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おはなし


くっついてます



「なにこれ」
「……失敗作だから」
「リンゴだ」
「ねえ」
「いただきます」
「ねえってば!んぐ」
「うまい」
「ぐ、ぶはっ」
珍しく焦がしてしまったらしいリンゴのなにかを隠そうとする弁当を押さえつけて端っこを一口もらえば、拗ねられた。そんな怒んなくてもいいじゃんか、美味しかったよ。一番下にパイ生地みたいなのが見え隠れしてる、けど上に乗せられたりんごは弁当が作ったにしてはがちゃがちゃだしちょっと焦げてる、そんな本人曰く失敗作を食われたことが嫌で嫌でたまらなかったんだろう。台所の一番奥、日の当たらない場所でちっちゃくなって拗ねてる弁当の前にしゃがみ込んで顔を覗く。なんていうお菓子なの、と問いかけても返事は無かった。どんだけ機嫌悪くしてんだよ、別にいいじゃん、ちょっと失敗するくらい。
「……いつもはもうちょっと上手くできる」
「知ってるよ。なに?俺の好きなの作ってくれようとしたの?」
「別に」
「あったりー。有馬君大正解」
自分で言うのは虚しいけど、絶対当たりだ。拗ねてる理由が知れてしまえばなんて分かりやすいんだろう。体操座りで丸まってる弁当がもぞもぞと首を横に振ったのは、見なかったふりをしておこう。俺、特別ものすごく好きな食べ物があるわけじゃないけど、それなりに好きなのならいくらでもある。その中の一つがりんごいっぱいのタルトタタンで、そんな話こいつにしたことあったっけって思うけど、とにかくそれを作ろうとしてくれてたとこだったんだと思う。失敗作は見られたくなかったんだよな、多分だけど。
ぶすくれてる時の弁当は、顔上げさせるのが一苦労だって知ったのは最近のこと。付き合うようになってから、それ以前に比べて感情が分かりやすくなったのはとても喜ばしいことだけど、今までこんなに我慢させてたんだって思うとちょっと辛かったりもして。わしわしと真っ黒の髪撫でてると、ぼそぼそ小さな声が聞こえた。
「……おやつになんない」
「もっかい作ればいいよ」
「りんごない」
「買ってくる」
「……………」
「一緒にやろ。さっきのは俺が全部食う」
「え、だめ、お腹壊す」
「お、顔上げた」
俺の言葉に焦ったらしくこっちを向いた弁当を逃がさないように顎下を掴んで捕まえれば、むぐむぐ唸って抵抗してきた。あんまりほっぺた潰しちゃ痛いから力は込めないように捕まえたまま、反対側の手でなんとかフォークを持つ。煮詰めたりんごを一欠片刺して弁当の目の前に持って行けば、ぐっと口を閉じやがった。そんなに気に入らなかったのかよ、失敗なんて誰だってするって。もしもこれが俺が焦がしたりんごだったらいくら俺が食うのやめろっつったって抱え込んで離さないくせに、自分のことももっと大事にしてあげればいいのに。
「口開けなさいよ」
「……………」
「あーんしてあげるっつってんの」
「……………」
「見た目黒っぽいだけでちゃんと美味いって。俺これ好きだから、食って」
「……………」
「へえ、そうかよ、よし」
「ぁがっ」
あまりに頑として動かないから、無理やりこじ開けることにした。俺が体重かけたせいで頭を壁にぶつけた弁当の足がずるずると滑る。ひょろいから力づくでなんとかなっちゃうとこ、心配だし困るけどそうじゃなくなられるのも嫌だ。抵抗してないわけじゃないけどそもそも嫌がり方が下手くそだ、もっと暴れればいいのに、どんだけ優しけりゃ気が済むんだ。
押されるがままに腰から背中にかけてを床につけ、無理やり口を開かされてあぐあぐ言ってる弁当にりんごを食わせる。うっかり上顎をフォークの先で緩く擦ってしまって、びっくりしたみたいに目を丸くしてこっちを見た弁当にちょっと疚しい気持ちを覚えて、フォークを抜いた。顎下に手を掛けたまま口を閉じさせて、視線を合わせる。というか、睨まれてる。なんかちょっと楽しくなってきた、嫌がられんのあんまりないからかな。俺のこと押し退けられないことなんか百も承知らしい弁当がじとりと嫌そうな顔でこっち見てるのが新鮮で、自分がにこにこしてるのが分かった。
「はい、もぐもぐ」
「……………」
「うはあ、噛んでる。えっろ」
「……………」
「終わったら飲んで。あ、そしたら口開けて見して」
「……………」
「開けろよお」
「ちっ」
「いってえ!なにすんだよ!」
「馬鹿。帰れ」
従順にもぐもぐ咀嚼して飲み込んだ弁当に気を良くしていたら、いきなり蹴り飛ばされた。しかも腹のやらかいとこ、すげえ痛いんだけど。舌打ち交じりにどすどすと何往復か蹴られて体を引けば、ものすごく冷たい目を向けられる。あ、やべ、怒らせちゃった。人が失敗したとこからかって、とでも思われてんのかな。
「べんとお」
「帰れ」
「ごめんね、俺調子乗っちゃった」
「帰って」
「でも美味かったでしょ、だからもっかい俺と作ろうよ」
「帰ってください」
「じゃあこっちは俺が食べるから、俺が作ったら弁当が食って?それならいい?」
「……帰れよ」
「んー。後でね」
「りんごないっつってんじゃん」
「買いに行こっか」
「いやだ」
「じゃあ俺が買ってくるから」
「……帰ってきたって開けてやんないから」
ばたん、と閉められた玄関を振り返って、そんな分かりやすい嘘吐かれてもどう返事していいかわかんねえよ、と思う。そういえばりんごっていくついるんだろう、適当でいいかな。今日はどうも我儘でご機嫌斜めらしい弁当のために、生クリームも買ってあげよう。なんか嫌なことあったのかな、それも俺がきっかけだったらやだな。我慢してることや嫌だったことがあったらしい、とまでは何とか気づけても理由なんて到底察せない馬鹿な自分は、少し嫌だ。
あんなこと言ったくせに当たり前のように開く玄関扉を潜れば、さっきのタルトタタンもどきはきちんと切り分けられた上にラップがかかってて、当の弁当は不貞寝してた。ちょっと歩いたら腹が減ったので一切れ皿に取り分けて食ってたら、腕の隙間からじっと覗かれて、フォークを差し出す。そしたらぴゃっと顔を引っ込められたけど、まあいっか。
「一緒にやんねえの」
「やんない」
「いちゃつきながら作りたくねえの」
「したくない」
「ちぇっ」
俺はしたいのに。しょうがないから一人でがたがたと支度をしていれば、ああ言った手前台所には近づきたくないのか、少し離れたところから篭った声がした。振り向けば、声の主はうつ伏せで、俺が前あげたぬいぐるみに顔を埋めていて。
「アップルパイ」
「ん?」
「アップルパイにして」
「いいよ」
「……よくないよ」
「いいじゃん。そうしよ」
我儘のつもりで零したのに受け入れられて困ってしまったらしい。しばらく黙った後、冷凍庫にさっき作った生地があるから使っていいよ、なんて照れを誤魔化すような早口が届いた。甘えるのにも甘やかされるのにも慣れてないから、今日みたいな珍しい時にたくさん優しくしてあげたいんだけど、一筋縄では行かせてくれないよな。ごろんと仰向けになった弁当に見えるように包丁を持って、りんごの皮を剥く。上手くできないから途切れ途切れにぽとぽとと赤いとこが落っこちて、大分中身も引っ付いてて、もったいない。結構真剣にりんごと格闘していると、のろのろペースの俺を見るに見兼ねたのかぺたぺたと足音が近づいてきた。
「……貸して」
「やだよ。俺がやる」
「貸せってば、下手くそ」
「一緒にやりたいならそう言えよ」
「……んなこと言ってないし」
「おい、どこ行くんだコラ」
「っちょ、なに、離してよ」
「俺が指切るとこ見たくなかったらここにいろ」
「ええ……」
「べたついてやる」
「……きたない」
「うっせ」
喋りながら足を絡めて弁当のことを捕まえて、片足踏んづけて逃がさないようにする。包丁持ってるから抵抗できねえだろ、ざまみろ。はらはらしながらこっち見てるのが丸分かりの視線にお答えしてちょっと素早く皮剥きしてみたら、つるんって指が滑ってすげえぎりぎり、危ないことになった。こわ、刃物怖い、やばい。はーはーしてる俺につられて同じような顔してる弁当が、もう一個は俺がやるから、やらせてください、と小声で呟いたからがくがく頷いた。
「うさぎりんごやって」
「……それしたらパイの中入れらんないよ」
「りんごはいっぱいあるから、後でやって」
「いいけど」
「……なんで喋りながら剥けんの?」
「……んー…」
「長いし」
「全部繋げられるわけじゃないよ」
「薄いし!」
「有馬のが分厚いんでしょ」
小さいペティナイフを棚から出した弁当が、するすると薄く長く皮を剥いていく。その手元を横から見ているのがばれて、ちゃんとやんないとまた手ちょん切れるよ、なんて恐ろしいことを平然と言われた。俺のがよっぽど早く皮剥き始めたはずなのに、ざくざくりんご切り終わったのはほぼ同時。形が歪でちっちゃかったりおっきかったりする方が俺ので、お店で売ってるパイの中に入ってるやつみたいに綺麗に揃ってるのが弁当のやつだ。いつの間にか機嫌は直ったのか、バターをレンジで溶かして、りんごを鍋に入れて、と一人で動き始めてしまった弁当にべたべたとまとわりつく。俺のことほったらかしにすんなよ、手伝わせるかいちゃつかせるかしろよ。
「もう座っててもいいよ」
「やだ」
「俺やっとくから」
「お前今日甘ったるい匂いすんね」
「う、ひっ」
後ろから首筋に鼻先擦り付けてふんふん匂いを嗅ぐと、引っ繰り返った声を上げられた。でもなんか甘い匂いするんだ、タルトタタンのせいかな。くすぐったかったのか身動ぎして逃げようとしてたものの、俺の手が弁当の腹辺りにかかってることとちょうどレンジがチンって鳴ったことでどうでも良くなったらしく、俺を背中に引っ付けたまま溶けたバターをりんごに流し入れてた。お前のその、いつもだったら照れるくせに変なとこ割り切って俺のことほっぽっとくようなとこ、超好き。
「レモン汁取ってきて」
「どんくらい入れたらいいの」
「適当」
「混ぜるのやる!」
「りんご崩さないでね」
「うん」
「……俺の後ろから手伸ばしてやる必要は、どこにあるの」
「捕まえとかないと弁当どっか行くじゃん」
自分でそう言っといてなんだけど、なんか二人羽織してるみたいで、変なの。ぼけっとしてる弁当の背中に引っ付いたまま、腕の下から手を伸ばしてヘラで鍋を掻き回す。あんまり混ぜたらりんごがぐちゃぐちゃになっちゃうよって弁当に教えてもらったから、そーっと。ことこと弱火でしばらく煮てたら、抜け出すのを諦めて半分くらい俺に寄っかかった体勢でぼんやりしてた弁当が、俺の腕を掴んだ。
そっちは任せた、と俺の腕の中から抜け出した弁当が、冷凍庫から生地を出す。どうやらパイ生地の成型をしてくれるらしい。一応なんとなく片手を伸ばして弁当の服の裾をぐっと握れば、呆れたみたいな笑顔を向けられた。どこも行かないし、って笑われたけど、そんなことは知ってる。どっちかって言うと俺の不安解消より、お前に俺はここにいるからねって教えてあげたいっていうか、安心して甘えて欲しいっていうか、そんな感じなんだけどさ。そんなこと、言えないんだけどさ。生地を整えてる合間にこっちの鍋を覗いて、砂糖やらシナモンやらをぽいぽい器用に入れていく弁当を気まぐれに引き寄せてみたら、はあ?とでも言いたげな顔をされた。あっはい、そりゃ今はだめですよね、火ついてますもんね。
「ちょっと一個かじってもいいかな」
「……あんまり余裕ないんだから、減らすのやめてよ」
「味見。あーん」
「……自分で食べなよ」
「あー」
「だから」
「無理やりぶち込まれてえなら早く言って」
「……あー」
俺が掬った小さめのりんごを口に含んだ弁当が、無言で砂糖を手に取ったので、ほら味見しといて良かったじゃんか、と思う。鍋を火から下ろされると途端に、俺の仕事がなくなってしまって、つまらないので弁当のお手伝い。卵を器用に白身と黄身に分けた弁当が水とかみりんとかをちまちま混ぜてたので、それは何に使うんだと聞いたところ、秘密、と返されてしまった。秘密か、じゃあ仕方ないな。
ぼやぼやしてる内にほったらかされて大分冷めたりんごを、弁当が作ってくれた生地にどかどか乗っけて、上から網状にまた生地を被せる。弁当はさっきの秘密のやつをぺたぺた塗ってて、なんの為のものか分からないから余計にあの液体に魔法でもかかってるみたいに思えて、ちょっとわくわくした。隠し味、じゃないけどさ。弁当がなにかを塗った後はなんだかぴかぴかつやつやしてて、おいしそうだ。秘密の液体を片手に、弁当がこっちを見て少し笑った。
「そんなすごいものじゃないよ。艶出しのただのたまご」
「へえ……」
「白身は焼いて食べなよ」
「弁当も食うよな」
「俺は別に」
「……あ」
「あっ」
言葉の途中で、きゅるきゅるとお腹が鳴った。りんごの匂いに釣られたのかもしれない。顔を見合わせて、オーブンのボタンを押して、設定は200度。温まるまでにも焼きあがるまでにも時間があるから、余りの白身を焼いたやつと、半分以上残ってた中途半端なタルトタタンと、りんごを煮詰めた時の煮汁で弁当が作ってくれたレモネード、なんてちぐはぐな間食をとる。俺たち健康そのものの男の子だから、この後アップルパイくらい余裕。パイ生地自体が少なかったのもあって、アップルパイの方はタルトタタンよりも更に小さいしな。
「そういえばさ」
「ん?」
「なんだってこれは焦がしちゃったわけ」
「んー……」
「珍しいじゃん。ぼけっとしてた?」「……お前のせいなんだからな」
不貞腐れたように吐き捨てられて、頭の上にはてなマークが飛んだ。俺のせいか、なんかしたっけな、特に思い当たる節はないんだけど。若干焦げたりんごをつまみながら考えていると、少しばつの悪そうな顔をした弁当から、今のはちょっと意地悪かった、と小声が届いた。
「有馬のせいじゃないよ」
「でも俺のことでしょ」
「……そうでもない」
「ええ?」
「悪いこと考えながら作ったから美味しくなくなったってだけだよ」
「なに考えてたの」
「教えない」
「なんでだよ」
「なんでも。はい、ごちそうさま」
「こら」
勝手に話を終わらせようとした弁当を引き止めると、目も合わせてくれなかった。居心地悪そうな、なにか言いたくないことがある時の顔。斜めに目線を落として黙ってしまった弁当越しにオーブンが見える、焼きあがるまでの残り時間はあと十分ちょっとといったところか。
正直に言えと迫ったところですんなり吐きやしなさそうだけど、弁当に対して有効な迫り方を、俺は一つ知っている。これが有効な時点でお付き合いしてる間柄としておかしいことには目を瞑ろう。捕まえていた服の裾から、指先を弁当の手へと移動すれば、びくりと強張って反応した。逃げ出そうと一歩引いた体に、察しが良くて助かるね、なんてどこぞの伏見よろしく皮肉ったりして。
「よーし」
「なにがよしなの、なにもよしじゃない、離せ」
「そっちが黙るならこっちにも手立てがあるぞ」
「やだ!お前こういう時大体すごいべたべたしてくる!ほんっとやだ!」
「ちゃんと吐くまで存分にいちゃついてやるから覚悟しろよ!」
「羨ましかった!だけ!」
「はや」
早えよ、言うのが。そんなに嫌かよ、俺といちゃつくのは。威嚇してる猫みたいな警戒の仕方で俺から距離を置いた弁当が、何を羨ましがっていたのを聞きたくてもう一度寄って行くと、同じだけ離れられた。捕まえてた手離しちゃったから、もう逃げられたも同じか、ちくしょう。
「なんなのよ」
「……俺だって、羨ましくなる時くらいあるんだ」
「羨ましいって、俺馬鹿なのに?」
「それは関係ない」
「あっ、昨日の飲み会お前も来たかったの?来ても良かったのに」
「……そうじゃない」
言い淀んだ、ビンゴ。突然舞い降りた当て勘の神様に感謝しよう。でも別に羨ましがられる理由なんてそんなにあったかな、前弁当も来たことある面子でだらだらしてただけだし、合コンとかそういう雰囲気なわけでもなかったし、かといって食い物飲み物がめちゃくちゃに美味しかったわけでもない。なにが欲しかったのかな、と考えてみたものの全く思い浮かばなかった。もっかい降りてきて、当て勘の神様。
「なあ」
「もう焼ける」
「なに?そんな恥ずかしいこと?俺にだけは秘密なやつ?」
「そうだね」
「俺が羨ましかったんで合ってる?」
「……別に有馬のことは羨ましくない」
今の間はほんとのこと言ってる時の間だ、最近ちょっと分かるようになってきた。美味しそうな匂いがオーブンから漂ってきて、そっちについ顔を向ければ弁当が不意に立ち上がって行ってしまった。俺のことは羨ましくなくて飲み会が羨ましかったんだろうか、難しい。しかも、あの弁当がりんごから目を離してうっかり焦がしてしまうくらいに羨ましいこと、なんて到底あるとは思えないんだけど。うんうん唸ってる俺の前に出来たてのパイを差し出した弁当が、まあまずは食べなよ、なんて言うから、食べ切った頃には忘れた。

(いや言えるわけないじゃん)
(羨ましかったのはお前じゃなくてお前の周りの奴らだなんて)
(……やきもち、だなんて)


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