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遊園地



「夏だしさ」
「暑い」
「そんなん我慢しろよ」
「だって暑いし、なにより暑い」
「しつけえ!」
「弁当も暑いからやだって」
「……え?なに?」
「有馬が俺のこといじめる、叱って」
「はあ、やめなさい」
「聞いてなかったじゃん!何一つ聞いてない奴に変なこと吹き込むな!」
「……そんでお前のそれはなんなの」
「あ、これ?割引券」
「こんなんあの馬鹿に見せたら食いつくに決まってるのにさ」
やめてよね、と伏見が小野寺のことをげしげしと足蹴にする。ごめんねえ、なんて全く意に介さぬ様子でへらへらしてる小野寺の手にあるのは一枚のチケットで、それをぱっと取った有馬がこっちに突き出す。暑さに負けて買ったシェイクはとっくに溶けてどろどろで、冷房の効いてるはずの部屋にいるはずなのに机の上とコップを持つ俺の手は水浸しだった。中身のないそれをずるずる啜りながら紙切れを受け取って、文字を目で追う。割りかし近所にある遊園地、っていうかこれ小野寺のバイト先じゃなかったっけ。夏だからとやってるらしいちょっとしたイベントが大々的に銘打たれてる表面を見ていれば、そっちじゃねえ、と有馬の指が伸びてくる。
「こっち!安くなってんの!土日もおっけーなの!」
「たかが知れてるじゃん」
「だと思うじゃん?」
「……書いてある値段じゃないの?」
「その半分でいいんだよな!なっ小野寺!」
「うん、あいた、伏見痛い、いた」
「半分なわけねえだろ、どうせ行ったら手伝いでもやらされるんだ」
「そんなことないって、お礼にって貰ったんだから、ほんとにただの割引券だよ!」
「ええ……」
ぽかぽかと小野寺を殴りながら疑わしい目を向けている伏見の気も、分からないでもない。でも、小野寺ずっとバイトしてるから社員の人とも仲良いみたいだし、夏休みだからって貰ったんだって話も嘘じゃないだろう。半分ってのが、随分思い切ったなあ、と思わなくもないけど。
「夜花火やってるでしょ?混むんじゃないの」
「それも見やすいようにしてくれるって、裏入れてもらえるのかなあ」
「えっ」
「えっ?」
「えっ」
「な、なに」
「小野寺お前、バイト先になにしたらそんな至れり尽くせりしてもらえるの」
「なんにもしてないけど……」
「これから馬車馬のように働かされるのかもしれない」
「死んだら骨は拾ってやるからな」
ぽんぽん、と肩を叩く有馬に若干びびり気味の小野寺が引く。本気にしなくてもいいのに、伏見の真顔が拍車をかけてる。じゃあいつにしようか、どうせなら花火が見れる時がいい、なんて至極正当な主張に始まって、俺この日ダメ、でもこっち俺昼から予定ある、じゃあここしかないじゃん、えー遠い、と我儘言い合って、なかなか決まらずに。
当日の待ち合わせ時間は、割と早め。案の定気分悪くなりそうなくらいに快晴で、雲一つないいい天気だ。じりじり照らす日差しから逃げるように日陰に飛び込んで、息を吐く。暑いね、と話しながらアイス片手に歩いていく高校生をぼけっと見ていると、その向こうから小野寺が片手を振って自転車で走ってくるのが見えた。暑そうなのが似合うな、なんて感想。
「おはよ」
「あっちい」
「チャリで来たの?」
「うん、いっつも割とそうだし」
「汗やばいよ」
「う、ごめん」
ふんふん、と服に鼻を近づける小野寺に、そういう意味じゃないけど、と苦笑いを向けた。チャリ置いてくるよ、バス出てるしみんなそれ乗るでしょ、と言って車体を反転させ、また走って行くのを目で追って携帯を取り出す。遅れるって連絡来てないってことはぎりぎりでも間に合いそうなんだろう、珍しいな。遊びに行く予定の時に遅れたことあんまりないし、やっぱりモチベーションの違いなのかな。
小野寺が戻ってくるより早く次の電車が来て、改札からたくさんの人が出てくる。お父さんの手を引いて走る子どもが、ジェットコースター!なんて叫んでるのを聞いて、あの子もきっとあそこの遊園地に行くんだろうな、と思う。ちゃんと遊園地に遊びに行くのなんて何年ぶりだろう。一人暮らし始めてからは勿論、実家にいた時だってそういうとこ行ったりしなかったし。ぞろぞろと出てくる人達の全員が、俺たちと同じとこに行くわけじゃないんだろうけど。人が途切れてきたから二人とも次の電車なのかな、と首を回したのとほぼ同時に、後ろから目を隠される。
「だーれだ」
「……伏見」
「残念!俺も残念!伏見の手がお前の目まで届くわけねえだろ馬鹿!」
「届くわ馬鹿」
「ふぎゃあ」
伏見に蹴り飛ばされてすっ転んでいる有馬が俺の目を覆った張本人だ。いや声で分かってたけど、正直に答えるのは癪と言うか。残念だったねえ、と有馬を見下していた伏見が、暑いのに待たせてごめんね、とこっちを向いた。コンマ一秒で顔が変わったところを見るに、きっとこいつ変面とかの使い手なんだ。中国とかが本場の、あの一瞬でお面がかぱって変わるやつ。そうでないと説明がつかない。
「ううん。俺も一つ前ので着いたとこだし」
「小野寺は?」
「チャリ置きに行った」
「あれでしょ、戻ってきたよ」
「あいつ自転車で来たの?すげえな」
「バスってどこから乗るの」
「あの辺」
「小野寺が知ってんだろ」
「お待たせえ、おはよう」
「飲み物買いたい」
「時刻表見てからにしようよ」
「どれ?何番?」
「三番だったかなあ」
わちゃわちゃ話しながらバス停へと歩く。俺と伏見が話してる後ろで有馬と小野寺が話してるかと思えば、そっちの会話をちゃっかり聞いてる伏見が口挟んで有馬と話し出して、手持ち無沙汰になった小野寺がこっちに話しかけてきて、何の話をしていたのやら有馬がぎゃんぎゃん騒いでるのを放ったらかした伏見がいつの間にか俺たちの会話に相槌打ってたりして、入り乱れるなんてもんじゃない。よくよく考えてみれば四人で同じことについて話してるわけでもないのに、よくもまあ会話が成立するもんだ。俺と小野寺なんてそこら辺散歩してた犬の話してたんだぞ、すれ違いざまに見てあの犬モップみたいだったとか言ってただけなのに、見てない伏見が会話に参加してくるってどういうことだ。俺はあんまりお喋りな方じゃないって自分でも思うけど、それでもこの中にいたら喋らざるを得ない。航介や朔太郎といた時は、朔太郎が一人でわあわあ言ってる時じゃなければ全員共に基本そんなに喋り通すタチでもなかったから、ほぼ無言の時間とかあったんだけど、そういえばこっちに出てきてからそういう時間はあんまりない気がする。有馬と伏見は、タイプは違うもののどちらも口が動き出したら止まらない人だから、それに引っ張られてるんだろうな。しかもいつも大概中身はあんまりないから、何の話してたんだかなんて一時間もしたら忘れてる。
「これしたい。水の上のやつ」
「あ、これ、テレビで見たことある」
「風船のやつ?これは別料金取られるんだよ」
「小野寺の権力でどうにかなんねえのかな」
「どうなってんの、これ。空気入れて人が入るの?」
「ならないよ、俺そんな偉くないし。これ、人入れてから空気入れて閉めるの」
「暑そう」
「歩きづらいんだよー、二人で入って一人転んだらもう立てない」
「やったことあるんだ」
「閉園後に遊ばしてもらった」
「暑いって言うか、蒸しそうだな」
「弁当これやったら転んで骨折れちゃうね」
「……俺骨折したことはないよ」
「ていうか怪我するような代物アトラクションにしないよ……」
「知ってるよ!弁当だから骨が折れちゃうっつってんの!」
「だから折れたことないってば」
「俺はある、跳び箱したら折れた」
「お前のことはどうだっていい」
「有馬骨折れたことあるんだあ、どんな感じだった?」
「ったん!ぽき!って感じ」
「ポッキーみたい」
「そのまま砕け散れば良かったのに」
「え?みんなねえの?ちょっと、骨折したことある人挙手」
「はい」
「はい」
「弁当以外あんじゃねえか!」
「ていうかなんでみんなそんな骨折れてんの」
「ばきって折れたわけじゃないから大丈夫」
「なにが?」
「ねえ、バス来た」
「え?後ろでお金払う式?」
「後ろから乗って前で払う式?」
「後ろ詰まってんだよ!とっとと乗れ馬鹿!」
ぞろぞろと乗車し、別に座らなくてもいいか、と前の方に立つ。向かう先は同じらしい家族連れが結構多くて、あとは高校生くらいの四人組とか、恐らく遊園地に行くためにこのバスに乗ってるわけではないおばあちゃんとか、人目も憚らずあからさまにいちゃつくカップルとか、二年目か三年目くらいらしき特にいちゃつきもしないカップルとか、異様にテンションの高い同い年くらいの男女グループとか。後者三つには有馬が憎しみのこもった目を向けていて、なんだか哀れだった。どれから乗ろうか、なんて小野寺が持ってきてたペラ紙の地図を見るため、四人で頭を付き合わせる。
「ジェットコースターにしようぜ、初っ端だし」
「ゴーカート乗ろう」
「とりあえずどっか入ろうよ、暑い」
「なんでもいい」
「じゃあお化け屋敷にするか?おい」
「嫌だ」
「お化け屋敷入り口から遠いよ、ここだもん」
「アイス食べよう」
「ジェットコースター!」
「アイス」
「あああああ!」
「伏見、人間の指はその向きには曲がらないと思うな」
「そうかな」
「そうだよ」
「もげた!千切れた!伏見が!」
「そんな憤慨しなくても一部始終隣で見てたって……」
「ゴーカートねえ、並ばなくて楽しいよ」
「人気ないってことでしょ、それ」
「水の上歩ける風船はどこなの」
「じゃあこれにしよう、でかいブランコ。ジェットコースターの代わり」
「メリーゴーランドも並ばないよ、おすすめ」
「小野寺のおすすめ駄目だ」
「……もう、じゃんけんにすれば」
「よし」
公正なじゃんけんの結果、俺が勝ってしまった。本当にどこからでもいいんだけど、お化け屋敷以外なら。ていうか、最初からなんでもいいって言ったのに、なんで俺までじゃんけんさせられたんだろう。特に行き先を決められず地図をぼけっと眺めていると、少し離れた席に座っていた高校生くらいの女の子が楽しそうにフリーフォールの話をしているのが聞こえてきて、もうそれでいいか。なんか遊園地っぽいし。ジェットコースターみたいなもんだし。
「ええ!?」
「フリーフォールって、あのぴゅって落ちるやつ?」
「弁当そんなん大丈夫なの」
「え、別に。落っこちたり速かったりするだけの乗り物は平気」
「……意外」
「でも小野寺も伏見も絶叫乗れるべ」
「んんー……」
「こいつ乗る前に、これ怖くない?どんくらい?平気なやつ?怖くない?ってうるさい」
「……小野寺……」
「不安になるもんは仕方ないだろ!」
「でけえくせに」
怖がる小野寺を平気な顔して馬鹿にしてるけど、そう言う伏見は絶叫系は全然なんでも大丈夫な人なんだろうか。ただ速いのは平気だけど浮いてる感じがすると駄目とか、その反対とか、絶叫駄目な人にも結構パターンあるじゃん。有馬は乗ると笑うって言ってたの、前に聞いたことあるけど。
なんて考えてる内に遊園地前に着いた。乗った時と同じようにぞろぞろ降りて、暑さにげんなりする。バスの中は多少涼しかったから忘れてたけど、今日一日炎天下だと思うとちょっと嫌気さしてきた。小野寺が入場券売り場のお姉さんとあーだこーだ話してるのを横目に、日陰に避難する。もう無理、帰ろうか、とか細い声で伏見が漏らしたのに大きく頷きたい気分だった。
「はいこれ、乗る時見せれるところにつけといてね」
「……小野寺は、この中のどこでバイトしてるとかないの?」
「着ぐるみやったり、そうじゃない時は人出が足りなそうなとこ手伝ったりだからなあ」
「じゃあ知り合いいっぱいいるんだ」
「うん、顔見たことあるくらいならいっぱい」
「さっきのお姉さんも?」
「ううん、あれは知らない人」
「どっちだよ」
「あの写真撮ってあげてる人は知ってる人?」
「知ってる人」
「あそこで掃除してる人は知ってる人?」
「うーん、微妙」
「あの着ぐるみの中は?」
「今日誰が入ってるかまで知らないけど、多分知ってる人」
「じゃあ」
「あの、それ言ってたら多分キリないよ」
あっちこっち指さして小野寺に聞いていた有馬が、遠回しに断られてしょんぼり黙った。暑さにやられて無言の伏見と、しょんぼりとぼとぼしてる有馬を引き連れて、さっきじゃんけんで決めたフリーフォールの方へ向かうと、普通に並んでた。列が日向なのがものすごく嫌だけど、まあ大行列ってわけでもないのが救いか。乗り終わったらアイスとかかき氷とか食べようか、なんて話しながら並んでいると、小野寺の後ろからにゅっとピンク色の手が伸びてきて、ぽんぽんと肩を叩く。
「うあ、なに、ぽんちゃん」
「……知り合い?」
「中が誰だかはわかんないってば、こいつの名前がぽんちゃんって言うの」
「ピンクの、なに?熊?」
「えっ……くま……では、なくない……?」
「近いと怖えな、着ぐるみ」
「どっからこっち見てんだろ」
「口じゃね」
「ぽんちゃんどうしたの、誰が入ってるの」
「誰とか聞いちゃっていいんだ」
「そこら中に子どもいるぜ、夢ぶち壊し」
「え?なに?くれるの、あっ、ありがとうございます」
「なにもらったの」
「……ヒーローショーの握手券……」
小野寺の手に何故か握手券を握らせたぽんちゃんは、颯爽と背中を向けて去って行った。足音的にはぼてぼてって感じだから、あんまりかっこ良くはないけど。来いってこと?なに?と戸惑っている小野寺の影に隠れて日除けしていた伏見が、見てあれ、と指をさした。
「ぽんちゃん蹴られてる」
「ほんとだ」
「子ども容赦ねえな」
「いいの?あれ」
「ああいうのは日常茶飯事だからいいんだけど、これくれるってことは、誰だろ」
「日常茶飯事なんだ……」
「次バイトの時聞こう」
なんかやらされそうだから行かないでいいや、とポケットに握手券を突っ込んだ小野寺は、フリーフォールの列に並んでいる間何回かひらひら手振ったり声かけられたりしてた。ほんとに知り合い多いんだ、バイト先だから当たり前か。俺も塾の生徒と道端でばったり会った時に挨拶程度ならあるから、不特定多数と一定期間同じ場所にいるようになればこうなるのもしょうがないと思った。顔が広いかどうかと言われると、それはそれでまた別問題っぽいけど。
伏見の言葉通りだんだん小野寺の発する声は、怖くないかな、大丈夫かな、に偏ってきて、あっという間に一番前まで来た。ぼけっと口開いたまま、上がっていく一つ前のお客さんを見ていた有馬が、ぼそりと呟く。
「落ちてる途中に安全バーが外れたらどうなんの」
「ひっ」
「どうって……」
「……まあ、死ぬよ。紐なしバンジージャンプだよ」
「やめて!なんで乗る直前にそういうこと言うの!?」
「宙に放り出されて、一瞬空飛んでる気分になって、ぐちゃりだよ」
「ぐちゃりかあ」
今から乗るアトラクション見ながらよくそんなこと言えるな、なんてこれに乗ることを提案した俺でも思う。言い出しっぺの有馬と悪乗りした伏見のおかげで小野寺の恐怖心が限界まで引き上げられたところで、次のお客様どうぞ、と笑顔のお姉さんが案内してくれた。列は後ろから俺、恐らく内心楽しんでる顔の伏見、それは怖いなあなんて零しながらまだぼけっとしてる有馬、全く進もうとしない小野寺の順で、一番先頭の小野寺が前に進んでくれないと全員詰まるわけで。
「やだやだ、やだ、俺待ってる、待ってる!」
「うるせえなあ、大丈夫だよ」
「サンダルの方、脱げやすい靴の方はこちらでお履物お預かりしますー」
「あっはい」
「ほらサンダル脱げよ」
「まだ死にたくない!」
「死なねえよ、やかましい」
「お荷物ロッカーご利用ください、ポケットの中も全て空にしていただきますー」
「携帯弁当の鞄入れとかして」
「自分のに入れればいいじゃん」
「どこ行ったか忘れるから持っといてってば」
「奥からお詰めください、どうぞー」
「うう……」
「案外往生際悪いんだね」
「事故ったらアトラクションにならねえって自分で言ってたじゃんか」
「……あんまりごちゃごちゃ言ってると、バーとお前の間に手入れるから」
「やだ」
伏見が吐き捨てた脅しですんなり座席に腰掛けた小野寺が、もし俺がアレしたら墓前にこないだ貸した漫画の最新刊を供えて、と嫌いな食べ物食べる時の顔で訴えてきたので頷いておいた。アレしたらってなんだ、意味は分かるけど。そういえば小野寺に借りた漫画面白かったっけ、宇宙が舞台のやつ。あれ結構巻数あったんだよな、もっとお金があったら買うんだけど、でもしまう場所がないや、とかなんとか考えてたらベルが鳴って、少しずつ見える景色が広くなって行く。外向きの円形だから見えないけど、きゃっきゃ楽しそうな有馬の声だけ聞こえて、馬鹿は高いところが好きだって言うし、と思いっきり失礼なことをぼんやり思った。

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