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おはなし



朔太郎の家に来ること自体は多々あることというか、またその逆も然りだけれど、他に取り立てて遊びに行く場所もないので、お互いの家を行き来することでしか暇を潰せない。今日もそんな感じで、場所は別に誰の家だって良かった。理由らしい理由といえば、朔太郎がこないだ新しくゲームを買ったことか。それで何と無く朔太郎の家になって、当也が足りないコントローラー持ってくるって一旦帰った。うちにあるのは割と古めで、朔太郎が持ってるのは新しめで、当也んちはその真ん中ら辺が揃ってる。だから全員掻き集めればそれなりの量になるし、ていうかそれくらいしかすることもないし。朔太郎は中二頃までテレビゲームを持ってなかったので、それから買い揃えれば必然的に新しいものが集まって行く寸法だ。当也んちはうちと違って金持ちなのでどうせ欲しいもんがぱかすか買えるんだろう、羨ましい限りだ、ちくしょう。
「ねー、当也遅いね」
「おー」
「その辺で倒れてたらどうしよう?」
「死ぬんじゃね、雪大分やばいし」
「当也を勝手に殺さないで!」
「勝手に倒したのはお前だろ……」
何故か一人で憤っている朔太郎を放ったまま、鞄の中に入っていた宿題を片付ける。来週小テストって言ってたっけ、範囲意外と広いんだよな。単語帳を開きながら宿題のプリントと睨めっこしていると、結構な音を立てて机を叩いた朔太郎が不満そうな顔をしていた。
「うるせえ」
「ひまである!」
「お前宿題ないの?」
「ある!」
「やれよ」
「やらぬ!」
「あっそう」
「この糸目野郎!さくちゃんが暇だって言ってるの!」
「精々持て余せ」
「ふん!もういい!当也迎えに行ってくる!」
どかどかと騒がしく部屋を出て行った朔太郎がちょうど廊下で会ったらしい友梨音に、今から俺当也探しに行ってくるけど部屋にゴリラが一匹いるから絶対行っちゃダメだよ、野蛮だから襲われるよ、と喧しく言い捨てた。随分な言い様だ、俺宿題やってるだけなのに。朔太郎があまりに勢い良く閉めたせいで、扉は少し開いたままだ。その隙間から、だけどお茶持って行かなくちゃ、と細い声が聞こえたけれど、それを食い気味に、あんなんほっとけ!と朔太郎が飛び出して行く音がする。構って欲しい時にほっとかれると割とすぐああなるけど、恐らくは当也を連れて帰って来た時点で怒ってたことを忘れるだろう。テンションの高低が凄まじく激しいやつだ、生きてて疲れないのかな。
「……こ、こーすけお兄ちゃん、入ってもいい……?」
「……朔太郎に見つかったら怒られるぞ、俺が」
「秘密にする……」
とたとたと足音が扉の前で止まって、控えめな声。あれだけ駄目だって言われたら来たくなる気も分かるし、俺達が遊んでると友梨音が混ざってることもちょこちょこあるし、特に止める理由もないので扉がゆっくり開くのを横目で見た。ポテトチップスの袋を大事そうに両手で胸の前に握り締めているので、お礼を言って受け取ればちょっと嬉しそうににこにこされる。今日はね、すごいんだよ、りんごジュースがあるんだよ、とグラスに注ぐ友梨音の指には絆創膏が貼ってあって、そういえばこの前調理実習で切ったとか言ってたっけ。結構不器用なとこあるよな、とぼんやり思った。
朔太郎がぎゃんぎゃん喧しいのに対して、妹の友梨音はおっとりしていて物静かだ。それに声も小さいし、何と無くぼんやりしている。そもそも血が繋がっていないから、似ていないのは当たり前かもしれないけれど。長く伸ばしているらしい髪を耳にかけた友梨音が、俺が一枚ポテトチップスを摘まんだのを見てからそろそろと指を伸ばしたので、食いたいだけ食えば、と声をかけた。そうすれば嬉しそうに笑うものだから、遠慮深いというか、なんというか。どことなく年不相応に儚げな印象を受けるのは、乗り越えざるを得なかった苦労が裏付けされているようで、少し嫌だ。
こっちをちらちらと見ながらそわそわしている友梨音は、ただお菓子を食べにここに来たわけではないだろう。俺が勉強していたから言い出しづらいのかもしれない。単語帳を閉じれば、困ったような顔で見られたので、先に聞いてやった。
「……どした、急に」
「ん、え、っと、勉強忙しい?ゆりがいたら困る?」
「別に。なに?」
「……こーすけお兄ちゃんに、聞いて欲しくって」
「うん」
「宿題で、作文が出て。尊敬する人のこと書くんだって」
「そうか」
「最初はお兄ちゃんのこと書こうと思ったんだけどね、でもね」
「……尊敬……?」
「あっ、やっぱりそうでしょ……」
しゅん、と頭を下げた友梨音の心境は察するに余りある。お兄ちゃんのことは大好きだけど、尊敬じゃなくて、そういうわけじゃなくて、とぽそぽそ話す友梨音に、そりゃあそうだろうと頷いた。あの奇人を尊敬してたらこっちがびっくりするわ。誰のことにしたらいいかな、と丸い目を向けられて首を捻る。
「それは、自分で考えないといけないんじゃないか」
「こーすけお兄ちゃんだったら、誰のことを書くの?」
「えー……うーん……」
「先生は、お父さんでもお母さんでも、昔の偉い人でもいいって言ったよ」
「……俺は、咄嗟には思いつかないけど」
「うん……」
しばらくお互い無言のまま考えて、結局友梨音がぽつりと、お父さんのことにしようかな、と呟いた。さちえのことはママで、お父さんのことはお父さんって呼ぶのは、昔のお母さんだけが友梨音にとってのお母さんだから、らしい。書けたら見て欲しいな、とはにかまれて頷けば、嬉しそうにポテトチップスを齧っていた。口が小さいからなのか食べ方の問題なのか、リスみたいだ。今度甘栗でも持ってきてやろうか。
前にいつだったか、自分の好きなものを好きなだけ、というざっくりした題で絵を書いてこいという夏休みの宿題を友梨音が持って帰ってきたことがあった。特に深く考えていなかった俺はただ単純に、幸薄そうな彼女は一体何が好きなんだろう、と気になってしまって、見せて欲しいと強請れば友梨音は少し恥ずかしそうにちょっとだけ紙を開いてくれた。その中には勿論『お父さん』がいて、今はいない『お母さん』もいて。『ママ』も『お兄ちゃん』も並んでいるのを見せられた時は、他人事なのに酷く嬉しかったっけ。泣けない朔太郎の代わりに泣いてやった、と言ったら差し出がましい限りだけれど、本当にもうそんな感じ。中途半端に開いて見ていたその絵にはもう少し続きがあることに当也が気づいて、友梨音がものすごく焦って返して返してって言い出すから、何をそんなに隠すんだと訝しく思いながらも絵を丸め直して渡した。そんなに拒否されてるのに無理やり見たら可哀想だったから。けれど朔太郎は好奇心が勝ってしまって、その日の夜こっそりと全貌を見たようで、翌朝顔をくしゃくしゃにして笑いながら教えてくれたっけ。初めて会った時には、周り全てに警戒している小動物のような、心を閉ざしていた彼女が、まさかそんな絵を書くとは思わなくて。
「……俺は、俺だったら、友梨音のことを書く」
「ん」
「お前は、すごいよ」
こくこくとジュースを飲んでいた友梨音が不思議そうに首を傾げた。尊敬する人について、と言われたら、俺は友梨音や朔太郎について書くかもしれない。朔太郎はともかく友梨音は俺より八年も遅く生まれてきたのに、俺なんかより色んなことを経験して、受け止めて、笑っていられる。すごく、強いと思う。全く同じ境遇を経たとしてもこういう風になれる奴はなかなかいないんじゃないかとも、思う。
好きなものを好きなだけ散りばめられた絵の中には、彼女の周りにいる人がたくさん描かれていたと聞いた。俺や当也だって、きちんとそれと分かるように書いてあった、あの子は絵が上手だから、とまるで自分のことのように朔太郎が自慢していたっけ。朔太郎の名字が変わった時、友梨音が朔太郎の妹になった時、きっと俺は散々余計なお節介をしたんだと思う。実際問題朔太郎には何度も怒られたし、事によっちゃ泣き喚かれながらブチ切れられたこともあった。今二人が兄妹をしていることに俺の存在は関係ない。けれどあの時の俺は恐らく、良く言えば兄妹になろうとしている二人の架け橋、悪く言えば他人同士を無理やり繋ぐ悪趣味な野次馬、だったわけで。そのことを鑑みて考えれば、彼女が一生懸命書いたであろう絵の中に俺が混ざれていることは、本当に有り難いことであって、どれだけ他人に重きを置いたらそうなるんだと尊敬の念を抱くのも許して欲しい。
「たっだいまあ」
「あっ、おい、帰ってきたぞ」
「うわわ」
玄関の開いた音と同時に朔太郎の声がして、友梨音が慌て出す。秘密なんだもんな、ここに来たこと。あんまり焦らせてグラスでも割られたら大変だからと手を貸せば、何故か朔太郎より先に当也が部屋に来たので助かった。
「とーやお兄ちゃん」
「おじゃましてます」
「ううん、あっ、あのね、とーやお兄ちゃんが好きだからね、たけのこの里があるよ」
「いただきます」
「早えよ」
「ゆりがこの前、ママにお願いしたんだ」
彼女には、月並みで有りがちな言葉であったとしても、幸せになって欲しいと、心から思う。


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