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おはなし



自己嫌悪で死ねるなら、きっともうとっくのとうに俺は死体になってる。だけどそれでも、内臓なんか腐ってて皮膚だって剥がれ落ちてて理性なんか無くて見境なく人間食い散らかす化け物みたいになりながら、未練たらたらに生き永らえようとするんだろう。死ねたらいいのになあって思いながら、死んじゃったら大好きな人と一緒にいることができないから死ねない。それだって今とそんなに変わらない苦しみ方してるんだから、人間でいるのもゾンビになるのも大差ないけど。
俺の好きな人は男で、俺だってもちろん男だ。自分のことを同性愛者だって思ったことはなかった。けど、人のことをちゃんと好きになったことも今までなかったし、生まれて初めて頭がおかしくなりそうなくらいに人を好きだと思えた相手が男だっただけなのか俺は男しか好きになれないのかは、ちょっとよく分からない。性別も人種も年齢も見た目も関係なく貴方だから好きになった、なんて言葉をどっかの小説で見たことあるような気がするけど、ぶっちゃけ好きになった後のこと考えると性別は関係あるだろうがよ、と思う。男同士の恋愛に対して温厚な目向ける人がたくさんいるわけねえだろ、結婚も出来ないし子どもも産めやしないのに。変わらない世間様に夢見たってどうしようもない、苦しみたくないなら自分が変わった方が早い。なんてこと分かってるけど、一旦始まった恋慕はどれだけ足掻いても絡まって解けずに少しずつ絞まってついには息もできないくらいになって、苦しくて痛くて逃げられないことが怖いのに、あまりにも過剰に与えられる幸せで胸が詰まる。
ざわつく居酒屋の店内、襖で区切られた半個室の中で十人くらいがだらだらと帰り支度をする。勘定の計算してる幹事の隣で飲み残し処理してる奴もいるし、二軒目調べてる奴もいる。まあそっち行くのは半分くらいだろう、結構な時間ここにいたし。髪の毛をふわふわのお団子に結い上げている女の子が、みんなそろそろ出れそう?なんて問いかけて、こっちを覗き込んだ。
「あー、有馬くん寝てるっけ」
「……起こせば起きるよ、寝起きいいから」
「とりあえず連れてこうか」
「二軒目?鬼かよ」
「ちがーう、外まで」
「おい有馬、帰るぞー。よい、しょっと」
一応起こせば起きると教えたものの、当たり前のように誰もそれを実行することなく、ぐったりと横たわっていた有馬の上半身を椎名が持ち上げた。急に揺らされたことでびくりと反応した体に呼応して、薄っすらと目が開く。それを気にしながら帰り支度をする周りに合わせて鞄をかけて、金勘定なんて凡そ出来そうにない有馬の分を先に立て替えておいてやることにした。起きろよー、なんてからから笑われながら軽く揺すられ、手を離されて座り込んだ有馬に、お団子の女の子が話しかける。もうじきお店出るけど有馬くんは帰るよね、なんて言葉が耳に入っているのかいないのか、眠気と酔いにぼやけている瞳が彷徨っているのを隣で見ながら、水飲んだ方がいいんじゃないのかな、なんて思っていると、小さく有馬の唇が動く。
「……も、ちわる」
「え?」
「……といれ……」
「えっ、大丈夫ー?」
ふらふらしながら立ち上がって、まだ座っている人を踏みつけかけながら歩き出した有馬を後ろから支える。大丈夫なわけない、顔青いし絶対吐く。様子がおかしいことは見て取れるのか心配そうに道を開けてくれる友達に、ちょっとトイレで様子見てくるから、と曖昧な笑顔を取り繕った。金払ってあるし、なんなら先に出てもらってても構わないし。基本的に荷物を持たない有馬の周りに財布や携帯が散らばってなかったってことは、ポケットか何処かに突っ込んであるんだろう。今探す時間はないけど、多分大丈夫。
自分のことを支えているのが誰かなんて認識しようともしていないんだろう、そんな余裕もないはずだ。何と無く呼吸が浅い有馬を連れて、店員を避けながら辿り着いたトイレには、他に人がいなかった。数の少ない個室扉を開けると、何が嫌なのかふるふると首を左右に振り始める。焦点が定まっていない、ぼおっとした表情。気持ち悪いことなんて誰が見たって一目瞭然なんだから、変に虚勢張らなくていいのに。
「……へーき、だから」
「我慢するだけ苦しいよ。ほら」
「やめ、っ……やめて、ほんとやめ、っぐ」
「止めないで」
無理にでもと体を折らせれば、息を詰めて吐かないように耐えようとする。壁に爪を立てる有馬の手に上から自分の手を被せれば、嫌に冷たかった。俺はそんな力がある方じゃないし、酷いことしたいわけでもないから、有馬に抵抗されると否が応でもきっと負けてしまう。だからもういっそ顔も見えないようにと、上から伸し掛かって覆いかぶさる要領で少しずつ体勢を低くしていけば、低く唸っていた声がぶつんと途切れて。腹が圧迫されたせいだろうか、水っぽさが交じりながら息を吸い込む苦しげな音が狭い個室に響いた。
「ぅ、えっ、ぇゔ、ぐ」
「跳ねるから。もっと頭下げて」
「げほっ、や、だって、ぇ」
「全部吐いて」
「ひっ、う、うぅ、う」
「……口開けな」
「ぁがっ、っ!」
唇を引き結んで唸る有馬の顎関節を、強引にこじ開けた。ぼたぼたと便器の中に垂れるのは大半が透明な液体で、ほぼ涎じゃ意味が無いのに、もういっそ指でも突っ込んで吐かせた方が早いか、なんて思う。
平衡感覚もおかしくなっているのか、壁についていた手がずるりと落ちて体が傾いだ。倒れ込まれたら持ち上げられないので、何とか膝を折ってしゃがみこませる。綺麗とは言えない便器に凭れ掛かるような体勢を取らせることに躊躇がなかったわけじゃないけど、こうするしかなかったんだから仕方ない。ひゅーひゅーと苦しそうに息をする様子に、今指突っ込んで呼吸困難にでもなったら、なんて嫌な想像が頭の中を駆け巡って、喉に差し込みかけた手を止めた。代わりと言っては可哀想だけど、口を開いて固定していない方の手で、荒い呼吸に合わせて動く腹を抱き潰すように圧迫すれば、咳き込んでいるのと吐き出している中間くらいの音。ごぷ、って溺れかけの声に続けるように、びしゃびしゃと吐瀉物が便器の中の水面を打った。
しばらく、と言えるほどの時間はきっと経ってない。少し落ち着いてきた有馬が、口を開かせている俺の手を振り払うように首を振った。出てる量はそんなに多くない、顔色だってまだ悪いままだ。それでも手の力を緩めた俺に油断したのか、逃げるようにほんの数センチ遠ざかりながら、喉奥に上がってきたものをぐっと飲み下そうとした有馬をもう一度捕まえた。
「ぅえっ、ぇえっ……ぁ、ぐ」
「有馬」
「んぐっ」
「飲んじゃ駄目だよ」
「っう、おぇっ、え、っ」
「全部出さないと」
後ろから縋り付くように、二人して狭い個室でしゃがみこんで。今ここで俺が離れたらこいつ気持ち悪いくせに胃の中の物出さないから、そしたら可哀想だから、なんて体のいい方便だ。自分の欲に忠実に動いてる俺は、この時間が少しでも長く続くことを願ってる。苦しさに息を荒げながら、俺の手のひらの下で固く拳を握りながら、涙と鼻水と吐いたものでぐちゃぐちゃの顔してるこいつと、俺しかいない空間。もうやだ、って薄い色の髪がむずがるように振り乱される度に覗く辛そうな表情に、どうしようもないくらい興奮してる自分が確かに存在した。
吐き出そうとしてるもの飲み下してまで我慢しようとする有馬の咥内に、指先を滑り込ませる。熱い舌をなぞって、追い出そうと暴れるのを押さえつけて、奥へ奥へと。気持ちが悪くて心地良かった。お願いだから朦朧としたままでいて、絶対に後ろは振り向かないで。苦しいことばっかりしてごめん、でもあと少しだけ、少しだけだから。下腹部より更に下、興奮して反応してるそれを押し当てられてることにも、俺がわざと指を奥まで押し込まないでいることにも、口に入れてない方の片手はお前を逃がさないように必死になってることにも、気づかないで。気がつかれたら死んでしまう。比喩でも誇張表現でもなく、きっと狂う。お前俺のこと友達だと思ってくれてるんでしょ、ならその友達が気狂いにならないように気づかないでくれるよね、お前優しいもん、信じてるよ、なんて戯言頭の中で唱えてないと理性の箍が外れそうだった。
ゆっくりと、拙い手付きだなんてお世辞にも言えないくらい時間をかけて、一番柔らかい喉奥まで指先が辿り着く。体感時間が長かっただけで実際の時間はそんなでもないかもしれない、そう思わないと有馬が可哀想だ。ぐ、と力を込めて舌の根を押すと、余程苦しかったのか指を歯で思いきり挟まれた。痛いと思うより先、生温い咥内に閉じ込められた中指と薬指が溶けてしまいそうで、怖くて人差し指もねじ込む。三本に増えた指に口を閉じていられなくなった有馬が、腹に回して体を押さえつけている俺の手に爪を立てて、一瞬だけこっちを見た。目の中に映っているのは、紛れもなく自分で。
「……ぁ、は」
どろりと何かが零れ落ちた感覚が背筋を通り抜けて、自分がずっと笑っていたことに気づいた。
「ゔぇっ、え、げほっ、ぅえっ……」
「……まだだよ」
「ひぐ、っう、う」
「あとちょっと」
「ううう……っ」
「まだ気持ち悪いでしょ?」
優しい言葉で隠せた気になってる、欲の塊。歯を立てられた指に出来た傷の上を、ぬめる液体と消化途中の食べ物だった何かが滑り落ちていく。掠れた小さな痛みが愛おしくて、いっそ膿んで痕になってくれたらいいのに、と本気で思う。声にならない声で悲鳴を上げる有馬の舌を押さえつけて、しつこく爪先や指の腹で喉奥を擽って、熱くてどろどろの口の中で好き勝手して。ぞくぞくと走り抜けたのが悪寒なのか快感なのかなんて、知ったこっちゃなかった。痛いから暴れないで、なんて文句みたいな言い訳しながら、羽交い締めにする振りして首筋に擦り寄って、茶番の大盤振る舞いだ。生温い液体が指から手のひら、手首へと伝う度、涙が出そうだった。
ぼた、ぼた、なんて半固形のぐちゃぐちゃが落ちる汚い音に混じって、ぐじゅ、と何かを啜る変な音がして有馬の顔を無理やり上げさせれば、本人の意思と関係無しに勢い任せに吐かせたせいで吐瀉物が鼻に流れ込んでいた。汚ねえ顔、女の子が見たら泣くよ。赤ちゃんの鼻水じゃないけど、啜ってやりでもしたら楽になんのかな、とか思ったりして。
ぜえぜえ息をつく有馬の咥内から指を抜けば、唾液だか胃液だか分からない液体が透明に糸を引いて、ぷつんと切れた。涙と涎と鼻水と、その他吐いた諸々でぐっちゃぐちゃの顔をトイレットペーパーで拭く。幸いというか、努力の甲斐あってというか、便器の外はさして汚れてないので罪悪感にもそこまで苛まれなくて済む。まだ放心状態の有馬を鏡の前まで連れて行って、半ば無理やりうがいをさせたところでようやく意識がはっきりしてきたようだった。ざあざあと流れていた水を止めた手をそのままに、項垂れて固まってしまった有馬を覗き込めば、顔は見えなかった。
「……ありがと」
「え?」
「すっきりした」
「……うん」
「弁当で良かった」
うん、なんてきちんと声に出せていたんだろうか。当たり前だけどまだ本調子じゃないらしく、ぽつりぽつりとしか話さない有馬がようやくこっちを見て、顔をくしゃくしゃにして笑ったので、吐き気がした。良かった、なんて言ってもらえる権利が俺のどこにあるっていうんだろう。だって、こんなに気持ち悪いのに。下半身は別人格とか脳みそが下に付いてるとかよく馬鹿にされてるの聞いたことあるけど、別人格のしたことですから自分のせいではありませんって逃げが通用すると思ったら大間違いだ。偽るつもりはない。欲情して、発情して、上向かせてんのは俺のせい。唾液と消化物に塗れた手にも、噛みつかれてついた傷にも、目の前で吐き気と息苦しさに悶える様子にも、恍惚としてた。こんな人間が、隣にいていいわけがない。
店の出口で待っててくれた、二次会に参加しないらしい椎名たちに有馬を渡して、帰る方向が違うからとすぐに別れた。吐きそうだった。死にたかった。いつまで経っても収まらない下半身に泣きたくなった。真っ青な顔してる自分が硝子に写って、適当なコンビニに駆け込む。震える手でトイレのドアノブ握って、扉を閉めて。
「……ぅ、え」
吐きそうなだけで、何にも出てきやしない。口に当てた手が、さっきまで喉奥に突っ込んでた指をフラッシュバックさせて、涙腺が決壊した。薄く付いた歯型に舌を這わせたら、みんなおしまいになってしまう気がする。おしまいにしてもいいのかもしれなかった。もういっそ、最低な方法でかたをつけたかった。明日から合わせる顔なんてない。ぼろぼろ落ちる涙を拭うには歯型のついた手はあまりに勿体無くて、頬を伝うまま宙を仰ぐ。ちゃっちい豆電球がちかちかしてて、ほんの少し前までいた二人だけの最低な空間と被って、出すものなんかないのに吐いた。
「っは、ぁ、っんぐ、ぅ、う」
全力疾走した後みたいに途切れ途切れの呼吸を押さえ込んで、下唇千切れそうなくらい噛み締めながら、ベルトのバックル外した。涙も吐き気も止まらなかったけど、すっかりおかしくなった脳にとってはそれだって興奮材料で、馬鹿みたいに弄って、滑る指先が咥内に閉じ込められてるみたいに思えて、目を閉じる。
べたべたになった手のひら見下ろして、また自分が笑ってることに気がついて、死にたくなった。


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