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おはなし



出来ないことは分かった。問題は、どの程度出来ないのかということだ。
「……………」
「……なんで黙るんだよ」
「……どの程度って言われても、と思って……」
「家庭科くらい小学校でもやるだろ?出来ないっつったって限度があるはずだ」
「数字で表したらマイナスだけど」
「……………」
「食べられるものを一手間かけてゴミにする程度だけど」
「……そうか……」
「うん……」
「……なんか、変なこと聞いて悪かったな……」
「ううん……」
自分のことを悪く言われているかのようにしょんぼりする小野寺に、こちらが罪悪感を覚えてしまって、ぼそぼそと謝る。聞いたのは伏見のことだったんだけど、そんな顔されると二度は尋ねづらい。小野寺の様子を見てなんとなく、尻尾垂らして耳を伏せる犬が頭を過ぎった。
聞きたかったのは、兎にも角にも料理が壊滅的に出来ない、と話にはしょっちゅう聞く伏見のことだ。当也に引っ付いて台所にいる様子はよく見るし、不器用というわけでも味音痴というわけでもない。逆にどうしてそんなに出来ないと言われてしまうのかが気になったから、まずは一番身近にいるであろう小野寺に聞いてみたんだけど、ただいたずらに傷付けただけだった。本人に聞いたところで、出来なくないもん、と口を尖らせて文句を垂れてくるのは目に見えているので、別のやつに聞こう。有馬に聞いても恐らく無駄足なので、当也にでも矛先を向けてみることにするか。
そう思って、暇そうな顔で炬燵に埋まりながら蜜柑剥いてた当也を捕まえて聞けば、心底めんどくさそうな単音が返って来た。こっち向きもしねえもんな、白いもやもや取るのがそんなに好きかよ。
「は?」
「聞いてんのか」
「聞いてる」
「は?じゃなくて。どうなんだって」
「気になるなら食べてみればいいじゃん。お前が頼めば嬉々として作ってくれるでしょ」
「伏見が完成させる前にお前らの内誰かが止めに来るんじゃねえか」
「だってほっといたら家無くなるし」
「大袈裟なんだよ」
「本気だけど」
「そんなわけないだろ」
「……あの朔太郎が、伏見が飯を作ろうとした日は来なかった時点で察するべきだよ」
それは一理ある。本人に全力で拒否され逃げられても異様なまでに追いかけ回し、元来からの勘の良さに加えて伏見関連ではいっそ超能力のような飛び抜けた嗅覚センサーまで備えている、人外じみたあいつのことだ。手料理を作っている、なんて言ったら何時であろうが涎撒き散らしながらすっ飛んできたっておかしくない。けれど実際問題、伏見が勝手に台所に立ってメインのおかずをこれまた勝手に手掛けようとした時、朔太郎はその騒動の一部始終がすっかり終わってからしれっとここに来た。結局伏見はすんでのところで当也に止められ、とばっちりで何故か有馬が熱された箸先をぶっ刺されてちょっと火傷したらしいけど、それ以外の実害は出ず仕舞いで済んだそうだ。俺もその時その場にいたわけではないから何があったのか詳しくは知らないけど、発端が伏見である上によりによって手料理がどうたらなんてのを、朔太郎が俺より何も知らないのはおかしい。大変だったんだから、とぐったりしていた当也にも深く突っ込まず、あははそうなんだ、くらいの反応だったらしいし。
そこから導き出される答えとしては、朔太郎が本能的に回避する程度には伏見のクッキングタイムがやばいってことだ。小野寺はもうとっくに胃が強くなっている、とは本人談。そういえば有馬からも、小野寺のやつこないだ消費期限すげえ過ぎたもん気づかずに思いっきり食ってたのにぴんぴんしてたんだぜ、俺腹壊したけど、とか聞いたっけ。てことは、散々毒を食わされて強化されたはずの小野寺ですら嫌がるそれは、最早兵器の類であると考えた方がいいのかもしれない。一緒に料理していて十分に当也の修正が入った状態でも首を傾げる味がするんだもんな、伏見にはきっと料理の才能がないんだから諦めた方がいいよ。ぼんやりそう思っていると、二つ目の蜜柑に手を伸ばした当也が欠伸混じりに口を開いた。
「こないださあ」
「おう」
「伏見が、俺だっていつまでも馬鹿にされ続けるのは嫌なんだとか言って」
「……おう」
「うちで料理の練習するとかいう話になったんだよね」
「家ある?」
「ある。ボロいけど辛うじて」
「そりゃ良かった」
「でも酷かったんだって、ほんとに。俺引いたもん」
「伏見は何の魔物を召喚したんだよ」
「毒が蔓延してる系のダンジョンにいる中ボスくらいだった」
「思ってたより強いな……」
「……そもそも伏見、包丁の持ち方が怖すぎんだよね」
「は?」
「ちょっとお前、包丁持ってみて」
「エア包丁?」
「そう」
「ん」
「人参切ってみて」
「……ん?」
「それが普通の切り方、俺のが伏見の切り方」
右手で包丁を持つ真似、左手で人参を抑える真似をした当也が、まずは普通に切ろうとする。二回目、左手をちょっと遠ざけて右手を強めに振り下ろす。三回目、左手は離して体の横に垂らし、右手を振りかぶって下ろす。四回目、左手を右手に重ねて、両手で握った包丁を振り翳して、
「怖えよ!やめろ!」
「俺も後ろで見てて叫んだ」
「人参だろ!?」
「人参だよ。切れなかったんだってさ」
「そんなわけあるかよ……」
「ちなみに肉じゃが作ったんだけど」
じゃがいもは丸くて安定しないのが嫌だったみたいで、最初から左手添えずに右手振りかぶって叩きつけてた、と思い出し寒気に襲われている当也を見ながら、その場にいなくて良かった、としみじみ思った。もし自分がその場に居たら伏見を羽交い締めにしてでも台所から引き剥がすし、二度と包丁を持たないことを誓わせる。
「まあでも、切るとこまではかなり時間もかかったけどなんとかなったんだよ」
「ああ……まだ準備段階なんだ……」
「炒めて煮るのが残ってる」
「それはもうお前やれよ」
「伏見の練習だからさ……一応やらせたんだけど」
「出来たの?」
「出来たと思ってんの?」
「そうか……」
「その日のうちの晩飯は、失敗肉じゃがを無理やりカレーにしたものになった」
「完成すらしなかったのか……」
「最初の内なんて何故か野菜に火すら通らなかった」
「……その内、あいつが手に取った野菜に足と手が生えて逃げ出すようになるぞ」
「そうだとしても俺は驚かない」
ぽつりと諦め口調で呟いた当也に、俺ももう深く突っ込みたくなくて机に伏せた。この前なんて、話のきっかけが何だったかは忘れてしまったが、自分が歩く道が例えどんな荒れ野だったとしても、一歩踏み出した時点で花は咲き乱れ、鳥は声高に歌い、太陽は光り輝かなければ許せないと怒り狂っていたような奴だ。自然の法則なんて無視して当然だし、その理由を問う方が愚かだとでも言われるだろう。だって俺ってば可愛いでしょう、といっそ言い疲れて物憂げな顔でこっちを向くのが目に見えている。野菜に手足が生えて逃げ出したところで、特に驚きもせず平然と捕まえて当たり前のように千切り取りそうだ。もしかしたら、絵にならない見た目だから気に食わなくて怒るかもしれない。
「伏見だって、作らなきゃいけない状況になったら食えるものを作るよ」
「一人暮らしするとか?」
「とか」
「そっかな……」
「それか、自分でやらなくても誰かがやってくれるんでしょ」
二つ目の蜜柑を食い切った当也が、ぱんぱんと手を払って爪先を弄る。白い筋が挟まっているのをこそげている当也に、あいつ一人じゃ生きていけないな、なんてぼそりと零せば頷きが返ってきた。一人で過ごすのは好きなんだろうし、一人の時間は大切にしたいタイプだと思うけど、一人で出来ることが限られすぎているから生きてはいけない。本人はそんなことないと意地を張るんだろうけど、絶対無理だ。市販の食べ物にも文句付けまくって、これもそれも食べたくないって我儘言っちゃお腹空かせて、きゃんきゃん悲しげな声を上げるに決まってる。
その後しばらくして、伏見が自分でベッドから持ってきたらしいふかふかの布団を被ってぬくぬくしながらテレビを見ていたので隣に腰掛ければ、ちらっとこっちを見て、もそもそ寄ってきて布団の端っこを貸してくれた。いや、これを求めたわけじゃないんだけど。表情的にはぴくりとも動きやしないけど周りに花が飛んでる、そんなに嬉しいかよ。
「伏見」
「ん」
「お前、将来どうするつもりなんだ」
「……は?」
「その……養ってもらう当てはあるのか?」
「え、なに、いきなり。プロポーズ?」
「いや」
「航介が養ってくれるの?」
「嫌」
「今お前嫌っつったべ」
「あっ、やべ」
「嫌っつったろ!どういう意味だ!」
「言ってないです」
「てめえこら!このやろう!」
布団ごと伸し掛かってきた伏見をそのまま横に転がして上から押さえたら、むごむご芋虫みたいになってた。余計なこと聞いちゃったな、めんどくせ。ついでに、小野寺や当也と伏見の料理事情について話してたのも秘密にしとこう。


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