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おはなし


…さくちゃんとこーちゃんと子ども

「うえええええ」
「ああうん、分かった分かった飯な、飯今やるから飯」
「ぶえええええ」
「うーみー、海ー、泣くなー、男の子だろー」
「ふぎゃあああああ」
「あー」
片手で海を抱きながら、洗濯機から洗い上がりの色々を引っ張り出す。干す前に飯やらないと泣き止みそうにないし、一旦カゴにまとめておけばいいか。ここ最近雨が続いてたから洗濯機もう一回回さないとならないくらい溜まってるし、毎日着るものがこのままじゃ追いつかなくなる。ぎゃんぎゃん泣いてる海を揺らしながら、余った片手でまだ洗ってない洗濯物を纏めると、一枚溢れた。空っぽになった洗濯機に一度、手にいっぱいの汚れ物を突っ込んで、白いそれを持ち上げる。朔太郎のシャツか、これこそ毎日着るものだから一番洗わなきゃいけないやつなの、に。
「……あ?」
見つけた一点を訝しむ俺の声に、海がぱたりと泣き止んだ。

「たっだいまあ」
へらへらと帰ってきた朔太郎が、さくちゃんのお帰りだよ海ちゃんおかえりは言わないのかいってまだ喋んないんだったっけわはは、と一人なのにがやがやしながら靴を脱いで入ってきた。おかえり、と低音で呟けば、んまんま言いながら大人しく抱っこされてた海がぺちりと俺の頬を叩いた。落ち着けってことか、そうだな、俺もそう思う。別に叱りたいわけじゃないし、海の今後のためにも話がしたいと思っているだけであって、俺特に怒ってないから。最早癖になりつつある海の片手抱きを両手に直して、朔太郎に向き直る。頰が上がっているのをきちんと確認して、おっけー、超落ち着いてる。海のことを両手で抱いたのは、ついうっかり手を出してしまわないようにだ。怒っちゃいないけど、ほら、我ながら思うに、俺って恐らく他より大分かっとしやすいタイプだし、なにがあるか分かんないし。
ソファーにジャケットをかけた朔太郎が、今日の夜ご飯なに?いい匂いだね、と振り返って、顔を引きつらせた。おいてめえ、どういうことだ、まだ俺なんも言ってねえだろうが。
「ど、どうしたの、顔やばいよ」
「あ?」
「お顔の方がお崩れになっておりますが、どうなさいましたか……」
「元々だ」
「うっわあそういうこと言っちゃう……超怒ってる……」
「怒ってる?」
「はい」
「誰が?」
「ちょっと海が、航介、一旦海を離すことにしようか、ベビーチェアに座らせてあげようよ」
「どうして?」
「危ないから」
「なんで?」
「お前怒ってるもん」
「どこが?」
「その全部が疑問系になってる辺りがもうさあ!」
「これは?」
「ど、っえ?」
「これは、どういうことだ?」
「どうもこうも……」
クッションの下に隠しておいた、さっき洗濯しようとして発見したそれを右手で突きつければ、どこからどう見ても俺のワイシャツだよ、今着てるこれと同じでしょ、ときょとんとした顔の朔太郎が不思議そうに言うので、どこからどう見てもお前のだよな、と確認した。繰り返すけど俺のだよ、正真正銘俺のだ、なんて朔太郎が首を傾げながら言って、がきんと固まった。そうかそうか、その角度からなら見えるか、襟元の確たる証拠が。
「どこから、どう見ても?」
「ど、あっ、いや、どうですかね……」
「辻朔太郎のもので間違いないな?」
「俺そんなところにそんなもの見覚えないな……」
「あ?」
「ほんとだよ!嘘ついてない!俺朝帰りとかしたことある!?ないでしょ!?」
「朝帰りの時にしか、こういった事態は絶対に起こり得ないと」
「そ、そうじゃないの?俺そんな、ふしだらなことしたことないから知らないよ」
「二時間もありゃ出来んだろ」
「したこともないくせによくもま、っ!くるしっ、ぐええ」
「なあ?おい?どういうことだよ?」
ワイシャツを落として朔太郎の首を持ち上げれば、ギブギブ!っつって半ば白目剥いてた。こういうことしないために海のこと両手で抱っこしてたのにな、うっかりうっかり。当の海はと言えば、状況が分かっているのかいないのか、何故か楽しそうにきゃっきゃしていた。恐らくは俺なんかより細っこい首を握り潰す勢いで手に力が入っていることに気づいて、ふと我に返る。後で手形に青くなるだろうけどそんなこと気にしちゃいられない、朔太郎が悪いからいいんだ。
俺がさっき見つけたのは、ワイシャツの襟元についた口紅だった。こんなあからさまなの、ドラマでしか見たことない。でも、普段洗濯カゴに入ってるやつよりもくしゃくしゃで、うちと違う匂いがするそれを見逃せるかと言うと、答えは否だ。まだ一人目が一歳にもなってないのに別のところで二人目か、いいご身分だな公務員様よお、と思わざるを得ない。人が育休取って昼夜問わず泣くこいつを慣れないながらも必死に育てて、せめて元気に大きくなれよと毎日不安で死にそうになりながら過ごしてるっていうのに、そんなことする奴じゃないって安心しきって疑いもしなかったこっちが馬鹿だったっていうのか。いいんだよ俺は、男親二人なんて側から見たら首を傾げられる案件に決まってるんだから、海に物心がついてない今の内にお前の存在を消し去って俺が一人で育てても。いいんですよ別に、別の家庭を持ってよろしくやればいいんじゃないですか、怒ってないですよ、ほんとマジ怒ってなんかないっすよ。
「ほんっ、と、に、おぼえが、っない、ですう……」
「口ではどうとでも言えるな」
「ぎゃんっ」
首を持ち上げていた手をぱっと離せば、べしゃりと床に潰れた。くしゃくしゃになったワイシャツの横でげほげほ言ってる朔太郎を冷たい目で見下ろしながら、海を抱き直す。覚えがないだとか、よくもまあ抜け抜けと。下を向いているせいで手を伸ばせば届く距離にある俺の髪先を掴んで引っ張り寄せている海に、もうこんなやつ知ったこっちゃねえよな、と小声で問いかけた。その声に反応したらしい朔太郎が顔を上げたので、吐き捨てるように口を開く。
「帰る」
「げっほ、げほっ、っえ、どこに!?」
「実家」
「おおお!?ちょっと待とう!?それもっかい見せて!俺のかな!?ほんとに俺のかなあ!?」
「さっき自分で言ったろ、辻朔太郎のものだって」
「ちゃんと見る!ちょっと待って!」
「……ん」
咳き込みながらも必死に足元へ縋ってくる朔太郎に、最後のチャンスをくれてやる。そりゃワイシャツなんてみんな同じなんだから万が一もしかしたら朔太郎のじゃないかもしれないけど、じゃあ逆に何で朔太郎のじゃないシャツがうちにあるんだ。それもおかしいだろ。表裏を見ながら難しい顔をしている朔太郎に、もう出てってもいいですかね、と聞けば、いいえ少し待ってください、なんて返事をされた。
「これは俺のではありません」
「言い訳すんなよ、怒ってないから」
「いやほんと、俺のじゃないって。このタグ見たことある?」
「……知らねえけど」
「混ざっちゃったんだよ、俺着ぐるみやるじゃん?その時じゃないかな」
「平然と言われたって騙されないからな」
「騙そうとしてるわけじゃなくて」
「……嘘だ」
「嘘じゃないよ、ねっ海」
「うー」
「海だって浮気者の顔なんて見たくないって」
「浮気者じゃないもーん」
「あー」
「弟も妹もまだいらないって」
「まだその気は俺にだってないですう」
「……………」
「納得した?」
納得っていうか、やっぱりそんなことするようには思えないし思いたくはないっていうか、赤の他人のやつだっていわれたらそれを信じたくもなっちゃうっていうか、だからうちのじゃない匂いがしたのかって思っちゃったらもう怒れないっていうか、いや元々怒ってなんかいないんだけどね。黙った俺を見て、誤解は解けたらしいと判断した朔太郎が、それで今日の夜ご飯はなんなんだったっけ、と笑った。
今日の夜ご飯は、煮込みうどんだ。


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