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おはなし



今日はなんだかずっとそわそわしているな、と思う。誰がって、辻さんのことだ。朝来た時も妙に上機嫌そうだったし、昼飯食った後くらいから事あるごとに時計を気にしている。ミスがあるわけじゃないけど落ち着きがない、まあ年がら年中必要以上にばたばたしてる人なのでそれは普通なのかもしれないけど。
「今日なんかあるんですか」
「えっ、なに、俺?」
「そうですよ」
人の後ろをうろうろと歩き回られて気が散ったので、いっそのこと聞いてみることにした。用があってふらふらしてるなら分かるけど、今してるのは座ってても出来る仕事のはずだ、大人しく座ってろ。あからさまにそわそわしながら、鞄を机の上に置いたり椅子の上に置いたり床に下ろしたりと忙しなく動く辻さんの手から、鞄を取り上げる。背後に立たなくなったかと思えば視覚がうるせえ。退勤時刻までまだ少しあるじゃないか、何が楽しみでそんなそわそわしちゃってるんだ。俺だって、仕事区切りつけて早く帰りたいんだから。
「そ、そわそわなんかしてないよ」
「じゃあ人の後ろうろつくのやめてください」
「……井草くん最近生意気だぞ、俺のが先輩なのに」
「はあ、すいません」
「先輩は後輩の後ろをうろうろしたっていいんだ、えらいから」
「じゃあ正高のところに行ってきます」
「やめてあげて」
別部署にいる後輩の名前をちらっと出して立ち上がれば、慌て出した。そうだな、何も知らない他人に迷惑をかけるのはよくない。周りの人も伸びをしたり帰り支度を始めたりしてるのを見て、辻さんに鞄を返す。するとにこにこしながら机の上のものを片付けつつ、そわそわの理由を教えてくれた。
「子どものお迎え行く日なんだ、楽しみー」
「……辻さんって、お子さんいるんですか?」
「うん。あれ?井草くんなんで知らないの」
「知りませんよ、聞いたことないですし」
指輪してるから既婚者なことは知ってた、妻がどんな人かとかそういう話は一切聞いたことないけど。職場にいる人となんて毎日のように顔合わせてる上に一ヶ月二ヶ月の短い付き合いでもないのに、俺は身の回りの人のそういう事情を一切知らないんだな、と改めて思う。酒あんま強くないからご飯食べに行っても飲まないし、そのせいで割とみんなのお世話役になることが多いから、羽目を外せる場での雑談に参加しないのも大きいだろう。ていうかそもそも俺人付き合い苦手だしな、聞こうとも思わないから仕方ない。
「お迎えって、学校とかですか」
「保育園。毎朝送ってから来てるんだよ」
「……大変ですね」
「今日は帰りも俺が来るって教えたら子どもはしゃいじゃってもう、えへへ」
「はあ」
「早く行きたくって仕事片付けちゃったから今暇なんだよね」
だからなんかお仕事ちょうだい、と両手を差し出されたので、無視しておいた。ペース配分をもう少しどうにかできなかったんだろうか。だからデスク周りをうろついてたのか、と納得は行ったけれど。
それからしばらく話を聞けば、どうやら辻さんの子どもは男の子らしい。待受だよ、と携帯の画面を見せられて覗き込めば、辻さんを小さくした感じの子どもが口をぽかんと開けて写っていた。九割あんたの遺伝子で構成されてるじゃないですか、お嫁さんの血はどこに消えたんだ。そう聞きたかったけどそのまま告げるわけにも行かなかったので、辻さんにそっくりなんですね、とぼやかせば、でも笑うと目がなくなるの、と目尻を引っ張っていた。成る程、目元は母親似というわけか。
「写真撮るからじっとしてろって言ってんのに、こっち来ちゃうんだよね」
「ああ……」
「見してって言われてもまだ撮ってないっての」
これなんか酷いよ、と見せられた写真は、寄ってきてしまった子どもがカメラに向かって手を伸ばしていて、画面の半分は手で隠されていた。しかし残りの半分に写っている子どもは、さっきの待受と比べて段違いに楽しそうだ。確かに、笑うと辻さんと同じく真ん丸の目が細くなって、そっくりではなくなっている。かわいいですね、とぽろっとこぼせば辻さんがあんぐり口を開けていた。
「……なんすか」
「井草くん、今なんて」
「なんて、って……ああ、男の子だから嫌でした?すいません」
「君、そんなことも言えたの」
人のことをなんだと思っているんだ。他人に言ったことはほとんどないけれど、俺はぶっちゃけ子どもが好きだ。だから普通に、楽しそうな子を見れば可愛いと思うし、泣いてる子を見ればどうにか出来ないかなと思う。まあそんなこと言わないけど、この人うるさそうだし。
画面のほとんどが子どもの顔と手で隠されているけど、撮影場所は辻さんの家だろう。ぽかん顔から元に戻らなくなってしまった辻さんは放ったまま画面を見ていると、子どもの指の間に気になるものを発見した。
「あの」
「なに……井草くんも航介も、見た目怖くて冷たそうな奴ほど子ども好きなの……?」
「は?」
「あっなんでもないです」
「……怖くて冷たい人間ですいませんね」
「やだなー!井草くんは無表情でぶっきらぼうなだけじゃん!ねっ!」
「ははは」
「うわぜんっぜん笑ってねえ、怖。あっごめ、クールな男はモテるよ!」
「そうね、井草くんは無口で朴訥だけどとっても好印象だわ。はいこれ」
すっと後ろから差し出されたボールペンに振り向けば、財部さんが立っていた。一応注意しとくけどまだ勤務時間中、と困ったように笑って、俺と辻さんの間にある携帯に目を止める。辻くんとこの子大きくなったのね、と目を丸くしている様子から、財部さんは辻さんに子どもがいることを知っていたようだ。ていうか逆に、知らなかったのが俺だけだと思った方がいいのかもしれないな。
「うちの子が着てた赤ちゃん服とかあげたの、女の子だから少しだけどね」
「えっ、財部さんも子どもいるんですか」
「なによ、悪い?旦那もいるわよ」
「ていうかそれも知らなかったんだね……」
「指輪してないからてっきり独身なんだと思ってたんです。なんか、すいません」
「いいのいいの。指輪は、傷が付くのが嫌でここにはしてこないだけだし」
「財部さんの娘さんってもう小学生でしたっけ」
「一年生になったとこ」
「辻さんの息子さんはおいくつなんですか?」
「三つだよー」
「相変わらずこの子一人の写真しかないの?」
「うん。子どもと違って母の方は写真撮られんの好きじゃないんで」
「あの、それなんですけど。これってお母さんですか」
子どもの指の隙間に見えてる、恐らくは後頭部。少し遠くにいるらしい金髪を指させば、どれどれ、と辻さんが目を凝らした。まあ聞くまでもなく、恐らくはそうだろう。ていうか嫁金髪かよ、すげえ目立つな。外人さんなんだろうか、染めてるんだろうか。
ほんとだ、写っちゃってるね、と苦笑した辻さんが時計を見て、ばたばたと慌て出した。そういえばお迎えに行くんだとか言ってたっけ。ごめん先に帰るね、と鞄を引っ掛けた辻さんに財部さんが携帯を返した途端、挨拶だけ残して嵐のようにダッシュで消えてしまった。走り去った辻さんを見送って、ぼそりと呟く。
「……辻さんのお嫁さんって日本の方ですよね?」
「書類出す関係で色々聞かれたけど、外人さんって話は聞いてないわね」
「金髪でしたね」
「ね」
「……………」
「不良なのかしら。あたしも彼女の話は聞いたこと無くてさ」
「……お弁当はきちんとしてますよ」
「家庭的なヤンキーなんてポイント高いんじゃない、男の子的に」
「俺は髪の色で日本人と分かる人がいいです」
「そうね。さて、あたしも帰ろうっと」
井草くんも彼女の一人や二人早く見せてよ、と言い置きひらひら手を振って自分のデスクへと帰ってしまった財部さんに、無茶言わないでくれと溜息をついた。

「……あ」
うわ、出た、辻さん子ども版。写真を見せてもらってから数日、今日は休みだからと地元のでかいスーパーに来たところ、見たことのある顔を見つけてしまった。まあこれまでも職場の人に会ったことないわけじゃないし、買い物来るっつったら恐らく大半の人がここに来るだろうし、いつかは会う気がしてたけど。
声は到底聞こえない距離が開いた先、エスカレーターを挟んで向こう側にちょろちょろしてるのが見える。斜めに壁が出来てるからよく見えないけど、金髪が揺れたのがちらっと見えたのでそこに辻嫁もいるんだと思う。辻さんがいるのが分かったら挨拶でもしようかと、もとい子どもをよく見せてもらおうかと思ったけれど、どうもその場にはいないようだ。というより、二人は辻さんを待っているんじゃないだろうか。そしたら待ってたら来るかもしれないな。
ぼけっとそれを見ていれば、兄と弟になにしてるんだと声をかけられたのでカゴを託してしばらく観察してみることにした。辻さん早く来い、そして俺に子どもを見せろ。柱に寄りかかって見ていると、ぐるぐる走り回っていた子どもがべしゃっと転んだ。ひんひん泣き出した子どもの元へ金髪が寄って行くのが見える、でも壁がものすごい邪魔だ。俺視力悪くないけど、流石に透視能力はない。でもどうも背が高いみたいだ、とは思った。よく考えたらあの斜めの壁もそれなりに高さあるはずなのにそこから頭が見えるって、女の人なのにかっこいいな。
抱っこされてる子どもはこっちを向いていて、金髪はあっちを向いている。さっきから絶妙に顔が見えないんだよな、出歯亀くさいけどやっぱりちょっと気になるじゃん、あの辻さんと結婚した人だし。ずるずると柱に寄りかかったまま、ちょっとでいいから見えねえかなあと少しずつ移動していれば、子どもがこっちを見ているような気がした。違う違う不審者じゃない、君のお父さんの後輩です。
「なにしてんの?」
「うっわ!あ!?あ、っえ、つじ、さん」
「……辻さんですけど」
突然かかった声に飛び退けば、きょとんとした顔で辻さんが立っていた。ああ、子どもがこっちを見ている気がしたのはこのせいか。俺の背後にお父さんがいたから見ていたんだろう、それにしたってびっくりした。井草くんが大きい声出したのなんて初めて見たよお、とぽやぽや笑ってる辻さんに、あそこでご家族が待ってませんか、と食い気味で聞けば、そっちを見て俺を見て、ちょっと待っててね、と行ってしまった。
「いや、あの、俺行きます、挨拶とかしてないので」
「あれすごい人見知りなの。海だけ、子どもだけ連れてくるから待ってて」
「え、あ、はい……」
「……井草くんうちの嫁の顔見た?」
「いえ、後ろ頭しか見えなくて」
「そっかそっか」
なんだその質問、と思いながら、歩いて行ってしまった辻さんを待つ。なんだろう、金髪が似合うものすごい美人さんとかなのかな、背も高いし。それとも、あれでいて辻さんは嫁溺愛で、他の男に見られるのすら嫌、とかだったり。なんというか、それはちょっと面白い。そういえば嫁は人見知りだってさっき言ってたっけ、じゃああんな目立つ頭にしなけりゃいいのにな、それともやっぱり地毛が金に近いのかな。そんなことをつらつら考える、財部さんにも教えてあげよう。
壁の向こうに見える辻さんは頭のてっぺんしか見えていなくて、ちらっと見えてる金髪の方が高い位置にある。そんなに長い時間待たされたわけでもなく、ほんの少し話したらしい辻さんが、子どもの手を引いて戻ってきた。
「こんにちはして、海」
「……んー」
「やだって。井草くん怖いからだよ」
「怖くないです」
もじもじして辻さんの後ろに隠れてしまった海くんに合わせてしゃがむ。丸い目の中に仏頂面の自分が見えて、確かにこれは怖いかもな、と思った。不安そうな顔は、見ているこっちの眉まで下がってしまいそうになる。試しに少し、笑ってみた。
「井草真治です。お父さんと一緒にお仕事をしています」
「……つじ、うみですう……」
「海、さくちゃんのお仕事のお友達だよ。いつもさくちゃんのことを助けてくれるんだ」
「そうなの?」
「……まあそうですね」
嘘はついてないので頷く。お父さんじゃなくてさくちゃんって呼ばせてるのか、呼びやすいからかな。辻さんのことを見上げて、俺の方を見て、数回視線を行ったり来たりさせた海くんが、恥ずかしそうにはにかんだ。
「うみのさくちゃんのおともだちだから、うみもおともだちになる」
「……はい」
「っぶふ、ごめっ」
かしゃり、と音が聞こえて顔を上げれば、辻さんがこっちに向けて携帯を構えていた。なにしてんだこの人。見せなさい、と詰め寄れば知らん振りをされて、携帯はポケットへと消えた。くそ、今俺すごい恥ずかしい顔してたんじゃないか、笑うの下手くそだなんて自分でだってよく分かってるのに。
きょとんと俺を見ていた海くんが辻さんの服の裾を引いて、こーちゃんとこかえる、と言ったのをきっかけにさようならした。お父さんはさくちゃんでお母さんはこーちゃんなのか、こが付く名前なんだろうな、辻さんも名前がそうだし。一応辻嫁にも見えてたらと思ってぺこりとお辞儀をしておいた。いつかご挨拶できたらいいんだけどな、金髪の長身美人。

「財部さあん、見て見て」
「辻くん、スケジュール組んでもらったとこ悪いけど、この会議一ヶ月後よ」
「そんなん後で直すから、見てくださいよ。井草くんのレア写真」
「後輩で遊ぶのやめなさいって……あらら」
「かわいいっしょ」
「あの子こんな風に笑えるの、ふふ」
「うちの子とこないだばったり会ったらもうでれでれ、表情筋緩みっぱなしでした」
「いつも不貞腐れたみたいな顔だものね。仏頂面で無口なのも素敵だけど」
「笑った顔は可愛いのよって女の子達に教えてあげて、今度またご飯行くんですよね?」
「なんで辻くんが知ってるのよ、女子会なのに」
「桜庭ちゃんが教えてくれました」
「来ちゃだめよ、あなたどうせ誘われたんでしょうけど」
「行きませんけど、つーか三十路越えのおばさんが女子会って、ふ、っふふ」
「辻くん」
「ふ、は、あっごめんなさい、なんでも、なんでもないです、嘘ぴょん」
「あなた、今日中にこの紙束要るものと要らないものに分けといてちょうだい」
「えっ、なに言ってんすか、無理、やだ、だってこれ倉庫から出て来た束でしょ」
「そうよ」
「全部シュレッダーでいいですよね?ねっ?」
「一枚ずつきちんと確認して、必要書類はファイリングしておきなさい」
「この量を!?一枚ずつ!?」
「どうせ暇でしょ」
「んなわけねえだろババア」
「はい追加」
「井草くん!助けて井草くん!」
「余計な仕事を持ってこないでください」
「俺のことを助けてくれる素敵なお友達の井草くん!」
「俺、辻さんのお友達になった覚えはありません」
「もうやだ!この職場俺に対して風当たり強すぎ!帰らせて!」
「終わるまで帰っちゃダメよ」
「辻さん、ここ確認お願いします」
「つじさあん」
「桜庭ちゃん!助けて!みんなが俺をいじめるよ!」
「笹元さんがあ、辻さんにお話があるって呼んでましたあ」
「嫌、行かない、怒られる」
「呼んでましたよお」
「いだだだだ引っ張んないで絞まる絞まる」


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