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おはなし



アラームの音で目が覚める、午前七時。手探りでそれを止めて、寝転がったままぼんやりと今日の予定を思い出す。今日は昼から授業、六時からはバイト、夜は雨が降る予報。うっかり昨日と同じ時間にセットしてしまったせいで、いつもより早起きだ。お昼ご飯食べてから出ればいいから、まだもう少し寝れるけど。一旦目を閉じて、二度寝してしまおうかとも思ったものの、やめた。布団を除けて体を起こすと、まだ寝てる同居人の煩わしげな唸り声が耳に届いた。こいつも今日は夕方からだし、昨日散々疲れさせたからまだ起きないだろう。一応布団を掛け直して、顔を洗いに洗面所へ向かった。
二つ並ぶ歯ブラシに、二人分混ざった洗濯物。我ながら、よくもまあここまで囲ったものだと思う。どうしようもない独占欲に気がついてしまった高校生活が三年、手の届かない場所に遠ざかった喪失感に狂いかけて一年、一人暮らしを始めた相手の世話を焼く体で転がり込んで半年、家賃を折半してシェアハウスを始めてからはもうそろそろ一年。出会ってから、通算約五年半。恋とも愛とも付かない汚れた欲を抱いた自分の隣に、よくあいつはのうのうといるものだとすら思う。こちら側の思いになんて全く気づいていない無防備さと察しの悪さは、ある意味とても残酷だけどありがたい。酷いこともしてきたつもりでいるのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、引きずることをしないあいつは学習せずに俺の前で平然と女の話をするわ服を脱ぐわ酔っ払って擦り寄ってくるわ、耐えるこちらの気にもなって欲しい位だ。大概耐えられずに昨晩のようなことにはなるわけだけど、恐らくあと少ししたら起きてくるあいつは、体が痛いだの服を着せて欲しかっただのと一頻り文句を言った挙句に、けろっとそんなこと忘れてしまうんだろう。そういう奴だ、なんてもういい加減に分かってる。
好きだとか、愛してるとか、そういう感情に自分の気持ちが当てはまるとも思えないから、伝えたことはない。じゃあこいつは俺のなんなのかって、それこそ永遠の謎だ。何処かに行かれたら困るしすごく嫌だ、誰かに取られるくらいならいっそ殺したい。そんな獰猛極まりない衝動を内包しつつも手元に置いておきたい気持ちでいっぱいだけれど、それは大切にしたいとか愛でていたいとかそういう優しい感情ではなくて、いいから黙ってここにいろ、に近い。それを口にせず強制しているのが今であって、それに全く気付いていないのが彼であって、それに安心してしまっているのが俺であって。ここに繋ぎとめるためならどんな手段だって使ってみせる、と無意識に思う。それは例えば家賃その他諸々の折半であったり、体の関係であったり、そういったことだ。頭が沸騰した俺のせいでセックスして、そこからだらだら続いてる歪んだ関係がもたらした利点があるとするなら、あいつの性欲処理が女の子相手じゃなくても事足りるようになったことくらいか。あっちからしたらぶっちゃけ利点でもなんでもない。そこに関しては申し訳ない半分、俺をぶん殴ってでも逃げなかったんだから本当は嬉しかったんだろうがと都合よく考えたくなるのがちょっと、残りはまあいっかが占めてる。
衣食住を共有して、おはようからおやすみまでがっつりべったり一緒に過ごして、挙げ句の果てには所有権を奪うために体の中まで蹂躙した。それでも尚足りないと求める自分の頭はおかしいのだろうか。まあ、そこまで許しているあっちもあっちで大概変わり者だと思うけれど。
「……んん……」
「……………」
起こすつもりはなくとも、俺ががさがさ支度してるとあいつは起きてしまうので、できるだけ静かに身支度をする。朝飯はなににしようか、その前に服を着ないと、なんてうろうろしていると、山になっていた布団が動いた。ほっぽり出されてたスウェットを着て、中で身動ぎしてるらしい布団を放って台所へ向かうと、低い唸り声。毎回寝起きに重低音で唸るのやめてくれねえかな、頭ぼっさぼさだし目つきは悪いしで怖いんだよ。一応振り返っておはようを言えば、肩からずり落ちた布団を体に巻きつけてこっちを睨んできた。正しくは、目が悪いから見えてなくて睨んでるだけだ。背中に堂々と鬱血痕が残ってるなんて恥ずかしい奴、まあ俺のせいなんだけどさ。大きく欠伸をして腕を伸ばして、眠たげに口を開く。
「……んぐ、うう……」
「おはよ」
「……ひさたけ」
「あ?」
「ぱんつ……」
「その辺」
「……ない」
「眼鏡かければ」
「ない」
「ないわけないだろ」
「ないって」
「もっとよく探せ」
「んん、だってほんと、ふぁ、ふ、ここに置いたのにな、あった」
「ほら見ろ」
「ん、見える」
「欠伸ばっかしてるから見つかんねえんだ」
「なあ、パンツどこ」
「だからその辺って」
「ねえもん。お前どっかやったろ、俺に一日パンツ穿かさない気なんだろ」
「卵どうすんの」
「焼いて」
延々終わりそうになかったのでコンロに向き直って朝飯の支度を始めれば、背後で布団を抜け出してぺたぺたと歩き回る音がした。がたがたと引き出しを開けているようなので、パンツは見つけられなかったらしい。絶対その辺に落ちてるっつってんのに、昨日ほっぽったの覚えてんもん。あんまり整理整頓されていて綺麗とは言い難い二人部屋なので、後で洗濯物掻き集めた時にでも出てくるだろうと楽観視しておく。自分の立場を守るために言わせてもらえば、俺はこいつのパンツなんか触ってないしどっかに隠してもいない。言いがかりだ。
「さむ……」
「服着れば」
「着せといてくれりゃいいのに」
「めんどくさい」
「んん、いてて、すげえ鳴る」
ごきごきと骨を鳴らしながら、点々と散らばった服を拾っては身につけていく。さっき予想した文句がほぼほぼ正解だったことに、落胆するやら感嘆するやら。まあ大体同じことしか言われないし、せいぜいさっきの文句に追加されても、今日予定あったのにお前のせいで云々とか、そんなもんだ。起きれなくなるまでうっかりやりすぎちゃうことはあんまり無いし、流石にそこまでしたら俺だって悪かったと思うし、申し訳ないからもっと甲斐甲斐しく世話する。
洗面所へ消えたり、布団にダイブしてみたり、俺の後ろを擦り抜けて冷蔵庫の中を漁ったり、若干邪魔だったので先に食パンを与えておいた。先に起きた方が朝飯係って何と無く決まってるから、これで大人しくなるだろう。
「パン?実家パン?」
「だったら何」
「惣菜パンはないの?」
「ない」
「ちぇー」
「卵」
「乗っけて」
話しながら焼きあがった卵をフライパンごと持って行けば、パンを突き出されたので乗せる。俺もいい加減腹減ったから飯にしよう、昨日こいつが残したサラダがあるからそれも出して、肉類が欲しいところだけどそれは我慢だ。そんなに俺らは裕福じゃない。グラスに牛乳入れて持ってけば、じっと見つめられたのでパックごと渡した。飲みたきゃ自分で入れろよ。
「いただきます」
「いたらいれまふ」
「……お前自分の服着ろよ」
「ん?」
「それ俺今日着るつもりだったパーカーなんだけど」
「そうなん?ごめん」
「俺の外出着がどんどんお前の部屋着になってくんだけど」
「ちょうどいいんだもん」
「そりゃそうだろうよ」
俺が羽織るサイズのパーカーだから、お前からしたらさぞかし動きやすくてだらけやすい部屋着なんだろうよ、パンくずつけんな馬鹿。怒ろうかとも思ったけど、あんまり幸せそうに朝飯を頬張っているのでやめた。ハムスターみたいだ。
「今晩雨降るって」
「えー、俺夕方からバイト」
「俺も」
「シーツ洗わなきゃなのに、どうすんだよ」
「知らね」
「お前のせいだろ!知らねで済ませられないから言ってんの!」
「バイト何時に終わんの」
「聞いてんのかこのパン野郎!」
「晩飯外で食おうかと思ったけどやめた」
「ごめんなさい」
「なにがいい?」
「ハンバーグ」
「高い。素うどん」
「三百円ぽっちじゃ腹膨れねえよ」
「天ぷら乗せたら?」
「えー……なににしよっかな……」
現金なやつだ。まだコンタクト入れてないから眼鏡かけたまま、その奥で瞳を輝かせている顔から目を背けた。無邪気に無防備で俺に対して一切の警戒心を持たないこいつに付け込んでいるどうしようもない自分がその目に映されるのは、何と無く怖かった。


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