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おはなし


くっついてます


酒が回ると眠くなる。多分俺はそのペースが周りの人より早くて、ころっと睡眠欲に負けてしまう。相手が誰だからとか場所がどうだからとか、そういうのは関係ない。店だろうが家だろうがお構い無しに、気分が盛り上がってきた少し後から割とがっつりめの眠気が追いかけてくるのだ。そして結局捕まって、みんなが楽しく飲んでる間をぐーすか寝こけて過ごす羽目になる。元々寝起きは良い方だから、起こされるとすぐ目を醒ますことはできるんだけど、そういう問題じゃないっていうか。
「……………」
今だってそう。別に起こされたわけじゃないけど、ふと意識が浮かび上がった一瞬で薄く目を開ければ、最後に時計を見た時から針が丸々一周回っていた。一時間、もしかしたらもう少し長い間。確かに疲れてたし明日休みだって気の緩みもあったけど、起こされないからってこれは無いな、と思いながら眉根を寄せる。寝たら酔いはある程度覚めるところが救いだ、等価交換してる気になれるから。
一旦意識をはっきりさせようと思ったものの体を起こしきれず寝返りを打つと、それに気づいた弁当がこっちを向いたのが目の端に映った。二千円くらいで買った、ぱたんって畳める座椅子をぎしぎし鳴らしながら斜めにぐらぐらバランス取ってる姿が珍しくて、仰向けになったままぼけっと見上げる。ここから見て初めて気づいたけど、これもうカバー破けてるじゃん。お値段以上のあそこに買いに行かなきゃ、つーか他になんか買うものあったっけ。柔軟剤もないから明日、卵が安いのは確か明後日、あとぶっ壊れた洗濯物干すやつも明日買いに行って。久し振りになんにもない二人揃ったお休みの予定だった明日を、勝手に買い物しにいくことにしたら、弁当怒るかな。
「……なにしてんの」
「……ん?」
「危ねえだろ」
「んん」
「べんと?」
「んー」
グラスを唇に当てたままもごもごしてる弁当は、座椅子をぐらぐらさせたままで。あんまり話を聞いていなさそうな様子に疑問を抱いて視線を横へとずらせば、違和感の原因にすぐぶち当たった。おそらく中身は空っぽの缶がいくつも転がっていて、肝心のその中身はどこに消えたかと言えばきっと弁当のお腹の中だ。氷が溶けたグラスは汗をかいていて、机なんかびしゃびしゃ。ぼけっとしてる弁当の頬は何と無く薄ら赤くて、こいつが顔に出るほど酔うなんて珍しいとぼんやり思った。
「ずっと飲んでたの」
「ん?」
「俺が寝てる間」
「んー……」
「俺の寝てるとこなんかつまみになんねえだろ」
「ん、ふふ」
話を聞いてるのか聞いていないのか、ふにゃあって笑った弁当が少しだけ入ってたグラスの中身を呷った。空になったそれをどう考えてもぎりぎり届かないであろう机の端っこまで無理やり手を伸ばして置こうとしているので受け取れば、ぱっと目が合う。ぼやけた瞳に、一人で暇だったからってどんだけ飲んだんだか正直に白状しろ、なんて詰め寄りたいのを我慢してグラスを机の安全なところへ置けば、弁当が動いた。なにをしたかったのか分からないけど、急に体勢を変えたせいでちょうど良く斜めだった座椅子のバランスが崩れて、弁当が体ごとぐらりと後ろにひっくり返りかける。
「うあ」
「あっぶね!」
「いたい」
「だから危ねえっつったろ!びっくりさせんな!お前」
「いーたーい」
「すいませんでしたね!」
座椅子ごとひっくり返りかけた弁当の腹に飛びつくように止めれば、勢いがつきすぎたのか身じろぎされる。痛い痛いとぺしぺし頭を叩かれて見上げると、思ってたより機嫌は良さそうだった。ていうか、腕を回しているお腹が熱い。耳を当てれば、服越しに腹の中がきゅるきゅる鳴ってるのが聞こえて、ちょっと面白かった。
案外体が柔らかいことは、付き合い始めて少ししてから知った。というか、柔らかくなった、と言うべきか。ぺたんと女の子座りしてたのが危なかったのかと思ったのか、胡座に座り直した弁当の腹に腕を巻きつけて頭をごりごり押し付ければ、乱雑に髪を撫でられる。別に撫でてって意味じゃなかったんだけど、弁当楽しそうだしいっか。髪を撫でていた手はだんだん伸びて、顔中ぺたぺた触られたりペットよろしく首擽られたりとヒートアップしてきたけれど、もう弁当がにこにこ楽しそうだからいい。熱い手に嵌る指輪が妙に冷たくて存在感示してるけど、外せとは思わない。だってお揃いだし、薬指だし、これ嵌める度に弁当が迷って迷って真っ赤になること知ってるし。ただ、気になることが一つ。
「……お前俺のこと犬かなんかだと思ってんだろ」
「ん?」
「実家のわんこじゃねえんだぞ」
「ししまるのが懐っこい」
「そうじゃない」
「そお……」
ぽやぽやした顔で俺の髪を掻き回す弁当を見上げていると、なあに、なんて言いながら眉間をぐりぐり押されたので、振り切って下腹部に顔を埋めた。ベルトに当たって痛いけど、眉間ぐりぐりの方が嫌だ。だって絶対変な顔してたもん、俺弁当にかっこ悪い顔見せたくないし。
「なにすんの」
「うるふぁい」
「そこで吐かないでね」
「お前みたいに酔っ払ってないから吐かないですう」
「つむじ」
「ぎゃうっ」
髪の毛を掻き分けて指に通して、と遊んでいた弁当が突然俺のつむじに爪を立てた。なにするんだと睨みつければ、満足そうな笑顔で顎裏の柔らかいとこをかりかり擦られて、やっぱり絶対犬扱いされてる。よじよじと弁当の体を登れば、それは本意ではないらしくあからさまに嫌そうな顔をされて押しのけられてしまった。なんだよ、引っ付きたいわけじゃないのかよ、俺は撫でられるだけじゃなくてもっとお互いいちゃいちゃしたいのに。
「べんとお」
「ん」
「おま、ふぎっ、ぎー」
「変な顔」
「ふぁらへ、ひゃめ、いってえな!なんなの突然!」
「ほっぺたあんまやらかくない」
「このやろ、お返しだっ」
「んぐ、いふぁい」
いきなり人の両頬を摘まんで引っ張り伸ばしてきた弁当に仕返しをしてやろうと、片手で体を起こしてもう片手で頬を引っ張れば、困った時の顔で唸ってた。そんな顔したって駄目だぞ、お前が先にやったんだ。ていうか目閉じんのやめろ、ちゅーするぞ。
一頻り弄んでから解放すれば、酒のせいもあるかもしれないけど、頬がいつもより赤くなってしまっていた。上げていた手も体を支えてた手も疲れたので、ぺたんと弁当の上にまた伏せれば、また俺の髪に指を通してくるくると遊ぶ。そんなに楽しいのかね、俺の頭は。構ってもらえずに拗ねていると、それに気づいたらしい弁当が俺の前髪を上げて覗き込む。何も言わないまんまで丸出しにされた額に手のひらをぺたんと当てられて、普段より少し熱い肌に口を開いた。
「酔っ払いさん」
「酔っ払ってなんかないですけど、なんですか」
「寝ないんですか」
「寝ません」
「風呂入んねえんですか」
「後でにします」
「なんなら一緒に入りますか」
「えっち」
「今のもっかい」
「ばか」
ぴん、とでこぴんされて目を瞑る。なんだよ、せっかく明日はお休みで、こんないい感じの甘い雰囲気ってやつになってるじゃん。そういうあれなのかと思ってちょっと期待しちゃった俺は悪くない。未練たらしく腰に回していた手を服の中にそっと滑り込ませてみれば、がつんと重い拳が頭のてっぺんに降ってきたので諦めた。手より先に口で言えよ、痛えな。
「……ひどい……」
「なにが」
「俺はこんなに弁当のこと好きなのにこの仕打ちだよ、ひどいよ」
「だって俺のが好きだし」
「んえ?」
「うぬぼれないで」
「……ん、んん?え?」
「え?」
「なに?なんて?」
「自惚れんなって」
「その前」
「……なにが酷いの?って」
「その後!」
面食らった勢いで弁当の肩を掴んで体を起こせば、弁当もびっくりしたのか目を丸くしていた。胡座かいてる弁当の上に座る勢いで詰め寄れば、酔っ払いなりに何かおかしいと思ったらしくおろおろし始める。いや、おろおろしたいのはお前だけじゃない、俺だって今全力でおろおろしたい。聞き間違いじゃないって分かるまでは落ち着けねえよ。
酒が回ると普段より感情の動きが分かりやすくなることは、元々知ってた。俺のこと撫で回してへにゃへにゃしてるとことか、かと言ってよじ登ったら思いっきり嫌そうな顔したとことか、そういうの見ればもともと知ってるわけじゃなくても分かるだろう。でもさっきこいつなんつったよ。俺のが好きだって?自分から告白したことも一切認めようとしないこいつが?言葉で伝えることをしないから、分かりづらいことこの上ない態度から俺が何とか察し続けて三年は経ってる今更、なんだって?
「俺は弁当のこと好きじゃん?」
「そうなんだ」
「そうなんだよ。そんで、弁当も俺のこと好きじゃん」
「うん」
「どっちのが好きだって?」
「俺のが好き」
「なんで。俺のがたくさん好きかもしんないよ」
「馬鹿言うな。有馬のこと好きってとこで、俺が誰かに負けるわけないんだ」
「……ほお」
「俺が何年、どんだけお前のこと見て、こうなりたいと思ってたか知らねえくせに」
「なんでちょっと怒ってんだよ」
「知んない」
何故か切れ気味の弁当にもそもそ詰め寄れば、近すぎるからか弱っちい手で押し返されたので、抵抗にもならんと指を絡めて繋いでやった。振りほどくことはきっとしない。だって弁当ってば、俺がすることみんな受け入れちゃうんだもん。
案の定ぷんすかしながらもそのままほっとかれてる指先を擦り合わせながら、もっとたくさんの言葉を貰おうと聞いてみる。俺が付けてる方の指輪を辿る弁当の爪先を捕まえて握れば、そのまま緩く指同士が絡み合って、大人しくなった。距離が近いまま目が合ったせいで一瞬視線を逸らしかけた弁当が、俺の吐いた言葉にこっちを見る。真っ直ぐな目の中はぼやけていて、酔っ払っていようが何だろうがようやく彼の本心を聞ける喜びで、瞳に映る自分は爛々としているような気がした。
「お前俺のこと好きなの?」
「好きだっつってんじゃん」
「もっかい」
「あ?」
「もう一回」
「分かり切ったこと何回も言わすな」
「やだ!何回も言って!」
「うるさい!好きだってば!好き!聞こえた!?好きなの!」
「もっと!好きって言ってちゅーして!お前から俺に!」
「馬鹿なんじゃないの」
「今の馬鹿は弁当の方だよ!」
急に真顔で切り捨てられてもめげずに弁当と睨み合っていると、うるせえとでも言いたげなものすごく嫌そうな顔のまま俺の顔に唇を寄せて、直前でぴたっと止まった。なんだ、焦らすのやめろ、目なんか絶対閉じねえからな。ここまで来て恥ずかしいとかやっぱやだとか言ってみろ、俺は自分を抑えられる自信がないぞ。
残り数センチの至近距離のまま、しばらく難しい顔で考えていた弁当がぽつりと、好きっつってからちゅーだったっけ、それとも逆だっけ、と俺に聞いたので、笑ってしまった。そんなんどっちだっていいよ、そんなところで考え込んでたのかよ。じゃあ両方言って、と告げればすっかりアルコールに浮かされて頭の中ふわふわになっちゃってる弁当は従順に頷いて、俺の言った通りにしてくれちゃったりして。内緒事を教えるように小声で呟いた唇がそっと離れた後、ぶつかった視線に耐え切れなかったのか、真っ赤になってぱっと目を逸らされたので、覆い被さりたくなるのを必死で我慢した。お前、さっきまでのあの若干ぶち切れながら好きだって言うような恥じらいの無さはこの一瞬でどこに落としてきたの。なにこのほんの数秒で真っ赤になっちゃってんの、俺のことどうしたいの。
「どんくらい?」
「……ん、う、なに」
「どのくらい俺のこと好きなの」
「割とずうっと」
「そ、いや、それは、うん、ありがとう」
「……違った?」
「そうだなあ、時間じゃなくて」
「大きさ?」
「そんな感じ」
「そんなんもうわかんない」
「お、ほお……」
「なに」
「……俺今すごい顔赤くない……?」
「そうかな」
「そうだよ!暑いもん!お前のせいだぞ!」
「ごめんね、あのね」
「べ、っつに謝って欲しいわけじゃ」
「俺お前のこと好きで、ずっと好きで、だからもう俺のってことにしてもいいかな」
「な、くて……」
「いいのかな、だめかな。ごめん、でも、いいかなって」
指の背でするすると輪郭をなぞられて、幸せそうなへにゃんって笑い方するから、声も出なくなってしまった。こいつは俺のだって、こいつでも思うんだ。そういう独占欲があるのは俺だけで、弁当はきっと俺のことをただ好きなだけで、色の違う矢印がお互い一方的に通じ合ってるようなもんなんだと思ってた。弁当は俺が弁当のこと好きだっていうのをなかなか信じてくれないから、俺だけがこいつを自分のものにしたがってるのはおかしいなって、ずっと思ってたのに。
有馬は俺が独り占めしちゃいけないんだけどほんとはちょっとだけ俺のなんだ、といまいち意味の繋がらない言葉を零して、秘密をこっそりばらすみたいにくすくす笑う弁当の手を握れば、どうしたの、なんて不思議そうな顔。お前は俺のこと好きなんだろうなって実際聞いたことないままにぼんやり思ってはいたけど、本人の口から聞くことでぐっと来るものがあるんだって、今初めて知った。
「ねえ」
「うん」
「弁当も俺のこと欲しいの」
「うん」
「俺も弁当のこと欲しい」
「あげる」
「全部ちょうだい」
「もうあげてる」
「そっか。そうだった。俺も俺のことあげる」
「……あんまりいっぱいいらない」
「いい。全部あげる」
「多すぎ」
「俺のこと好きな人に全部あげたいから、貰ってくれなきゃ困る」
「全部かあ……」
「弁当よりもたくさん俺のこと好きな人いる?」
「ううん」
「でしょ」
「俺が一番お前のこと好きと思う」
「俺もそう思うわ」
ぎゅっぎゅって手を握りながら、目を細めて薄く笑ってる弁当がぽつぽつと口を開く。前は自分が一番好きだなんて思わなかったし、他にもたくさんお前のこと好きな人はいるから俺なんか別にいらないと思ってた、でもお前が俺のこと好きって言ってくれるのに俺がお前のこと一番好きな人になってなかったらやだって思ったから、もう一回たくさん好きなとこ探してみたら頭がおかしくなりそうなくらいいっぱいあって、こんなに好きなら俺が一番でもいいかなって思うようになって、お前のことこんなに好きなんだからご飯作ってあげるのも一緒に寝るのもなんでも言うこと聞くのも全部あげちゃうのもおかしくないんだと思う、んだって。ゆっくり言葉を選びながら、丁寧に静かに紡がれる言葉は、酷く優しくて甘ったるかった。それでね、なんて続けかけた弁当の熱い体を引き寄せれば、一拍置いて満足そうな吐息。もういいよ、分かったよ、これ以上聞いてたら俺の頭茹だっちゃうよ。
「……ありま」
「はい」
「ふふ、あっついね」
「……そうすね……」
「どうしたの」
「どうもしない」
「なんで顔見せてくれないの」
「やだから」
「見せて」
「やだ」
「見たい」
「駄目」
「けち。なんで」
「……好きな人にかっこ悪いとこ見せたくないの」
「そんなんいっつも見てるのに」
「そうかもしれないけどさ」
「ね、ずるいよ、いっつも俺ばっか恥ずかしいとこ見られてる」
「俺のこと好きなら言うこと聞いて、見ないでって言ってるの」
「好きだから見たいって言ってるでしょ、このばか」
「……お前、覚悟しとけよ……」
「なあに」
「こっち来なさい」
「うわあ、や、立てない、無理」
「ふらふらでいいから、あと五歩しか歩かないから」
「ん、んー、いち、にー、さん、し、ご!」
半ば無理矢理立たせてよろよろしながら辿り着いた、隣の部屋にはベッド。きっちり五歩数えてぱっと笑顔でこっちを向いた弁当がどうなるかは、お察しの通り。


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