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おはなし



周りからの目を気にするのは、別に中学に入ってからの話じゃない。だって嫌になるくらい人の目は向けられてきたから、他人が怖くなるくらいに好意も悪意も嫌悪感も見てきたから、今目の前にいるこの人に自分はどう思われているのか、なんてそれこそ小さい時からずっと気になり続けてはきた。友達だと思ってた奴にある朝無視されたことも、優しかったはずの大人に強く手を引かれて怖い思いをさせられたことも、誰からだか分からない行き過ぎた好意を押し付けられたことも、学習にはなったと思えば無意ではなかったということだ。
自分を取り繕うようになったのは確かに中学で部活に入ってからだし、周りから見て丁度いい場所を自分の立ち位置にしたいと欲しがるようになったのも、同じ頃。出しゃばるわけでも引っ込むわけでもなくクラスの真ん中辺りにいるやつになろうとするには、自分の言いたいことは纏めて飲み込めばいいんだとか、流行り廃りに合わせてゆるゆらと流されて行けばいいんだとか。そうすれば至って普通の友達になりきるのは簡単なのだと、気づいてしまったのだってきっとその頃だった。嫉妬されるのには慣れてしまったので、嫉妬される自分をどうにかしたいとかそんなこと考えるのはやめることにした。だって、嫉妬する馬鹿な人間を排除した方が早いんだ。自分の周りにいる人間がもし俺を悪く言う人間を見つけたとして、それこそが悪だと思う程に守られる立場が欲しいとか、そうぼんやり考えながら外面作って笑い出した、中学生。
外面被るのが当たり前になった頃に、他のやつがやってたから始めた、文字制限のある短い日記のようなそれは、全世界に公開されるネット上の希薄な繋がりをくれた。現実世界の知り合い用に一つアカウントを作って、もう一つ作ってみたのは本当に気まぐれだった。誰にも教えない、顔の見えない相手とだけ繋がるためのアカウント。
『そろそろ冬服欲しいなあ』
『おっきいホットケーキってどう作るんだろう』
『テストやだ』
『おなかいたい』
『あったかくなってきたね』
『おはよお』
『赤ペンなくなった』
現実の知り合いに向けるにはどうでもよすぎる独り言をぽつりぽつりと呟く内に、いつの間にか俺は女の子になってた。別にそうしたいわけじゃないけど、そうなっちゃったら見知らぬ誰かが返事をくれる回数が増えた。そうなってることが分かったから、靴とか手とか、ちまちまと自分の一部分がフレームインしてる写真をつけるようにしたら、返事をくれる人の数がぐんと増えていった。やっぱりここでもちょっとかわいいとちやほやされるんだ。でもここには、それに嫉妬する馬鹿はいない。いるかもしれないけど、広大すぎて目には入らない。
『えーが見てくる』
『傘持ってないのに雨すごい』
『じゅうでんなくなる!』
『髪切らなきゃ』
『なんか、頭ぼーっとする』
『ねむい』
『かぜひいた』
本当に心の底から、暇潰しの遊びだった。会いたがる奴とか、せめて声だけでもって縋ってくる奴とかもいたけど、ただの遊びだったからみんなのろりくらりと躱してきた。やだもう遅刻だよって短い言葉に記号をつけて送信すれば、四方八方から飛んでくる心配の言葉や、画面の彼方から一方的に仲良しだと勘違いしてる馬鹿のからかうような言葉に返事をするより早く、三限目が始まる。遅刻なんかするわけねえじゃん、ほんと馬鹿ばっか。
そんな遊びをのろのろと続ける中には時々サービスしてやるつもりで、ピースした手とか後ろ頭とか胴体の切れ端とかが写り込んだ写真をそっと添付する。女の子が発信者だと信じて疑わないクソ野郎共は、俺を褒めて持ち上げることで近づこうとする。生放送興味ないのとか、みんなでスカイプするからおいでよとか、欲丸出しのばればれ。確かにわざわざ性別公言はしてないけど俺が男だって分からないとか、そんなんだからお前らリアルが充実しないんでしょ?どうせ女の子と出かけたことなんてないんでしょ?彼女いたことだってあるわけないでしょ?なんて聞くわけにもいかず、画面に哀れみと嘲笑を向けるしかない俺の気にもなってくれ。腹抱えて笑いたくなることが何度あったかなんてもう知れない。
『カーディガン買おっかな』
『にがいのすきくない』
『肉まんがおいしいコンビニ教えて』
『短縮授業やったあ』
『明日は試合だー』
『なんかつかれた』
『そろそろ機種変しよ』
『体重じゃなくて身長増えろよお』
『おやすみ』
なんてやって三年近く遊び続けてたのが、ある日何のきっかけだったか忘れたけど、小野寺にばれた。怒るパターンも嫌がるパターンも拗ねるパターンも考えてたけど、ぽかんとされるのはちょっと予想外だった。流石に喜ぶわけはないよな。
「おーい」
「……で、であいちゅう……」
「出会ったことねえっつの」
「……なんだっけ、ええと、えっと、ね、ねかま……?」
「女だなんて言ったことないし。あっちが勝手に妄想膨らませてるだけでしょ」
「はあ」
「怒んないの?」
「なんで」
「嫌がんないの?」
「……なんで?」
心底不思議そうな顔をした小野寺に、なんとなくかちんときて噛み付く。だっていつもはお前、俺が周りからちやほやされてるの嫌がるじゃん、好意の的にされてると拗ねるし怒るしもごもごうるさいじゃん、誰にでもにこにこすんのやめてって言うじゃん。なのにこれはいいっておかしいでしょ。大事にされてない気がした、ような気がしたのがすっごい腹立たしくて背の高い小野寺をぽこぽこ殴りながらぎゃんぎゃん文句を言った。かと言ってアカウント消せって言われたらそれはそれで文句垂れるんだけど、何の反応も示されないのはそれはそれで嫌っていうか。痛い痛いって言いつつもされるがままだった小野寺が、俺の手首を掴んで止めた。
「もう、痛いってば」
「うるさい、ばーか!今度誰かにオフ誘われたら会ってやる!」
「やめてよ!なに自棄になってるの!」
「だって、」
「顔も知らない誰かが追いかけてるのは、伏見じゃなくて伏見が作った女の子でしょ?」
「おま、え、が……」
「伏見がみんなに囲まれてるのはちょっとやだけど、その誰かさんは俺に関係ないし」
「……………」
「お前が作った女の子の誰かさんじゃなくて、画面越しでも伏見に興味がある奴には、俺は怒りたいけど。そういう人っているの?」
「……いない……と思います……」
「うん」
へらあって笑った顔が憎たらしい。くそ、ばか、そりゃ特定なんかされるわけないし言い寄ってくる奴は根こそぎ俺のこと女の子だと思ってるしそれを俺は笑ってるけど、そんな余裕を見せつけられちゃ何も言えない。そりゃリアルで男の子の俺はお前の横にいますよ、でもネットで女の子の俺はそうじゃないんですよ、それは小野寺的にオッケーなんですかね。そう聞けば、ネット上に存在する女の子の伏見さんは俺の知らない人ですね、と笑われてしまった。怒ってないし拗ねてないし嫉妬してないし、正妻の余裕的なもの見せつけられるし、なんなの。
掴まれたままの手首を引かれて、膝の上に閉じ込められる。なに言ってるのか見せてよ、と携帯を覗き込まれたのでホーム画面を開いた。短い俺の言葉を遡って行く小野寺は何も言わなくなってしまってつまらなかったので、気を引こうとかりかり鎖骨辺りを引っ掻いた。
「……彼氏がなんとかって言ったら、男減るかな」
「んー」
「ねえ、ほんとにやじゃないの?小野寺変」
「伏見も変だよ。そんなに疚しいことしてるの、お前」
「会おうとか声聞かせてとか、俺言われるよ?いいよって言っちゃったらどうするの」
「それはだめ」
「なにそれ」
「可哀想な男に夢をあげる、画面内のかわいい女の子でいるのは、いい」
「……お前は可哀想な男じゃないの」
「現実で伏見といる俺は可哀想じゃないので、優越感を持っているのです」
「ふうん」
「画面の中で伏見がちやほやされる毎に俺は、でもまあお前らはこいつの顔も我儘も知らないわけですけれどもね、と勝ち誇ることが出来ます」
でもあんまり誘惑する写真はやめてね、と笑い交じりに耳元で吹き込まれて、身を捩った。そんな写真載せたことない。女だと言ったこともないけど、男だって知れるのもなんとなく嫌だから、どっち付かずになるように体の端っこしか写したことなかった。俺を片手で羽交い締めにしながら、ほんとだ、かわいそ、なんてもう片手で誰かさんが俺に向けて飛ばした会話を見ている小野寺を見て、こいつ性格悪くなったな、と思った。誰のせいかはもう自分でよく知ってるから、突っ込まないけど。
『どっかのばかのせいで寝すぎちゃった』


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