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おはなし



*高校三年生



「じゃーん!カメラ!」
満開の笑顔で、薄ピンクのデジカメを取り出した珠子は、私にそれを向けてシャッターを押した。不意打ちだったので、ピースも何もなく、恐らくぼけっとしている間抜けな顔が記録されたことだろう。貸しなさい、消すから、と詰め寄ったものの、これも思い出だからさー、と逃げられてしまった。卒業式まで後残り僅かで、たしかにそうなんだけど、でもよりによってそんな思い出残されたくない。
「まあまあ、真希ちゃん、まあまあ」
「まあまあじゃない、こら、珠子」
「灯ちゃんも撮るからさー」
「そう言う問題じゃないでしょう」
にまにましながら、一日中、珠子はいろんな人の写真を撮っていた。途中、灯にカメラを向けた時、ぼやけちゃうなあ、ズームがおかしいのかな、と珠子がボタンをいじくっていたら、しゃしゃっと直してくれた。なんか、普段だったら触ることもないような、マニュアルの設定を変えたらしい。流石写真館の娘。灯のおかげで綺麗に撮れるようになってから更に珠子は飛び回って、見て!ベストショット!と都築の超ドアップを見せられたけど、近すぎて誰だか分からなかった。そしたら珠子は拗ねた。もお。
その日の帰り道。にこにこしながらデジカメを弄っていた珠子が、はたと手を止めた。靴を履いていた灯の鞄を掴んだ珠子は、目が輝いていた。やな予感。
「ねえ、真希ちゃん、灯ちゃん」
「……なに?」
「学校の中で撮ってるだけじゃ、いつも同じ風景しかなくなっちゃうと思わない?」
「まあ、そうかもね」
「ねえ!そうだよねえ!」
「……でもそれ以外ないじゃん」
「そんなことないよ灯ちゃん!」
じゃあ明日の放課後行ける人掻き集めて海っぺりな!とさくさく決めた珠子が、さっさと帰ってしまった。行ける人って誰よ。けど、灯も特に何も言わなかった。いいのかな、と思ってたら、次の日の朝、灯がばっちりメイクで来たので、行く気満々じゃないかよー!と言いたいのを我慢した。
放課後。珠子がいるなら仲有はいるんだろうなとは思ってたけど、案の定。とばっちりで、仲有がしっかり鞄を握って連れてきた弁財天。残りは後から来るってさー、と珠子が言って、灯がしょんぼりした。んん。これで全部じゃないってことでしょ。
「おまたせー」
「っぶねえ!朔太郎!チャリぶつかってくんなよ!」
「ハンドル壊れてんだもん」
「ブレーキもな」
「こないだ転んだからねー」
四人も来た。灯のメイクがばっちりだったのはこのせいか。壊れてるらしいがたがたの自転車に乗ってるのが辻、瀧川がママチャリ、都築と江野浦が二人乗りで来た。なにしてんのー、なにすんのー、とわらわら寄って来た四人のおかげで賑やかになった。灯がこそこそ逃げているのを見つけた珠子が、二人で写真撮ってあげるよお、とお節介をしている。珠子、後ろも見てあげて。ずっと仲有がついてってるから。暇そうにしてた弁財天に、辻がぶつかってって、弁財天がすっ飛んで消えた。海側に落っこちたらしい。瀧川と辻が悲鳴を上げて助け出してたけど、弁財天はしれっとしている。そんな高さなかったんじゃないかな。笑いながら全部カメラに収めている珠子が、あ、と声を上げた。
「……雨?」
「今日、夜から雨って天気予報で言ってたよ」
「まだ夕方だけど」
「早まったんじゃない?」
「うわわ、強くなってきた」
「あそこで雨宿らせてもらえば」
ぽつぽつ、しとしと、ざあざあ、とあっという間に強くなった雨足に、軒下で雨宿りする。9人もいるから狭い。なんとかして帰らないと、なんだって自転車で来ちゃったんだ、と後半組は頭を抱えている。私は折りたたみ傘持ってるけど、珠子は持ってないらしい。そもそも雨降るなんて聞いてないよー!って言ってるし。あと他に折りたたみ傘を持ってるのは、灯と弁財天と仲有。辻が真っ先に弁財天の腕をひったくって、ここ一緒に帰りますので!と宣言した。ずるいずるいって非難轟々だけど。
「当也、家までチャリ乗せてあげるから、傘後ろからさして」
「いいよ」
「朔太郎のチャリ壊れてんぞ当也!俺乗せてやるから!」
「だめだよ!当也!さくちゃんを信じて!大好きだから!」
「……瀧川家どこ」
「えーっと、公園の方」
「瀧川んち、うちの方から真逆だよな」
「じゃあ朔太郎の自転車に乗っていく」
「あー!」
「いえーい!」
「航介が余計なこと言うから!」
「事実だろ」
辻と弁財天が二人乗りして帰ってった。弁財天は器用なので、上手く二人ともそれほど濡れないように傘をさしている。がたがたの自転車だけど、歩くよりは早そうだ。
都築と江野浦が二人乗りしてきた自転車は、都築のものらしい。ああいう風にしたら早いね、二人乗りする代わりに傘持ってる人後ろからさしてくれたら嬉しいな、って都築が言って、珠子が灯を後ろから突き飛ばしたので、そこがペアになった。真っ赤っか。順当な組み合わせだと思う、仲有は珠子と帰りたいはずだし。
「じゃあ、真希ちゃん帰ろ。入ーれてっ」
「えっ」
「ええっ!?」
私より大きい声を上げた仲有が、江野浦と二人なんて死んじゃう!怖い!無理!と騒ぎ出したので、珠子は不満げな顔になった。すっかり忘れ去られていた瀧川が、俺は誰の傘に入ればいいんだよ!と怒っている。
「傘ないんだぞ!」
「ほんとにないの?瀧川くん、鞄ちゃんと探してみて」
「ないって!女子と相合傘するために、そうやって都合よく俺の傘、……」
「……………」
「……………」
「……あったの?」
「……………」
「あったんだね」
「……………」
「さようなら、瀧川くん」
自転車を引きながらとぼとぼ帰って行った。傘あったんだ。あんなに大見得切ったのに。お見送りにひらひら手を振っていた珠子がこっちに向き直って、残っているメンバーを見て、ふんす、と溜息をついた。傘を持っているのは私と仲有、持ってないのが珠子と江野浦。仲有が江野浦と二人きりは無理だと拒否ってしまった以上、組み合わせが決定したも同然である。珠子的には、仲有と帰るのは気にくわないみたい。でもまあ、しょうがないよね。
「た、たまちゃん、濡れちゃうよ」
「じゃあもっとくっついてよお」
「くっつく!?俺が!?たまちゃんに!?」
仲有と珠子は家が同じ方向だけれど、私は江野浦の家を知らない。聞いてみたけど、途中までしか同じじゃないみたい。でもこの雨の中を傘ささずに帰れっていうのも腑に落ちなくて、そこで出た折衷案が、ここからどちらかと言うと近いうちに先に行って、家に着いた時点で私は傘を必要としなくなるので、そのまま江野浦はこの折りたたみ傘を使って帰ればいいのではないか、というところだった。家に帰れば、大きい傘もあるし、雨が強くなってきたらそっちを貸してもいい。そういうことに話し合って決めて、じゃあ行こうとなった頃には仲有と珠子はとっくにいなかった。置いていかないでよ。
「ん」
「……………」
「……江野浦が持って、傘」
「なんで」
「頭にぶつかってるから」
「……おー」
私が濡れないように傘をさされて、あっちの肩がびしょびしょなのなんて分かってるけど、何も言えなかった。もっとくっついて、って珠子は簡単に言ってたけど、おいそれと出来るもんじゃない。鞄を前に抱いて、歩調を合わせて進む。ざあっと吹き抜けた風に細い軸の折りたたみ傘は呆気なく撓んで、二人で立ち止まった。急に荒れてきちゃったね、とか、降るって分かってたなら大きい傘持ってきたらよかったね、とか、なんか、言えそうなことはたくさんあるんだけど、どれを言っても正解にならない気がして、黙り込む。なにか、三文字ぐらいで、話し出せるきっかけになる言葉はないだろうか。
「あのさ」
口火を切ったのは江野浦だった。何か話したかった内容があったわけでもなく、少し言葉に詰まって、それでも当たり障りのない単語を並べて、雨が降っちゃって残念だとか、珠子が集めるって言い切るとメンバーが大体今日と同じになるとか、思ってたより寒いとか、そんな話をつらつら。無言より遥かに良い。実は前にも2人で帰り道を辿ったことがあって、その時もちょうど雨が降っていて、けど一人一つずつ傘は持っていた。恐らく、その時私達が二人で帰っていたこと、もとい江野浦が私を家まで送ったことは、誰も知らない。珠子だって知らない。細かなバックグラウンドは忘れてしまったけれど、確か私は図書室で勉強していて、江野浦は部活の助っ人か何かをやっていて、本当にばったり、偶然、昇降口で会ったのだ。ざあざあ雨が降っていて、お互い道なんかばらばらだと思っていたから、挨拶程度でそれぞれに歩き出した。けれど、少しだけ差をつけて後から出て来たはずの江野浦が思ってたよりも歩くの早かったり、足場の悪い細道で車とすれ違うのに立ち止まったり、強い風が吹いて私の傘が吹き飛ばされかけたり、そんなこんなしているうちに、二人で帰ることになったわけで。会話なんて、あってないようなものだった。本当に成り行きで、分かれ道のはずの曲がり角で「もうすぐなら送っていくから」と当たり前のように言ってのけた江野浦がついてくるから、私は先導せざるを得なかったのだ。辺りは真っ暗で、雨だって酷くて、天気は荒れる一方で、きっと江野浦からしたら当然の感覚として、私を心配してくれたのだと思う。けれどその時の私は、それに妙な特別感を抱いてしまったのだ。今更、それを思い出したところで、なにが変わるわけじゃないけど。
「……羽柴」
三文字だ、とぼんやり思った。あの時よりも近い声。暖かくて優しくて、太陽みたいな存在感は、珠子に似ていると思う。似ているだけで一緒ではないし、似ているからといって同じように扱えるわけでもない。極論突き詰めれば、私の中で勝手に同じ括りとして当てはめているだけで、大きくかけ離れているところの方が多いぐらいだ。けれど、似ていると思う。
当たり障りのない話の途中で、さみしいか、と聞かれた。その言葉は、高校を卒業したら私が家を出て、もっと言うならこの町を出て、少し遠くの大学に進むことを、江野浦が知っていたから、問いかけたのかもしれなかった。けれど私は、中途半端にしか話を聞いていなかったから、今この時間が終わることに対しての言葉なのか、それともこの関係が切れることに対しての言葉なのか、やっぱり私の個人的な感情のことなのか、上手く判断がつかなくて、特に考えもせず、あー、って返事をした。言うに事欠いて、あー、って。我ながらもうちょっとなんかないのかよ、羽柴真希。あー、だけって、そりゃないよ。江野浦は特に私の返事には何も反応せず、ふうん、ぐらいだった。それもそれでどうなんだ。もうちょっと突っ込んでくれたら、どうにかなるのに。どうにかっていうのが、どういうことなのかは自分だって分からないけれど、とにかく何かが転がりだしそうなのに。
「ここ」
「……そうか」
「……びしょびしょじゃない」
「そうでもない」
嘘つき。濡れそぼった肩は、きっとワイシャツまでぐしょぐしょにしてしまっている。私の視線から隠すように体を背けて、じゃあこれ借りるから、と弱々しい折りたたみ傘を持ったまま行ってしまおうとする江野浦の服の裾を、やっと辿り着いた軒下から咄嗟に飛び出して、掴んだ。1秒だけ、たったそれだけ、傘も屋根もない隙間を通り抜けただけで、私の髪と頰に水滴がついて、江野浦が申し訳なさそうな顔でそれを払った。私が勝手に飛び出して来たのに、どうしてそんな顔が出来るかな。そんなこと聞けないけど、何も言わずに裾を握ってるわけにもいかない。三文字。三文字でいい。なにか、言葉を探さなくっちゃ。
「待って」
「……なんで?」
「傘、大きいの、持ってくるから。それじゃ壊れたら困るし、濡れるし、あと」
あと、あとは、と言葉に詰まった。けどこのまま、ゆらゆら撓む折りたたみ傘で風に吹かれて今よりもっとずぶ濡れになりながら家に帰ったら、きっと風邪を引いてしまうから。そう言うことが言いたかった。私をバックさせて、玄関先の軒下に戻した江野浦が、じゃあ待ってる、と傘を閉じた。折りたたみ傘を返されて、玄関の鍵を開ける。お父さんの傘なら壊れやしないだろう、と渡せば、さっきまで持っていた吹けば飛びそうな傘よりもしっかりした手元に、うん、と一つ頷いた。
「ありがとな」
「……うん」
「じゃあ、明日返すから」
あれなら、濡れないだろう。ぱん、と傘を開いて歩いて行った江野浦は、振り返りもしなかった。私は、その背中が見えなくなるまで、家の中には入れなかった。探していた三文字が、見つからなかったことだけが、蟠ってぼんやりと残ったけれど、だからどうということもなく。

「真希ちゃあん、昨日大丈夫だった?」
「うん」
あたしは仲有のお母さんが車で迎えに来てくれたの、だから無事だった、とガッツポーズをしている珠子に、その手があったな、と思った。迎えにきてもらえばよかった。


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