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おはなし



「にーちゃん」
「なあに」
「それおれのだよ」
「あれえ、ほんとだ。ちっちゃいと思ったんだ」
俺の兄はそういう奴だ。ぽやんぽやんしてて掴み所がない、年がら年中笑っているしあんまり怒らない、運動は少し苦手で勉強が少し得意。そつなく何でも出来る自信はあるけどその代わりに何か一つこれが出来ると言い切れることがない、なんて本人談。偉そうな悩み事だが、確かに兄ちゃんは何でも出来るが何にも出来ない、と思う。背は割と高い、まあ俺も周りと比べてそんなに低い方ではないし、それは母のおかげかもしれない。
ちっちゃい頃から、兄に怒られたことなんて無かった。まあいっか、で何でも済ませられる兄に俺が我儘を言うこともあったけど、ちょっと嫌そうな顔したり無視されたりする程度で、喧嘩した思い出はない。優しいっていうかなんて言うか、世渡り上手?そういうのよく分からないけど。だから、伏見がうちでぐだぐだするようになってからも特に何も言わずに受け入れたし、違和感も覚えなかったみたいだし、俺と伏見のちょっとずれた関係性に勘付いてからも何も言われなかった。伏見は知らないかもしれないけど、うちの家族みんな割とちゃんと知ってるからな、俺らのあれやらそれやら。別段口出しされないし知らん振りでほっとかれてるから、あいつは安心してるみたいだけど。
「兄ちゃん」
「ん?」
「そこのそれ、返して」
「どこのどれ?」
「あんたの足元で布団に包まってる黒いのだよ」
「これ俺のクッション」
「んなわけないだろ!」
「無印で買ったんだ」
うちの家族は確実に伏見を気に入ってる。俺がバイトで晩飯を家で食えない時ふらっと訪れた伏見が何故か俺の分を食ってたり、ケーキ貰ったから仲良く分けなさいなんて母に言われたはずなのに伏見が全部かっ喰らってても、しょうがないなあもう、なんて微笑ましく流されたり、俺よりも伏見の方が絶対大事にされてる。機嫌悪い時の伏見がリビングのソファーで転がっててもみんな何も言わないし、俺がそれに絡んでぼかぼか殴られてても俺が悪いみたいな流れにされる。酷い、俺ここの家の子なのに。
「いやあ、いいクッションだわ」
「創さん」
「なあに」
「クッション喋ってるじゃん!今会話したじゃん!」
「俺アイス食べたくなっちゃったんだけど」
「冷凍庫に入ってるよ、昨日買ってきたのが」
「取ってきて」
「んもう」
「んもうじゃないでしょ!」
無駄絡み大増量中のめんどくさいモードに入った伏見が俺にべたべたして、結局無視られて、つまんなくなって俺の部屋から脱走して兄ちゃんの部屋に逃げ込んだのがついさっきのことだ。突然自室に侵入してきた伏見をにこにこ受け入れた兄ちゃんは、いつも通りっちゃいつも通り、伏見の味方に立つ。俺と会話する気は無いというアピールなのか、兄ちゃんの布団に包まってそっぽを向いている伏見にアイスを与えようとする馬鹿兄貴の首根っこを引っつかんで止めれば、お前も食いたいの、なんて聞かれて、脱力。
「伏見がころころになっちゃう、やめて」
「たくさん食べないと大きくなれないだろ」
「兄ちゃんと母さんが伏見に好きなもの食わせるからこいつどんどん丸くだっ」
兄ちゃんの後ろから枕をぶん投げて俺の顔に見事命中させた伏見が舌打ちした。だってほんとのことじゃないか、俺嘘はついてない。なんでお前はそうやって酷いこと言うんだ!なんて兄ちゃんにも小言を言われて、ぽいっと部屋から追い出されてしまった。閉まり切ってないドアの隙間から、アイスどうするの、もういらない、そっかそっか、なんて比較的和やかな伏見と兄ちゃんの会話が聞こえてきて、むかついたのでリビングへどすどすと向かう。
「ねえ!アイスあるの!」
「なあにお兄ちゃん、大きい声で」
「にい、じゃねえ、創が、アイス買ったって。それ食ってやるんだけど、どこ」
「冷凍庫じゃないの?伏見くんにもあげなさいな」
「やだよ。俺が食う」
「あ、そうそう。創お兄ちゃんに通販来てたから渡してあげて。はい」
「う、重っ、なにこれ!」
「本とかかしらね?重たいから、お兄ちゃんお願いね」
「兄ちゃんに直接渡してよ!」
「だってえ」
お母さんそんな重いの持てない、とかなんとか言ってか弱い素振りを見せた母が、部活帰りの重い鞄をひょいひょいと抱えて軽々歩いていたことを俺は知っている。しかも俺のと兄ちゃんの二人分だぞ、そんなことしといてどの口が重いの持てないとか言うんだ。仕方ないから持ってくけどさ、置いとく場所もないし。
リビングからまた数分前に放り出された兄ちゃんの部屋へと逆戻り。抱えられる程度には小さい割に重いダンボールを片手に、がんがん扉を蹴って兄ちゃんを呼ぶ。くそ、さっきまでは薄く開いてたのにきっちり閉めやがった。
「おいこら!聞こえてるんだろ!開けろ!」
「うるさいなあ、そんなんだから彼女の一人も出来ないんだ」
「かっ、の」
「ぶっふ、ふふ、ふ」
「そういうのとこれとは関係ないの!うるさい!」
兄ちゃんにダンボールを半ば投げつけるように渡したついでに、隠し切ろうとしたものの失敗して思いっきり笑ってる伏見を回収する。布団に包まったままなので文字通り手も足も出ない伏見がぶつくさと文句を言ってくるけれど、みんな無視した。伏見巻きを抱えて兄ちゃんの部屋から退散しようとすると、背中に声がかかった。
「なあ」
「……なに?」
「アイスさあ、バニラとイチゴとソーダがあるんだ」
「うん」
「食っていいのはその三種類の内どれかだから。二個食ってもいいけど」
「う、ん?」
三種類中二個食ってもいいんだろ、太っ腹じゃん。棒のアイスを想像して、どうせならバニラにチョコがかかったやつがよかったな、とぼんやり思っていると、腕の中で芋虫だった伏見がうごうごともがいて逃げてった。無言で布団から抜け出してぱたぱたと台所の方へ行ってしまった伏見を目で追って、その直後すごい勢いで部屋から飛び出して伏見を追いだした兄ちゃんに吹っ飛ばされた。
「うぎゃうっ」
「三種類の内どれかって言ってるでしょ!こら!伏見くん!」
「あっ、ハーゲンダッツ。食べよっと」
「あら伏見くん、髪の毛伸びたんじゃない?目悪くするわよ」
「んー。スプーン」
「はいどうぞ」
「駄目!これは創お兄ちゃんのです!伏見くんはこっち!」
「これもイチゴ味だし。良し」
「良くありません、こら。伏見くん、お兄ちゃん怒るよ」
「小野寺にも分けてあげるから、そしたらいいでしょ?」
「あいつは三種類の中から二個って言ったらこっちに食いつくの、伏見くん悪い子」
「なあに、これお兄ちゃんのなの?伏見くんにもちょっとあげなさい」
「ハーゲンダッツだよ、やだよ」
「あー、もー、溶けちゃう」
「しまってきなさい」
「小野寺も食べたいって」
「お前は棒のやつでいいよな!」
伏見と兄ちゃんに同時にこっちを向かれて、いやハーゲンダッツは食べたいけど、なんてぽろっと本心を零してしまった。そうか、今まで兄ちゃんが不自然に優しくする時は、その裏にもっといいものが隠されていたわけか。今で言ったら、棒アイス二本の裏には兄ちゃんが自分用に買ってきたハーゲンダッツが隠れていた。くそ、今までいいように誘導されていたのか、ずるい奴め。
「やめてよ伏見くん、うちのお馬鹿ちゃんに変な知恵つけないで」
「おいひい」
「聞いてる?」
「伏見俺にもちょうだい」
「……一口だけだぞ」
「うん」
「俺のハーゲンダッツなのになあ」
「あーおっきい、あー、なくなっちゃう、あーあ」
「うるふぁいな!ちょっとしか食べてないよ!」


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