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おはなし



「……………」
「……んー……」
「……………」
「ねえ、わかんない」
「うん」
「わっかんないんだけど」
「そう」
「……おい」
「なに?」
「じゃあ交換条件にしよう」
「なにが?」
「俺はこれを明日までに終わらせないといけないでしょ」
「そうだね、提出日だからね」
「でも何故か終わらないわけ。困ってんの」
「うん」
「お前なんかしてほしいことない?」
「特に」
「作って、今すぐ」
「ない」
「俺がなんかしてやるっつってんの」
「ないです」
難しいから手伝って欲しいとか教えて欲しいとか、素直にはっきり言えば良いのに。素気なく断られてむすっと黙った伏見の隣で、気づいててあえて無視なのか全く分かっていないのか、弁当がぺらぺらとプリントを捲った。伏見だって割と頭良いはずなのに、それに頼られるってことは弁当のがすごいんだな。ノートとか綺麗だし、真面目そうだし。
俺に対して殴る蹴るの暴行を加えている現場をがっつり見た奴に向かって猫を被ることはもう諦めたらしく、弁当と有馬に限っては本当に珍しく伏見が普通に素で接している。というか弁当と授業が丸被りで一緒にいる時間が長い有馬にだけ愛想良くは流石に出来なかったというか、あの馬鹿お前より酷いと伏見がげんなり零していた意味がそこに隠されているというか。とにかく、伏見がわざわざにこにこしなくてもいい相手が増えたわけだ。それはきっと喜ばしいことのはずなんだけど、伏見本人は何故か毎日あまり楽しそうではない。というか多分、弁当に対してはまだ距離感が掴めてないんだと思う。有馬相手の時は馬鹿に対する態度を取ればいいからこなれたもんだろうけど、弁当はそうじゃないし、普通に話せばいいのに伏見はなかなかそうしないし、かといってあっちも積極的に突っ込んで話してくるタイプでもないし。
「俺次授業、先に席取りに行くから」
「あ、うん」
「……明日ね」
「ばいばーい」
一人で課題と睨めっこしてるはずの有馬を拾って行くんだろう、まだ授業が始まるまでは大分あるのに弁当が行ってしまった。ぶすくれたままそれを見送った伏見が、へらへら手を振っていた俺を殴った。痛い、とんだ八つ当たりだ。広げていたルーズリーフと教科書の上にべしょっと潰れて、明日までになんて終わらないよ、と伏見が弱った泣き言を漏らす。
「大丈夫だよ、俺もがんばる」
「お前が何を頑張るんだよ。どうせクソみたいなの出すんだろ」
「クソじゃないです、ここのとこは俺得意なんです」
「……………」
「教えて欲しい?」
「んなわけねえだろゴミクズ。百回死ね」
舌打ちしてぎろっとこっちを睨みつけた伏見が、シャーペンの後ろ側で文をなぞる。分かんないなら素直に助けてって弁当に頼んだらいいのにな。有馬を見てみろ、まだ大学始まって一ヶ月ちょっとしか経ってないのに頼り過ぎていい加減自分でやれって怒られてたじゃないか。
まあ伏見がすんなり誰かに頼るところなんて想像も出来ないので、今回も自力で何とかするんだろう。帰り際に訝しげな顔で携帯を見た伏見が、弁当が今から来れるかって聞いてる、と俺に画面を見せるまでは、そう思ってた。どうしたんだろうね、なんて首を傾げながらもとりあえずそっちに向かった伏見とさよならして俺はバイトに行って、次の日の朝いつも通りに待ち合わせして。
「おはよっ」
「……お、はよ……」
「なに?」
「いや、ううん……」
何でもないです、と思わず敬語になってしまった。だって、なんでこんな上機嫌なんだよ。怖い、一体何があった。仏頂面でにこにこしてる、このものすごく分かりづらいご機嫌モード久しぶりに見た。課題大丈夫だったの、なんて一応聞けば、そんなもんとっくに終わってると食い気味に返されて、拍子抜けする。昨日の様子からしてあんまり大丈夫じゃなさそうだったのに、どうしたんだ。
隣を歩くというより、伏見が一歩前を行く勢いでうきうき状態なので、斜め後ろを歩く。特に楽し気な声色とかいうわけじゃないけど、三年ちょっと一緒にいるから流石に分かる、今の伏見はものすごく機嫌が良い。今日の一限は人数が多い大教室での授業だから、扉を開ければもう既に席取りしてる人も沢山いた。きょろきょろと見回せばその中の少し奥の方、周りの女の子よりちょっとだけ高い場所にぽつんと黒いふわふわ頭が見えて、口を開きかける。けれど、先に声を発したのは伏見だった。
「弁当おはようっ」
「……おはよ」
「ここ座ってもいい?」
「四つ取ってあるから、いいよ」
分かるだろうか、今の俺がどれだけ驚いているかが。昨日までの微妙な距離感は何処に消えたんだ、なに普通に仲良くなってんだ、何があったらこの短時間であの伏見がこうなるんだ。ちゃっかり弁当の隣に座った伏見をがっつりガン見しながら、確保してあった後ろの席に座る。残った一つは恐らく有馬の分だろう、あいつ基本時間ぎりぎりだからまだ来ないな。そういえばこの前言ってたやつがさ、と他愛のない話をしてくすくす楽しそうに笑ってる二人の様子を見て、全く意味が分からなかった。仲良くなったのは良いことだよ、でも急すぎて訳わかんねえんだよ。
それからチャイム鳴る直前に滑り込みで有馬が来て、つらつらと先生の話を聞いて、途中何度か意識ぶっ飛びかけて、いつもの時間より少し早く授業が終わって。今の内にこれ研究室に持ってってくる、と言い残した伏見が携帯と財布に課題だけ持って出て行った。それを追いかけて、授業中はぐーすか寝てた有馬が立ち上がる。
「あっ待って、俺も行く」
「来んな」
「なんでだよ、いいだろ。同じ課題なんだから」
「馬鹿が移るから喋りかけんな」
「なあ、ちょっと伏見の見して」
「やだっつってん、あっ、てめえこら返せ」
「うはあ、すっげえ。いっぱい書いてある、お前本当にこれ苦手なの?」
「もう苦手じゃない」
「昨日は出来ないって言って、いてえな!なにすんだよ!」
「うるせえ、口開くな」
「いてえってば!なんなんだよ!」
「異臭がする」
「しねえよ!」
課題を手から抜き取って、奪い返されないようにわざと届かない頭の上まで持ち上げて見てた有馬が、伏見にがつがつ脇腹を重く殴られつつ、それでも二人連れ立って教室から出て行った。鞄は置いて行ってしまったけど、次の授業はすぐ隣の教室だから間に合うだろう。それより俺は弁当と伏見が昨日なにをしたのかが知りたい。教科書を片付けながらふわふわ欠伸してた弁当に詰め寄ると、思ってたよりも大きな音を立ててしまって、弁当が少し目を丸くした。
「な、なに」
「いや、なにっていうか、別にそんなすごい話したいわけじゃなくて」
「そう、すか」
「あっやだ、引かないで」
「引いてないです」
「引いてる」
「……もうちょっと下がってもらってもいいかな」
「あ、はい」
手で制止されて下がれば、何の話、なんて平然とした顔で問いかけられる。近すぎただけか、弁当も伏見とはまた違った意味で表情の変化が乏しいから分かりづらいんだよな。
どこまで話していいものか迷ったものの、伏見は激しい猫被りだから素で接することができる友達なんて高校入学時点から俺以外見たことがないこと、それ以前はばれたことなんてないと伏見本人が言っていたこと、それが無い弁当と有馬に対しては言葉にはしないものの伏見も距離を測りかねていたこと、妙な距離感が昨日一日で消え失せたので俺は非常に混乱していること、をのろのろと伝えた。途中余計なことを言わないように俺も必死だし、元々話すのなんて下手くそだし、弁当もこくこく頷いてはくれたから一応伝わってはいるようだと安心したけど。ようやく話し終える頃にはそろそろ二人が帰ってきていてもおかしくないくらいには時間が経っていて、伏見がいない場所でこんなことわざわざ聞いてたなんて知れたら怒られる、と慌て出した俺に弁当が普通の顔して言った。
「別に特別なことしてないよ」
「だって、伏見今朝すっごい機嫌良かったんだよ?弁当見つけたら嬉しそうだったし」
「……そう?」
「そうだよ!俺あんなのなかなか見たことないもん」
「昨日呼んだ時は機嫌悪かったなってのは分かったけど」
「……じゃあやっぱり昨日なんかしたんだ……」
「してない」
「なんで教えてくれないの、教えらんないようなことしたの」
「誰が?」
「ひっ」
声にばっと後ろを向いたら、伏見が突っ立っていた。有馬はうるさいから撒いたらしいけど、いや、なんでだよ。一緒に帰ってきてやれよ、どうしてお前はそうやってせっかく仲良くなり始めた友達を蔑ろにするんだ。ていうかそろそろだろうとは思っていたけど、どうして何も言わずにそっと近寄って来るんだ、気配がないとほんとに気づかないから怖いんだぞ。
そんなことを気にもしてない伏見がもそもそと弁当の隣に当たり前の顔して座ったので思わず変な顔すると、それを見ていた弁当がぼそりと、別に取らないよ、なんて言った。そういうつもりじゃなくて、そういう意味で受け取って欲しかったわけでもなくて、ほんとに訳分かんないからこの顔になっちゃっただけなんだって。そううまく説明できずにもごもごしていると、俺と弁当を不思議そうにきょろきょろ見比べてた伏見を見下ろした弁当が、口を開いた。
「伏見って猫被りなの」
「え、なに。猫被りっていうか、うん」
「じゃあやっぱり他の人と話す時とここで話す時ってちょっと違うんだ」
「……そっちのがいい?」
「別に」
しれっとしてる弁当が何を聞きたいのか全く分からなくておろおろしていると、伏見もいまいち把握しかねているらしく微妙な顔だった。それを察したのか少し考えるように視線を泳がせた弁当が、なんで今朝機嫌良かったの?と切り出した。なんだ、昨日なにがあったのか伏見の前で教えてくれるつもりなのか。
「……別に良くないけど」
「課題終わったからかなって」
「ああ、それはちょっと気分良かったかも。昨日ありがとう」
「昨日なんか俺したっけ」
「ファミレスで課題見てくれたじゃんか。なに?忘れた?」
「ううん。それ以外に特別なことしたっけなって思って」
「……いや?」
特に思い当たらないけどなんで、と首を傾げた伏見を指さして弁当がこっちを向く。ほら見ろってことか、何にもしてないのはもうよく分かったよ。急に指さされて不思議そうな顔してる伏見に深く追求されても困るので、もうこの話は聞かないことにした。伏見本人ですら、原因どころかいきなり懐いた事実を分かっていなさそうなのに、俺なんかが理解できるわけないんだ。弁当に急に心を開いた理由が分かれば、伏見ももっと素直に色んな人と接することが出来るんじゃないかなって、肩肘張らなくても良くなるんじゃないかなって、そう思ったんだけど。
しばらくして、またチャイムぎりぎりになって有馬が戻ってきた。両手に何故かポテトチップスとチョコの大袋を抱えていて、なんでも通りすがりに一緒の授業取ってる奴から貰ったんだとか。ゲーセンで取れちゃったけど食べないんだってさ、なんて説明しながら、若干呆れ顔で荷物を纏めてた弁当に分け、伏見にも分け、少ねえ馬鹿と罵倒されてもう少したくさん渡し、俺にも少しくれた。昼飯の時にでも残りも食っちまおうな、とからから笑う有馬を見て、確かにこいつに向かって猫を被り続けるのは無理かもしれない、と思った。自分と重ねてってのもあるけど、別に猫被ってようが素でいようが、こいつの態度はあんまり変わらなさそうだから。
「……伏見良かったねえ」
「あ?お前のもくれんの?」
「あげないよ!」
「小野寺あれじゃん。チョコはアレルギーじゃん」
「そんなんねえよ、だめ!俺の!」
「……俺のあげようか?」
「ううん、そんなに食べない」
「じゃあ盗ろうとすんなよ!強欲!」
「うるさいなあ、無駄吠えすんな」
「むしろ弁当チョコもうちょっと食わねえ?お前甘いの好きだろ」
「え?いいよ」
「俺こんなに食わないもん。食べて」
「……うん」
「あ、鳴った」
「うわ、早く、ちょっと何もたもたしてんの」
「あれ!?俺の携帯は!?」
「隣なのに遅刻するとか、最悪」
「鳴り終わるまでに入ればセーフだろ」
「出席取るまではセーフだよ」
「なーんだ、じゃあゆっくりでもいいじゃん」
「ううん、鳴り終わったら番号呼び始めるからもうぎりぎり」
「そういうことは早く言えよ!俺の携帯は!?」
「もう先一旦行こうよ、鞄とかに入ってるでしょ?」
「こんなやつ置いてこう」
どたどたと隣の教室に移動して、有馬を蹴っ飛ばしながら伏見が楽しそうに笑ったので、嬉しくなった。なんで俺がって思うけど、頬が緩むのを抑えきれずににやつくと、弁当が訝しげな顔でこっち見てた。……伏見が仲良くなって良かったとか以前に、俺がこいつともう少し仲良くなる方法を知りたいかもしれない、とか思ったりして。


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