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君について



犬が飼い主に依存してしまう原因の一つとして、無意識の内に飼い主自身も犬に依存しながら関わり続けていることが上げられるらしい。一緒にいる時間が長いと犬と飼い主は似てくるなんて言うけど、過ごす時間が長すぎるとそれは悪影響でしかないということだ。飼い主に依存した犬は分離不安症を引き起こし、飼い主が自分を置いて出かけてしまった途端落ち着きがなくなったり、無駄吠えが激しくなったり、家の中のものを壊してしまうんだとか。普段過ごしている時から飼い主の後ろをついて歩くような犬は分離不安症の可能性があるため、距離感の保ち方に注意してみるように、なんて犬の病気についての本で読んだのは小学生の時だったか。
犬っぽいだけで小野寺は人間だけど、ぼんやりそんなことを思い出して考えてみれば、こいつらの関係性はその分離不安症に近いものがあるような気がする。いつの間にかなんとなく、察してしまった関係性。そのきっかけは、ほんの少し気を抜いた瞬間の雰囲気だったり、帰る寸前に相手を呼ぶ時の声音だったり、ふと指先が触れる瞬間の表情だったり、もっと直接的に首の後ろの鬱血痕だったりしたけれど。
「あれ?今日伏見休み?」
「あ、うん」
「風邪でも引いたかな」
「……季節の変わり目だしね」
あからさまにほっとしたみたいな顔。風邪ってことで勝手に有馬と俺が落ち着いてくれたから安心したんだろう。小野寺は誤魔化すのとか苦手だし、かと言って本当のことなんて言えやしない時もたくさんあるし。じゃあ今日昼飯久しぶりに学食でも行くか、なんてあっけらかんと笑った有馬に、嬉しそうにこくこく頷いた小野寺がついていく。伏見がいると、不味いからやだって我儘言って、学食食べに行かないから。コンビニ飯と学食だったら温かい分学食の方が美味しい気もするんだけど、なんて話を伏見ともした覚えがある。行くなら早く席取らないと、とエレベーターを待つ暇も惜しい様子の有馬に階段の方へと手を引かれて、走り出した。
一歩前を走る小野寺の茶色く染められた髪から覗く耳には、ピアスがいくつも突き刺さっている。全て小野寺本人の意思で開けた穴ではある、けれど実際にピアッサーを押し込んでいるのは伏見らしい。そんなことをしているくせして、先日出かけた時には綺麗に並べられたピアスを見て珍しくも隠しきれなかったらしい苦い顔を浮かべていたので、伏見本人はピアスが嫌いなのかもしれない。かと言って、小野寺がピアス好きなのかと言われたらそうでもなさそうだけど。
「空いてる?」
「混んでる」
「うげえ」
「三つどっか座れねえかな」
「椅子持ってくれば平気じゃない?」
二つしか椅子のないテーブルを陣取って、壁際に重ねられている椅子を小野寺が取りに行く。動く度微かに鳴る金属音は、太めのチェーンに通された二枚重なるドッグタグからだ。ついに首輪つけられたな、と思ったのは最近の話。けど、本物のそれみたいに姓名や生年月日が刻印されているわけではないんじゃないか、と思う。きちんと見せてもらったことないし、別に見ようとも思わないから知らないけど。送り主の性格的に、なに彫られてるか想像するのも難しいので、知らぬ存ぜぬで通そうと思う。
友人同士、なんてとっくのとうにぶち抜いた関係で言うところの、付き合ってる。それが恋愛感情に起因するものなのか、ただ離れられないだけなのか、そんなところまで俺は知らない。依存とか中毒とか、そんな言葉を当てはめてしまうといよいよ救いようもない予感がひしひし伝わってきてしまうのが嫌なところだ。けれど、きっと小野寺にとって何より優先すべきは伏見であって、自分から手放す方法なんて恐らく彼の頭の中にはなくて。だって、檻の中で何もかも与えられて過ごしてきた飼い犬が、そこから逃げ出す道を考えているわけないじゃないか。だから、このまま何事もなければこの時たま狼が混じる大型犬は、飼い主に尻尾振ってこれから先永遠に過ごすんだろうな、ってことはなんとなく分かる。それに小野寺は割と馬鹿の部類に入るけど、ものすごく頭が悪いかと言われたらそうじゃない。勉強だってきちんと真面目にやれば出来るわけだし、恐らく理解能力に乏しいだけなんだと思う。記憶力もあんまり良くないみたいだけど、まあ覚えることが苦手な人って一定数いるし。というか、これでこいつが頭回る奴だったらと思うと逆にぞっとする。飼い犬に手を噛まれるなんて生易しいもんじゃない、飼い犬と飼い主がすり替わったらきっと今のままじゃいられない。
まあ、今でもどっちが飼い主なんだか分かったもんじゃないって時がないわけじゃあないけど。
「なに食べよっかな」
「先買って来いよ、俺朝コンビニで買っちゃった」
「いいの?」
「荷物置いてけな」
これ食ってからなににするか考えるから、と鞄から出したランチパック頬張ってる有馬に鞄を任せて、食券機の前に小野寺と立つ。五センチくらい俺より高い身長に、普段だったらなかなか味わえない感覚。自分のが低いって、そうそうよくある話でもないと思ってたんだけどな。同い年くらいの日本人の平均身長は171とか172とかって聞いたことあるから、そう考えると小野寺やっぱりでかいんだな、なんて。ていうか筋肉質だから体自体が大きく見えるっていうのもあるかもしれない、別に羨ましくなんかない。
「決まった?」
「……肉うどんかBセット……」
「今日のBセット、竜田揚げとコロッケと、これなんだろう」
「カボチャかなあ」
「野菜少ないね」
「弁当なにすんの?」
「親子丼」
「うああ、それも美味そう」
「パスタセットでもいいけど、そっちのがちょっと高いんだよね」
「俺昨日の晩飯ミートソースで、食いそびれたんだ……あっカツカレー……」
「……まあゆっくり決めたら」
「うん……からあげ定食……チャーシューメンでもいいかな……」
「これは?」
「あっやめて!そうやって選ぶの増やさないで!」
選ぶ基準が少しずつはっきりしてきたので、試しにハンバーグ定食を指さしてみたら怒られた。ぶつぶつ言いながら指先ぐるぐる回して選んでる小野寺の横からお金を入れて、結局親子丼の券を買う。小野寺は食べ物の好き嫌いほとんどないし、おまけによく食うから余計に迷うんだろうな。肉が食べたいことだけは決まってるらしいけど、肉メインのセットって割と多いので、うんうん唸って考えてる。ふらふら彷徨う指は、迷ってる時の小野寺の癖だ。財布の中身とも相談した結果、最終的に安価な肉うどんにサイドの唐揚げとポテトつけることにしたらしい。こんだけにこにこ嬉しそうに注文されたら作る側もやり甲斐あるだろうな。
メニューと睨めっこしてる小野寺を待ってる間に券出してたら多分俺の親子丼は来てたんじゃないかと思うくらいの時間は経って、席に戻った時には有馬はすっかりランチパック食い切って暇そうにしてた。なんか遅くね、と聞かれて小野寺の方に目を向ければちょっとしょんぼりした顔が返ってきたので、特に突っ込まないことにする。入れ替わりに注文しに行った有馬が即決でオムライス持って帰ってきて、いただきます。
「あれ?伏見今日って三限矢部ちゃんじゃないの」
「欠席レポート、ていうか今日課外かもね」
「うわあ、かわいそ」
「あの授業人少ないから代返できないし」
「んぐ、今日三限休講、明日の四限に移動って、あっち」
「そうなの?」
「運いいな」
「明日の二限は実技実験入ってるし、絶対来るからだいじょぶ、うあっち」
「……小野寺それ器持つの諦めた方がいいよ」
「あっつい」
「今日は誰も肉取らねえからゆっくり食えよ」
「うん」
そうか、普段肉なんてすぐに取られるから今日もいつもの癖で何故かせかせか食べてたのか。何処かの誰かさんと違って麺類食べるの特に下手くそじゃない小野寺が食べることに集中し出した様子を、参考にしたいのかなんなのかがっつり見てる有馬がご飯粒をぽろぽろ零すので、頭を下に向けさせておいた。子どもじゃないんだからオムライスを零すなよ。
「風邪っぽいんだろ?休むってことは熱とかあんじゃねえの」
「熱とかは、わかんないけど」
「……頭痛くて起きれない時とかあるよ。明日には来れるでしょ」
「俺あんま風邪引かねえからわかんねえや」
有馬相手だからどうとでも誤魔化せるだろうけど、一応助け舟を出しておいた。なにがあったかとかまではあんまり察したくもないしわざわざ知ろうともしたくないし、そもそも二人側からしても知られて嬉しいもんじゃないだろうし。今日伏見と被ってる授業は四限の一コマだけなので、そこのノートとかプリントはなんとかしてあげようと思う。休むっていうのに連絡来てないってことは、ずっと寝てるとか意識はあるけどほんとに起きれないとか、色々事情があるんだろう。
従順な大型犬と絶対君主の飼い主、もしくは反対に、気ままな猫と言いなりの飼い主。どちらが飼い主かはどっちつかずで、結局どっちも人間だからどうしようもなくて。そんな危うくて細い糸みたいな関係を、見て見ぬ振りしながらこのままでいられたらいい、なんて思う。


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