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おはなし



真希ちゃんと、喧嘩した。
原因が何だったかっていうと、ほんとにそれは些細なことで、真希ちゃんから返ってきたメールがそっけなかったとか、あたしはこんなに嬉しかったのに分かってもらえなかったとか、そんなの分かるわけないじゃないってちょっと面倒くさそうに呆れた真希ちゃんの顔にあたしはすごく傷ついたとか、そんなもので。あたしだって真希ちゃんに怒りたかったわけじゃなかった。真希ちゃんだって、あたしが拗ねた理由をすぐに察することができないわけじゃなかったと思う。でも、彼女は残念なことにとても気の回る子で、あたしがふて腐れた理由なんかすぐ勘付いてしまったのだ。そして、それはすごくタイミングの悪かったことに、真希ちゃんもあんまり機嫌が良くなかった。だから普段だったら真希ちゃんが我慢している言葉が、ストレートで刺さってしまったのだ。そりゃもうすっげえストレートに、内蔵抉られるぐらいぶっ刺さった。「なに、それ。どうでもいい」。言ってしまった後にはっとした彼女は、何かを喉に詰まらせたみたいな顔して、けどそれ以上なにか重ねて言われることにあたしの方が耐えきれなくって、その場から走って逃げた。靴脱げるかと思ったくらいの速さで、息切れしてるのなんか忘れながら、勢い余って家なんか通りすぎて、夏休みくらいにみんなで遊びに来た海っぺりまで逃げた。
「……まきちゃんのばか……」
幸いなことに先客はいなくて、というかそこには人っ子一人いなくて、薄ら暗くて、普段のあたしだったら近寄りたくない感じだった。でも今のあたしはそんなものにビビってられるような精神をしていなくて、それどころかざっぱんざっぱん打ち寄せる波にすらブチ切れたいくらい荒んでいた。うるせえんだよ、波!海だからって偉いと思ってんのか!って言いたかった。我が物顔で地球の面積大きめに占めやがって、何様のつもりなんだよ!この野郎が!わああ!なりふり構わず叫びたいままにそう叫んだら、もやもやの欠片が口から飛び出した気がした。まるで白雪姫の毒林檎だ。
突っ立ってたって目から上しか出ない。ちくしょう、馬鹿にしやがって、と岸壁の上によじ登って膝を抱える。そこにはうっかり一歩間違えたら海に落っこちてしまいそうな危なっかしさがあって、それは案外悪い気分じゃなくて。ここにいない彼女に向かって、ばか、あほ、めがね、委員長、頭いいからってこの野郎、冷たい女、なんたらかんたらと吐き捨てまくった。けど言葉を口に出すたびに、あたしの中で色んなものが死んでく気がして、真希ちゃんにそんなこと言うなんて、って自分が許せない自分も確かに存在した。馬鹿はどっちだ。
「……しにたい」
にゃおん、とあたしの横で白い猫が鳴いた。お前さんったらそんなこと言うもんじゃありませんよ、と窘められた気分だった。そうだね、こういうことは言うもんじゃない。
あったかい猫をぼんやり撫でながらポケットを探って、ちっちゃいくせに大容量の音楽プレーヤーを引っ張り出す。再生ボタンを押したらちょうどぴったり、真希ちゃんの好きなぱふゅーむだった。なんだよ、三年来の付き合いのお前まで真希ちゃんを思い出させるのかよ。じゃにーずとか流しておくれよ、テンション上げなきゃ帰れないよ。でも早送りのボタンを押す気にはなれずに、そのまま流れ出したのは恋愛の歌だった。これくらいのかんじで、いつまでもいたいよね。サビの言葉がふわふわとあたしを素通りする。どれぐらいのじかんを、よりそってすごせるの?あたしなんかより余程泣き虫な彼女は、今頃何をしているだろう。これくらいのかんじで、いつまでもいたいよね。変わらない関係性なんてないって分かってるのに。わからないことだらけ、でもあんしんできるの。安心はできない。安心なんてできない。だって私がこうしてる今でさえも、強がりな泣き虫の彼女は、いったいどうしているだろう。おい猫、お前を撫でてる場合じゃなかったよ。
にゃおん、猫がまた鳴いた。やっと分かったかい、と言われているようだった。うん、ごめんね、構ってくれてありがとう。あたしには君がいてくれたけれど、真希ちゃんはきっとまだ一人だ。早く行かなきゃならない。
次に流れ出したのはちゃっともんちーだった。しばらく膝に顔を埋めて聞いていたけれど、行け!行け!あたしの両足!なんて言葉に背中を押されるように立ち上がる。ぐらあ、とバランスを崩して海に落ちかけたけれど、なんとか海老反って、そのまま転げるように岸壁から降りる。真希ちゃんはまだ学校にいるだろうか。家に帰ってしまっただろうか。謝らないと。もういいよって言われても、あたしの気が済むまで謝らないと。耳からイヤホンをすっぽ抜くと、ざっぱんざっぱん打ち付ける波の音がうるさかった。よし!許す!偉そうに地球上の表面積のほとんどを占めていることも許す!さっき切れた手前、一応弁解として叫んだら、ぴゃっと猫が逃げた。置いていくなんてひどい。
「うわ」
「っぎゃあ!あっごめ、ごめんね、ちが、別にすとっ、ストーカーしてたとかそういうわけしゃっ」
こっちだって仲有にストーカー出来るだけの度胸があるとは思っていない。ストーカー、っていう単語に詰まるくらいなんだから。
息急き切って海っぺりから道路沿いに出たあたしに驚いて自転車ごと飛び退いた仲有は、あたしの五倍ぐらい慌てながらわさわさ手を動かしている。いつからいたか分かんないけど、寒さで鼻と耳が真っ赤になってる辺り最初からいたのかもしれないけれど、声を掛けて妨害しなかったことは褒めてやろう。声なんて掛けられなかった、が正解かもしれないけど。違うんだよたまちゃん、俺別に覗いてたわけじゃなくってたまたま通りかかったらたまちゃんの声がしてなにしてんのかなって思って見てたらこっちに急に来たからびっくりしただけなんだよ、だから学校飛び出してったの見て心配して追っかけてきたなんてことはないんだよ、ほんとなんだよ信じてよお、とつらつら弁解してる内に涙目になってる仲有の首根っこを引っ掴んで立たせて、自転車に跨らせた。言い訳なら真希ちゃんに気が済むまで謝った後でしこたま聞いてやるから、今はあたしを乗せて走れ。
「いけえ仲有!車輪の唄だ!」
「えっえっ」
「ばんぷだー!」
「わああ」

珠子と喧嘩した。まきちゃんのばかあ!なんて捨て台詞を吐いて放課後の教室を飛び出して行ってしまった彼女を、追いかけることもできずに、時間だけが過ぎる。素っ気なくしたことを謝らなくちゃならないってことも、あの子はただ共感して欲しかっただけだってことも、分かってる。それでも頭の中を回るのは『どうしよう』ばかりで、まるでその五文字に前後左右を阻まれたかのように動けなくなった。教室の中に一人ぼっちで座ってたら、なんにも知らない灯がふらっとやってきて、人がいることに気づき俯きがちな顔を上げ、染め上げた髪を後ろに流した彼女が、ぎょっと目を剥いた。
「なに、っあんた、なに、どっか痛いの」
「……は?」
「目!」
め、と鸚鵡返しにして自分の目元に手を伸ばせば、ぐちゃぐちゃに濡れていた。なんだこれ、と指を離すと、別にそれは赤かったり青かったりするわけではなく、要するに無色透明の涙というわけで。どうやら泣いているらしい、と判断した私は、驚かせて申し訳ないことと、特に何でもないから構わないで欲しいことを、灯に伝えて教室を出た。灯はぽかんとしていたけれど、私を追いかけてくることも無く、そのまま教室に置き去りになってしまった。少し心が痛んだけれど、少しだったので、私って冷たい奴なんだなあ、と改めて思う。これじゃそりゃあ珠子も呆れて見捨てるかな、なんて。
どこかに逃げ込みたくて、候補を探す。保健室は、先生に心配かけたら迷惑だから駄目。教室は、案外人が来るから駄目。校庭も体育館も同じく。校舎の裏とかはどうだろう、と思ったものの、部活で外周してる人たちに見られてしまうから駄目だ。どこにしようか。一人になれる場所って、案外ないもんだ。例えば図工室とか調理室なんかは、と思って足を向けてみたけれど、鍵がかかっていた。そうだ、特別教室は使ってない時には閉まってるんだった。ああ、これで、行き場が無くなっちゃったな。なんかもうどうでも良くなってきて、人通りが少ないところならいいか、と思えるくらい。ふらふらと学校内を彷徨って、生徒に人気のない場所へとどんどん足を向けて、ようやっと辿り着いたそこでぺたりと腰を下ろす。小さくなって、膝を抱え込んで、体操座りをした。
「……つかれたな……」
いつもみんなが使っている中央階段の一階に、自動販売機コーナーがある。そこはしょっちゅう人がいる溜まり場で、さっきだってダンス部の子たちが楽しそうに話してた。その子たちは知らないかもしれないけど、ほとんど誰も使わない渡り廊下の突き当たりに、西階段、という一階と二階だけを繋ぐ短い連絡階段がある。西階段の一階にも、古びた自動販売機があって、もう今は使われていない下駄箱もある。西階段も昔は出入り口として使われていたんだろう。今は、窓の鍵すら錆びついて開かないくらいだけれど。私はそこにいた。自動販売機と下駄箱の隙間に、挟まっていた。暗いし狭いし居心地が良いとはお世辞にも言えないけれど、ここだったら絶対誰も来ない。西階段をわざわざ使う人なんかいないし、もし階段を降りて廊下を通ったとしても、私に気づくことはないだろう。これでやっと、一人だ。
珠子がどうして怒ったのかって、あの子が楽しそうに話す内容に私がほんの少し引っかかってしまったからだ。別に大したことじゃない。それはお互い分かってる。けど、女の子同士ってめんどくさくて、というか私が、めんどくさくて。とても典型的な女の子のように見えて、其の実すごくさっぱりと竹を割った性格をしている珠子は、私がちょっと返事を滞らせたり、彼女の求める反応が出来なかったとしても、特に気にしない。私だったらしつこく引き摺るようなことでも、それはそれで良し、と流すことが出来る。まきちゃんはそれでいいんだよ、てゆーかそれが売りだよね!ギャップがかわいい!なんて親指を立てて笑う珠子に何度救われた思いになったか、私はもう覚えていない。私がとれだけめんどくさくてしつこい女か、ってことを、珠子は知っている。だからさっきの喧嘩の発端も、私が悪いのだ。私が上手く返事を出来なくて、気持ちを分かってもらおうと説明を重ねてくれた珠子に対して素っ気ない言葉を投げて、さながらミルフィーユのように失敗が重なった。つい冷たくなってしまう私を許してくれる珠子だって人間で、感情があって、傷つく。その、分かって欲しかった話題が、彼女がずっとこっそり想い続けている幼馴染みの彼についてだったから、尚更。追いかけられないのも弱さだし、そもそも傷つけてしまったことをもっと悔いるべきだ。陽だまりみたいな笑顔の彼女を、私なんかが傷つけて、どうしようもない。どうしたらいいのか、さっぱり分からない。謝りに行くにも、どこまで駆けて行ったかすら分からないし、あの子は足が速いから私じゃ絶対追いつけない。ないないない、無いこと尽くめだ。
外の喧騒が静かになっていく。だんだん夕暮れて行く空を窓越しにぼんやり眺めて、明日っからどうしよう、とまた新たな悩みの種を芽吹かせた。さっき騒いでいたダンス部の子たちも、帰ってしまったんだろうか。この校舎には、もう私しかいないんだろうか。それは少し寂しいな、と膝に顔を埋め直したときだった。
「うるせえな!お前らが人数足んねえっつったんだろ!」
耳馴染みのある大きな声に、体が強張った。嫌だ、今だけは来て欲しくなかったのに。こんなところを見て欲しくはなかったのに。そんなことを考えている間にとっととこの場から逃げ出せばよかったものを、座り込んだまま凍り付いた足は、自販機と下駄箱の隙間から動かないままだ。体育館の方面から、靴の踵をちょっと引き摺るみたいな足音がして、ぶつくさ文句を言う声もして、扉の磨りガラスをふいっと人影が横切った。そうだ、そのままあっちに行ってくれ、頼むから、自販機ならもっと品揃えがいいやつが中央階段にあるしそっちのが昇降口に近いし、お願いだから。
通り過ぎ、たように見せかけて気紛れに戻ってきた人影に、危うく悲鳴を上げかける。最低!お金がかかってない低コストなホラー映画でももうちょっとマシな驚かせ方するでしょう!
「……んっ、ぐ、開かねえ。鍵かかってんのかな」
がたがたがた、と力付くで揺らされる扉に、ほんとお願いだから!と心の中で叫んだ。そこ開かないから、こっちから見れば分かるけど簡易鍵付いてるから、諦めて!あんたががたがたやったら開いちゃうから!心の中で上げた悲痛な叫びは全く届かず、扉の向こう側にいる彼は、なにやってんのお前、と呆れた声の友達に、いやここの自販にあるココアが飲みたい、とクソがつくほど真面目に答えていた。ココアならあっちにもあんだろ!と笑った誰かさんに全力で賛同したけれど、ここのパックのやつのが安いからここがいい、いつもこの扉建て付けが悪いんだ、しばらくやったら開く、と彼はしつこく緩急つけて押し引きしてくる。やめろ!いい加減にしろ!いよいよ髪を乱して頭を抱えた私の気も知らず、からから笑った友達に置いて行かれた彼は、扉を開けてしまう。そういう人なのだ。足を捻った私を見つけた時も。自分が好きな本の持ち主に酷く嬉しそうに話しかけに来た時も。固く閉まっていた扉を、開けてしまう。まるで陽だまりみたいな彼女のように。
「う、おっ」
「……………」
「……羽柴?」
そうだよ、羽柴だよ。
がらら、と開いてしまった扉に、取り敢えずできるだけ小さくなって隙間に潜り込んで見たものの、すぐさま見つかってしまった。当たり前だ。私から見てほぼ正面にある磨りガラスの扉から彼は入ってきたのだから、彼から見ても私は正面にいることになる。
「なにしてんの?」
「……か、かくれんぼ」
「ふうん」
消え入るような声で言った弁明と嘘は、特に受け止められることなく落ちた。興味無いなら聞くなよ、と腹立たしく思う。
裾を捲ったジャージと中途半端な丈に伸びたクラスTシャツに、そっちはなにをしていたんだと問いかける。だって、部活入ってないこと、知ってるし。制服でいないとおかしい時間だって、分かってるし。細々と投げかけた質問でもきちんと受け取って貰えたようで、バスケ部の友達が人数が足りないって言うから練習だけ数合わせに、後輩のなんとかって奴が骨折ったとか言って、そもそも人数少なくてゲームも回せなくて練習になんないって、頼まれて、別にやりたいわけじゃなかったんだけど、でも、それで、やってた、なんて痞えながら答えが返ってくる。お人好し過ぎる、と思ってしまうのは、私の心が荒んでいるからなのか、一般論として受け止めていいのか。そりゃあ、貴方がそれなりに運動できることなんて同じクラスならみんな知ってるし、体力も筋力も同年代で言えばきっと中の上を余裕で越すくらいのレベルには達しているんだろう。けれどそれを、その、体良く使われてる、と思ってしまった。私が汚いのかもしれない、私がいけないんだろうな。
「……寒くねえの」
「平気」
「足とか」
「いい」
「……そうか」
早く何処かに行って欲しかった。一人になりたくて逃げてきたのだ。よりにもよってあんたが来るなんて思わなかったんだよ。卑屈な自分を見せ付けられるみたいで、嫌なんだ。
また膝に顔を埋めて、立ち去るのを待つ。私の隣の自動販売機に、ポケットから出した小銭をちゃりちゃりと入れた彼は、ボタンを押して何かを買った。何を買ったのかは見えないから分からない。きゅ、って靴を鳴らして、取り出し口に落ちたパックを拾った彼は、またちゃりちゃりと小銭を鳴らして、ボタンを押して、何かを取り出して、私の前に置いた。それが分かったのは、かん、って音のせいだった。缶と床が打ち付けられて鳴った音。顔を上げる勇気はなくて目だけそっと上げれば、温かいミルクティーが私の目の前に置かれていた。まるでお供え物のようだ、と思う。宣言通りパックのココアを手に持っている彼は、独り言のようにぼそりと呟いた。
「前に、ペットボトルくれたお礼」
ぷつん、ストローを刺して、大きな手で小さなパックを握って、壁にもたれかかってココアを啜る彼は、特に何を考えているわけでもないのだろう。私を思い遣るとか、かっこつけようとか、そういうんじゃなくて、『あっ、そういえば前に飲み物を貰ったんだった。借りは返した方がいい。ちょうど今寒そうだし、温かい飲み物でも渡そう。』くらいのもの。相手が私である必要はないのだ。ペットボトルを貰ったことがあるから、私に温かいミルクティーをくれただけ。それだけ。
「……どっかいってよお……」
「え、いや……でも飲みながら体育館帰れないし……」
ごもっともだ。体育館では飲食が原則禁止である。そんなこと知ってる。融通の利かない男。どうせ目の前に鎮座ましましているのなら、小粋なお喋りでもしてみせろっていうのに、ぼけーっと黙ったままココアをのろのろ飲むだけ。私が腕と髪の隙間から睨んでいることにも気付かずに、ああ、もう、もう、本当に。

仲有の後ろに揺られながら、はてさて真希ちゃんはどこにいるのだろうか、と首を傾げている時だった。ぽこん、と携帯が鳴って、取り出して画面を見れば、灯ちゃんからだった。なんだろう、もしかして真希ちゃんと一緒にいてくれたのかな?なんて思いつつ開いてみれば、『大変』とだけ端的に書かれたメッセージと、一枚の写真。
「おおお!?どっ、だっ、た、大変だー!っちょ、仲有、なかあり!」
「わあああ揺らさないで!」
「今すぐ学校!早く!はやーく!」

覗く気はなかった。
「……なんでもない。ほっといて」
そう言い残して、隣をすり抜けて教室を出て行ってしまった真希のことが、友達面するわけじゃないけどどうしても気になって、こっそり後をつけた。当て所もなくふらふらしていた彼女が、もそもそと人通りは皆無に近い寂れた自販機の陰に潜り込んだのを、窓ガラスの反射で見ていた。一人になって安心したのか、本人は気づいていなかったみたいだけど、ぽろぽろと泣き続けるのが見ていられなくて、でも立ち去ることもできなくて、西階段に座ってずっと待ってた。泣いていることに気づいていないらしい真希は、涙を手で拭うことすらしなかった。綿菓子みたいに見えるくせに芯が強い珠子と、強がりなくせに引き摺りがちで弱い真希は、外面も中身も正反対で、だから友達やってられんだな、って見てて何回も思った。今だって思ってる。
がたがたと扉が鳴った時には、真希のところに出て行こうかと思った。やめて正解だった。そっと顔を覗かせている部外者に気づかない二人は、ぶっきらぼうなりに、自分の気持ちにすら気づいていないなりに、それなりにそれなりな雰囲気を醸し出していて、柄じゃないけど頭の中で鐘が鳴るような気分だった。絶対真希ちゃんは江野浦くんのこと好きだかんね、と真面目な顔で常々言っている珠子のことを思い出す。信じなくてごめん、これはそうだわ。ずっとそうだと一人言い張っていた彼女に見せてやりたくて、悪い悪いと思いながらとっても申し訳ないことをした。無音カメラで撮った写真を珠子に送って、もう覗くのはやめよう、と思いながら聞き耳をたてる。おい、なんかちょっとくらいは喋れよ!
磨りガラスに罅が入る勢いで飛び込んできた珠子が、『真希ちゃんごめんね!ほんとにごめんね!それでチューした!?』と雰囲気をぶち壊しにすることを、今の彼女と彼とあたしは、知らない。


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