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おはなし



「うみのなまえはべいまっくす!ぎゅーってだきしめて!」
「え?海なの?」
「べいまっくす!」
「海じゃないのか……」
「んもう、ぎゅーして」
「ぎゅう」
「わああ!」
きゃっきゃと喜んでいる海を抱き上げてぐるんぐるんぶん回した朔太郎が、何事もなかったかのように海を下ろした直後、ぜえぜえ言いながら崩折れた。海が泣かない程度に投げたり回したりの力加減は出来るようになったものの、どう見ても体力が追いついていない。すごく年齢を感じる、見てて可哀想だった。もっかいもっかいとせがまれてふらふらと立ち上がり海をまた抱き上げたのを他人事に見遣りながら、がんばるなあ、なんて思っていたものの、航介助けて腰がやばい、とすぐさま悲鳴じみた声で呼ばれたので、受け取った。
「あっやばい、さくちゃん明日筋肉痛になる、確実に」
「もう若くないんだって分かれよ」
「うるさい!まだぴちぴちだ!」
「ぴちぴちだー!」
「海、映画見たのか」
「うん、えーがかんしたの」
どうも話によれば、保育園でお楽しみとして映画館ごっこをしたらしい。当たり障りなくディズニーなのがよく分かった、だってもう既に海の中で混ざってる。説明をするのも面倒なので、そのままにしておくけど。というか、朔太郎が落としそうだったから普通に抱っこで受け取ってしまったけど、一旦引っ付くと海離れないんだよな、どうしよう。普段俺たち二人とも休みなんてことはあんまりなくて、一緒にいられる時間が短い分くっつきたがってるんだろうなあ、とはなんとなく分かるけど。まあ、まだ抱き上げられるサイズだからいいか。抱っこ癖が付くのはあんまりよくないんじゃないかとは思ってる、だって一応男の子だし。
うみはべーまっすくだからみんなのけがをなおします、とまた既に別物に変わりつつある海が、俺の頬にぺたぺたと手のひらを当てる。むにむにと頬を弄られて不思議に思っていると、丸い目をじっと俺に合わせていた海が首を傾げた。
「いたいところはないですか」
「ないですね」
「うそ!」
「いや、嘘はついてねえよ……」
「海の代わりに、さくちゃんがこーちゃんの痛いとこを見つけてあげよう」
「だからねえって、いって!馬鹿か!」
「いたい?どこ?いたいの?」
海を支えているせいで無防備な脇腹を抓られて、朔太郎を蹴っ飛ばしておいた。見つけたんじゃなくて痛くしたんだろうが、なんてやつだ。つい俺が上げてしまった声に反応した海が、いたいんでしょ!どこなの!と半切れで迫ってきたので、うるさくしてると下ろすからな、なんてちょっとずるい脅しを使えばすぐにぎゅうっと抱きついてきた。あったかい。
「ねええ……いたいとこ……」
「……ないって」
「どうして?」
「怪我してないからだよ」
「海、こーちゃんはゴリラだから人間よりも強いんだ」
「おい」
「こーちゃんこないだゆびのとこちっくんした」
「もう治ったよ」
「どれどれ」
「……………」
「……あれえ……」
「……あー、まだ、もしかしたらちょっと痛いかもなあ……」
「いたい!?」
海を支えていた手を片方離して指を見せれば、うんうん不満気な唸り声を上げながら観察していた。確かに指に針刺しちゃったことあるけど、それ結構前のことだし、ていうか逆によく覚えてたなってレベル。しゅんと頭を下げる姿になんだか申し訳なくなってきてしまって、痛いかも、とか適当な言葉を呟いたところ、一秒にも満たない速さで食いついてきた。ここですな、ふむふむ、と似非博士口調で俺の指をふにゃふにゃ弄った海が、ぱっと顔を上げる。
「なおりました!」
「がっ」
「ひゃああこーちゃん!」
海が何をしているのか気になって覗き込んでいた俺も悪かった。勢いよく上がった海の頭と俺の鼻っ柱が直撃して、ぶわっと生理的に涙が出てくる。鼻熱い、まさか鼻血は出てないだろうな。ひええごめんなさいごめんなさい、と俺を絞め殺す勢いで抱きついてくる海に、大丈夫だから、なんて苦し紛れに答えた。なかなか泣き虫が治らない海は、今の一瞬で顔をべしょべしょにしながらしがみついて離れないし。ていうか朔太郎のやつ、ずっと黙ってぼけっとこっち見てたかと思えば大笑いしてやがるんだけど、こいつこそ殴っていいかな。目が合ったことに気づいたのか、朔太郎ももごもごと笑い声を控えめにしてくれたけれど、遅い。一応流血沙汰にはなっていなさそうなことを手で確認して、本当になんにもなってないから自分でもよく見ろって、なんて海に声をかければ、べそべそしながらゆっくり起き上がった。
「ごめんなざいぃ……」
「ほら。平気だろ?」
「でも、こーちゃんから、っへんなおとした……」
「んぐっふ、はははは!変な音!あっははは!」
「朔太郎」
「げっほ、げほ、んん、ふふっ、ごめ、ごめんって」
「へーき?ほんと?いたくない?」
「痛いよ」
「うええ……」
「海が治してくれるんじゃなかったのかよ」
俺の声にまた顔をくしゃくしゃにした海が、ぱちくりと目を瞬かせた。片手で涙を拭えば、口の中でむにむにとなにやら言っていたけれど、自分の服の裾でもう一度目を擦って、俺の頬をがっしと掴んできた。おお、勢いありすぎて怖え、なにされるんだ。
「うみがなおす!」
「な、なに、なにすんの」
「くすりをぬる!」
「お、おう」
「ちくっとします!」
薬を塗るのにどうしてちくっとするんだよ、と突っ込みたいのを我慢して待っていると、海にしか見えない薬を鼻先に塗ってくれた。朔太郎がいいなあいいなあって騒ぎ出したのは無視だ。なおりましたか、と真面目極まりない表情で聞かれて、さも今治ったかのようにびっくりしながらお礼を言えば、べしょべしょだった顔がぱっと笑顔になった。つられて口角が上がるのは仕方ないんだと気付いたのは、少し前のことだったっけ。
「こおちゃあん!」
「うわ、なんだよ」
「なに!?ずるいんですけど!?」
「……………」
「あっくそ、勝ち誇った顔すんな!」
ぎゅう、と抱きついてきた海が動物のマーキングみたいに頭を擦り付けてきたので、羨ましがる朔太郎の方を見ればものすごく不快そうな顔をされた。いいだろう、自慢してやれ。あいつは海がぐわんぐわん揺れる下手くそ抱っこしかできないから、こんな風になったことがないんだな。いつもいつも話の内容が多岐累々に渡って散々馬鹿にされてるんだ、このくらいの自慢は許されるだろ。
「ぼく、うみ!ぎゅーってだきしめて!」
「海、それは雪だるまのやつだろ?」
「そお」
「ふわふわロボットはまた別なんだ」
「うみわかんない」
「今度一緒に見ような」
「えーがかんいく!こーちゃんとえーがかん!」
「さくちゃんも!さくちゃんも!」


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