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おはなし



くっ付いてる世界線
28歳とかぐらい





6年で、身体中全部が、書き換わるんだって。
なんの話の流れだったか、同僚はそう切り出した。よくよく話を聞いてみれば、人間の体は毎分毎秒少しずつ新しく作り変えられていて、古いものはどんどん劣化して捨てられていくのだけれど、爪の先から髪の毛一本一本、果ては内臓の細胞まで、全部全部が書き換わるのには、およそ6年の歳月を要するらしい。簡単に言えば、6年間マシュマロだけ食べて生きていたとしたら、その人は全身くまなく隅から隅までマシュマロによって作られていることになる。まあそんなことはあり得ないのだけれど、もっと分かりやすく身近に例えるならば、恋人と6年間同居生活を送っていたとして、その間毎日恋人の作った食事を食べて生活をしていれば、その人の身体は恋人の作った食事で作られているということになる、と。お判り?と首から下げた社員証をロッカーに掛けながらこっちを見た同僚に、頷いた。けど、首を傾げた。意味は分かるけど、なんでその話を俺にするのかは分からない。
「有馬、今の人と大学出てからすぐ同居始めたんでしょ?」
「うん」
「その話聞いた時に、お前の顔が浮かんだんだよね。あー、あいつはもう恋人の手料理で身体が出来てるんだなあ、って」
「……おー」
「納得?」
「納得」
そんなに長いこと付き合ってて同棲までしてるのに、結婚しないの?と不意にこの同僚に聞かれたのはしばらく前のことだった。俺はそれにどう答えていいか分からなくて、というかいつもそういう質問の返し方が分からなくて、その時も下手くそに誤魔化した。付き合ってる相手は男です、って正直に言えたら良かったんだけど、そうもいかないわけで。でも誤魔化した俺の態度を受け取るのは相手の自由で、まさか芸能人なのでは?なんて噂が流れたこともあったし、年の差がめちゃくちゃあるとか、相手が箱入り娘のお嬢様とか、大概あっち側が色々予想をしてくれた。俺はそれに合わせて笑ってれば大体の場合なんとかなって、恋人が男だなんて思い至る奴はいなくて、でもこいつはなんとなく、気づいてそうだなあ、って感じがした。だって、弁当にタイプが似てる。物静かで、頭が良くて、下手な口出しをしない。見た目とかじゃなくて中身が似ているのだ。別人だけれど、弁当に少しだけ似てるこの同僚の隣は、居心地がいい。こういうタイプが好きなのかなあ、と我ながら思う。
定時出社、とは行かないけど、それなりに余裕がある時間に仕事を終わらせることができるようになった。社会人も6年目だ。すっかり見慣れたエレベーターに乗り込むと、下まで一緒の同僚が、また口を開いた。
「こないだ手作りのお弁当だったじゃん」
「マジでめっちゃうまいから、うちの飯」
「そんなら家に招けって何回言わすんだよ」
「それはだめ」
「知ってます」
「ゔ、さむ」
「寒いなー」
会社の出入り口の自動ドアが開いて、びゅうって冷気が吹き込んできた。ぱたぱたと同僚のマフラーが揺れて、もうそんな季節か、と思う。そういえば弁当、コート出してた。じゃあな、と俺とは反対側のバス停の方へ歩いて言った背中を見送って、肩をすくめる。寒いとか、あんまり感じたことなかったんだけど、弁当の寒がりが移ったみたいだ。
6年。もうとっくに通り過ぎてしまっている。記念日的なことをぱーっとお祝いするのも最近あんまりしてないなあ、と思い返しながら電車に乗り込んで揺られる。弁当がまめだから、イベントごとに合わせて夕飯がちょっといつもより豪華になったり、それに合わせて俺も酒とかケーキとか買ってきたり、そういうことはするんだけど。例えば、クリスマスとか、年越し前後とか、バレンタインデーとか、世間的なイベント。それはいまいち、二人の記念日っていうかなんていうか、って感じだけど。電車の吊り広告にでかでかと印刷された、きらびやかなクリスマスツリーに、まだあと一月ちょっとあるのに、と思わなくもない。俺たちが付き合いだしたのは、寒い時期だったっけ。俺が転がり込むみたいに一緒に住みはじめたのは、大学卒業するちょっと前くらい。毎日通ってたけど、合鍵もらって、嬉しくなって、泊まり込みが増えて、それに伴って弁当の家に俺の荷物が少しずつ増えて、働きだしてから家賃その他を分配するようになった。左手の薬指に嵌めたお揃いの指輪を見下ろして、ちょっと考える。弁当に会いたくなった。久しぶりに思いっきり、喜ばせてあげたくなった。
駅名のアナウンスに、いつもより少し早く、電車を降りることにした。ちょっとだけ、寄り道しよう。

「たーだいまー」
おかえり、が聞こえないことをちょっと不思議に思いながら、靴を脱ぐ。まだ帰ってきてないのかな。いつも同じくらいか、弁当のが少し早いくらいなのに。
片手にぶら下げていたケーキの箱を冷蔵庫にしまって、綺麗に片付いた台所に、まだご飯の準備もされてないことを知る。冷蔵庫を見たところで今晩の夜ご飯が何かなんて分からない。けど、作り置きがないってことは、帰ってきてから料理するつもりなんだろうな。俺のが早かったし、今日は俺がやるのはどうだろう。この6年間で、俺の身体は弁当の料理で作られたのかもしれないけど、御返しに作ってあげたことなんてほとんどないから、ていうか台所にあんまり立たせてもらえないから、弁当の身体は俺の手がかかったものでは作られていないってことだ。それはなんか、ちょっと、二人の間にズレがあるみたいで、さみしい。
スーツを脱いで部屋着に着替える。弁当がいつも使ってるエプロンを身につけると、料理が出来る気になってきたから、不思議だ。使い込んであるエプロンの紐を蝶々結びしながら、冷蔵庫の中身と、弁当がよくメモしてるノートを見比べる。冷蔵庫の横にぶら下がってる小さいノートは、一人暮らししてた時にはこっそり隠されてた、弁当による弁当のためのレシピ本なのである。ノートの存在が発覚してからしばらくの間、見して見してってしつこくしたら、じゃあここに掛けとくから、って移動してくれたんだ。テレビでやってるもので食べたいものがあったらここにメモしておいてくれたら作ってみてあげる、とも言われた。だから、俺の字も混ざってる。俺がとった雑なメモに、弁当が作ってみて気づいたことが横から書き込まれてるのには、今気づいた。俺が好きなメニューには花丸がついてるのは、実は知ってた。本人には言ってないけど。
あんまり手の込んだものは作れない。慣れない包丁さばきで、下手くそに肉とか野菜とかを切っていく。危なっかしくと見てられないから、って理由で弁当にこの場所を奪われることが多いけど、俺だって別に出来ないわけじゃないんだぞ。まあ、形は悪いけど。
「……ただいま……?」
「おー、おかえり」
かたん、と鍵の回る音がして、弁当が帰ってきた。台所から顔を出した俺に、ぽかんとしている。寒さで赤くなった頰と鼻がかわいい。おざおずと台所を覗かれて、なーんだ、と切り途中だった材料を見せれば、小声で返された。
「……クリームシチュー……」
「あったりー」
「ごめん、遅くなって、採点長引いて、いつもの時間に帰れなくて」
「ううん。今日は俺がしたくてしてるの。弁当は着替えて、座って、あったかいもん飲む?」
「あ、え、あっ、ちょっと」
昔よりちょっと伸びた襟足をくるくるしながら背中を押して台所から追い出すと、わああ、って平坦に戸惑いながらされるがままに追い出された。せっかくならケーキ、サプライズにできたらいいかなって、今思いついた。そのためには冷蔵庫に近づけちゃいけない。部屋着に着替えて、もこもこスリッパを履いて出てきた弁当を、ソファーに座らせる。あったかい飲み物なにがいいか分かんなかったから、自分がよく飲むホットココアを渡せば、ちょっと笑われた。弁当だって甘いの好きなくせに。
「ねえ、手伝おうか」
「いい、俺がやるって」
「でも」
「座ってテレビでも見ててくださあい」
「……それはちょっと」
「いいから!ほら!」
「だって」
「抵抗しない!おら!」
「あいたたた」
のそのそ台所の中に入ってきた弁当を、包丁を置いて押し退ければ、肉の手でそうやってすんのやめて!って言われた。俺がやるって言ってるのに無視して入ってくる人が悪いんじゃないか、と反論すれば、むくれた顔。力任せに言い負かした感じもするけど、弁当的に俺の方が正しいらしい。ちょっと嬉しい。
コンロとシンクを行ったり来たり、包丁を持ったり置いたり持ち替えたり、そんなこんなしてる内に出来上がりが見えてきた。弁当も、台所に入ることは諦めて、俺に持たされたマグカップを片手に、ソファーに埋もれている。テレビは付いているけれど、こっちが気になっているのはばればれだ。流れているのはバラエティ番組で、最近よく見るお笑い芸人さんとゲストの俳優さんが美味しそうなお蕎麦を食べている。あ、ここ、行ったことあるお店じゃん。大学生だった時、弁当と一緒にお参りに行ったところの近く。そうテレビを指差して言えば、こっちばっかり見てた弁当が液晶の方を振り向いて、ほんとだ、と懐かしそうに漏らした。
「何度か行ったよな」
「うん。有馬が彼女欲しいって願掛けして、自分でも覚えてる?」
「……お守りも買った」
「そう」
「パンみたいなの食べたりしたっけ」
「したね」
あの時の御守りが今効果を発揮しているのだろうか。彼女じゃないけど、縁結びには変わりはないわけだし。いつものお皿にシチューをよそってテーブルへ運べば、いい匂いだー、と嬉しそうに寄ってきた。弁当が作ってくれるやつみたいにはやっぱり上手くいかないけれど、でもまあ、それなり。二人分の食事はテーブルの上をいっぱいにするほどの量はなくて、それこそ6年前だったらこのテーブルから溢れんばかりの量を食べないと足りなかったんだけど、俺も大人になったわけだ。ちなみに弁当が食う量はあんまり変わってない。
「おいしい」
「……ほんと?」
「うん。おいしいよ」
「ふうん」
「……ふうん?」
俺の噛み合わない返事に首を傾げた弁当が、不思議そうな顔のままスプーンを咥えた。いいんです、ほっといてください。
シチューを空っぽにして、二人で洗い物もして、机の上はまっさらになった。さっきのテレビ番組は終わって、いつの間にか歌番組に変わっている。弁当がずっと見てるドラマの主題歌が流れていて、なんとなくそれを眺める。ドラマの登場人物が順繰りにダンスする、アップテンポなその曲のCDが、こっそりラックに隠れていることを俺は知っている。弁当が買って来たのだ。気に入ってんじゃん、隠さなくてもいいのに、って思ったけど、今までの経験上そういう時に下手に突っつくと、すぐ拗ねて知らんぷりをするのだ。理由はよく分かんないけど、詳しくないふりとか、好きじゃないふりをするのが、弁当は好きらしい。
眠そうに欠伸をした弁当に、ケーキの存在を思い出した。冷蔵庫をがたがたやりだした俺に、ご飯ならもう冷凍庫にもないよ、とソファー越しに弁当が言う。そうじゃなくて。
「じゃーん」
「……え、っなに、どうしたの」
「これ、弁当が好きなとこのケーキで合ってるっけ」
「うん、うん、それは、そうなんだけど」
「食べよっか」
「……うん……」
ぽかん、って感じ。喜びよりびっくりが勝っているらしい弁当の目は、俺が持って来たケーキの箱に釘付け。開けて中を見せれば、ふわー、って気の抜けた溜息混じりの声が上がった。時間的にあんまりケーキの数が残っていなくて、しかも俺はよく分かんなかったから、いくつかの種類を買い揃えてみたのだ。ショートケーキとか、レアチーズとかは、食べたことあるから知ってるけど、オペラとか、サンマルクとか、フロマージュとか、そういうのは食べてみてからどんな味がするかお楽しみってことで。弁当なら知ってるかもしれないし。
「え……えっ、有馬これ、どうしたの……買って来たの?」
「うん。どれがいい?」
「ど、っどれって、先に選びなよ、買って来てくれたんだから」
「じゃあこれ。あと弁当食べて」
「へっ」
「一口ちょうだい」
「……うん」
俺が選んだのはレアチーズケーキで、弁当が最初にフォークを刺したのは、チョコケーキみたいなやつだった。なんて名前だったっけ。一口くれたけど、上のクリームがぱりぱりに焼いてあっておいしい。明日まで持つかな、どれがいいか分かんなかったから結構いっぱい買って来ちゃった。
一つ目をぺろっと食べきった弁当が、ほんとに食べちゃっていいの?と箱をこっちに差し出して来たので、一口くれればいいよ、と口を開ける。次のやつは、コーヒーの味がした。あんまり側から見たら分からない嬉しそうな顔で二つ目も食べ始めた弁当が、ふと気付いたように顔を上げた。
「……なんでケーキ?」
「なんとなく」
「記念日?」
「なんかあったっけ」
「……思いつかないけど」
「なんとなくだよ」
「……………」
「……なんとなくだってば」
「……………」
信じてませんって顔をされたので、変に疑われても嫌だし、全部話すことにした。6年間で作り変わる体のこととか、遡って思い出したら会いたくなったこととか、全部。こくこく頷きながら聞いていた弁当は、最後まで一生懸命に聞いてくれたけれど、我ながらその話とこのケーキは関係ないよなあ、と今更思った。おいしいけど。
「そうなんだ」
「そういうわけです」
「……美味しかった」
「ありがとうございます」
「なんで敬語なの」
「いや……なんか……」
改まって恥ずかしくなったというか、なんというか。それを言うのもどうにも恥ずかしいんだけど、弁当にそれは伝わらないらしい。きょとんとしている。くそお。
のろのろとケーキを食べてる弁当を眺めたり、それに気づかれてあっち向いててって叱られたりしてる内に、歌番組も終わってしまった。一度は名前を聞いたことある、ここからなら電車で行けるテーマパークの宣伝で、クリスマスまであと少し、イルミネーションがどうたらこうたら、なんて大々的にやるもんだから、それを弁当がまじまじと見てるもんだから、ぽろっと言ってしまった。
「行く?」
「えっ」
「……嫌?」
「い、行く」
「そっか、よかった」
「……今日は良い日だ」
「そう?ケーキそんな美味かったの?」
「うん……」
そういえば、そういうあからさまにデートっぽいことしたこと、あんまりないな。それに気付いたのは、弁当がそわそわしながら服をハンガーにかけているのを見た時だった。


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