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おはなし



会わすつもりはなかった。ほんとに、出来ることならこいつの存在すら知らせないように過ごしたかった。無理な話だけど、小野寺を家に来させないようにすればそう実現できないわけでもない話だったわけで。
「こ、んにちはっ」
「こんにちわあ。おっきいねー」
「そう、ですか」
「えへへ、すごーい」
にこにこしながら、到底届くわけない小野寺と背比べして爪先立ちしてる姉をじっと見る。早くどっか行け、ていうかなんでこんな時に限ってうちにいるんだ、基本いない癖に。それに恐らくは気づいている姉は、嫌がらせのつもりか自分の餌だと思ったのか、尚も小野寺に絡み続ける。
なんでうちまでこいつがついて来たんだかなんて多分ほんとにどうでもいい理由で、思い出そうとしてもあれだったかこれだったかってちっちゃい理由がいくつか浮かんで、特に心当たりがない。小野寺は今までも数回うちまで来たことはあるし、でも大概うちには誰もいない。そもそも小野寺がうちに来る回数より俺が小野寺の家に行く回数の方がはるかに多いわけで、だからもうすっかり危機感が薄れていた。この女に会わせるのだけはしたくなかったってことすら、忘れかけてた。
「えー、同い年?見えないね、背も高いし」
「そうですかっ」
「あはは、元気ー。なに、高校一緒でしょ?クラス?」
「部活です」
「そっかあ、きゅーどーだっけ。名前なんていうの?」
「小野寺、」
「ねえ早く出かけたら」
「……えー?」
小野寺の言葉を途中で遮って、姉に向かってつっけんどんな拒絶。割とあからさまに不快感を表した姉が、きょろきょろと二人の間を見る小野寺に視線を戻す。大学のサークルとやらでちゃらついた適当な男引っ掛ける作業に早く戻れよ、と舌打ちかましたくなるのを我慢して姉に冷たい目を向ければ、こっちを見てもいなかった。男であればなんだっていいのかよ、このクソビッチ。
「小野寺くん、っていうんだ。こんな体おっきいし、他に運動してたりする?」
「あ、ええっと、中学まではバレー部でした」
「えー!超似合うね!あたしもバレー好き、迫力あってかっこいいよね」
「ねえ、どっか行くとこだったんじゃないの」
「……もー。うるさいなー」
「早く行けよ」
「友達いないあんたが連れてきた子と話すのの何がいけないわけ?」
「お前がいないと思って連れて来たんだけど」
「うわ、ひど。これと話してても楽しくなくない?」
「いや、う、え、っと」
「小野寺くん優しー。楽しくないとは言えないよねー」
「おい」
「やだあ、こわ。あたし今日帰り遅くなるから、ていうか帰ってこないかも」
「へえ」
「じゃあねー、小野寺くん」
ぱたぱたとぺたんこの靴で歩いて行った姉をぼけっと見送った小野寺の足を蹴れば、ようやくこっちの世界に意識が戻ってきたようだった。あせあせでれでれにこにこしやがって、あれのどこにそんな要素あるんだ。ほぼ俺と生き写しじゃねえか、だから見てたにせよ俺とは別物だと思ったにせよ気持ち悪いんだよ、馬鹿。あんな似非面被りまくった女にいいように踊らされてたら、いくら小野寺といえど哀れだ。
「……お姉ちゃん?」
「……………」
「伏見と顔そっくりだね」
「……不本意ながらな」
「なんていうの?」
「一つの花で一花。伏見一花」
「へええ、綺麗な人だねえ」
どこがだ、あいつ家では表情筋動かさねえぞ。化粧するまでぼけっとして、身支度整ったら一瞬で化ける様子を見せてやりたい。いっそ気色悪いから。もしも伏見が女の子だったらあんな感じかなあ、なんて意味分かんないこと聞かれて知らんぷりしていれば、しょんぼりしていた。確かに顔はそっくりかもしれないけど、俺あんな奴と同類にされたくない。
「お姉ちゃんと仲悪いの?」
「別に。特にどうとも思ってない」
「その割にはさっき突っかかってたじゃんか」
「お前があの女の毒牙にかかるのを阻止してやったんだろ」
「どくが」
「それとも遊ばれて貢がされて搾り取られて捨てられたかった?」
「えっ」
「あいつ他人はみんな自分のために動くと思ってるから」
それ以外の関わり方なんか知らないんだろうし、大小あるにせよ周りの人はみんな自分を好きになるのが当たり前だと思ってる。嫌われるなんてとんでもない、自分を嫌う奴はむしろ人間ですらないと判断しててもおかしくない。俺も他人は踏み台だと思ってるけどまさかみんなから好かれようとはしてない、だってそんなの無理だし。繋がりを持つのは自分にとって利用価値がある人間とだけで充分だ。
「あいつと外で会っても無視した方がいいぞ」
「無視か、難しいな。俺苦手」
「あっそ、じゃあ勝手にすれば。代わりに俺のこと無視しろよな」
「そんなこと言ってないじゃんかよ」
「じゃああれと二度と会わないで」
「うん……」
「なに?まだなんかあんの」
「……伏見が妬いてる……」
「目ん玉腐ってんじゃない」
俺が嫌ってのももちろんある。姉の魔の手を俺の周りにまで伸ばされたら、せっかくちまちま構築した俺の友達関係が引っ掻き回される可能性があるからだ。でも今小野寺に忠告してやってるのは八割この馬鹿のためであって、哀れにも純粋に育ってきてしまったせいで嘘を吐くことも自分の利を優先して動くことも思いつきやしない、上手に隙間を抜けて面倒事を回避するのがままならない小野寺が痛い目見てからじゃ遅いから言ってやってるわけで。妬いてるなんて冗談やめてくれ、そんな可愛らしい理由で俺がこの顔してるんだと本気で思うなら頭の医者に行った方がいい。
俺が最後に言ったことは聞こえていないのか、妬いてるということで自分の中の決着をつけたらしい小野寺がにこにこしててうざったらしかったので、蹴っ飛ばしておいた。変な声を上げて蹲った小野寺を見下ろすと、今のはほんとにだめなやつ、なんて苦情と共に見上げられて、ちょっと気分がいい。
「あったかい紅茶」
「いったあ……なに、紅茶?どこにあるの」
「これでやって。俺やり方知らない」
「お湯入れるだけでしょ?」
「火傷したらどうすんの」
「もお」
ぶつくさ文句を言う割に、最初にお湯を入れてこっちをあっためると美味しいんだって兄ちゃんが教えてくれたんだ、なんて豆知識。もしもこいつを姉に取られたらと思うとぞっとする、ちょうどいい小間使いなのに。どうも小野寺は兄にいろいろ教えてもらった、もとい叩き込まれたらしい。あの人俺に優しいからな、こないだケーキ食べた時紅茶飲ませろってちょっと我儘言ったからその後調べてくれたのかもしれない。うちのクソビッチと交換したいくらいだ、あいつなんにも出来ないし。
お湯をぐらぐら沸かしてポットと時計を交互に見ながら難しい顔で睨めっこして、なんてやってる小野寺を椅子に座ってぼけっと眺めて数分。出来たぞ、なんて自信満々に言うから相当すごいものが出来たんだろうと思ったら。
「おいしくない」
「文句言うな!」
「熱すぎて飲めない、味が分からない」
「冷ませばいいだろ、ほら!」
「お菓子」
「どこにあるの」
「美味しいのないから買ってきて」
「やだよ!」

小さい時なんか、顔だけは女の子みたいで周りからちやほやされて、ちょっと意地悪されたりからかわれたりするとすぐ泣きべそかいて、ひーちゃんの弟また泣いてるね、かわいい、とかって友達が言うのがすっごく嫌だった。弟が小学校に入った頃からパパもママも働く時間が長くなって、夜ご飯はほとんど毎日弟と二人で食べてた。パパとママがいない家に帰るのにはとっくに慣れてた、でもぴっかぴかのランドセルをその辺に放り出した弟が窓際で丸まって寝てるのを見ると苛々した。ていうかそもそもあいつには、一緒に外に遊びに行くような仲良しの友達なんかいなかったんだと思う。仲間に混ざって一緒に過ごすことはできても、二人で戯れてられるような相手なんて見たことも聞いたこともない、可哀想な奴。
「……おねえちゃ、」
「なに?」
「あ、う……今日先生が、おほしさま見てきなさいって、しゅくだい」
「ベランダから見れば?」
「上のとこがでっぱってて見えなくて、どうしよう」
「じゃあ家の前から見たらいいじゃん。なんであたしに言うの」
「……にわとりひろばからだとよく見えるんだって、さやちゃんに教えてもらったの」
「行けば?」
「……んん……」
「……言いたいことあるならはっきり言ってよ」
「……いっしょにきてえ……」
消え入りそうな声の弟が俯いて絞り出した言葉に、一緒に夜の道を歩いたのがきっと一番最後の二人の思い出。パパもママもきっとこんなことダメって言うの分かってた、だから弟も恐る恐るあたしに言ったんだ、まさかあたしが了承するなんて思いもせず。煌々と灯る電気のおかげさまで、結局どこに行ったって星なんか綺麗に見えなかった。夜外を出歩いているってだけでびくびくしてる弟が手を握り締めてくるのを引きずるように、やけくそになって出来るだけ暗い場所を探したけど、図鑑で見たみたいに綺麗な星座なんて見えるわけがなかったんだ。
あたしが小学校卒業する頃には弟とわざわざ喋ったりなんかしなくなって、あいつは中学入ったら弓道とか始めたらしくて、いつのまにか泣き虫じゃなくなっていたことにも気づかずに。クソ生意気だし減らず口でうざいからあんまり喋りたくない、あっちもきっとそう思ってる。顔だけは可愛らしいまんま、家で見る無愛想な顔以外あたしは知らなかったんだけど、あいつが中三の時に駅前でばったり見かけた時にはびっくりした。外面を取り繕うことが上手くなったらしいあいつは、ちょうどいい立ち位置を自分のスペースとしておくことが得意なようだった。
携帯を出して、今日待ち合わせしてた友達に電話をかける。予定の時間を大分過ぎてるのは、そもそもあたしが家出る時点でとてつもなく大遅刻な時間だったってのと、小野寺くんとお話ししてたからだ。数コールですぐに出た相手はあたしがかけてきたことなんて知ってるようで、無言の威圧をかけてくる。怖いなあ、でもこの子にはあたしの遅刻癖も遊び癖も筒抜けなのでそんなに怒られやしないだろう。
「もしもし、あたしー!すずちゃんもうついた?」
『とっくにな』
「ごめんねえ、家出る時ちょっとあってね」
『私時間指定で宅急便来るから一旦帰るわ』
「そりゃないよお」
『口うるせえ玉城がいないなら馬鹿な男共はみんなあたしのもんだぜラッキー!だろ』
「やだー、すずちゃんすぐそういうこと言うー」
『あんたの本心でしょうが。ちょっとほんとに一回帰るから、一花うち分かるよね』
「うんー。クソボロいとこだよね」
『ぶん殴られてえのか』
「行く行く行きますー、待たしてごめんねえ?」
『待った分のフラペチーノ代、よろしく』
「ちっ」
『ふふ』
少し笑って通話は切れた。携帯を見ながらぼんやり、弟に友達ができるなんて、と泣きじゃくる幼いあいつが頭を過った。


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