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おはなし



「ねえ、それ俺のペン」
「そうだっけ」
「こないだっから有馬に貸したままのやつ」
「あー、んー、でもこのペンもうインク出ないけど」
「は?」
「今書いてみたら出なくなってた。はい」
「……インク出ないんでしょ?」
「うん」
「なんで返すの」
「弁当のなんだろ?」
「うん」
「はい」
「これ、お前が毎回ボールペン借りちゃ失くすから、新しく買ったやつなんだけど」
「そうなの」
「しかもまだインク残ってるじゃん、なんで出ないの」
「そんなこと俺に言われたって知らないけど、なに?買って返せばいい?」
「……別に」
「なにそれ。なきゃ困るんだろ?買ってくるよ」
「買って返して欲しいわけじゃない」
「じゃあなんなわけ?」
「人から借りたもの壊したり失くしたりするのやめてくれない?って」
「だから悪いと思って買って返そうとしてるじゃん。なにが違うの」
「返せばそれでいいって問題じゃないでしょ」
「……細けえ」
「はあ?」
「あー、もういいよ、いらないんだろ?もう借りたりしないから、はいこれは返す」
「ちょっと」
「俺コンビニ行ってくるわ」
「……………」
「……………」
「……なに」
「……なんでもないです……」
やばい、超面白い。俺を睨む勢いで仏頂面を浮かべてる弁当が、有馬の消えた方に目を戻して黙り込んだ。笑いを堪えて震えてる俺には全く気づきもせず。
なんかどうにも刺々しいなあと思いながら黙って聞いていた有馬と弁当のボールペン論争は、有馬が逃げる形で一旦幕を閉じた。軽い口喧嘩っていうか、ごちゃごちゃ二人で言い合ってるのを聞いたことなら何回かあるけど、ここまで低いトーンで冷戦繰り広げられるのは初めてだ。ていうか、ここまで弁当が引かないのもあそこまで有馬が苛つくのも珍しい。だから俺途中からわざと無言で聞いてたんだけど、申し訳ないことにやっぱり部外者から見てすごく面白い展開に落ち着いたので、口を噤んで正解だったと思う。小野寺いなくて良かったな、そろそろ戻ってくるだろうけど。
しばらくして帰ってきた小野寺が、あからさまに機嫌悪い弁当にぎょっとして助けを求める目をこっちに向けてくるけど、それも無視だ。有馬がいないことを口に出そうとしない辺り、小野寺も空気読みのスキルが成長したと思う。弁当も、別に本当に心の底から怒ってるわけじゃない、はずだ。有馬も同様、引っ込みが付かない切れ方をしたからお互いこの後切り出し辛いんじゃないだろうか。面白がって黙ってた手前、黙って俯いてる弁当を見てるとちょっと罪悪感もあるから、手伝ってあげようかな。
「小野寺、これ書いた?」
「なに、あっ、やべ」
「今日中に教務課提出だよ」
「うん、今やる、弁当これ借りていい?」
「……それもう出な」
「じゃーん。輪ゴム」
机の上に置きっ放しだったボールペンに案の定手を伸ばした小野寺からそれを取ろうとした弁当より、更に先回りした俺が一番に掴んだ。片手でボールペン、もう片手で鞄から輪ゴムを出して見せた俺に、弁当が訝しげな目を向ける。ふざけてる余裕なんかないって顔されると、さっき有馬が何の気なしに突き放した言葉がどれだけ重いものだったのか思い知らされるようで、ちょっと嫌かも。輪ゴムにボールペンを通してくるくると巻いて行くと、小野寺が気づいたようで口を開いた。
「ああ、インクずれちゃったの?」
「そうみたい。よ、っと」
「……なにしてるの」
「弁当知らない?ペンのインク出ない時は、輪ゴム巻いて遠心力で空気抜くの」
「ちょっと気休めにはなるよなー」
「ほら。書けた」
「おー、弁当借りるね」
「……うん……」
ボールペンを通した輪ゴムをぐるぐる巻いては指を離して、それを数回繰り返す。振るといいとかも言うけど、それよりもっと早いのがこっちらしい。インクが残ってるのに出ないっていうのは、ボールのとこがおかしくなってるとか、インクに空気が入ってるとか、色々原因はあるんだって聞いた。輪ゴムは空気抜きの方法だけどこれ以外にも、あっためるといいとかもよく言うし。結局のところボールペンなんて消耗品だから、どれもみんな気休め程度にしかならないけど。
なんてことを考えながら白い紙にくるくるボールペンを走らせていると、何度目かにようやくインクが出てきた。それを使って今日提出の書類を書き出した小野寺をぼーっと見ている弁当に聞こえるような小声で、口を開く。
「これで原因はなくなったけど」
「……………」
「原因以外もどうにかして欲しい?」
「……いい」
そう言うと思った。さっきよりは明るい仏頂面でボールペンを睨んでいる弁当を少し笑えば、なにがおかしいんだとまた不機嫌そうに睨まれてそっぽを向く。表情あんま変わらない癖にどうにも分かり易いんだから、人間って不思議だ。対有馬の時の弁当は当社比五倍は素直じゃないっていうか、いやむしろ素直過ぎるというべきなのか、そこも不思議。傷を負うのが自分だなんて分かってるんだからもっと上手く現実から逃げればいいのに、全てを受け止めようとするあまり現実逃避が下手くそなところ、俺は好きだけど。
「今って平成何年?」
「自分の歳から考えてみたら」
「んーと、1989年が平成元年だから」
「めんどくせっ、西暦から1925引けよ」
「……ええと……」
「……ここに書いてあるじゃん」
「ほんとだ」
弁当が指さした先、プリントの端っこに確かに年度が書いてあって、小野寺がぱっと顔を上げた。機嫌直って良かった、の表情があからさますぎ、十点減点。

「……………」
「……………」
「……………」
「ぅぐ」
「伏見!」
ジャージひっかぶって甲羅に篭った亀のように黙り決め込んでる有馬に腹が立ったので、頭付近をばしりと殴れば弁当に諌められた。喋る気はありませんってのか、いい度胸だ。こちとら弁当が自分が悪いからって謝りに来てる付き添いしてんだぞ、お前がその態度ならこっちにだって其れ相応の態度があるってもんだ。小野寺も小野寺だ、有馬が動かないからって被ってるジャージの袖結んで遊ばないで欲しい。スライムがあらわれた、じゃない。イオナズンされたくなかったら黙ってろ。
「……さっき、怒ってごめん」
「……………」
「ペンは伏見が直してくれたからまた使えるし、ほんとに買って返せってわけじゃ」
「……悪くないのに謝んないでくんね」
「……うん……」
「……………」
「……………」
「殴る」
「待って」
「待たない、殴る」
「やめて」
「俺の個人的な腹立ちの元に殴る」
「だから伏見連れてきちゃダメだって言ったじゃんか……」
「連れてきたんじゃなくてついてきたんだもん」
一歩踏み出した俺の手をがっつり捕まえながらぼそぼそ小声で話している弁当と小野寺に離せ離せと暴れてみたものの、あまり効果がなかった。だってこいつむかつくんだもん、一発でいいから殴らして、ぽこってやるだけだから、ほんと一回だけだから。
弁当と有馬に喧嘩されると、弁当がおかしくなって俺の生活に支障が出るから、出来るだけ避けていただきたい、と改めて思う。


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