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おはなし



「おい、朝だぞ。起きろ」
「むぐぐ」
「あっ、お前また布団の中に本持ち込んで」
昨日寝かしつけた時には気づけなかった。もごもご唸って布団の奥深くへと更に潜り込んで行く海を引っ張り出しがてら、体の下敷きになってぎゅーっと抱きしめられてるねずみくんの絵本を救出。あったまっちゃってるじゃんか、ページしわしわになっても知らないぞ。丸くなる海の脇下に手を差し入れて持ち運べば、なにやらふにゃふにゃぐずっていたけれど、こればっかりは付き合っててもしょうがないので無視だ。
いざ布団から出てしまえば目覚めるのは早いもので、お湯沸かしてたの止めに台所へ行った少しの間に自分でぷちぷちボタンを外そうとしていた。俺は寝起き良くも悪くもない普通の方だと思うけど、航介はすぱんと起きられるタイプだから、きっとそっちに似たんだろうな。さくちゃんおはよお、とぼんやり言われて、おはようを返す。ぴよんぴよん跳ねてる髪の毛が、思いっきり寝癖です!って主張しまくっていたので、濡らしたタオルで押さえてとかしてやった。自分で外せないとこだけ手伝って、服の前後は一緒に確認してやって、子どもならではの不器用ながらにパジャマを畳む海の様子を見ながら朝ご飯の支度だ。航介はもうとっくに出ているから、俺の分と海の分。マグカップにココアを入れて机に置けば、顔を洗ってよじよじと椅子に上ってきた海が目を輝かせた。
「うしさんのむしぱん!」
「そんなに好きだっけ」
「うん!」
「これ、椅子の上で立たない」
「むーしぱん!むーしぱん!」
パッケージに牛が書いてあるだけのただの蒸しパンなんだけど、何度かうちの食卓にお目見えしているこれが海は好きらしい。俺も今知った。椅子の上でがったんがったん跳ねてる海を座らせると、三つ入ってるそれを、いちにいさん、と数えた海が不思議そうな顔でこっちを見た。
「うみの、さくちゃんの」
「うん」
「いっこのこってる」
「うみの、さくちゃんの、さくちゃんの」
「なんでえ!」
「さくちゃんは海より大きいから二つ食べたいの」
「やだ!」
「やだって言われても」
「うみがふたつがいいの!うみが!ふたつ!が!」
「分かったよ!叫ばないでよ!」
「うええええん」
「泣くなよ……分かったっつってんじゃん……」
うみのとうみのにするんだもん、と啜り泣きながらパンに手を伸ばした海が、途中で力尽きてぱったりと机に伏してしまったので、袋を開けてやる。もう何年か海のこと育ててきてるはずなんだけど、テンションの高低差が今だに意味分からん。ほんの二分前まで椅子の上で飛び跳ねて蒸しパンへの喜びを表してたじゃないか、あの時のお前はどこに消えたんだ。ぱりっと音を立てて開いた袋にひぐひぐしゃくりあげながら手を伸ばした海が、しょんぼり一口齧って、もう一口齧って、次第ににこにこし始めた。おう、もう元気になったのか、良かったな。
「ふみのにこめふぁおやふにほっろふろ」
「え?なに?なんて?」
「らから、ふみろふらふめ、むぐ」
「口の中無くなってから喋れさ」
「んむむ……」
ちっちゃい口いっぱいにもぐもぐ頬張った海が、これまたちっちゃい手をマグカップに伸ばして、と忙しなく動いているのをぼんやり見ながら蒸しパンを一つ食べる。これ俺には小さいから二つ食べたかったんだけど、しょうがないから他のなんかを適当に食べることにしよう。逆に海は二つも食べたらお腹いっぱいになりすぎてしまうんじゃないか、と思った俺の予想通り、ようやく五分の一くらいを頬っぺたもちもちさせながら食べ切った海が口を開いた。
「うみのね、にこめはね、おやつにするの」
「そっか……」
「うみのと、さくちゃんのと、あ!」
「うん?」
「こーちゃんのは?」
「ないね」
「こーちゃんのうしさんはないの?」
「ないってば。なんで?」
「……うみのうしさんを、はんぶんこ……」
「お。偉いじゃん」
「……でも、うみのおやつがちょっとになっちゃう……」
「……航介は、海からもらったら嬉しいと思うけど」
「うう」
どうやら本気で悩んでいるらしい。今までだったらいくら相手が航介だろうと絶対に譲らなかったのに、成長したもんだと一人感心している間にそろそろ家を出たい時間になってしまった。そう海を急かせば、精々ちまちま程度だった頬張りがもぐもぐくらいにはなって、一応急いでいるようだ。
「喉詰まるからゆっくりでいいよ、そんな急いでないし」
「んん、んんん」
「長い針が九になったら支度するぞ」
「ん!」
航介に教えてもらった話だけど、結局のところ海は航介に蒸しパンを分けてやったらしい。俺が帰って来た時にはもうそんなことすっかり忘れてしまったようで、電車を壁に走らせてどたどた何やらやってたけど。
ちなみに、おやつに蒸しパンを食べたことを言い訳にシチューの中のブロッコリーを根こそぎ残そうとして航介に叱られた海は、めそめそしながらスプーン握りしめてた。そりゃ無理ってもんだよ、その言い訳今まで何回か使ってるの見たことあるけど通ったことないじゃない。そういうところは学習しないんだな、と嫌そうにちっちゃいブロッコリーを突つく海を眺めながら思った。

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