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おはなし



「え?東京?」
「うん」
「へええ、すごいねえ」
「そうかな」
「うん。そっか、じゃあ一人暮らしするんだね、当也」
「……そうなるね」
いつもと同じように、海っぺりに腰掛けて当てもなく目的もなく釣り糸垂らしてる時だった。隣でぽそりと吐かれた、高校卒業したら東京に行くんだ、なんて言葉を拾い上げてそっちを向けば、海風に吹かれてふわふわの黒髪を揺らしている当也がぼんやり遠くを見ていた。将来とかそういういろいろを考えてるようには見えなかったから、ちょっとびっくりする。航介は、まだきっと知らないんだろうな。この二人はいつも一番近くにいるようでいて、大事なことを知らせ合うのは一番後回しにするから。相手は自分じゃないんだから、言わないと分からないことだってたくさんあるのにね。
全くぴくりともしない釣り竿を握ったまま、ふらふらと足を動かす。うーん、なんて言ったら良いのかな。がんばれって思うし、さびしいとも思うし、両方伝えたいけど両方言ったら訳分かんないし。もごもごしてると、黙った俺に気づいた当也が首を傾げた。お腹空いたの、なんて聞かれたけどそうじゃない。航介が来る前に、俺しかいない時にこの話をしたのには、きっと意味があるはずだ。俺としか出来ない航介には秘密のことを、一つ作りたくなった。
「手紙を書いてよ」
「ん?」
「メールじゃなくて、電話でもなくて、手紙。当也の字、綺麗だし」
「……文通しようって?」
「楽しいでしょ」
「いいけど、そんな頻繁には出来ないよ」
「いいよ。暇な時とか、楽しいことがあった時に教えてよ」
「じゃあ朔太郎もちゃんと返事してね」
「もちろん。いっぱい送ってあげる」
「そんなにはいいよ……」
「当也の撮った写真も見たいな。いろいろ見せてね」
「……うん」
そんな口約束をしてからしばらく経って、当也は見事に言葉通り東京の大学に合格して、実家を出て行った。忘れられちゃってたらちょっと悲しいなあなんて思いつつ、でも俺もお役所で働き始めててんてこ舞いだったから自分から送ることは出来ず、時間だけが過ぎて行く。
当也が一人暮らしを始めて一ヶ月経ったかどうかのある日、一枚手紙が届いた。見慣れた綺麗な字で書かれた俺の名前と住所に、まだ開けてもない封筒をばたばたと家族に見せびらかしたっけ。中身は、薄くてきちんとした縦書き便箋一枚。至って普通の内容で、大学が始まりましたってこととか人がたくさんで電車やバスに乗り間違えないように気をつけてますってこととか、そっちも暖かくなってきましたかってこととか。手紙だからなのか、何故か少し丁寧な言葉で綴られたその紙を何度も何度も読み返して、返事を書くための便箋を買いに行った。ルーズリーフで返すのはちょっと憚られたし。
「ええと……お手紙ありがとうござい、ます、っと」
こっちも少しずつ暖かくなってきています。入学式に桜は間に合わない、いつも通りのお天気です。航介が卒業してすぐに染めた髪は少しずつ伸びてきて、ついに根元の黒い地毛が見えてきてしまいました。元々髪の毛が伸びるの早いくせに、何を考えているのでしょうか。当也からも言ってやってください。
書きたいことはたくさんあった。この前お休みの日に暇が出来たから、いつもは三人で行ってた場所に一人で釣り糸垂らしに行ったら、いつの間にやら猫の溜まり場になってたこと。お仕事してる時にしょっちゅうボールペンをどっかにやっちゃうから、上司がちっちゃい子用のおなまえシールを持ってきて貼ってくれたのが悔しいけどものすごく役立つこと。多分教えてないだろうから一応教えとくけど、やちよが髪を切ったこと。当也に勉強をたくさん教えてもらってた友梨音が、とてもとても寂しがっていること。この手紙を、友梨音にだけは見せてあげようと思っていること。
「次に、来た時に渡して、って、言われたものを、同封して、おきます。……長いかな?」
書きながらぶつぶつ言っちゃうのはただの癖だ。友梨音がくれた、お守りシールを一緒に入れて封を閉じる。これ大事にしてたやつなのにほんとにあげちゃっていいの、って聞いたら、ゆりのシールがとーやお兄ちゃんを守ってくれるの、ってしゅんとしながら教えてくれた。きちんと守ってくれますように。
手紙のやり取りは本当に不定期で、一ヶ月に一回くらいの時もあれば、手紙が届いたらすぐ返事の繰り返しで一週間置きくらいの時もあったし、どちらかが忙しくなるとぱったり途絶えることもあった。当也は約束をきちんと覚えてくれていたらしく、この前友達とこんなところに行きました、最近うちの周りに住み着いた野良猫です、なんて風景とかの写真を一緒に送ってくれた。人は写っていないその写真たちのことを俺は結構気に入って、ちっちゃいアルバムに入れて時々見返したりもする。俺からも時々写真を入れて手紙を書いて、いつの間にか当也の家の住所と郵便番号なら空で言えるようになった。三ヶ月に一回くらいの割合で友梨音が、可愛らしいメモに書かれた手紙だったり、自分で作った押し花の栞だったりを、これも一緒に送ってって頼むから、時々切手を多めに貼らなきゃいけなくなることもある。
「大分、寒くなってきましたね、辺りはみんな、真っ白、で、あっ、間違えた」
今度友達を連れて帰ります、と手紙が届いたのは冬真っ盛りの時期だった。友達とか言ってぼやかしてるだけで、ついにあの朴訥年にも彼女の一人や二人できたんじゃないかとほんの少しそわそわしたけれど、全くそんなこともなくしれっと帰ってきた。当也は会わない内に料理が上手になっていて、びっくりしたっけ。
初めて会ってからというもの、伏見くんたちは基本だらだらごろごろしている。みんなでお風呂に行ったりスキーしてみたりも勿論したけど、特にすることの予定が決まっている旅行ではなかったようで。今だって、当也に釣りしたいねって何と無く零したら、俺も行く連れてって、とかってみんなぞろぞろついてきたし。
「釣りしたことある人、挙手」
「はい」
「はあい」
「……有馬くん、それはそう使うものではありません」
「いや、俺はこう使いたい」
「そんな鈴なりに重りつけてどうすんだよ」
「沈ませる」
「一個で沈むよ!」
「……小野寺はやったことあるなら、大丈夫だよね。はい」
「ありがとー。ここってどんなのが釣れるの?」
「……どんなの……?」
「基本あんまり釣れた試しがないよ」
「場所が悪いよねえ」
「えっ……なんで前々からこの釣れないと分かり切ってる場所で釣りしてるの……」
「なんとなく」
「あれ、伏見は?」
「寒い無理っつって、車の中であったかいお茶飲んでる」
随分自信たっぷりの癖に、釣り糸に重りを一生懸命いっぱい結びつけちゃってる有馬くんを、呆れ顔の航介が見下ろす。小野寺くんはやったことあるって言うなら安心だ、ほっといても大丈夫。近くに停めた車の中から伏見くんが、ねえまだ釣れないのお、なんてぬくぬくしながら声だけこっちに寄越すので、有馬くんの側から離れた航介が車内から引き摺り出しに行った。あの力任せヤンキーに可愛くて非力な伏見くんが敵うはずもなく、哀れみを誘う嘘泣きと共に担がれて連れて来られる。餌気持ち悪いし触りたくない、寒い帰りたい、とかぶつくさ言ってる割に、じゃあ帰るか、と航介が話を振ればぶすっと黙ってしまうんだから、分かりやすくていいや。
くっちゃべりながら望み薄で糸を垂らしていると、普段からそうだけど更に輪をかけて静かだった当也がふらふらってちょっと遠くに行った。もしかしたらあっちのが釣れるのかな、そしたら魚を横取りしてやろう。ちょこちょこ近づいてって後ろから覗き込むと、当也は携帯を海に向けていた。なんだ、捨てるのか。
「うわ」
「なにしてんのお」
「……写真」
「しゃしん」
「でも、よく考えたらこれは送らなくてもいいやつだったね」
「ん?ああ、手紙に入れてくれようとしたの?馬鹿だなあ」
「うるさいな」
「ここ釣れる?」
「どこだって変わんないよ。船で沖まで出たら少しは違うだろうけど」
「それもそうだ」
「……友梨音ちゃん、昨日会ったよ。背が伸びたね」
「んー、喜んでたよ。とーやお兄ちゃんに頭撫でてもらったって」
「手紙とか色々貰う度に、書ける字が増えてすごいなって思ってた」
「小五になる時に当也行っちゃったもんね、そりゃ成長するよ」
「うん」
マフラーがふわふわ風に靡くので、上着の中に仕舞う。ぴくりとも来ないのにも慣れっこだ。当也はぼけっと待ってられるからあれだけど、俺はじーっと待つのあんまり好きじゃないから、隣に比べたらそわそわする。少し遠くから聞こえる四人の声が響いて、当也がふわふわと欠伸をした。
「そういえばなんで当也手紙だと敬語なの」
「朔太郎もじゃん」
「それは当也が敬語だから」
「俺だってそうだよ」
「そ、あっ」
「わあっ」
ぴくん、と動いた俺の持ってる釣り竿に、二人して立ち上がる。すごいびっくりした、絶対釣れるわけないって舐めてたから。だって釣れたことほとんどないし、この辺にはそもそも魚が存在しないんじゃないかと思い始めたくらいだったのに。引っ張られる感覚に合わせながらそーっと上げて行くと、手のひらサイズのすっげえちっちゃいのが一匹だけかかってた。二人でそれをぽかんと見つめて、無言で針を外してあげた当也がぽいっと海に返す。うん、俺でもそうする。
「あー!なんで今の返しちゃったんだよ!」
「うわ、びっくりした」
「だってこんなちっちゃかったから」
「見て、期待を裏切られて可哀想な背中」
「……後ろから撮るのやめてよ」
いつの間にか釣り竿ほっぽり出してこっちに来てたらしい有馬くんと小野寺くんに、俺と当也がぽかんとしてるとこの写真を見せられる。当也は写真撮られるのあんまり好きじゃないからちょっと不満そうだけど、俺は後から小野寺くんにお願いして送ってもらった。これも印刷して、今度の手紙と一緒に届けてあげようと思う。


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