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おはなし



「格差社会だ」
「なにが?」
「不平等」
「ん?」
「……………」
「なんだよお、変だぞ小野寺」
ぱき、とクッキーを齧りながら訝しまれて、何も言い返せない代わりに目つきで不満を訴えておいた。バレンタインデーキッス、とかいう歌もあるぐらいだけど、友情にせよ愛情にせよ思いを伝えるのにぴったりの特別な日ってことも分かるけど、ここまで見せつけるように格差が出ると、流石に僻みたくもなる。
遡りましては、朝。昨晩より、お泊まりという名目の、俺が自分の課題を片付け終わるまで伏見に延々いびられ続ける地獄の時間を終え、へろへろになりながら無理やり寝て、今朝起きた時には伏見は既にいなかった。母曰く、「とっくに出たわよ、朝ご飯もちゃんとパン二つも食べて」だそうで。ちなみに俺の名誉を守るために言っておくと、遅刻しそうなわけでも、ましてや寝坊したわけでもない。俺は自分の出る授業に間に合うように目覚ましをセットして、その時間にきちんと起きて、にもかかわらず、同じ授業に出るはずの伏見がいるはずの布団のふくらみの中には誰もいなかった、というだけの話である。要するに、置いていかれた。酷い。俺がまだ寝ていることを知りながら二つもパン食べさせた母も母だが、食べる伏見も伏見だ。ひどすぎる。
そして、大学まで急いで向かって、もちろん授業には間に合って、伏見は平然と先に座っていた。てめえ置いていきやがったな、と食ってかかれなかったのは、伏見の隣に女の子が立っていたからだ。楽しそうに談笑する二人の前には可愛くラッピングされた箱が置いてあって、何を喋っているんだかは聞こえないけど、推測してみるに恐らく、これプレゼントなの、はいどうぞ、ありがとう、的な会話であることは確かだろう。何故あんな気合の入ったプレゼントボックスを、とふと気になって、今日はバレンタインデーだと思い至った。昨日まで覚えてたのに、今朝のショックで忘れていた。
「ふしみ」
「ん」
「おはよう」
「おはよ。よく寝てたから起こさないで先に出ちゃった」
「それは、うん、まあ、もういいんだけど、なにもらったの?」
「ん?」
「うん?」
「んー。先に出てごめんって」
「それはもういいんだって」
「ここ座ってもいいよ」
「なにもらったの?」
「はは」
「本命なの?」
「開けてないから中身はわかんない」
「もうこの際中身もどうだっていいよ、ねえ」
教室内に人が増えてきたので、伏見はにこにこしながら俺の詰問を聞き流し続けた。猫かぶり野郎!
結局その箱の中身はわからないまま、なんの意図があっての贈り物なのかもわからないまま、伏見の脇に可愛い袋があと二つぐらい隠されているのを見つけて、その授業は終わった。今までの、過去何年かの現実からすれば、本命もしくはそれに近しいそれなんだろうな、とは思うけど。俺なんか伏見から貰ってないのにね。あてが伏見しかないのも悲しい上に、手作りだったらごめんなんだけど。家族からのチョコだってあるかどうか怪しい身としては、一応はこちらから伝えた好意を受け取っているはずの相手からのチョコぐらい、ちょっとは期待したい。でも手作りだったらほんともう勘弁してもらいたい。洗剤とか余裕で入ってそう。
次の授業の前にも用事があるとか言って、伏見はとっとと出て行った。用事ってどうせ女の子なんでしょ、授業の前に時間ある?って聞かれたりしたんでしょ、ってしつこく追い縋ったけど、無視されたし、曲がり角を曲がりぎわに思いっきり鞄でどつかれた。あんまりだ。仕方ないからお昼ご飯でも食べに行こうと思って一人になった途端、階段の踊り場の窓から見下ろした先に、見知った顔の椎名が、これまた見知った顔の御園さんに、ラッピングされた包みを投げつけられているのを見て、すごく気が滅入った。俺はどうして、今日に入ってから一つたりとも、ああいう包みをもらっていないんだろうか。自分で言うのもなんだけど、友達は多い方だし、女の子との交流が皆無なわけじゃないのに。少なくとも弁当よりかは親しみやすいはずだ、と思って居た堪れなくなって、うーん、ごめん、弁当。
「小野寺じゃん」
「ん」
「なにしてんの」
「ご飯食べに行くところ」
「俺も行くー」
がっくりしながら窓から離れられずに、まるで待ち合わせしてる人みたいになってたら、有馬が階段の上から降りてきた。いつも通り手ぶらで、伏見みたいに脇に隠した贈り物がない有馬に、安心して寄って行く。仲間いるじゃん!俺だけじゃないじゃん、チョコ無し!
階段を降りて学食へ向かう。途中、いつもよりとなんだか男女の二人組が多い気がして、心が荒むのが分かった。今更信じてもらえないかもしれないけれど、そりゃまあ確かに伏見より可愛い女の子なんていないとは思うけれど、恋人と二人でいちゃつきちらしながら歩くことに対してもにゃっとした思いを抱くだけの心の隙間は、俺にも一応あるのだ。要約、俺だって女の子にちやほやされたい。男なので。そんなことを考えながら校舎を出ると、後ろから、聞いたことがあるような声がした。
「あっ、有馬ー」
「んー?だれー?」
「あたしあたし、一宮さんだよ」
「なに?」
「ほのちゃんが用があるんだって」
「ぇ、えぅ、ま、まゆちゃん」
「どうしたの」
一宮さん、見たことある。あんまり喋ったことないけど。後ろに隠れてる佐山さんは、もっと最近の記憶がある。授業一緒だった気がする、あとなんかお菓子くれた気がする、同じ班でディスカッションした気がする。全て「そんな気がする」なのは、俺があんまり授業に身を入れていないからである。
「有馬くん」
「うん」
「……ぁ、あげます……」
「おー、ありがと!」
「あたしからも、はい、義理」
「ありがとー」
「義理ね、義理」
「なんで何回も言うんだよ!」
佐山さんからは、ピンクの袋に白いリボン。一宮さんからは、水色の小さな箱。両手が塞がった有馬がにこにこしながらお礼を言って、真っ赤になってる佐山さんが一宮さんを引きずるようにして行ってしまったのを、俺は特になにも言えないまま見ていた。えっ、待って、ねえ、待って。
「……俺もいるんだけど」
「ん?」
「俺、いま、この場にいたよね?」
「うん」
「見えてたよね!?」
「うん」
「俺、佐山さんと、知り合い!」
「知り合いだからってチョコもらえるわけじゃないだろ……」
バレンタインデーにはクラスメイト全員からチョコもらえんのかよ、と少し呆れた顔をした有馬が、でもまあ完全無視だったな、と俺の気持ちも汲んでくれた。女子怖い。ポケットに包みを突っ込んだ有馬が、下を向いた。
「……ぱんぱんになった」
「二つも入れるからじゃない」
「もっと入ってる」
「は!?」
「コンビニでなんか買って、ビニール袋貰えばいいか」
「もっと!?もっとってなに!?そのポケットの中に四つも五つも入らないでしょ!?」
「意外と奥行きあるんだよ、このポケット」
「四次元かよ!」
そして、学食に着いて。ぱんぱんの有馬のポケットからは、五個も六個も包みが出てきた。端がくしゃってなってるやつとかもあって、酷い話だ!ってなったりとかして、でもみんな義理って言ってたって有馬は言うけど、そう言う問題じゃない。袋がよれているやつの中身はクッキーで、荷物になるしこれから食べちゃおうかな、と有馬は呆気なく袋から中身を出して、そして、冒頭である。
「食う?」
「食わねーよ!ふさげんな!」
「小野寺なに怒ってんの」

時間は経ちまして、夜。伏見はその後一回たりとも連絡も寄越さなかったし、学食にいた間にまた有馬のコンビニ袋の中には新しい薄黄色の紙袋が増えたし、俺の心は荒みまくった。なんでみんな俺のこと無視するの。俺もしかして死んでる?いつの間に?
夜は、弁当にノートを返すついでに、飯を奢る約束になっている。ほんとは昼間のうちにできたらよかったんだけど、今日は運悪く弁当とは一度も会わない時間割構成だったわけで。そういう日もある。例えば、俺は2限からなのに、弁当は1限しかなかったりとか。そういうミスマッチと、あと弁当がバイト先の塾にヘルプに行かなくちゃいけないってなって、待ち合わせの現在時刻は夜9時だ。弁当の教え子の中学生たちは、もう家に帰っているのだろうか。だからこの時間を指定されたんだろうけど。
「おまたせ」
「ううん。呼び出してごめんな」
「別に、大丈夫。遅くしちゃったのはこっちだし」
「じゃあ、焼肉食べに行こう」
「……今から?」
「焼肉に今とか後とかあるの」
「ないだろうけど……」
ということで、焼肉になった。飲みに来たわけじゃないから、そんなに時間かかんないし。時間空いたから、昼学食で食べてから今焼肉食べるまでに、一回飯挟んじゃったけど、ちょっとだけだからセーフ。弁当の口から肉を食べたいなんて聞いたことがないので、俺が勝手に選んで注文した。弁当が食べきれなかったら俺が食う。
「はい、ノート。ありがとな」
「ううん。使えた?」
「コピーとった」
「……自分に分かるようにしか書いてないんだけど、分かった?」
「あんまり」
「意味ないじゃん」
「でも勉強してる感は出た!」
「感って」
ちょっと笑った弁当が、もそもそ白米ばっかり食べてるので、だんだん焼けた肉が積み重なっていく。早く食べなよ。
ごちそうさまでした、まではあっという間だった。どうして肉ってすぐなくなっちゃうんだろうな。弁当はちょっとお腹さすってるけど。
「……小野寺と二人で飯が一番お腹にくる」
「なんで」
「……量が違う。そもそも、体に入る限界の量から全部違う」
「弁当ひょろひょろだから」
「ばきばきに言われたくない……」
弁当が立ち上がって、鞄を肩にかけた拍子、ころんと箱が転がり出て来た。真っ白な小さな箱に、小さな可愛いハートのシール。弁当はすぐ気づいて拾おうとしたけど、俺の方がちょっとだけ早かった。ぱっと手にとって、まじまじと箱を見る。リボンがかかってるわけでもなければ、メッセージがついてるわけでもないけど、真っ白の中にたった一つだけある、金の縁取りと淡い桃色が、思いのありったけな気がして。
「……………」
「……返して」
「……………」
「……か、返してください……?」
「なにこれ」
「……さっきもらった、塾の子に」
「なぜ」
「え、今日、バレンタインデーだから、って」
「はあー!」
「えっ」
「はあーあ!もう!嫌だ!弁当まで!」
「な、なにが」
「本当ならこの箱を握りつぶしてしまいたい気持ちだけれども中学生の女の子に罪はないし弁当が悪いわけでもないから返す!はい!」
「えっ、あ、はい」
「あー!」

家に着きました。弁当は帰り際すごくびくびくしてたけど、俺も穏やかな気持ちではいられないというか、別に誰が悪いわけでもない以上、解散するしかなかった。弁当も、自分が怒られてるわけでも無ければ、俺が個人的にただ爆発しただけだろうな、ってのはわかってくれてるから、いいけど。
「ただいまー」
「おかえり、お兄ちゃん。デザートあるわよ」
「なに?」
「じゃーん!お母さん、がんばっちゃいましたー!」
「……………」
白いお皿にちょこんと乗せられたチョコレートのケーキに、涙が出そうだった。お母さんしかくれないのは悲しいけど、お母さんがくれるのはぎりぎりまだ嬉しい。にこにこしながらお皿を差し出しているお母さんからそれを受け取って、リビングに向かう。こんな時間まで起きて待っててくれたのか。玄関までケーキ持ってくるほど、俺が帰ってくるのを楽しみにしてくれていたんだな。母よ、いじらしく可愛いところがあるじゃないか。母だけど。リビングの扉を開ければ、中は暖かかった。
「おふぁえい」
「はっ!?」
「伏見くんも美味しいって言ってくれてね」
「なんでいる!?」
「いちゃ悪いのかよ」
「俺の家だろ!?一応は連絡しろよ!何万回も言ってるだろ!」
「うるさ。ケーキおかわり」
「えー、どうしましょう、もうないわ」
「ちぇっ」
「三つも食べたじゃない、伏見くん」
「小野寺の半分もらうからいい」
「誰がやるかー!」
「じゃあ明日チョコ買ってやるから」
「そっ、だっ、ど、っそうじゃない!」
「今揺らいだ」
「揺らいでない!」
「お兄ちゃん、お母さん寝るわね」
「待って!俺の感想を聞いて!おいしいかどうか!」
「伏見くんに散々おいしいおいしいって言ってもらったからもういいわよ」
「えっ、ちょっ、俺のことを待ってくれてたんじゃないの!?」
「伏見くんとお喋りしてたらこんな時間になっちゃったのよ」
「楽しかったね」
「ねー」

次の日伏見からは、いつも食べてるチョコドーナツをひとかけらだけ分けてもらえた。微妙。



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