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おはなし



貴方がいなくなって、何年が経ったでしょう。数える度に泣いていたあの頃を思い出すと、懐かしく思います。今だって、さみしいけれど、その思いがなくなることはないけれど、それでも前を向けるようになったのですから、褒めて欲しいくらいです。それは俊一さんや友梨音のおかげ、と言ったら貴方は拗ねそうですね。俺がいなくなってからそんなにいろんな人と仲良くなって、ってそっぽを向く顔が思い浮かびます。
貴方と私の可愛い息子は、今年20歳になります。制服を着るのも、堅苦しくて嫌だ、と不貞腐れていたあの子が、いつの間にかスーツを着こなすようになって、一人前に大人として話をするのです。いつ見てもちょっとだけネクタイが曲がっているところが、貴方にそっくり。いってらっしゃいの度に、貴方の背中を思い出します。あの子を見ていると、貴方のことを思い出してばかり。似ているところがたくさんありすぎて、重ねずにはいられないのは、きっと朔太郎には重荷になっているのだろうけれど、それでもあの子はなにも言いません。でも、「俺とお父さんってそんなに似てるの?」と一度だけ聞かれたことがありました。ちょっと呆れたような、苦笑いみたいな顔で。そういうところがそっくり、と教えると、不思議そうな顔をしていました。歳を追うごとに貴方と朔太郎が似ていくことが、私は嬉しくて、少しだけ切なくて、たまらないのです。
貴方のことだからきっと、お空にいくら呼ばれても、未練がましく私達の周りをうろうろしているんでしょう。朔太郎がまだ小学校にも上がっていなかった時、空中を見つめてふらふら手を振っていたこと、忘れませんからね。いつまでもお化けでいないで、早く成仏しなさい。幸恵はそれが心配です。
朔太郎は沢山の素敵なお友達に恵まれました。対等に喧嘩ができる、何にも隠さずにいられる友達。あの子にとっては、それが最も必要だったのでしょう。大人しくて引っ込み思案で、私の後ろをいつもついてきて、背中に隠れてはすぐ涙ぐむ、小学生までの幼い頃が、嘘みたい。貴方も、あの子の成長が隣で見られたら良かったのに。今更こんなことを言うのもなんだけれど、貴方がいてくれたらそれはそれで、朔太郎は違う成長を遂げていたかもしれませんよ。どうしてこう、中途半端なところでいなくなっちゃったのかしら。まったくもう。
例えば、貴方がいなくならなかったとして。未練があってそう言いたいわけではなくて、本当に裏のないただの「例えば」。あの日、私と貴方の最後の会話は、何の変哲も無い行ってらっしゃいと行って来ますだったけれど、もしもその先があったとしたら。今も貴方が朔太郎の隣にいることができたなら。そうしたらきっと、朔太郎が中学校に入学する時、お引越しをする必要もなかったでしょう。あの素敵なお友達にも、会うことはなかったのでしょう。いつだって家族が三人揃っていて、それはそれで幸せだったのかもしれないけれど、朔太郎はいつまでも、泣き虫で甘えたで、人の背中から出られない子だったかもしれません。だって、甘える相手がいるんだもの。貴方という、受け入れてくれる相手がいたら、きっと朔太郎はあんなにしっかりしなかったんじゃないかなって、私は思うの。貴方がいなくて、私にも頼れなくて、一人で抱え込んでしまったとしても、それを発散できる相手を自分で見つけたから、あの子は今も笑っていられるんじゃないかしら、って、思うの。
あの時あの日、まだ幼かったあの子の未来を、背筋を伸ばしてみんなを守ろうとするあの子の今を、貴方は守ってくれたのよね。最近になって、ようやくそう思えるようになりました。貴方がいなくなることは、朔太郎の未来を、一番あの子が幸せになれる道を築くために、きっと必要なことだったんでしょう?だから、私、あの子が高校生になったくらいから、もう泣いてませんから。高校生になるまで泣いてたのかって、貴方は笑うでしょうね。もしも反対の立場だったら、きっと毎晩泣くわよ。飽きもせず、さちえちゃん、さちえちゃん、って泣く貴方の姿が手に取るようです。まるで貴方が生きてるみたい。そんなことしないって、悔しく思うなら、会いに来てみなさいな。そう思えるぐらいには、幸恵は立ち直っていますよ。
貴方に伝えていないことがまだたくさんあります。だから、幸太郎さん、また来るね。


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