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おはなし



「かなたちゃんってお兄ちゃんいるんでしょ?」
「うん」
「そうなの?あたし知らない」
「そうだよお、うちかなたちゃんとお兄ちゃんと小学校一緒だったもん」
「えー、ねえ、どんな人?今何歳?」
「どんな、っていうか……頭はあんまり良くない……」
えーなにそれ!なんて笑われてしまうけど、ほんとの話。例えばそれこそ、うたちゃんみたいに小学校が一緒だったり、中学や高校の時のお兄ちゃんを知ってる人だったりが周りにいると、すっごいかっこいいんだよ、とかなんとか言ってハードル余計に上げてくれやがる。そりゃあたしのお兄ちゃんの顔は良い方だと思う、身内だからとかじゃなくてそう思う。でもだからなに?って感じだし、それ以前にあの人ものすごい馬鹿だし。それで明日の花火大会どうする、と楽しい話にすり替わった会話に滑り込みながら、明日は大戦争だな、とぼんやり思う。
「かなた」
「……なに」
「お兄ちゃんが迎えに行くからな」
「来ないで」
「行くからな!勝手に違うとこ行くなよ!」
「来たら怒るからね!」
「馬鹿言うな、そんな恰好で夜ふらふらしてたら何があるかわかんないだろうが!」
ほら来た、そんな恰好もなにもただの浴衣だっての。家出るまでお兄ちゃんに見つからなければすんなり行けると思ったのに、あと一歩のところで部屋からすっ飛んできてあたしを引き止めたお兄ちゃんを睨み付ける。せっかく友達と花火見に行くのに、最後の最後でお兄ちゃんが迎えになんて来たら、ひっちゃかめっちゃかになるに決まってるじゃないか。お母さんにだって秘密にしてって言ったのに、お兄ちゃんが部屋で難しそうな教科書と頭抱えて睨めっこしてることも確認して静かに支度したのに、なんでここまで来てばれるかな。
駅で待ってなさい、と厳めしい顔を取り繕うお兄ちゃんにスリッパを投げつければ、珍しくふぎゃあとか言って当たった。絶対来んな馬鹿、と心からの叫びを残して玄関扉を閉める。ほんとに来たら無視してやる、知らない人の振りしてやる。
「おまたせー!」
「んーん、全然大丈夫」
「かなたちゃんの浴衣かわいい!」
「うちのやつお姉ちゃんのお下がりでさあ」
「いいじゃん紺色、あたしのなんか子どもっぽくない?」
「かわいいっつってんじゃん」
「なんで半ギレよ」
「あっついねえ」
うたちゃんとしまのんと合流したのは時間ぎりぎりだった。人混みの中を三人でくっついて歩いて、屋台の焼きそばとか割り勘で買って、歩きづらいのなんか気にならないくらい楽しくて。早めに場所取りした甲斐あって、花火はすっごく綺麗に見えた。周りにたくさん人はいたけど、もちろん怖い思いなんかしなかった。何があるかわかんないなんて言って、やっぱりお兄ちゃんは心配性だ。なんてこと思いながら浮かれた気分を引きずって、待ち合わせしてた駅まで戻ってきて、改札の前で少し話したりとかしてたら、後ろから突然声をかけられた。
「電車待ち?」
「う、え」
「高校生?だめだよー、早く帰んなきゃ」
お酒臭い、から酔っ払いだと思う。ぽかんとしてるうたちゃんと、顔を強張らせたしまのんが見えて、あたしも一瞬どうしていいか分からなくなって。へらへらしてる男の人が三人くらいであたし達に絡んでいるらしい、って理解できた時には、もう場面ががらっと変わってた。
「おいてめえ」
「ぐえっ」
「こら馬鹿!なにしてんだ!」
「いってえな、なんだお前」
「ちょっとこっち来い、面貸せ」
「あ?」
「こ、のっ、やめ、離せってばっ」
「……小野寺助けてやれよ」
「え?なに?」
「弁当が有馬に痛い思いさせられる前に止めろっつの」
「んー。こらこら、やめなさい」
「あ、ありがと……」
「つーか見つからないようにするっつってたんじゃないの?」
「離せよ、俺こいつに話あんだよ」
「ねえちょっと、聞こえてる?妹ちゃんの前でそんな簡単にぷっつんしていいの?」
「あんま怒ってると肩ぎゅーってするぞ!」
「あ!?」
「やってやれ」
「ぎゅー」
「ぁだだだだ!いてえな!いてっ、小野寺!」
「なんだよお前ら!」
「あの、すいません、突然ごめんなさい」
あたし達に話しかけてきた男の人の襟首をいきなり引っつかんでぐいっと引っ張ったのはお兄ちゃんで、珍しく怒ってるらしいお兄ちゃんを掴んで止めてる背の高い男の人が一人、ていうかなんなの真顔やべえしそんな怒ってんのうけるんだけど、と笑いながらりんご飴食べてる黒い髪の男の人が一人、お兄ちゃんに代わって酔っ払いさんに謝っているのは弁当さんだ。弁当さんが最初お兄ちゃんを止めようとしたんだけど、全く話を聞く様子もなく全無視されていた上にじりじりお兄ちゃんに引き摺られていたから、大きい方の男の人が肩を掴んでお兄ちゃんを止めてくれた。
突然二倍以上に増えた人数に目を白黒させていると、酔っ払いさん達はどこかに行ってしまった。それをじっと見送ったお兄ちゃんが、肩を掴まれたままこっちにぐるんと向き直ったから、思わず体がびくんってなる。怒られる、と思って、たのに。
「……………」
「……ご、ごめ、なさ」
「……楽しかった?」
「い、え?」
「花火。見れたのかよ、ちゃんと」
「えっ、あ、うん……」
「そっか。良かった」
へにゃって笑ったお兄ちゃんがあまりにいつも通りで、拍子抜け。あんな怖い顔してるのいつぶりに見たんだろうってくらいだったのに、すっごく怒ってたのに、あたしには怒らないんだ。早く帰らないでこんなとこでお喋りしてたからああいう人達に絡まれちゃったわけで、あたしが悪いことなんて自分で分かってる。けどお兄ちゃんは怒らないで、そうやっていつもみたいに笑う。怖い思いする前にお兄ちゃんが来たからわけわかんない内に全部終わっちゃったけど、声掛けられた瞬間びっくりはしたわけで、お兄ちゃんに助けてもらったってことも分かってるのに、これじゃあありがとう言うのもおかしいみたいじゃん。
何にも言えずに固まってるあたしの後ろにいたうたちゃんが小声で、かなたちゃんのお兄ちゃん、ってしまのんに教えるのが聞こえた。いきなり飛び出すわ引っ張るわで心臓に悪いよ、なんて弁当さんが文句を言っているのに、お兄ちゃんは口を尖らせて知らんぷりしてる。りんご飴食べてる人があたし達に向かってにっこりして、ほんとはかなたちゃんには見つからないようにするつもりだったみたい、と教えてくれた。
「……来ないでって言ったから?」
「かなたのためじゃないですう、俺もちょうど花火見たかったし暇人がこんなに」
「暇じゃないけど」
「俺他の人と予定あったもん」
「有馬が緊急事態だとか言うから何があったのかと思ってさあ」
「だよねえ、実際来たら気持ち悪いシスコン野郎のストーカー付き添いだったし」
「うるせえ!花火見れたんだからいいだろ!伏見にはそれも買ってやったし!」
「有馬は花火見てないじゃん」
「いなくなった!いなくなった!っつって探してる間に花火終わってたよ」
「んなわけねえだろ、花火ちゃんと見たもん」
「何色が綺麗だった?」
「……金……?」
「お兄ちゃん」
「ちが、後なんかつけてないから、ついてきてないし、偶然通りかかっただけだから」
「……おにい、ちゃん」
「お、な、なんだよ、泣くなよ」
「泣かないよ!あたしのこといくつだと思ってんの!?」
「急にでかい声出すなよ!耳キーンなった!」
とにかく追っかけてなんかないから、ちょうどばったり会っただけだし俺ら今から二次会だもんな!なあ!とか三人に言って、それぞれにそっぽ向かれてしょんぼりしてるお兄ちゃんに、しまのんがおずおずと話しかけていた。ありがとうございました、と告げる声はまだ少し固くて、ふと見下ろせば手の力が強すぎて肌が白くなるくらいに、浴衣の袖がぎゅうっと握られていた。元々どこかずれてるうたちゃんは、久しぶりにお兄ちゃんを見れたことの方が重要らしく、かっこいいねえ、なんてぽやんぽやん笑いながら言ってたけど。それに気づいたお兄ちゃんが、ちょっと考えてから口を開いた。
「送って行こうか。嫌じゃなければだけど」
「あ、え」
「家どこ?気になるようだったら俺は離れたとこからついてくし」
「そんなの、申し訳ないです」
「いやいや。今の時間ああいうの増えてると思うよ?一人じゃ怖いべ」
「……かなたちゃん……」
「あたしも行くよ?これは置いといて、みんなで帰った方が安心じゃん」
「これって俺のこと?」
「かなたちゃんのお兄ちゃんと二人っきりとか超ご褒美じゃんよお」
「うたちゃんはあたしと家近いでしょ、しまのん送って一緒に帰ろうよ」
「そうしよー。しまのん逆方向だもんね、最寄りまで一緒に行こ?」
「ありがとお……」
ほんとはすっごく怖かった、とほっとした顔でしまのんが笑った。ぺこりと頭を下げられて、だから俺はちょっと離れたとこからついてくって、なんてお兄ちゃんがしれっと自分は何もしてない風に取り繕う。弁当さんとお友だちが、じゃあ俺らはどうすんべ、帰るか、そろそろそうしよう、なんてもちゃもちゃ話して、お兄ちゃんが何か言うより早く、あたし達には手を振って行ってしまった。取り残されたお兄ちゃんは、流石に女子高生三人の中に少し年上の男一人なのは居づらかったのか、そっと離れる。
「えー、かなたちゃんのお兄ちゃんどこ行くんです」
「……五メートルくらい離れてれば気になんないかなーって」
「うちのこと覚えてます?溝口唄です、小学校からかなたちゃんと一緒の」
「覚えてるよ、遊びに来たこと何回もあるじゃん。知ってる知ってる」
「あ、志摩希美です、あたし」
「部活とか一緒なの?かなたとは」
「はい。それであと、今は同じクラスで」
「そっかあ」
離れたのはほんの数秒で、うたちゃんに捕まったお兄ちゃんは浴衣姿の女の子三人連れて電車に乗っても特になんにも変わりやしなかった。恥ずかしがったりとか気を遣ったりとか、そういうのないんだよね、あんまり。
駅までは車でお父さんが来てくれるから、とホームでしまのんとバイバイして、逆方向に乗って元の駅まで帰ってくる。うたちゃんとあたしの家は近いので、見慣れた道の途中をうたちゃんだけ曲がって帰る。家まで行かなくても平気なの、と聞いたお兄ちゃんに、たくさんお喋りできて楽しかったです、と焦点のずれた答えを返したうたちゃんが手をぶんぶん振って、ぺたぺた草履を鳴らして歩いていく。
「……帰るか」
「うん」
「足痛くないか」
「お兄ちゃんも花火見れた?」
「おう」
「……痛くないよ」
被ってしまった質問にそれぞれ答えて、暗い道を歩く。少し先を行くお兄ちゃんが黙ってるのがまたなんとなく怖くて、けど言うことも特になくて、歩幅の違う足音。しばらくおきに必ずちらっと振り返ってあたしがついてきてるか確認するお兄ちゃんと何回か目が合ってしまって、俯き気味になっていく。疚しいことがあるわけでもないのに。家のすぐ近くまで来た頃、コンビニ行ってくるから先帰っててもいいぞ、とお兄ちゃんが振り返った。
「なんで」
「アイス買ってくる。かなたも食うだろ、買ってやるよ」
「バニラ」
「はいはい」
「ねえ」
「ん?」
「……なんっ、でもない」
つい呼び止めてしまったけど、気まずくて目を逸らす。立ち止まったお兄ちゃんが、一歩戻ってきて小さく笑った。なに、あたしなんにも面白いことなんかしてない、とっとと先帰って浴衣脱いでお兄ちゃんパシりに買ってきてもらったアイス食べるんだから、早く行ってよ。
「来るか」
「は?」
「一緒に来い、やっぱ一人じゃ危ねえや」
「なんでよ」
「行くぞー」
「すぐそこじゃん!家!」
「置いてくぞー」
「なんで、あたしまで、っ」
ついてく理由もないけど、置いていかれるのは嫌でずかずかと早歩き。浴衣着てることが足引っ張ってるとしか思えない歩き方でお兄ちゃんに並んで、息を荒くすればからからと笑われた。なんだよ、あたしの気持ちも知らないで。あたしの気持ちってなんのことだかあたしも知らないけど、そういう柔らかくて脆いはずのあれやそれも、お兄ちゃんの前じゃ吹けば飛ぶような塵同然だ。頭悪いくせに、彼女いないくせに、馬鹿、もう知らない。
「かなた」
「なに!?」
「お前浴衣似合うなあ」
「あっそ!」


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