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おはなし



夢うつつで船漕いでる時に夢と現実の境目が曖昧になる、その感覚って嫌いじゃないけれど、夢を夢だと把握した瞬間のざあっと頭が冷える感じも割と好きだ。兎にも角にも、俺は眠っている間に割と夢を見るたちなので、俗に言う明晰夢とかいうやつにもしょっちゅう出会うわけで。
声も出ない。物にも触れない。靴もない、部屋もない、服もない。どうやら今回の夢の中では、俺は元々この世界にいなかったものとされているようだった。怖い夢じゃないだけいいか、夢だと分かっていて恐怖を味わいたくはないしな。これなら、透明人間みたいでなんだか楽しいじゃないか。体重もなくなったようで、まるで幽霊になった気分だった。ふわふわと見慣れた道を浮かんでいく途中、知った顔が歩いているのを追い越す。同じクラスの奴とか隣のクラスの奴とか先輩とか、あと幼馴染とか。
「あれ」
言ったものの、実際声は出ていないんだけど。一人で歩く航介の周りをくるくると浮いて、当也を探す。仲睦まじく二人一緒に登校、なんて滅多にあったことじゃないけど、出る時間が大幅に違うわけでもない、家の場所は隣、ときたら近くにはいるはず。全く見当たらない黒いふわふわ頭に、少し心臓がばくばくした。この夢の中の世界からいなくなったのは俺だけで充分だ。航介を一人にしないでくれ、一人ぼっちは嫌だ。
ふわふわ浮かびながら航介についていくと、見慣れた道と下駄箱と廊下を辿って、教室へ。おはよ、なんて友達と声を掛け合う航介の周りには相変わらず当也が見当たらなくて、周りの人をすり抜けながら隣のクラスへ向かう。もしかしたらこっちかもしれないし、と思いながらロッカーの名前を見たけど見つからなくて、多分きっと航介と同じクラスのはず。はらはらしながら教室の中を飛び回ったり、航介のところに戻って腹を突き抜けて遊んでみたりしてたら、チャイムが鳴る寸前にふわふわと欠伸しながら当也が入ってきた。なんだ、寝起き悪いから遅かっただけか、びっくりさせるなよ。自分がにこにこしてるのが何と無く分かりつつも当也の周りをふわふわしてると、こっちをちらっと見た航介がふいっとそっぽを向いた。
あれ?
「おはよ」
「おー、当也おはよー。どした?」
「寝すぎた」
「お前寝坊しない日ないじゃんかよ」
からからと笑われている当也が少し拗ねたように眉根を寄せた。なに言ってんだ、当也がそんなしょっちゅう寝坊するわけないだろ、寝起きは確かに悪いし時々チャイムぎりぎりにはなるけど、あんまり遅いと航介が起こして一緒に連れてくるんだから。何にも知らないんだなこいつは、ってとこまでちょっとぷんすかしながら思って、ふと気付いた。
そう、だよ。航介起こしてくれなかったの?なんで?航介家出る前に絶対当也の部屋のカーテン見るじゃん、それしなかったの?開いてたら行ってるから声掛けないけど閉まってたらピンポンするって前言ってたじゃん、そのはずなのに当也がまだ部屋にいるの分からなかったの?ぐるぐる頭を回る疑問と、当也が入ってきてから一度も振り返らない背中と、同じように航介の方を見ようともしない硝子越しの目が、ごちゃごちゃと混ざった。
「航介、飯」
「おう」
「さっきの宿題って何ページからだった?」
「56ページから」
「なあこのプリント当也のやつ、俺の裏についてたー」
「え、ありがと」
「次体育かあ」
「あっやべ、俺ジャージ下持って帰ってたんだった」
「今日体育合同だぞ」
「ご愁傷様でした」
「やめろよ!」
取り止めのない会話は続いていく。当たり前の学校生活がつらつらと流れる中で、それからもずっと、どことなくおかしくて。航介と当也が、会話をしない。それどころか、目も合わない。いつもだったら一言二言くらい話すし、いくら喧嘩してたってもうちょっと相手のこと気にするし、とにかくおかしかった。まるでお互いにお互いが見えていないみたいに、いないみたいに、忘れてしまったみたいに。ふわふわと回る中で、頭の中にぼんやり浮かんだのは一つの仮説だった。
俺がいないこの世界では、どうやら幼馴染二人はそれほど仲がよろしくないのではないか、なんて想像。いがみ合ってるってほど仲悪いわけでもない、どちらかというと興味がないというのが正しい。元々、言われる前からちょこまか手を出すようなお節介焼きの気にしいで割と明るくて声が大きめの航介と、言われないことは自分には関係ないのだと触れない一種の優しさで線引きをする物静かな当也じゃ、全くタイプが違う。もっとはっきり言ってしまえば、お互いにお互いを何と無く苦手な相手だと受け取っているんじゃないかとすら思う。実際問題、付き合ってる年数も関係あるにせよ、当也は航介の気回しをうざったく取っている面もあるし、明るい声をうるさく思っている節もあるし、反対に航介も当也の一歩踏み込まない距離感をどこか冷たく感じている瞬間があるように見えるし、あまり大きくは変わらない表情とか淡々とした口調とかをつまらないと思っているはずだ。知り合った当初、よくもまあ反りが合うもんだと感心したくらい、二人はばらばらなのである。蓋を開けてみれば案の定、すれ違ったり噛みつきあったりでしょっちゅういざこざしてたわけだけど。お互い大切なことを伝えるのは一番最後に思い出したようにするくらい当たり前に、あまりに近くにいる二人の間柄は、仲が良いとか悪いとかそういう物差しで測る次元でもない。だけど、繋ぎになってた俺がいないことで、振り返ればいつもいるからこそ安心できる距離がどんどん開いて、こうなってしまったようにも見える。酸素を吸って二酸化炭素を吐き出して、そんな風に生きていられることに毎分毎秒感謝してる奴なんていないだろう。隣にいることが馴染みすぎている、二人の間に俺みたいなのが途中参加してくることのなかったこの世界じゃ、航介にとっての当也も、当也にとっての航介も、見えない酸素みたいなものになってしまっているわけだ。
それってすごく、嫌だと思った。ふざけてんじゃねえぞ、と思った。
「だから昨日のあれ、いって!」
「航介どした」
「……なん、でもない……」
「当也あ、俺飲み物買いに行くけど」
「あ、俺もい、……行く」
「……何その顔」
「別に……なんか、頭痛かった」
「大丈夫かー」
「うん……」
夢の中ならではのご都合主義と言ってしまえばそれまでだけど、すっげえ頑張れば触ることは出来なくもないようで、二人を一発ずつ殴っておいた。思いっきりフルスイングしたにも関わらず反応があれだけってことは、俺の頑張りと二人に伝わった力は恐らく平等ではないけれど、まあいい。お前ら、二人ばらばらでお互い気にせず生きていけるのも今日までだと思えよ。そう念を込めながらじとりと背中を睨めば、ほぼ同じタイミングで揃って振り返って微妙そうな顔をしていたので、おかしくて笑ってしまった。
雪の降る帰り道。朝とは違い授業が終わる時間が同じだから、二人は同じくらいのタイミングで学校を出る。出来るだけ時間を被せようと、航介が開けようとする下駄箱を全力で閉めてみたり、傘立てを足に引っ掛けようとずらしてみたり、無駄な時間稼ぎをいくつもいくつもした。その結果、少し前を航介が歩いていることに気づいているのかいないのか、当也がついていく形にまでは持ち込むことが出来た。くそ、ほんとに一秒も振り返りもしねえ。ふわふわと間を飛び回って、当也から航介まで体をびゅーんって突き抜けてみたりしたんだけど、全く意にも介されなかった。
「おいこら!航介てめえさっき授業中寝てたろ!当也にノート見してもらえよ!」
「……………」
「当也も当也だよ!おはようくらい言えよ!ただでさえ喋んないんだから挨拶はしろよ!」
「……………」
「んもおおお!」
聞こえてないのは分かってるけど声を荒げる。前に回り込んで航介を突き飛ばすと、積もった雪でずるんと一瞬足を滑らせたので、これは使えるんじゃないかと鞄の紐を思いっきり掴んだ。すかってなったらどうしようかと思ってたけど、がつっと掴める感覚があって、航介の足が止まる。何かに引っかかったと思ったらしい航介が訝しげな顔で周りを確認してるところに、何故か止まっている航介を不審そうに見てる当也が近づいてくる。普通に考えたら当也はこのまま不思議そうな顔で通り過ぎるんだろうから、ええと、ええと、と航介の鞄を掴んだまま焦って考えて、周りを見回して、当也が横を通り過ぎる瞬間にそのまま二人まとめて突き飛ばした。
「うわっ」
「あ」
「わあああ」
突き飛ばした先は雪の積もった河原だったから、それを確認して容赦無く全力で押したんだけど、突き飛ばされた航介が支えとして当也に手を伸ばして、もちろん当也が航介の重さに耐え切れるはずもなく一緒くたに足を滑らせて倒れて、転げ落ちる寸前に当也が俺を掴んだ。引きずられるままに視界が反転、ざかざかと音を立てながら川っぺりまで滑り落ちる。当也を具にしたサンドイッチみたいに重なって、ごろごろ転がったせいで口やら服の隙間やらに入った雪をぺっぺっと吐き出していると、一番下敷きにされてる航介の低い低い声が響いた。
「……てめえ……」
「ちょっと、航介、鞄が俺の足に引っかかってんだけど」
「うるせえな、自分で取れよ」
「お前が抜けないと取れない」
「朔太郎がどかねえと俺だって動けねえっつの」
「……え?」
「あ?」
「俺?」
「……一番上に乗っかってるの、誰だと思ってるの」
呆れ顔の当也が体勢を変えて、立てないなら押すから、せえの、と俺を起こしてくれた。航介の鞄の紐で足が絡まってる二人がぶつくさ言いながらそれを解いてるのを見ながら、自分の体を見回す。制服にマフラーと鞄、靴も履いてる。さっきだってそうだったけど、さっきまでと違うのは、幽霊みたいに全てをすり抜けてた俺の体に雪が積もっていくことだ。
「あーあー、当也が押すから、鞄ぐちゃぐちゃ」
「俺じゃないよ、朔太郎が押してきたんだ」
「いきなりなんなんだよ、おい」
「……う」
「うわ、なに、どした」
「どっか痛いの?」
「よ、よかっ、かえって、これっ」
今にも泣き出しそうに震える声が、かっこ悪いなあ、と思う。きょとんとこっちを見ていた二人が顔を見合わせて首を傾げるので、それが妙に安心して、ぷつんと意識が途切れて。

目が覚めたらいつもより少し遅い時間だった。今日一限テストだって言ってた、遅刻するわけにはいかない。ばたばたと支度をして朝ご飯口に詰め込んで、行ってきますをもごもご告げて靴を履く。見慣れた道を急ぎ足で進む、夢の中ではびゅーんって飛んで行けたのにな。地に足がついているから、走れるし歩けるわけだけどさ。教室に飛び込むと、何故か当也が首を捻っていて、後ろから肩を叩く。
「おはよっ、どしたの」
「……寝違えた」
「俺は寝坊した!」
「なんか遅いと思ったよ」
「首痛いの?」
「変な夢見てさ。航介も同じ風に寝違えてんだよね」
こきこきと首を曲げる姿に、なんだかわかんないけど感極まってばしばしと背中を叩いた。


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