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おはなし



「だからあ、知らないっつってんの」
「……………」
「んー?あー、うーん。覚えてない。うん、うるせ。切っていい?……あ、そう」
「……………」
「知らね、朔太郎に聞けば?俺が分かるわけねえじゃん、話したことも、え?違えよ」
「……………」
「そんなの覚えてないって、は?なに、俺が?それ違う人、うん、それ、ふふ。そう」
さっきからずっと、弁当が航介と電話してる。垣間聞こえる言葉からして、航介は誰かの連絡先を弁当に聞きたいらしいんだけど、弁当はそれを知らなくて云々、って感じだ。電話とかだと弁当は大概の場合席を外す、でも今日は伏見が何を思ったか航介からの電話だと分かった途端足で行儀悪く出口を塞いだので、大人しく座ったままぐたぐだと話しているわけだ。俺達が無言になっていることにもとっくに気づいてる弁当は不思議そうに目が泳いでるし、早く電話を切りたがっているんだけど、こっちの様子なんて露知らずの航介がそれを許そうとしない。まあ別に、電話中だから全員気を使って黙り込んでるわけではない、と思う。他にきちんと理由はあるのだ、小野寺の顔を見る限りこいつは俺と同じ理由で黙ってるっぽい。
「分かんないです、知らないです、知らない、うん知らない、そんな人いない」
「……………」
「知らない、あーあー、あー、うんばいばい、じゃあねばいばい」
最終的にめんどくさくなったのか、あからさまに雑な返答をざっくり繰り返して通話を切った弁当が、で、なんなの、とこっちを見た。切る直前、てめえ待てこの、って航介の声が聞こえてたけど、良いんだろうか。不思議そうな顔の弁当が視線を移して目が合ったたのをきっかけに、小野寺がのろのろと口を開いた。
「……弁当が喋るじゃん……」
「え?」
「なんか、普通に、こう、航介に喋るじゃん」
「……うん……?」
「うん、じゃなくて、はあ?みたいなそういうやつ、あれ」
「お前喋んの下手なんだから無駄に口開くな」
ずばんと音がしそうな勢いで、伏見が小野寺の言葉を遮った。確かに分かりづらかったけど、こればっかりは仕方ないだろ。俺は多分小野寺と同じこと言いたがってるんだと思うけど、ちょっと言葉にしづらいし、なんて言ったらいいのやら丁度ぴったりな言葉が見当たらないし。頬杖ついてる伏見が弁当をじっと見るので、弁当が焦りと不安の目でこっちに助けを求めてくる。やめろよ、そうやって無意味に怯えさせるの。話し始める前に仏頂面で睨まれたら、本人にその気がなくてもある程度の恐怖は感じるもんなんだよ。お前も十分喋んの下手くそだ。
「……訛ってた?」
「そういうわけじゃないけど」
「知らないって言ってみて」
「知らない」
「それじゃない」
「普通に言って、電話してると思って」
「……知らない」
「それじゃなあい!」
ばたばたと伏見が不満そうに足を暴れさせる。要するに、訛ってたわけじゃなくて、口調の問題。航介の喋り方に引っ張られてるわけじゃないんだろうけど、普段話してる弁当よりちょっとだけ乱暴な口調に、俺らの前だと気使ってたりするのかなって思ったりするわけ。大学入ってから割と連んでる時間長いはずなのに、今になってまだ素で話せない、遠慮してる、とか言われたら俺泣くぞ。
でもそれってなにも弁当だけに限った事じゃないよなあ、とぼんやり思う。付き合いの長い短いに比例して、口調って変化するんじゃないだろうか。それが一番顕著な癖にぷんすか腹を立てている黒いのに目をやる。観察日記つけて、夏休みの自由研究するみたいな気分。ちょっと面白いから、いろんなとこ気にしてみようかな。

「伏見、これまだ入ってるよ」
「いらね」
嫌い、捨てて、と流れるように三コンボ重ねた伏見が鞄引っ掛けて立ち上がった。ええー、なんて途方に暮れてる小野寺の手には、コンビニで買った抹茶ラテ。こいつこれ割と好きだったはずなのに、この種類は気に食わなかったんだろうか、我儘野郎。弁当は調べ物するからって一人で図書館行ったし、伏見と小野寺は今から授業だ。俺も図書館行こうかな、とか思ってたら、すたすたと一人で少し前を歩いて行ってしまった伏見がぴたりと足を止めた。
「あっ、伏見先輩っ」
「渚、おはよ」
「おはようございます!今から授業ですか?」
「うん。渚はどうしたの?」
「俺はパソコン借りようかなって。今和葉とレポートの提出被って、家の使えないんで」
「そうなんだ。熱心だね」
偉いぞ、と伏見に笑顔を向けられて、周りに花巻き散らしてるように見える勢いで喜んでる渚は、もちろんこっちになんて気づかない。俺こいつに気がつかれたことないんじゃないかな。伏見がいる時は伏見以外の生き物全てシャットアウトするようにこいつの目は出来てる、とかだったら納得できる。そういえば、と目で小野寺を探せば、さっき伏見が置いてった飲み物を処理しに行ったのか、ちょうどいなかった。小野寺もいつもタイミング良くいなくなるよな、渚と話してる場面で小野寺が一緒にいたことも今まで一回もない。
「渚」
「伏見先輩、今日お昼なに食べたんですか?なんかいい匂いがします」
「んー、なんかこう、ぐるぐるって巻いてあるやつ。ラップサンド?」
「いいなあ、俺まだお昼食べてないんですよ」
「お菓子あげようか、グミあるよ」
「渚さん」
「えっ、いいんですか!大事にします!」
「はは、なにそれ。大事にしなくていいよ、食べなよ」
「渚さあん!」
「るっせ」
しっしっ、と手を振られて追い払われた。なんだ、俺の存在に気づいてはいるのか。こいつも大概、相手によって滅茶苦茶に態度変えるタイプだよな。伏見があげたグミをほんとに口に入れずににこにこしながらただ持ってる渚を見て、だから食べていいってば、と伏見がけらけら笑っているけど、その笑い方も俺とか小野寺を馬鹿にしてる時の下衆いやつじゃなくて、くすくすって感じの楽しそうなやつ。弁当とか航介とかと話してる時はそもそもこんな笑顔にならない、完全に内に貯めてる感じでうずうずしてるから、あれが多分一番楽しい時の伏見だ。よって今はあまり楽しくはない、と。
「渚、食わないなら俺にちょうだい」
「は?なんであんたここにいんの」
「この大学の生徒だからだよ!」
「伏見先輩と話してんの、どっか行ってくんない」
「お前ほんと、ちょっとは敬語使おうとしてみろよ!」
「うるせ、格下に敬語使うわけねえだろ馬鹿か」
「渚、有馬一応俺と同い年だしさ」
「有馬先輩はお昼なに食べたんですかっ?」
伏見にちょっと窘められただけでこれだ、こいつ末恐ろしいわ。これでこれから先渚が俺に敬語を使うようになるのかと言えば、答えはいいえだろう。伏見がいる前での態度は確実に良くなると思うけど、俺が一人の時ばったり会っても恐らく今まで通りに無視される。渚怖っ、現代の若者怖。
完璧に伏見単体に手を振ってから、尻尾付いてたら確実にしょんぼり垂れ下がってる勢いでがっくりしながら行ってしまった渚を見送って、伏見の方を振り返ったらもういなかった。おいどこ消えた、短時間でいなくなるのやめろよ。階段下を覗き込めば、ぱたぱたと下りて行く鞄が見えて追いかける。
「待てこら!」
「だって俺お前と違って暇じゃないし、今から授業だし」
「突然いなくなったらびっくりするだろ!」
「一人でびっくりしてろ。階段落ちて頭でも打ったらちょっとは馬鹿治るんじゃない」
「そんな急いでるなら渚とも話さなけりゃいいのに」
「渚は話すだけの価値があるの、お前には無いの」
「小野寺置いてきちゃったじゃん。どうすんだよ」
「勝手に来るだろ」
それか多分もういる、と教室の扉を開けた伏見が、内側から出ようとした誰かにぼすんとぶつかった。ふぎゃ、なんて間抜けな声を上げてよろけた伏見のことを目を丸くして捕まえたのは小野寺で、ほんとだ、もういる。無意識に渚を小野寺レーダーが感じ取って避けたんだろうか、すげえな。先行ったはずなのになかなか来ないから探しに行こうと思ってたとこ、と小野寺が事情を説明しながら、でかくて邪魔だクソ犬、と危うく転びかけた伏見にぎりぎり抓られているのを見てたら、チャイムが鳴った。俺も図書館行こうっと。

「ということがあってね」
「ふうん」
「弁当渚知ってるよね」
「うん。話したことあるよ」
弁当に対してはきっと敬語だし普通なんだろうな、無害だし。それじゃまるで俺が有害みたいだけど。調べ物はとっとと終わったらしく小説コーナーでうろうろしてた弁当を捕まえて、お喋り可の談話スペースへ。こないだちょっと喋ってたら司書さんにめっちゃ見られたからな、ちゃんと静かにする場所では静かにしないと。
さっきの話の続きじゃないけど、弁当訛れるの、訛ってみて、とねだったらものすごく嫌そうな顔をされた。別に変なことじゃないんだからちょっと聞かせてくれたっていいのに、意地悪。航介とか朔太郎曰く、三人で話してる時や家族と話してる時は普通に標準語が抜けて訛りが出るらしいんだけど、俺達がいる前では絶対に普段の口調を崩そうとしない。ていうかそんなこと言ったらあの二人も気を使ってるのか何なのか、話してて訛ってる様子はないんだけど。
「けち」
「うん」
「弁当はそんな意地悪しない」
「うん」
「お前俺と話すのめんどくさくなってるだろ」
「……………」
「黙んな!」
「有馬携帯なんかなってる」
「お」
目を逸らした弁当に言われて携帯を見れば、確かになんかぴかぴかしてた。サイレントにしてたっけ、と画面を見ると何故か朔太郎からの電話で、弁当と顔を見合わせる。なにこのタイミング、しかも弁当にじゃなくて俺に。とりあえず出てみなきゃ分からないから、耳に当てて口を開いた。
「……もしもし?」
『あ?誰?』
「え?」
『……………』
がさごそと動く音がして、数秒間静寂が続く。なに、この電話朔太郎からかかってきたんだよな、すげえ声低かったけど。俺の動揺を見てきょとんとしている弁当に、なんかおかしい、と教えようとした瞬間、耳を突き刺す声。
『ごっめん!俺当也にかけたと思って、声全然違ったから、有馬くんごめん!』
「あ、ううん、いいけど、朔太郎?」
『そう!』
さっきのがさごそは画面を確認してた音だったらしい。ごめんごめんねと繰り返しながら慌てている朔太郎に、別にいいよ、と告げながら思う。さっきの低音なんだったんだ、対知らない他人用の声かな。弁当にかけたと思ったのに俺が出たからびっくりしたんだろうけど、俺だってびっくりしたわ。謝る大声は聞こえてきたのか訝しげな顔になった弁当に事情を説明しようかと思った矢先、少しは落ち着いたらしい朔太郎が話し出す。
『いやあ、着信履歴見てかけたらさ、当也と有馬くん前後だったから。間違えちゃった』
「あー分かる、それやるよな」
『当也いる?そこに』
「いるよ。代わる?」
『ううん、多分出てくれないから』
航介がしつこくしたから出てくれなくなっちゃったんだよ、なんて呆れた声に弁当を見ると、自分には関係ないと思ったのかそっぽを向いていた。電話先の声なんて聞こえてないだろうから、しょうがないけど。
なんで電話かけてきたのって聞いてみたら、今度高校の時の友達が結婚するからビデオ撮って式で流したいらしいんだけど当也は帰って来れないだろうからどうしようかと思ってねえ、とすごく普通に教えてくれた。それ俺に教えていいんだ、お前と弁当間の電話の内容なのに言っちゃうんだ。そうやって伝えといて、と言われてその口で同じようなことを弁当に言えば、少し考えた後に答えが返ってきた。
「……誰?」
「朔太郎、誰?って」
『ん?仲有』
「弁当、なかありさんだって」
「……仲有結婚するんだ……」
「同い年だろ?すごいな」
『ねー。俺も聞いてびっくりしちゃってさ』
「そんな感じじゃないのに」
『で?当也なんて?』
「そんな感じじゃないのにって」
『いや、ビデオレターどうする?って方の話』
「ああ、えっと弁当、ビデオ撮るのどうするんだよ」
「無理だよ、そんな急に帰れない」
「だよなあ」
『やだって?』
「うん。無理って」
この会話、弁当と朔太郎が直で話したらもっと素早く終わったんじゃなかろうか。なんで俺仲介してるんだろう、嫌がられようが何しようが携帯渡せばよかった。そう思いながら、そっかあ無理か、なんて言ってる朔太郎にふと気になったことを聞いてみる。
「なあ、朔太郎お前、仕事は?」
『してるよ?』
「そりゃしてるでしょうけど」
『え、なに、別に突然ニートになったりしてないよ。心配しないで』
「違くて、今仕事中じゃないの?」
『そうだよお』
ご名答、なんてのほほんとした声の後ろで、ぴんぽんぱんぽん、とよく聞く呼び出しチャイムが流れて、こいつほんとに仕事中に普通に思いっきり私用の電話してやがる。いいのか公務員、いやだめだろ、どう考えてもだめだ。休みなんじゃないの、とあっちの音が微塵も聞こえてない弁当が言うので、ぶんぶん首を振った。
『今めっちゃ仕事してる同僚の隣の自分のデスクにいるんだけどね』
「仕事しろよ!お前も!」
『上司が見てないから大丈夫、今会議中だからチャンス』
「怒られるぞ!」
『うふふ、私用電話最高。あめちゃん食べちゃおっかな』
そんなに睨まれたら怖いよお、とかなんとかにやにやしてそうな声で言った朔太郎はきっと、隣の席にいる同僚に見せびらかしているんだろう。用事も終わった今、こんなクソどうでもいい電話で怒られては朔太郎が可哀想なので、もう切るからな、と告げる。ころころと口の中で飴を転がしている朔太郎が、うんじゃあまた今度ね、と答えて通話が切れた。
よく考えてみれば、航介に対しては朔太郎も弁当も扱いが雑だ。それが許されるだけの付き合いがあるからなんだろうけど、あるいは航介の二人に向けた態度をそのままお返し的なあれもあるのかも。伏見と航介は何故か馬が合うようだけど、そこ二人でいる時は穏やかだもんな。何の化学反応なんだか、お互い穏健派ってわけでもない癖に。どっちが大人しくなるっていうより、どっちも。小野寺は基本的に誰に対しても態度変わらないけど、苦手な渚のことは徹底的に避けるし、伏見に対してはほぼほぼ犬だ。なんだ、案外みんな相手によって距離感違うもんなんだな。
「……べんとお」
「ん?」
「俺今日また一つ賢くなった」
「……おめでとう?」
「人間の心と口調と心理的な距離感について考えた一日だったよ」
「は、え?お前なに、頭平気?」
「頭は良くなった」
「熱とか、お腹痛いとか」
「腹減ったな」
「……コンビニ行く?」
「行く」


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