいの年に見える。ってことは、真守のお友達だろうな。いくら脳みそ足りてないあたしでも、それはわかる。真守くんのお姉さん、って呼ばれたってことは、あたしが真守のお姉ちゃんだって知ってるってことで、それを知ってるってことは、真守とあたしが一緒にいるところを見たことがある人だってことで、ええと。そんな人少ないはずなんだけどな、とぼんやり思い返して、あたしを窺うようなその目に、「見覚えがある」のピースがかちりとはまった。ああ、うん、名前は忘れちゃったけど、君のこと知ってるよ。うちに来たことある、真守の先輩だよね。
「お久しぶりです」
「おひさしぶりー」
「こんなとこまで来るんですね、家遠いのに」
「こっちのお友達に会いに来たんだよ、きぐーだねー」
「……奇遇ですね」
きぐー、って言ったけど、珍しい偶然、みたいな意味で理解してるけど、もしかして間違えちゃったかな。君と会えたのがきぐーなんだよ、ともう一度言ったけど、だけど俺は地元がこっちなので、ってくすくす笑われた。うん、だから、きぐーなんじゃないの?
もう電車無いですよ、なにで帰るんですか、って聞かれて、アッシーくんを呼んでいたのを思い出した。もうすぐタクシーが来るよ、と答えを返せば、車通りのない道路をぐるりと見回した先輩くんは、そうですか、と飲み込んでくれた。良い子。
「きみは、どうやって帰るのー?」
「歩きです。近いので」
「何分くらい?」
「30分かそこら……酔いが覚めてちょうどいいから、歩くんですけど」
「一人暮らしー?」
「……何でそんなこと聞くんです?」
「たいはないよー」
うん、察しがいいタイプの男だった。アッシーくんが遅いから、外で待ってるのに飽きてしまったんだけど、30分も歩いて、たった今何年かぶりに出会った弟の先輩の家に、転がり込むような気には流石になれないので、やっぱり仕方ないからアッシーくんを待とう。たいはないよ、たいは、と繰り返したあたしに、他意はないんですね、と正しいイントネーションで確認した先輩くんが、もうすぐ来るんですか?ってもう一回聞いた。この道で待ってたら、そりゃほんとに来るかどうか不安になるよね。あたしだってそう思うわ。でも、もう来たのです。
「おーい、ここだぞー」
「……いい加減呼びつけるのやめろって言ってんじゃない、で、すか……」
「………………」
「後輩くん、紹介しよう。こちら、アッシーくん」
「……………」
「ちよっぴーにも紹介しよう。こちら、弟の後輩くん」
「……ちよっぴーじゃありません」
「名前なんか忘れちゃったよ」
「……どうも、朔太郎さん」
「きみ、朔太郎さんって言うのかね」
「……はあ」
「もしかして、あの、いんねんのあいて、ってやつー?」
「違います」
人のこと呼びつけといて与太話に花を咲かせないでください、とあたしの肩を掴んでひっくり返したちよっぴー、って呼ぶと怒るから、ええと、でも、けんせー、って呼んでも怒るし、長い方の名前なんか忘れちゃったし、もうちよっぴーでいいじゃんね。ちよっぴーが、朔太郎さんと呼ばれた後輩くんの方に向き直った。後輩くんは、凍りついたようにちよっぴーを見つめて、瞬きもしなくなった。名前を聞いて思い出したけど、あれだ、この子、さくちゃん先輩くんだね。思い出した、思い出した。多分明日には忘れてる。
「ねー、後輩くんとちよっぴー、なにつながりの知り合いー?」
「うるさいです、早く乗りなさい」
「あたしの弟の後輩くんなんだぞー!ちよっぴーみたいに薄っぺらい付き合いじゃないんだぞー!」
「朔太郎さん、」
「乗りません」
「……そうですか」
「帰ります」
「……おやすみなさい」
「……ちよっぴー」
「なんですか」
「きみ、さくちゃん先輩くんに、もしや嫌われているな?」
「……はー……」
声を掛ける途中で遮られて、恐らくはちよっぴーが言おうとした「車に乗って帰りますか?家まで送りますよ」なんて言葉を先読みされて断固と拒否され、おやすみなさいは無視され、踵を返して即座に走ってこの場を去ったさくちゃん先輩の姿を見て、二人が良好な関係を築けているとは、あたしでもさすがに思わない。深いため息をついてしばらくぐったり肩を落としていたちよっぴーが、顔を上げた。あれ?もしかして痩せた?
「……今日ばっかりは、清楽さんの呼び出しを無視するべきでした」
「えー、あの子となにがあったのー?女の奪い合いでもしたー?」
「しませんよ」
「ちよっぴーホモだもんね」
「違います」
「そうだっけ?忘れちゃった」
「……はああ……」
「ため息をつくと、幸せが逃げるらしいぜー?スマイルスマイル!」
「……あんたと話してると、疲れます」
「えー?そんなこと、言われたことなーい」



「清楽さん、最初に会った時も行き倒れてましたね」
「……それが女の子の服を脱がしもせず、一つの部屋に入って第一声で言うことかね」
「服を脱がすつもりもないから喋りますね」
「きみといると、女としての自信がなくなってくるよ」
「清楽さん、自信あるんですか?」
「頭か身体かと言われたら、身体だね」
「可哀想ですね」
「ちよっぴーにだけは言われたくねえー!」
わははー、って笑いながらベッドに横たわれば咥え煙草でこっちを見たちよっぴーが、化粧臭くしたら承知しませんから、と不愉快そうな顔をした。そんなんなんないよー、めんどくさいからお化粧なんてほとんどしないもん。ちよっぴーの家で、ちよっぴーくさい布団で、ごろごろする。連れ込まれたわけでもなし、なにかするわけでもされるわけでもなし、っつったらごろごろするしかないでしょう。こんな時間に今から家に帰ってみろ、誰か起こしちゃったら迷惑になるじゃないか、お前んちまで乗せてけ、と半ば脅迫のように後部座席から強請って、ごろごろする権利を手に入れたのだ。やったぜ。人が来ることに慣れていないらしいちよっぴーは、下着は男物しかありません、寝間着はいりますか、と自分の着古したジャージを片手に問いかけてきた。寝間着いるいるー。逆に女物の下着がちよっぴーの家から出てきたら怖いっつの。
さっきの後輩くんとちよっぴーの関係がなんなのかは結局分からずじまいだったけど、あたしとちよっぴーの関係も、説明しづらい。中学高校の先輩後輩ってわけでもないし、家が近いってわけでもないし、古くからの知り合いってわけでもない。むしろ、本名もまともに覚えてないし、歳も知らない。ちよっぴー曰く、「行き倒れてたところを拾ったら懐かれた」って。あたしはそんな昔のこと覚えてない。忘れた。
「あんなインパクトでかいこと、忘れられるんですか」
「うん」
「清楽さんち、乙供じゃないですか」
「そうよ」
「俺が高校生の時、こっちの方で、道端で、髪の毛ぼっさぼさで、すっげえ寒そうな格好で、転がって寝てたじゃないですか」
「そうだっけか」
「俺、死体かと思いました」
「うーん、多分ね、もう限界になっちゃったんだろうね、眠気が」
「それからあんた、俺の携帯に勝手に番号登録して、足に使い放題で」
「だってえ、ちよっぴーしかいないよ。どこから呼んでも必ず来てくれて、なーんにも見返り求めない人なんか」
「見返り求めてないんじゃなくて、相応の見返りが来ると期待してないだけです」
「ん?ちょっと難しい、わかんない」
「清楽さんって、頭壊れてますよね」
「うんー、妹と弟のために、頭の回路をお母さんのお腹に残してきたのだー」
「それ虚しくありません?」
「うるせー、ホモ」
「……違います」
知ってるんだぞ、清楽さんは。これだけは覚えているんだぞ。ちよっぴーが20歳になってすぐ、たった一回だけ、君の方から電話がかかってきて、電話口で君は泣きながら、「うちに来てください」って言ったんだ。だから、忘れっぽいあたしは必死の思いで記憶を探って、君の家までたどり着いて、もう深夜2時とか過ぎてたけど、ちよっぴーの家の玄関は開いてた。真っ暗な部屋の隅っこでわんわん泣いてたちよっぴーが、あたしを認識して、あんたの身体を貸せって、全部忘れさせろって、めちゃくちゃにしてやるって、泣きながら言うから、あたしどうしたらいいか分かんなくて、とりあえずシャワーを浴びた。着て来た服を着る気にもなれずにタオルだけ引っ掛けて出てったら、襲い掛かられるかと思いきや、またぎゃーんって泣き出したちよっぴーが、やっぱ無理、出てって、って嗚咽しだすから、また服着て、一応涙を拭いてあげた。あたしすぐ忘れちゃうから大丈夫だよ、って念押ししたら、ちよっぴーは泣きながら話し出して、それは自分の過去話だったんだけど、途中からあたし眠くなっちゃって、半分ぐらい寝てた。でも、ちよっぴーは女の子のことは好きになれないんだって、だからあたしが手放しで甘えて家に転がり込んだところで何も起こるわけがないんだって、そこでようやく知った。ちよっぴーも生きづらいよね。あたしも脳みそ足りてない分、生きるのってちょっとばっかし大変だから、分かるよ。ちよっぴーは次の日起きたらそんなこと無かったみたいに振舞って、忘れてるのか覚えてるのか、知らないけど、「あんたまた、俺のこと足に使って……」って呆れ顔したから、あたしも、ごめえん、って謝っといた。それでいいじゃん。ちよっぴーのバックグラウンドを知るのは、きっとあたしの役目じゃないよ。
「ちよっぴー、あんたが売れ残っておじさんになったら、清楽さんがもらってあげるからね」
「……想像だけで胃が千切れそうになるんで、やめてください」
「いやいや、使い古しもいいもんだよ」
「そういうことを言ってんじゃないんですよ」
「さっきの後輩くんのこと好き?」
「清楽さん、あのね」
「だめだよ、おとなには、掟があるんだから」
それは、過剰に踏み入らないことだったり、自分の世界に相手を引きずり込まないことだったり、独り占めしないことだったり、こだわりすぎないことだったり、秘密は絶対に守ることだったり、する。大人は、その掟を、守らなくちゃいけない。だからあたし、ちよっぴーが女の子は無理なこととか、誰にも言ってないし、ちよっぴーにあたしがそれを知ってることを知られるのもいけないことだと思って、茶化して誤魔化して、知らんぷりしてる。全部黙って飲み込んで、大人って疲れるよね。何も言わなくなったあたしを見下ろして、もう眠くなったんですか、と髪を梳いたちよっぴーが、困ったみたいに笑った。嘘つきの顔だ。
「あたしねえ、本気だよ、ちよっぴー。売れ残って、さびしくなったら、清楽さんに言いなさい。ちよっぴーの一人や二人、受け止めてあげるからね」
「遠慮します」
「まじかー。断られちった」


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