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アラジン



歓声も、華やかな楽器の音も、祝いの言葉も、全て聞こえないように、きっちり窓を閉めて布団も被って丸くなっていた朔太郎くんは、もちろん王宮の方で起こる騒ぎを知りません。明日になったら浮かれた雰囲気も落ち着いて普段通りの日常が戻ってくるだろう、と目を閉じて時間を食い潰していた朔太郎くんの頭上の窓硝子が、粉々に砕け散りました。残念なことに、もう二度と、窓としての機能を果たすことはないでしょう。
「わああ!?」
「っぶねえ!なにやってんだ!扉に回ればいいだろうが!」
「……ジャスミン……?」
「おう。いてえ」
「なにして、っ血が出てる!ほっぺた!なにしてるんだ、君って人は!」
「俺じゃない、絨毯が無理やり」
「消毒なんて大層なものうちにはないよ、ええと、えっと、とりあえずこれで押さえて!」
窓をぶち破って入って来たジャスミンと魔法の絨毯に、硬直していた朔太郎くんは、彼の頰に走った赤い線に正気を取り戻しました。大慌てで一応は綺麗な方に入る布切れを引っ張り出した朔太郎くんは、ジャスミンの頰を布で押さえようと手を伸ばします。当の本人は、特に気にもしていないのか、不満げでしたが。
「ちょっと切れただけだろ」
「そうだけどさ!」
「すぐ治る。心配しすぎだ」
「君は体に傷を作っていいような立場にないだろう!?」
「……………」
「……ジャスミン?ほら、ぼろい布だけど、これで押さえて血を拭って」
「嫌だ」
「なんでさ!」
「名前で呼んでくれなくちゃ嫌だ。朔太郎」
「な……」
「さっきから、ジャスミンだの君だのと、仰々しい。二人の時には真名で呼ぶと言ったのはお前だぞ」
「……わ、分かった……」
「真名で呼ばれるのなんて幼い頃以来だ」
「どうしてそうやってハードルを上げるの!航介の馬鹿!」
「……ふへ」
「そうだ、君は、航介は馬鹿だ!なんで今こんなところにいるんだ、どうして無茶ばっかりするんだ!傷を作って、髪の毛も着物もぐちゃぐちゃじゃないか!大馬鹿!」
「うん。うん、そうだな」
ひどく嬉しそうに笑った航介くんは、たしかに俺もそう思う、今回ばかりはかなりの馬鹿をやった、戴冠式を抜け出すなんて愚の骨頂だな、と他人事のように言いながらにまにまと笑っていました。頰に走る傷から血が止まった頃、朔太郎くんはようやく布を離して、なにがあったのか問い質すことができました。
「うん。ジーニーがうちの第一国王と一緒に世界一周に出ようとして、アブーがジャファーに見つかって殺されそうになってるから、その隙に逃げて来たんだ」
「……ご、ごめん、訳が分からない……」
「俺も言ってて分からない」
「でも、その場にいた人がそう言うからには、そうなんだろうな……」
「そうだ。なんで来なかった」
「……行きたくなかったんだ。君が王様になるところなんて見たくなかった」
「お前が来ても来なくても、王様にはなるんだから、変わらないだろう」
「ゔ……」
「まあ、それにな。悪いことばかりじゃなかったんだ」
あれから、よく考えた。俺の我儘と、王としての責務と、お前の言ってたことが間違ってないっていうのも、全部合わせて考えた。我儘を言いたかったのは自分で、我儘を言えないように縛っていたのも自分で、それに腹を立てていたのも自分で。全部自分が発端の、自己完結だった。そう、航介くんは零しました。立場も責任も全部忘れて無視することもいつだって出来たくせに、それをしなかったのは自分で、それが出来なかったのは怖かったからだ、と。だからもういよいよ逃げ場がなくなって、腹を括りきれなかった甘さがついに跳ね返って来た、因果応報だなあ、とも言いました。
「逃げられないなら、もう逃げない。その代わり、逃げ道を探そうと思ったんだ。やっぱり、不自由は嫌だからな」
「でも、今よりもっと忙しくなる。今日みたいな無茶は二度と出来ないでしょう」
「そうだな」
「街に出るなんて、夢のまた夢になる」
「そこなんだ。それが嫌だ。それを解決しようと思って、父上に掛け合った」
「前国王様に?」
「それで、新しく御触れを出すことにした。国王の名前は、ただの置物になる」
「は!?」
「元々そんなもんだったと父上も言っていた」
「なに言ってるの!?」
「俺も外に出られるし、あいつも仕事が減る。俺たちがしていた仕事のうち、任せられそうなものの割り振りは、公務として今現在収入が少ない街の者にそれぞれ分ける。父上は、俺が外をうろついている時に危険から守ったり常識を教えたりしてくれる役割が街の者の中に必要なのではないか、と言っていた。勿論給料も出るぞ、仕事だからな」
「な……」
「まあ、その役目はお前で決定なわけだがな」
それはそれとして、と指折りながら話していた航介くんは、まだ続けました。俺たちの印が必要になっていた最終決定は、議会を開いてそこに任せる。議会で出された案の決は、国民全員が決める。決定権を持っていた俺たちは必要なくなって、上等のお飾りになる。独裁国家が民主主義になるってことだな、と当たり前のように言い放った航介くんに、朔太郎くんは喉を凍りつかせてなにも言えませんでした。なにを言っているんだ、この王様は。長年積み上げてきたこの国の在り方を、就任1日でぶち壊しに来やがった。しかも、自分が自由になりたい、とかいう、たったその理由だけで。ぱくぱくと酸欠よろしく口を開け閉めしていた朔太郎くんを見て、航介くんは折っていた指を開きました。
「まあ、この御触れによって、この国は一から作り直しになるってことだな。そろそろ独裁じゃあやり切れないくらい、民達が力を持った。好機ではあるのさ」
「そ、そんなこと、言ったってさ……」
「俺は、この国の中で、王宮の中のことしか知らない。林檎一つですら買えないお前がいることを、好きな時に果物を齧れる俺は、知らなかったんだ。俺だったらそんな人間に、国の行く先を任せておきたくはない。玉座から鼻高々に見物しやがって、クソが、と思う。はっきり言って、無知は罪だ。俺は俺に王であることを許したくない。それは面倒だからとか自由になりたいからとか、そういうのとは関係ない。なにも知らない俺が国民を束ねるようになったら、いつか誰かに騙されるか、いつか誰かが反乱を起こす。この国は潰れる。先代から受け継いだ国を、俺の無知が殺すんだよ」
そんなことになる前に、俺よりずっと国のことに詳しい国民達に、先の道を委ねてみたい。この条例も、出す前に国民に決を採るつもりでいる。無知でも独裁でも、王様が望まれているのなら、君臨し続けなければならない。そうでないなら、引き際ってやつもある。つらつら、そう続ける航介くんの手が力強くぎゅうっと握られているのを見て、朔太郎くんはぼんやり思いました。こうやってすんなり話せるようになるまでに、どれ程考えたのだろう。よく見たら目の下は薄ら暗いし、唇も罅割れている。必死でこの国を思って考えた結果の、彼なりの最善手が、これだ。優しい彼を、誰も咎められない。この勇気ある選択を讃える人間は、この国にどれだけいるのだろう。自分は、その一番になり得るのだろうか。なり得なければ、友達ではないのだろうな。許して、褒めて、受け止めて、前を向く彼の背中を押してやるのが、今の俺の役目なのだろうな、と。
いつの間にか言葉を切った航介くんは、黙っている朔太郎くんの顔を覗き込むように、不安げな声を出しました。やっぱり頭がおかしいと思うか、俺は間違っているんだろうか、とこぼれた不安に、握り締められた手を握りました。
「……無茶をするのが趣味で、なんでも一人で抱え込んで、逃げてほっぽり出すことを絶対に許さない君が、戴冠式を抜け出して俺の元に来てくれたことが、本当に誇らしいよ」
「な、なんだよ、急に」
「この国にだって、内部反乱勢力はある。統制されてきたから沈黙を守っているだけで、国が大きく動くとなればそこにつけ込んでくるはずだ。悪くて内乱になるかもしれない」
「そ、う……いう、ことすら、俺は知らない。この国の皆は、この国を愛してくれているのだと、教えられてきたから」
「愛しているさ。愛しているから、自分の思い通りにしたいんだ。でもまあ、この街の人を見たろ?温かくて優しくて、君たち皇族のことも大好きで、心から敬っている人たちばかりだ。ジャスミン王の決定なら、戸惑いこそすれ、諸手を挙げて賛成するだろうよ」
「……そうかな」
「反乱が起こり得たとしても、乱暴が嫌いな女子供も多いもんでね。家族を安心させるために男達が立ち上がる、現に今まで何度もそういうことがあった。小野寺くんがいる自治部隊は、あれで案外、喧嘩には向いているんだぜ」
「へえ。そんなのがあるのか」
「国家警察にこの広い国の端々まで目を行き届かせろっていうのが、無茶な話だからね。自治部隊と協力して、不穏分子は芽を出す前に潰されてる。今回の令で、自治部隊が警察ともっと近い距離に立てたらもっといいかな」
「成る程、な。それも大臣に掛けあおう」
「……そういえばだけど、第一皇子はそれでいいの?」
「ああ、良いってさ。というか、あいつにはあいつの父上が言って聞かせた。前国王、俺の父じゃない方は、元から民主主義推進派だったもんでな」
「ふうん」
「で、まあ、そんな感じなんだが、あと、そうだ。お前にこれをやろう」
「なにこれ」
「王宮の承認証だ。これがあれば、絨毯で窓をぶち破らなくてもいい。衛兵に見せれば中に入れる」
「は!?なんでそんなの!」
「友達にうちに遊びに来いって言うことのなにがおかしいんだ」
「うちのレベルが違う!」
「あとは、さっきの御触れが国中に行き渡ったら、俺たちのお散歩係を選ぶことになる。その時、すっぽかすとか、遅刻でもしてみろ。この家の前にお前の銅像を立ててやる」
「えっやだ、あれっ!?もしかしてすごい怒ってた!?俺が今日行かなかったこと!」
「ははは」
からからと笑った航介くんは、翠の石が埋まったピンブローチを朔太郎くんに握らせて、絨毯に声をかけました。そろそろ帰る、騒動も落ち着いた頃だろうし、と浮かび上がった絨毯にしがみつくように、朔太郎くんは手を伸ばしました。
「まっ、待って」
「なんだ。ついてきたいのか。いいぞ」
「違う!いいぞじゃない!ちょっと、引っ張り上げないで、わああ!」
「じゃあなんだよ」
「常識知らずな君だから知らないかもしれないけど!その髪で空を飛んだらまたぐっちゃぐちゃのぼろぼろになるぞ!枯葉だらけで国民の前に立つつもりかい!?」
「ああ。そうだった」
「豪華な髪留めはうちにはないよ、紐と布で纏められな、」
「よいしょ」
ばつん、と。後ろで一纏めにした長い髪を、腰に差していた短剣で乱暴に切った航介くんの下に、金糸が散らばりました。結えないぐらい短くなった髪の毛に、頭が軽くなった、と首を傾げた航介くんに、朔太郎くんは絶句しました。やっぱりこいつ、決定的にずれている。世間知らずにも程がある。こんなんで、名ばかりとはいえ国王になって、視察と称して街をふらふらうろつかれてみろ。二秒で身包み剥がれて、ゴミ箱にバラバラでポイだ。誰かが守らないと。俺が教えないと。
「……お散歩係、俺以外に任せないでね……」
「お?やる気になったのか、偉いぞ。お前も国が大事なんだな」
「国が大事なんじゃなくて、君が心配だ……」

それからのこと。
新国王の決定に、国民は驚き、戸惑いました。しかしながら、自分一人では分からないことしかない、教えて欲しい、一緒にこの国を守っていこう、と頭を下げて一つ一つの街を回る国王二人に、国民が意を唱えるはずもありませんでした。この国は自分たちのものであると同時に貴方達のものでもあるのだから、と国民は手を差し伸べ、民主主義に向かって少しずつ歩み始めました。大きな反乱もなく、王を咎める者もなく、過去を振り返る者もなく。皆、新しい国の在り方に、向き合おうとしていました。むしろ驚かれたのは、お散歩係の募集、なんて気の抜けたキャッチコピーと可愛らしいイラストが描かれた、王の側近になるための審査日時の掲載された張り紙でした。王の側近を子どものお守りか何かと勘違いしているのか、と実しやかに囁かれ、興味本位で審査に向かう者も少なからずいました。しかしながら、当然。
「これはなんだ?」
「あー!ジャスミン!触っちゃ駄目だ!まだ乾かしてる途中なんだから!」
「そうか?けど、外に放っておいたら腐ってしまうぞ」
「いいんですよ、国王様。保存食を作っているのです」
「食べられるのか」
「ええ。お召し上がりになりますか?」
「ふうん……頂こう」
「もおー!物珍しいからって何にでも手を出さないで!こないだそれで指怪我した!」
「あれは鼠が急に噛んだから」
「君はまるで子どもだな!」
「なんだと!お前が前以て教えないからだろ!お散歩係の癖に!」
「王の側近って言ってよ!お散歩係お散歩係ってご近所さんにまで呼ばれてるんだから!」
朔太郎くんは無事、側近の座に就きました。朝王宮に出勤して、支度が終わったら、航介くんと一緒に外に出て、街を巡るのです。遠い街には魔法の絨毯で、近い街には歩いて、一つ一つ丁寧に見て回りました。どんな人が住んでいるのか、どんな風に暮らしているのか。全てに目を輝かせる反面、無鉄砲で無知な国王様の後をついて回るのは案外重労働でした。小野寺くんの自治部隊は警察に吸収され、街の安全を守るために日夜働いています。いずれ運命の人を迎えに行こうと夢見て、立派な自分になるために頑張っています。その運命の人であるところのジャファー大臣は、飾り物となった国王の持っていた仕事を各部署に振り分け、纏め上げるために齷齪しながら、小野寺くんを見かけると鬼のような形相でぶち殺しにかかっています。二人の間はうまく行きません。第一皇子を連れて旅に出ると言って聞かなかったジーニーは、王宮付きの顧問魔道士として役割をもらい、合法的に愛しの御子の側にいられるようになりました。第一皇子、サラスヴァティはといえば、書類仕事から解放され、自分の趣味であった魔術研究にジーニーという強い味方がつき、睡眠時間が増えました。
「なあ、明日は海が見に行きたい」
「明日は花祭りの日だろ。君は来賓席。明日はお散歩無し」
「じゃあ一緒に祭りに参加したい」
「来賓席!」
「絨毯、明日の夜まで俺たちの足を地面につけるな。分かったな」
「こら!やめろ!お腹空いちゃうぞ!」
「俺は我慢できる」
「我慢とかそうじゃなくて、ああもう!分かったよ!明日のお祭りで使う花を買いに行こう!冠と簪もだ、それでいいだろ!」
「よし、あと、そうだ。踊りを教えてくれ。見たことしかないんだ」
「あれは踊り子さんが踊るから君は踊らなくていいの!」
「みんなやるんじゃないのか?」
「艶やかな女の人しか壇上にいないでしょ!もう、何にも知らないんだからー!」
「あははっ、そうだなあ」


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