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おはなし



「じゃあ、風呂入ってくるから」
「おー」
「俺コンビニ行くけど、欲しいものある?」
「チョコ」
「酒!」
「……有馬の酒は却下」
「えっ」
「さっき吐いたろ、もう駄目だよ」
「伏見、チョコってなんの?」
「四角くて美味しいやつ」
「メルティーキッスか……」
しょぼくれる有馬から目線を外した弁当がちらりとこっちを見たので、半分こしようね、と意図を察して先回りすれば、無言でこくんと頷いて風呂場へ消えた。それとほぼ同時に、マフラーぐるぐる巻きにしてジャケットを羽織った小野寺が玄関から出て行く。財布と携帯だけポケットに突っ込んで行ったけれど、よく見れば財布は八割がたポケットから飛び出していたので、まさか落としやしねえだろうな、とこっちがハラハラする羽目になった。
弁当んちでだらだら飯食いながら酒を飲む、毎度恒例のこれは今のところ流れ的にそのままお泊りオッケーな感じになっているようで、楽できそうでなによりだ。弁当が気づく前に終電の時間過ぎてると泊まれるんだよな、大体の場合だらだらぐだぐだしてる内にそんな時間は過ぎるんだけど。弁当の言う通り、先程トイレで口から出すもん出してきたらしい有馬は、啜り泣きながらゲロってすぐ風呂に送り出されたので、もう既に弁当のスウェット借りて風呂上がりのぽかぽかである。じゃんけんで、一番に弁当、次が俺、最後が小野寺、と風呂順が決まったのはさっきのこと。最後の小野寺が、歯ブラシその他無いからとコンビニ買い出し係を引き受けてくれた。風呂入る前に弁当がざっと片付けて行ったおかげで、炬燵机の上は綺麗なもんだ。端に寄せられたそれから抜け出して、これまた先程弁当が出した布団に潜り込めば、有馬がテレビをつけた音がした。炬燵で寝るのやだったから先にこっち取っとこうと思ったんだけど、寒いな。せっかく炬燵で暖まった体が冷たい布団に冷やされて行く気がする。
「くーりすますがことしーも、やーあってくーる」
「……もうそんな時期か」
「たのしっそうなっこいびっとっをっひきさっくよっおっにー」
「……………」
テレビと一緒に歌っている有馬は楽しげだが、その歌詞は間違っている。クリスマスがそんな凄惨な日であってたまるか。でもそう歌われると、いざ思い出そうとしても正解が分からない。なんだっけ、なにを引き裂くんだっけ。ていうかそもそも、出だしってあれで合ってるんだっけ。有馬のやつ、しょっちゅう鼻歌交じりにCMソング歌ってるけど、大概ふわふわとしか覚えてないから歌詞が間違ってる上に、一回それを聞くと本物が思い出せないんだ。
「ずっとふねーをみてー、しましまみてーたー」
「おい」
「ん?」
「さっきから全部違う。やめろ」
「えっ嘘」
「嘘じゃない」
調べてやるから待ってろ、と布団から這い出して携帯を出したところで、はたと目の前に落ちていた異物に気づいた。固まった俺を不審に思ったらしい有馬が寄ってきて、じゃあ正解はなんなの、と口を開いたが、そんなことはもうどうでもいい。楽し気な恋人を引き裂こうがしましまを見ようが、勝手にしてくれ。枕にふわりと乗っていた、長い髪を摘み上げれば、有馬がぽかんと口を開けた。
「伏見の?長くね?」
「俺のじゃない」
「じゃあ誰のだろう」
「一応聞くけど、お前からこんな長い毛生えるか?」
「ううん」
「小野寺からも生えないと思うんだ」
「弁当のだったらもっとふわふわしてるだろ、癖っ毛だし」
「……じゃあこの、長くて黒くてストレートの、多分女の髪の毛、誰のだよ」
「知らねえよ、誰かのどっかにくっついてたのが落ちたんじゃないの?」
「この髪、枕の上に落ちてたんだけど」
「うん。見てた」
「この枕、弁当はついさっき出してたんだよ」
「布団と一緒にな」
「それに、俺らは何時間もここでごろごろしてたわけだ」
「……うん」
「そしたら、枕の上にこんな長い髪の毛が落ちるのはおかしいよな?」
「……………」
「枕に付いてたんじゃないのかな?」
「……俺たちが来るよりも前から、ってこと?」
「そうだな、例えば昨日とか一昨日の夜とかから」
「弁当てめえ!」
がたがたと風呂場へ駆けていった有馬が力任せに扉を開けたらしい音、重ねて弁当の珍しい絶叫と、全くもって可愛らしくない威力であろう殴打もしくは蹴りが当たった痛そうな音がどかどかがちゃがちゃと聞こえてくる。きゃあ、ぺちん、とかじゃないやつ。まあ根本的に弁当も普通に男なわけだから、全力で蹴ったらああいう音がするわけだ。殴るより蹴る方が威力強いって聞くし、弁当はよく手より先に足が出るし。
あれだけ火に油を注ぎまくったところで悪いけど、直接的な言い方をするなら、この髪の毛が弁当がここに女の子を連れ込んでそういう行為に及んだ証拠だなんて、別に正直欠片も思っちゃいない。あの童貞がそう簡単に上手くそこまで持ち込めてたまるか、じゃなくて、もとい、弁当は有馬のことが好きなんだから相当の事情がないとそんなことになるわけがないのだ。普通に考えて、さっき有馬が言ったので正解だろう。四人の内、誰かの何処かしらについていた髪の毛が、何かの拍子に落ちて丁度枕に乗ったに違いない。けれど、ちょっと面白そうだったから試しに馬鹿を煽ってみたら、案の定面白くなったというわけで。
髪の毛からぼったぼた雫を垂らした弁当が、大急ぎで纏ったらしい乱れた服で飛び出してきたので、ひらひらと髪の毛を振って見せれば引ったくられた。真っ赤だし、ていうか有馬出てこないし、大丈夫かあいつ。タイミング良いんだか悪いんだか丁度帰ってきた小野寺に知られて大事になることは避けたいらしい弁当が、俺の襟首を掴んで持ち上げる。なに、お前そんな力あったの。
「俺じゃない!」
「でしょうよ」
「分かってるならなんで、っ」
「うあっぶねっ」
揺さぶろうとしたんだか力が足りなかったんだかは分からないが、急にかくんと弁当が手首を折った。持ち上げられてからずっと為すがままだった俺はそれに酷くびっくりして、がくんと落ちた体を支えようと弁当に咄嗟に縋り付いて、ちょうどそこに小野寺が玄関先からこっちへ到着したところだった。なんてタイミングだ、ふざけるのも大概にしろ。さっき散々有馬をわざと煽った自分に対する罰なのではないかと頭の隅を過ったけれど、あれはあれ、これはこれだ。小野寺も小野寺だ、へらへら笑っていてくれたらまだこっちも茶化すことができたのに、よりによってガチ真顔なんだもん、怖えよ。
端的に言えば、ほぼほぼ抱き合ってる体勢だ。その上俺がどちらかというと下敷きにされている挙句、滅多にないことに弁当の髪は乱れ、さっき焦って着てきた服も若干はだけている。言い訳し難い状況を、がっつりばっちり見られてしまった。一応、貴方の考える最悪のパターンではありませんよ、ということをアピールするためにそっと弁当から手を離して、こちら側の服に一切の乱れがないことを見せれば、真顔でビニール袋持ったまま突っ立ってた小野寺の纏う空気がちょっと柔らかくなった。怖い、真面目にしないと殺される。
「……見た?」
「見た」
「仲良しに見えた?」
「見えた」
「弁当が俺のこと持ち上げようとしたんだけど失敗して危うく俺が頭を打つところで」
「うん」
「だからしょうがなく首に手を回したんだけど、ほら、仲良しだから。ねっ」
「……そうだね」
訳が分からないなりに頷いてくれた弁当の手を取って見せつけるようにぎゅっぎゅってすると、小野寺がぼそりと、弁当だからそんなに心配してないけど、と零した。つーことは相手が弁当じゃなかったらもっと容赦無しか、気をつけよ。結局有馬のやつは全然出てこないし、弁当どんだけ強く蹴り飛ばしたわけ。まさかとは思うけど、死んでたらどうすんの。
疑いとか勘繰りとか、そういうの怖えもんな。そうぼんやり思いながら、小野寺が買ってきたチョコを齧った。俺に言われたくないだろうなってのは俺が一番分かってるので、特に声には出さなかった。


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