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おはなし



海は、運動神経があまり良くないと思う。もっとはっきり言えば悪い。別にころころ太ってるわけでもないのに、何故か走るの下手くそだし遅いしすぐ転ぶし、この間なんてジャンプしてすぐしゃがむと必ずでちんって尻もちつくことが分かった。身長だってそりゃ周りよりはちょっと小さめだけど年齢に合わせてきちんと伸びてるのに、いつまで経っても何処となく動きがもたもたする。みんなで体操すると周りよりワンテンポ遅れる、と言ったら想像しやすいだろうか。その代わりというかなんと言うか、手先は器用だ。朔太郎も俺もそんなに運動出来ないわけじゃないし、こういうのって遺伝関係あるのか分かんないけど。
「いたーい……」
「……かさぶた取れちゃったな」
「うみのおひざにばんこそつけて」
「絆創膏だらけになっちゃうだろ、ここにはつけません」
「ころんじゃったらつけるんだもん、せんせえいってたもん」
「……海、膝見てみ」
「む」
「赤いの出てきてたら貼ってやる」
「ない!」
「じゃあ大丈夫」
「やだー!ばんこそー!」
ばんこそ、じゃなくて、ばんそこ。逆だよって何回か教えたんだけど何故か反対に覚えてしまったようなので、自分で気づくまではこれでいいかとほっといてる。家の目の前ですっ転んだ海は、ほんのちょっと戻れば絆創膏があることを知ってるから、わざと俺に見えるようにべそべそ泣いてる。ばれてないとでも思ったか、指の隙間からめっちゃ目合ってんじゃねえか。最近こういう知恵ついたよな、成長したと思うけどちょっとむかつく。
よく走る癖に転ぶ海の膝は、なんだか黒っぽく色が変わってる。足にも腕にも青痣たくさんあるし、保育園でも日常茶飯事にしょっちゅう転んでるらしいし、これ平気なのかなって心配になってさちえやうちの母に相談もした。けど返ってきたのは、別に大丈夫、の一点張り。でもやっぱり最初はどうしても心配で、海が求めるままに絆創膏貼ってやってたんだけど、途中で気づいた。こいつは、小さい傷口を消毒してもらうのと絆創膏を貼ってもらうのが好きらしい。しかも恐らく相当好きだ、絆創膏だらけになった膝小僧見てにやにやしてた現場を俺は目撃した。ちなみにあんまり大きい傷口だと普通に泣く、消毒液が染みて痛いし絆創膏じゃ収まり切らない上に見た目がグロいから。
だんだんヒートアップする絆創膏貼って欲しい欲を抑えるために、最近はちっちゃい怪我だったら大丈夫だからって貼らないようにしてるんだけど、頭が回るようになってきた海はやだやだって泣いたり拗ねたり怒ったりするようになった。もうお手上げだ、だって怪我は本当にしてるわけだし、転んだら絆創膏貼るんだって海自身が言い張るし。
「……どうするよ」
「ばんこそ?」
「お前が教えたのか、ばんこそ」
「俺はちゃんとばんそーこーって教えたよ」
「じゃあ一人で勝手に間違えてるだけか……」
あいつすぐ転ぶもんなあ、と眉根を寄せた朔太郎が唸る。当の海はどうしてるのかと言えば、風呂上がってすぐまるで電池が切れたみたいな勢いでこてんと寝た。疲れていたんだろう、怪我に比例して運動量も恐らく周りより多いから。
乾かしとかないと膿んでしまいそうな傷作ったくせしてしつこく絆創膏を求めることもあるから、海本人にもちゃんと納得してもらわないとならない。俺たち的には結構重要問題なわけだ、たかが絆創膏でも。まあここ二人で頭付き合わせてても何が思いつくわけでもなく、もうちょっと厳しく絆創膏禁止を訴えてみることにするか、と何となく決まった。わあわあ泣かれるとどうしても流されそうになるから、そこは心を鬼にして。
それから、またしばらく経った日のこと。転び方もちょっとは上達すればいいのに、相変わらず思いっきり飛び込む転倒を見せ付けてくれる海が今週何度目かの、ばんこそちょうだい、って言うのを聞かない振りしたら拗ねられて、そんないじわるしたらうみもうこーちゃんのこときらいになっちゃうから!なんてここ最近しょっちゅう聞くようになった、海の中でお決まりの最高に悪い言葉を浴びせられる。ほんとにきらいになっちゃうんだからね、って涙目で詰め寄ってくるから、嫌いになるならなってもいいよ、と試しに返してみたら、様子を窺う素振りのある泣き方じゃなくてガチ泣きされた。悪かったよ、嫌いにならないでって言って欲しかったんだろ、知ってたよ。
「れもねっ、れもっ、うみいだいのっ、ここっ、ひっく、いたいのっ」
「分かった分かった」
「ばんこしょ、こーちゃ、ここにばんこそはってっ」
「んー……」
困った。ここで甘くするから、いつまで経っても絆創膏離れ出来ないような気もしてる。でも海泣いてるし、確かに痛そうではあるし、しかしまあ傷自体は小さいから絆創膏貼らない方が良い気もするし、ところがどっこい海は大号泣だし。あと数歩で家まで帰れるのに、またしても目の前のたった数段しかない階段ですっ転んだので、海はもうここから自力で歩いては帰らないんじゃないだろうか。抱っこしてもらって家に着いてスプレーで消毒して更に絆創膏を貼ってもらう、っていうのが恐らく海の中での最高のやつだ。でもそれしたくないな、自分で歩いて帰って絆創膏無しでも大丈夫だって思って欲しい。ぼたぼた涙垂らしてずるずる鼻啜りながら少し赤い膝小僧とにらめっこしてる海をどうしたもんかと見ていると、泣き声が聞こえたらしい朔太郎が玄関から顔を出した。
「なんだ、どした」
「……転んだ。ここで」
「あー……海、ほら。こっちおいで。さくちゃんが見てあげる」
「いたくてあるけないぃ」
「骨見えてるなら抱っこしてあげるけど、見えてないでしょ?」
恐ろしいこと言いやがる。もっとたくさん血が出てたら抱っこしてやる、とかは言うつもりでいたけど、骨見えてるレベルだったらすぐ救急車呼ぶわ。それでも馬鹿正直な海はじっと膝を見下ろして、ちょっとだけ皮向けてるところを指さし、ここはほねがみえちゃいそうだからだっこ、と宣うので黙って首を振った。だから、骨見えてたらやばいっつってんだろ。
立ち上がろうとすらしない海を引きずるように脇に手を差し込めば、あるけないよお、とぐったり身体中の力を抜きやがった。涙は止まったものの、まだ歩きたくないらしい。今日なんか海が釣られそうなおやつ家にあったっけかな、と記憶を探る。丁度無い気がする、晩飯の予定も特に海が好きでも何でもないカレーだし。ものすごく甘いなんとかレンジャーのカレーなら、朝からそれだけを楽しみに一日過ごすくらい好きなんだけどな。
「海、早くこっちおいで」
「だっこお」
「こーちゃん海の鞄持ってくれてるでしょ、抱っこ出来ないんだよ」
「じゃあさくちゃんがだっこ」
「さくちゃんここから出られない呪いにかかってるから」
「ちがう」
そうだな、違う。ごもっとも、と内心で思いながら見下ろすと、完全に甘えたモードに入ってしまった海はやだやだと手足をじたばたさせていた。こうなったらもうだめだ、絆創膏どころの騒ぎじゃない。とにかく何とかして家の中に連れて入ろうと思い俺が海を抱えようとしたのと、全くもうなんて言った朔太郎が玄関からぺたぺたと歩いて近づいて来たのがほぼ同時だった。
「うおう」
「ん?」
「いたーい!」
適当に靴を突っかけていたからか、気の抜けた声と共に朔太郎が顔面から転んだ。ごつん、と重い音がしたので恐らく相当な勢いで頭も打ったんだと思う。何で顔より先に手を出さないんだよ、海なら未だしもお前はいい年した大人だろ。転んだのは自分じゃないくせにいたーいなんてでかい声で叫んだ上、痛い時の顔で固まっている海のほっぺをぐにぐにしながら、おい大丈夫かよ、と朔太郎に声をかければ、むくりと体を起こして。
「あいてて」
「ひっ」
「……………」
「自分の足踏んづけちゃったよ、痛いなあ」
「しゃぐ、っさくちゃんがたいへん!こーちゃん!こーちゃあん!」
「……………」
声も出ない俺を海が揺さぶる。立とうともしなかったあの横柄な態度は何処に消えたのか、さっきとは逆に今度は海が全力で俺を朔太郎の方へと引っ張っていた。状況が分かっているのかいないのか、当の朔太郎はへらへら笑ってるし。
額からだらだら流血してる朔太郎を見て、海が真っ青になってる。泣くより先に驚きが勝ってしまったらしい海は俺の手をぐんぐん引っ張りながら、さくちゃんがたいへん、としか言わなくなってしまった。いや、大変なのは見て分かる。多分だけど、顔面から転んだ時に打って切ったんだろう。綺麗にぱっくり行ったな、そんな鋭利だったのか、地面。まあ確かにうちの前の道はそんな綺麗に整備されてるわけでもない、ちっちゃい段差とか大きめの石とかならそこらじゅうにある。だから海がしょっちゅう家の目の前ですっ転ぶんだ。それにしたって、お前がそんなでどうするんだよ。つうっと垂れた血を、あれれ、なんて言いながら拭った朔太郎は、ようやく自分が流血しまくっていることに気づいたようで、目を丸くしていた。ちょっとびっくりしたような声色で、俺の手を千切りとる勢いの海に話しかける。
「さくちゃんぐらいの怪我じゃないと絆創膏は使えないよ、海」
「はやく!はやくさくちゃんにばんこそはって!うみのいらないから!あげるから!」
「……お前それ医者行ったら?」
「ガーゼと包帯あれば大丈夫だよお」
「こーちゃんはやく!さくちゃんにばんこそあげて!こーちゃん!」
「絆創膏じゃ足らないんだよ」
「うみのもつかっていいってば!はやく!さくちゃんほねみえちゃう!」
「海もね、絆創膏使う時はこのくらい血が出たらだよ。分かった?」
「わかった!」
「地面に後で水流しとけよ、朔太郎」
「うはは、やべえ、なにこれ。サスペンス」


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