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おはなし



「仲有」
「ん?」
「……仲有って呼ばれて返事すんの板に付いたね」
「んー、んー?そうねー」
「これ高井の?」
「瀧川くん、いつまでも旧姓で呼ばないで」
「お、おう、ごめん……」
「そういうのが意外に傷つくの。もう苗字変わって随分経つんだから、慣れてよ」
「うん」
「ね」
「悪かった」
「はい」
「高井珠子ちゃん」
「はあいっ」
「なんで都築はいいの?高井さ?昔からさ?そういうところあるよね?俺のことはおもちゃだと思ってるんでしょ?」
「瀧川くんはいつ頃お嫁さんを貰うの?」
「うるさいな!」
諸事情あって、俺と、瀧川と、仲有(嫁)の3人です。旦那の方の仲有からさっき店に呪いの電話みたいなのがかかってきたけど、嫁の方の仲有に「てめえすっとろいことやってねえで早く調剤しろ!」と叱り飛ばされて、電話口で泣きながら、なんにもしないで、俺からたまちゃんとらないで、うええ、って訴えるだけ訴えて、通話が切れた。高井さんが完全にマウント取ってる。まあ、学生時代からずっとそうだったしな。いきなり逆転してる方が怖いか。
「今日帰りどうするの?電車無いでしょう」
「実家帰るから平気だよー」
「仲有ほっぽっていいの」
「かなめには一人で生きる力をつけてもらいますので」
どうやら揉めたらしい。なにが原因だかは知らないけれど、仲有が浮気したとかそっち系統ではないことだけは、確かだ。あれだけベタ惚れの後追いで、急に余所見ができるほど、仲有要は器用ではない。ふん、とそっぽを向いた高井さんが、仲有のことを名前で呼び捨てていることに、なんとなくあの時より進展したのを知った。幼馴染って聞いたことあるし、もしかしたら昔々の呼び方に戻ったのかもしれないけど。
「なに飲みますか」
「店員さんのおすすめで」
「じゃあー、カクテルとか作っちゃおうかな」
「……幸せ……生きててよかった……」
「嫁が他の男に尻尾振りまくりで旦那かわいそう」
「瀧川くんはいつ頃第一子をその腕に抱く予定なの?」
「だからその親みてえな精神攻撃やめてくんねえかな!?」
でもあんまり飲めないから強いのだと困っちゃうな、と照れたように笑った高井さんに、アルコール度数低めのやつを出してあげた。ジュースみたいなやつ。俺がカクテルセットを持っていると数々の失敗談が蘇るらしい瀧川は、がたがた震えて頭を抱え出すので、焼酎日本酒その他諸々のボトルの中から選ばせてあげた。そんでもって、かんぱい。
「高井さん、お酒飲まないんだね」
「うーん、仲有が下戸だからねー。付き合ってくれる相手もいないし、そんなに自分も強くないし、機会はないかな」
「隠さなくてもかなめって呼べばいいのに」
「瀧川くん大丈夫?つらくない?」
「大丈夫、お前らの結婚式辺りで仲有が幸せになることに対しての辛さカンストしたから大丈夫」
「都築くんはいい人いないの」
「いないねえ」
「都築くんの彼女とか言ったらさー、とんでもなく可愛くないと許されないよね」
「がっきーとか?」
「とか。もうこの人ならしょうがないわ!って思える相手じゃないと許しがたい」
「高井さんは俺のなんなの」
「ファン」
「ファン……」
「いちファンでしかない」
「友達じゃなかったんだ……」
「ジャニオタみたいな感じだから、友達にはなれない」
「そうだったんだ……地味にショック……」
「でも高校生の時は都築のこと好きだったろ、都築くん都築くんって」
「瀧川くん、がっきー好き?」
「逆に嫌いだと思う?」
「じゃあ付き合いたい?」
「……いやそれは……烏滸がましいにも程があるっていうか……」
「それだよ」
「なにが」
「烏滸がましいにも程があるんだよ、都築くんと付き合おうだなんて!」
「うお怖」
「ふざけるな!審査するから連れてこい!」
「俺彼女いないってば」
がちゃーん!とグラスを机に叩きつけた高井さんが、鼻息荒く怒っている。一応彼女不在の申し立てをしたけれど、聞こえていなさそうだ。彼女いたことはあるよ、と余計なことを言った瀧川は黙らされた。如何なる手段を使ったかは秘密である。
「はあーあ、瀧川くんは都築くんの魅力に気づけないなんて、人生のほとんどをドブに捨ててるよ」
「そんなに言わなくても……」
「だってこいつ最近ちょっとした段差でつまづくし、食い物は口の直前でこぼすし」
「やめろ!そうやって!少しずつ老いてることをクローズアップするんじゃない!」
「いいじゃん、口周りと足周りがだらしないぐらいなんなの」
「高井さんの包容力はなんなの!?」
「ちょっとぐらい抜けてたほうが親しみが持てるってもんだから、ファンとしては」
「姉妹の少女漫画勝手に読むし」
「やめろって言ってんだろ!瀧川!」
「なに読むの?」
「う、え、古いやつ……」
「ベルばらとか?」
「そこまでじゃないけど」
「どんなの読むのか気になるー」
「……宇宙から来た赤ちゃんを育てることになった二人の話とか……」
「びっくりマークが三つ付いてる題名なんじゃない?それ」
「なんで知ってんの」
「世代だからねえ。あとは?」
「指輪の力で神様になった女の子がいろいろする話とか」
「かみちゃまなんとかね」
「だからなんで知ってんのお……」
「あとは?」
「人魚のお姫様が人間界で頑張りながら悪者と戦ったりする」
「マーメイドメロディー」
「猫とインコとイルカと猿と狼の」
「カフェで働きながら悪と戦うやつ」
「……なんでそんな息ぴったりなの?」
「瀧川くんも読めばいいよ」
「やだよ!」
ていうか都築くんなかよし大好きっ子なんだねえ、とか言われたけれど、俺が大好きなのではなく、姉が大好きで、妹がその影響を強く受けているに過ぎない。俺の趣味じゃない。
「少女漫画好きな都築くん、いいじゃん」
「高井マジで言ってんの!?少女漫画だぞ!?この男が!」
「話が合う。最高」
「ありがとー」
「他にも都築くんの意外なところを見出していきたい」
「それは友達として?」
「いや、ファンとして」
「ファンとしてか……」
「他にないの、都築くんの意外な一面」
「うーん……」
自分じゃ思いつかない。意外も何も、自分だから当たり前なんだけど。少女漫画だって、好きなわけではなく、普通に比べたらそりゃあちょっとくらいは接する機会が多いかもしれない、くらいだ。腕組みをして考えている高井さんに同調した瀧川が、手を打った。
「よし、思いつかないから新しく作ろう」
「は!?」
「思ってたより愛が重いとかどうだろう」
「なんで新しいキャラ設定をここに来て足すんだよ!わけわかんなくなっちゃうだろ!」
「愛が重い都築くん……」
「どうですかね、名誉顧問の高井珠子さん」
「試してみましょう」
「試してみちゃうんだー!俺の意見は無視!」
「やってみろよ、都築」
「……なにを……?」
「愛が重い男」
「誰に対しての愛よ」
「高井じゃないの」
「はい、異論あり」
「なに」
「そんな直接的なものを向けられたら、ファンは死んでしまいます」
「ほう」
「繊細な生き物なので、やめてください。後ろから見てますので」
「じゃあ俺にしよう」
「お前に!?重い愛を!?頭おかしいんじゃない!?」
「早くしろよ忠義」
「だから急に名前で呼ぶのやめろって何億回言ったら分かるんだよ!」
「瀧川くん、早く女の子になりなよ」
「そこから!?」
「ときみこちゃんって呼んであげて」
「ときみこ!?呼びにくい!」
「いいから、ほら、うふん」
「気持ち悪いよー!助けてー!」
以下省略。
ときみこちゃんに対しての愛が重い都築忠義、やります。設定は、待ち合わせに少しだけ遅刻して来たときみこちゃんと、二時間前に着いてた都築忠義くん。二時間て。都築忠義くん頭おかしいんじゃない?
「ごめん、待った?」
「ううん、あんまり」
「ときみこ、車スリップさせちゃって、事故って、遅くなっちゃったの。ごめんね、たーちゃん」
「……うん……」
無駄にくねくねしながら演技する瀧川が全部持ってってて、俺もうどうしたらいいか分からないよ。高井さんも既にめっちゃ笑ってるし。
「行こ、たーちゃん」
「どこ行くの」
「たーちゃんが連れてってくれるんでしょ?」
「どこに?」
「それはお前が決めろや」
「瀧川くん急に男に戻らないで」
「うす」
「どこって……ときみこちゃんと一緒ならどこでもいいよ」
「えっ……」
乙女チックにときめきを表してくれた瀧川越しに、高井さんがフィーバーしはじめてて、やばい。別にそういう意味で言ったんじゃなくて、めんどくさいから言っただけなんだけど……
そもそも思い返してみれば、ときみこちゃんの濃いキャラに引きずられているけれど、俺の愛が重い設定なのではなかったか。やってみるのはやぶさかではない。高井さんがあれ以上追い詰められるとどうなるか見てみたい気持ちもある。今の時点で顔真っ赤だから、発火とかするんじゃなかろうか。見てえー。
「じゃあ、ときみこ、遊園地に行きたい」
「ゆーえんち」
「人混みの中で遊ぶの夢だったんだっ」
「俺はやだな」
「えっ」
「やだ。二人だけで、二人になれる場所で遊びたい」
「……えっと……」
「ん?」
「……二人になれる場所、って?」
「そーだなー、例えば、ほら、んーと……家とか。行っていい?」
「ぶええっ」
「ストップ!都築ストーップ!高井が鼻血吹いた!」
「えっ」
わざと不貞腐れた顔をして下から見上げれば、瀧川の後ろから覗いて疑似体験していた名誉顧問様にクリーンヒットしたようだった。動物みたいな鳴き声とともに突っ伏した高井さんが、震える手で、瀧川からティッシュを受け取っている。萌えってやつだろうか。ときめきが臨界点を突破すると人間は鼻血を吹くらしい。そういえば昔朔太郎が、春先満開になった花々を見ながら恍惚として、そのまま鼻血を垂らしていたことがあった。俺はあの時、朔太郎が興奮しきりで発情したのかと思っていたけれど、ときめきなのかもしれない。お花かわいいなー、みたいな。納得。また一つ賢くなった。
「どうですか、名誉顧問」
「……愛が重いっていうか……家って……二人だけって……」
「え?なに?どっか違う?」
「……ふしだら……」
「えっ?聞こえない。瀧川聞こえる?」
「どすけべ都築、変態野郎、そんな奴だと思ってなかった、って言ってる」
「嘘だろ!?」
ショック。頑張ったのに。方向性の違いで解散である。
鼻血が止まった高井さんが、ようやく半分くらい減ったグラスを傾けながら、他にないの、都築くんの意外なところ、と求めはじめた。鼻血出たんだから諦めればいいのに。
「どんな風になってほしいの」
「なんか……せっかくバーカウンターみたいなセットがあるんだから……それらしくなってほしい……」
「セットって。家なんだけど」
「甚平につっかけサンダルでも?」
「いい」
「それらしくねえ……」
「シェイカーでも振ったらいい?」
「とりあえず煙草でも咥えたら」
「えー!やだよ!航介に嫌な顔される!あいつ鼻いいんだから!」
「火ぃつけろなんて言ってないじゃん」
「都築くんのくわえ煙草……」
「どうですか、名誉顧問」
「やだよー、煙草は」
「やってみましょう」
「さっきからほんと俺の意思無視」
なんで嫌なの、嫌煙家だっけ、と瀧川にも高井さんにも不思議がられたけど、別に、それこそ航介みたいに、煙草が嫌いなわけじゃない。今現在俺の中で、煙草とある人物がイコールで結ばれてしまっているのが問題なのだ。否応無しに思い出されるのが嫌なのであって、煙草に罪はない。むしろ持ってる。隠しておいたやつを出してカウンターに置けば、あるじゃん!デイリーユースじゃん!と目を剥かれた。違うよ、客のだよ。
「どうしたらいいの」
「吸うふりして」
「ふりでいいの」
「マジでもいい」
「明日航介配達くるからやめとく」
「あいつそんな鼻いいの」
「うん。瀧川時々ばれてるよ」
「げえ」
「ん」
カシャ、っと。話の途中で咥えた途端にシャッター音がして、高井さんの方を向けば、そっぽを向いていた。いや今カシャっつったよね。なに隠してんの。口から煙草を外して指に挟んで手を伸ばせば、逃げられた。おいこら。
「なんにもしてないです」
「撮るなら撮るって言ってよ」
「キメ顔が欲しいわけじゃないんで」
「ねええ」
「素の表情が欲しかったの!自分専用にするから!絶対外に漏らさないから!」
「そういうことじゃなくて」
「でもついうっかり灯ちゃんとかに送っちゃってもすぐ消すようにお願いするから!」
「故意に起こしたことはついうっかりとは言わないんだよ!?」
「ちゃんと加工してからSNSに載せるから!」
「載せるな!」
「なあ」
「分かった分かった!美肌にしとくから!」
「美肌!?どうせ加工するならもっと顔隠すとかしてくんないかな!?」
「なあってば」
「はあ!?都築くんの顔を隠す!?なんの権利があってそんなことするの!?大統領かなにかなの!?」
「ひっ、怖、ファン怖いよー!」
「あのさ」
「瀧川くんも言ってやって!そんな権利本人にだってないよ!」
「いや、あのさ」
「助けて!ファン怖い!俺から人権を剥奪しようとする!」
「いちゃつくのやめてくんねえかな?」
「誰も助けになんか来ねえぜ!」
「きゃああ!助け、おいやめろ!ほんとに脱がすのやめて!高井さん!こら!やめなさい!仲有が悲しむぞ!」
「……一本ちょうだい」

「もしもし、都築です」
『……なかありと、申します……』
「嫁ならうちで寝てるよ」
『なんにもしないでって言ったのにいいいい』
「泣くなよ!今タクシー呼んだところだよ!」
『都築の嘘づぎいいうわああああ』
「うるさ!耳元にダイレクトに響く!」
「仲有子ども出来たら、ママは俺の!とか言いだしそうなタイプ」
『たきがわのばかあああああ』

ちなみに次の日、航介には微妙に距離を置かれた。瀧川が吸ったせいだぞ。



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