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2月14日



女の子と付き合ったことなんてないんだ、と困ったような顔で彼が言っていたのは、いつのことだったっけ。一回目のデートの時だったかもしれないし、お付き合いを始めた直後だったかもしれない。ここで重要なのは、そんなことが朧げになってしまうほどに当也くんは持て成し上手だということなのである。
世間様で言う所の、バレンタインデー。本人からそうとは言わないけど、好物は甘味全般、そして好きでやってる且つ人並み以上に出来ることは料理、なんて女子からしたら恨めしいスペックを持ち合わせた彼を相手にして、腹痛必至の危険物は絶対に渡せない。何を隠そう、私は料理が苦手なのである。千晶のように、練習すればなんとかなるもんだよ、なんて能天気に言ってられない。あの子は努力家だし元々そんなに苦手じゃないから、そんなことが言えるのだ。我ながら私は料理が向いてないと思うし、上手くいったと思えるものでも当也くんには渡したくない。だって、当也くんが作った方が絶対美味しいんだもん。結論、手作りに拘る必要はないんじゃないかと当也くん本人に言い訳を重ねた末に、ちょっと高級な有名店のチョコを用意した。それでもきっと彼は喜んでくれる、だって甘いものは好きだし、私がしたことで彼が嫌な顔をしたことはないから。それが良いことなのか悪いことなのか、は置いておいて。
「……混んでる」
「並ぶ?」
「どうしようか」
「せっかく来たしさ、ねっ」
「うん。ここ、入りなよ」
当たり前のように、当也くんは私を前に通してくれる。こっちから手を握る勇気はない私は、本当は斜め前でいちゃついてるカップルみたいに横に二人並んでべたべたしてみたりもしたいけど、ありがとうを言って彼の前にするりと並ぶしかないのだ。せめてもの抵抗として、みんなが前を向いて並んでいる列の中で一人後ろを向いて、彼と向かい合わせになるくらいのことしか出来ない。それだって、充分に恥ずかしいのに。
デートスポットとしては有名な場所を選んで訪れてしまったがために、入場の列が思っていたよりも長いことになっているのだけれど、寒いね、なんて一言を零したきりそこについては突っつくこともなく。出かける先は大概の場合私が決めるわけで、私が多少我儘を言っても許容範囲の広い当也くんは頷いてくれる。ここでもしごめんねを言っても、何のことだか分からず本気で首を傾げるのだということは、もう知ってる。マフラーに顔を埋めて白い息を吐く彼の、ポケットに突っ込まれた手に渡すための小さなカイロは、私のポケットで眠ったままだ。さて、これはいつ渡そうか。しかも今日渡すものはこれだけじゃなくて、せっかく一時間悩んで選び抜いたチョコレートも控えている。どうしたものか。
「夏目さん、なつめさん」
「はい!」
「前、後ろ?が、その」
当也くんの声に驚いて大きな声を上げた私に驚いたらしく、珍しく目を丸くしながら指をさす。振り向いてみれば確かに、列は進んでいた。通りすがりの、母親に抱かれた小さな女の子が不思議そうな顔でこっちをじっと見ているのに気づいて、曖昧な笑みを全方位に向けながら間を詰める。やばい、私並んでる間耐えきれるかな、大丈夫かな。そんな心配をしていたものの、案の定列の終盤辺りで、鞄にしまっていたはずのラッピングされたチョコを床に落っことし、その上それを当也くん本人に拾われ、「……返したほうがいい?」なんて笑うのを我慢されながら聞かれて、顔から火が出そうになった。ほら見ろ、やっぱりやらかしたじゃないか。
それからしばらくして、なんだかんだでもう日も暮れてしまったし、夜ご飯どうしようか、なんて言いながら駅直結のビルに入り、レストランガイドを二人して見上げていた時のことだった。
「予約したから大丈夫だよ」
「予約を」
「はい」
「最上階の」
「はい」
「いつ?」
「夏目さんが、さっきお手洗いに行った時に電話して」
きょとん、と何故問い詰められているのか分からないとでも言いたげな表情で私を見る当也くんに、もう何も言えなかった。そういえば思い出したといった程度の軽さで、ここの一番上のレストランをさっき予約したよ、なんて言うから、やだなあ当也くんったら、あそこは予約しないと入れないんだよ、だって今日はバレンタインなんだからね、と噛み合わない返事をして、だから予約したよ、え?なにが?誰がどこの?以下略、さっきの会話に戻る。確かに私はさっき散々並んで入った展望台の上で、あそこのビルの一番上にレストランがあって夜景がすごく綺麗らしいんだけどね、なんて話はした。でもそれだけだ。私の剣幕に、どうやら余計なことをしてしまったようだと判断したらしい当也くんが、無言で携帯を取り出したので止める。キャンセルの電話を掛けようとしないでください。
「だめだった?」
「駄目じゃない!やめて!携帯を取り出さないで!」
「でも、予定があったなら」
「無い!」
「それなら良かったけど」
でも、どこかおかしい。当也くんは確かにすごく気は回るし優しいし大概のことをやってくれるけれど、私に何の相談もなしに二人で食べるはずの晩ご飯の予約を颯爽と入れるのは、流石に違和感を感じる。何か隠しているのではないかと疑いの目を向ければ、案の定絶対にこっちを見ようとしなかった。なにを隠していやがる、お返しのつもりなら当也くんだったらホワイトデーにきちんとしようとするはずだし、と勘繰っていると、柱に張り付けられたバレンタインデーの特別なサービス一覧のポスターが目に入った。
「……なるほどね……」
「……………」
「展望台入場券をお持ちのお客様、バレンタイン当日のみ、限定デザートをご用意、ねえ」
「う」
「なになに?今晩ご飯を食べるはずのレストランの限定デザートは?」
「や、やめてよ」
「木苺のケーキと、シャーベット」
「……読み上げないで……」
「チョコレートムースを添えて」
「夏目さんの意地悪」
これが目当てだということを知られたくなかったのだろう。珍しく眉根を寄せて怒った顔で、隠しきれずに赤くなりながらこっちを睨む姿に、にやにやしてしまった。そこらの女子より女子らしいものが好きな人だ。そんなに気になったのなら、先に言ってくれたら良かったのに。貴方が甘いもの好きなことなんてもう胸焼けするくらいに知ってますよ、とからかえば、ぶすりと膨れていた。誤魔化すみたいに、プレゼントくれたからそのお返しだよ、と小声でぼそぼそ言っていたことだし、そういうことにしておいてあげよう。
最上階のレストランで食べた夜ご飯は、夜景が綺麗だったことは勿論、当也くんが楽しみにしていたデザートも笑っちゃうくらいに美味しかった。それが、バレンタイン当日の話。その日は土曜日だったからお出かけ出来たわけだけど、次の次の日、大学で前から歩いてきた当也くんとばったり会って、手に下げられた小さな紙袋に思わず食ってかかった。
「あー!なにそれ!」
「う」
「なに!それ!」
「……プレゼント……」
「誰!相手は!」
「佐山さん、さっきの授業グループが一緒で、あっ」
「手作りじゃないのよ……!」
当也くんの手から半ば強引に引ったくった袋の中には、凡そ手作りであろう可愛らしいクッキーが入っていて、ぎ、と当也くんを睨みつけた。よく考えたら、当也くん本人には何の罪もないわけだけど。
「没収!」
「えっ、待って」
「待ってえ!?あっ、甘いものが食べたいからって、他の女の子から貰ったもの、私嫌だ!」
「そうじゃなくて、」
「当也くんが食べるくらいなら私が食べるから!」
「だから待ってって!それ食品サンプルだよ!」
「は!?」
「ほら!」
私の形相に押されてか、大きな声を上げた当也くんが袋の中からクッキーを出して、割ろうとした。いくら彼が男の子の中では非力な方だと言え、クッキー一枚割れないのは流石におかしい。一気に熱が冷めて固まってる私に、佐山さんの最近の趣味は食品サンプルを自分で作ることなんだよ、俺がこれ持ってたらなんだそれっつって食いつく人が絶対いて面白いからって押し付けられたんだ、なんて説明を淡々とされて、かっと顔から火が出るかと思った。まんまと食いついちゃったじゃないのよ、しかも滅茶苦茶に。
「……ご、ごめんなさい……」
「いや、謝られるようなことは、何も」
「だって私、疑った、当也くんのこと」
「それならこれからは、甘いものが食べたくなったら夏目さんに言うよ」
「……作れないけど」
「俺が作ろうか?」
「練習します……」
もそもそと小声で呟く私を見て、当也くんが笑ってくれたので、もう良しとしよう。

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