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アラジン




「はい、おわり。残念だったな」
「……いい性格してますね、あんた」
「いやあ、契約主を守るのが役目なわけでね」
ぱき、と軽い音を立てて砕かれたルーン。砕いたのはジーニーの右手で、挑発するように薄く笑っているのはアブーでした。どこからどう見ても一触即発の喧嘩です。
遡りましては、朔太郎くんが絨毯に乗せられて悲鳴と共に飛び出したところまで。荒っぽい運転に苦笑いを浮かべたアブーに笑顔で向き直ったジーニーが、口を開きました。
「さてと、邪魔者はいなくなったし。腹割って話そうか、偽物よ」
「……なに言ってるの?ジーニー」
「お前の通り名はアブーじゃない。違うな、アブーって奴は本当にアラジンと共に過ごしてきたんだろう、そいつの真名は小野寺で間違いはない。ただ、現時点でお前はアブーじゃない、身体を使っているだけなのか変異の術なのかは定かではないがな」
「……………」
「どこで気づいたかって?魔術書も読めない人間風情が、この時代に存在しないルーン魔術を使っていれば、疑いもするだろうよ」
「……鼻がきくんですね、まるで犬みたいだ」
「手前の真名をここで読み解いてやろうか」
「そんなもの、明かされたところで困りやしませんよ」
くつくつと笑ったアブーの身体に、毒々しい刺青が浮かび上がりました。魔術に侵された印であるそれを見て、ジーニーは眉を顰めます。この時代に未だ流通していない魔術を使っていた以上、この男はアブーの体を使って無理矢理この世界に介入してきているのでしょう。理の違う世界からの介入では、即死の呪いも、自白の強要も、ジーニーが使える魔法が効かない可能性が捨てきれません。しかしながら、元々存在していたアブーの身体は、あれだけ魔術に侵されています。魔術師でもない、対魔力も低い身体では、あの侵食は命に関わることを、ジーニーはよく知っていました。現在アラジンを名乗っている自分の主人の父は、魔力洪水に巻き込まれて潰えかけた村を救ったのですから。
「……一応聞くが、目的は何だ?」
「目的、目的ねえ。朔太郎さんがいるところなら、なんだって良かったんですけど。他の平行世界も見張ってたんですよ。けどどうにも、ここでは皇子様でしたっけ?ふふ、笑っちゃいますよね。兎角、あの人が邪魔でして。ここなら手籠めに出来るだろうと思って、完璧なチャンスと舞台だったのに、本当に魔人様とやらが出てくるとは思っても見なかったですよ」
「……アラジンに、なにか隠されているのか」
「いいえ?俺の興味本位と、ただの欲です」
「お前、誰だよ」
「こちらこそ、あんた誰です?」
ぱり、と空気が鳴りました。魔術師と魔人の喧嘩なんて、仲裁できる人間はいません。朔太郎くんが外に飛び出していく寸前、アブーの身体を使っている誰かが彼にかけたのは、盗聴のルーンでした。アラジンとジャスミンの逢瀬をずっと盗み聞いていたそれを読み明かして砕いたジーニーに、正体不明の誰かは不快そうな笑みを浮かべ、冒頭に戻ります。とは言っても、喧嘩は始まりませんでした。はあ、と溜息をついた正体不明は、諦めたように肩を竦めて両手を上げたのです。
「まあ、こっちにとってはただの泡沫、夢落ち程度のもんなんで。見も知らない整った顔にそんなに凄まれても困りますし」
「は……?」
「けど、そうですね。あんたがいなければ、まだ続けられますよね。ええと、どうやるんだったかな……」
こうかな、こうだったかな?と首を傾げて宙に魔法陣を描いたアブーの鼻から、たらりと血が溢れ出しました。使いたい魔術に、自分の力が追いついていないのです。このままでは、中身はともかく、アブーの身体がオーバーキャパシティーで死んでしまいます。轟々と音を立てて自分の周りに巻き上がった、冥界より這い出る瘴気を、ジーニーは無言で振り払いました。
「アブーの身体、とっとと返してもらおう」
「……あれ。真名使ってこれやると、どんな相手でも苦しんで死ぬって、最後の切り札だったんですけど」
「俺は真名を呪われた程度じゃ死ねないな。心臓を、愛しの御子に預けてあるんでね」
「はは、よく分かんないけど失敗ってことですよね?」
「そうだな」
「じゃあもういいや。また、次の機会を狙います」
「……は、あ?」
「この、誰だか知らない人の身体は返します。巻き込んでごめんなさいって、謝っておいてください」
あーあ、上手く行ってたら今頃、助けなんて永遠に来ない、逃げ出せもしない暗闇で、二人きりでいくらでも過ごせたのになあ。
最後に至極残念そうに呟いたアブー、の身体を乗っ取っていた誰とも知らぬ魔術師は、かくりと膝をつきました。糸が切れたように倒れたアブーの身体から、じわじわと血溜まりが広がっていきます。その身体から一つの鼓動しか聞こえなくなったことを確認したジーニーは、舌打ちをして陣を展開しました。
「くっそ、取り逃がした!」

「……、」
「あっ、あ、有馬くん!目が開いた!」
「分かってる!今剥がしてんだから、もうちょっと大人しくしててくれ!」
次の日の朝。夜の間ずっと空の上を飛び回って二人でたくさん話をしたアラジンとジャスミンは、朝日が登る前にさよならをしました。随分と身軽になって、得体の知れない絨毯から飛び降りてきた皇子様に、兵士たちは騒然としましたが、本人が落とした爆弾に更に宮廷内は混乱を極めました。ジャファー大臣が今日付けで攫われることになった、とあっけらかんと言い放ったジャスミンとそれを聞いて惑う兵士たちを見て、空の上から大笑いした朔太郎くんは、家へと戻ってきたのです。安全運転になってくれた絨毯から降り立ったそこで待っていたのは、薄暗がりの中に広がる血溜まりと、淡い光を放つ魔法陣と、魔術で食い壊されたアブーの身体を必死に繋ぎ止めているジーニーでした。ジーニーは、小野寺くんの身体を侵食していた莫大な魔力の残滓を、丁寧に一つずつ剥がしては癒し、解けて緩んで空気に溶けてしまいそうな彼の肉体を繋ぎ止め続けていました。それから数刻が経って、朔太郎くんは何があったかジーニーから説明を受け、ぴくりともしなかった小野寺くんがようやく目を開けました。
「……、」
「動くな!まだぼろぼろだ、下手したら腕か足が捥げるぞ!」
「小野寺くん、もう少しで有馬くんが助けてくれるから、大丈夫だから」
「、……、?」
だれだ、と声にならずに唇で呟いた小野寺くんは、まっすぐにジーニーを見ていました。身体が奪われたのは、朔太郎くんと小野寺くんがジーニーの住まう青の洞窟へ旅をしている間だったのです。身体を奪った魔術師は、アブーの頭の中を食い散らかして今までの記憶や癖、思考をトレースして何事も無かったかのように彼に成り替わりました。けれど、体の持ち主である小野寺くんの意識自体は、旅に出てしばらくしたところでぷつんと切られているのです。ジーニーのことも、洞窟の中であったことも、自分が願ったことも、覚えていませんでした。
それからまた暫く後。
「声は出るか」
「あー。うん、出る」
「お前の通り名と真名は?隣にいる奴は?」
「アブー、小野寺達紀。こっちはアラジンの朔太郎」
「手で狐を作ってみろ」
「こんこん」
「……大体、今まで通りかな。一週間程、無茶さえしなければ反動が来ることもないだろう」
「よ、良かった……小野寺く、っしん、死んじゃうかと、思って……」
「心配かけてごめんね」
余程恐ろしかったのか、見て分かるほどに震えて自分の体を抱いた朔太郎くんに、小野寺くんが頭を下げました。お前は被害者だ、悪いのは責任も取らずに逃げたあいつ、と不愉快な顔を隠しもしないジーニーが、そういえばと手を打ちました。
「アブー、お前、大臣様が云々っていうのは、あれも取り消しでいいのか」
「え?なにそれ」
「小野寺くんの身体の中身が別人だった時に、中身がジーニーに願ったんだ。ジャファー大臣に会いたい、釣り合う立場をくれって」
「へえー」
「どうする?本当にお前が願うなら、それを今からでも叶えることはできる。ただ、今回に限ってはイレギュラーだからな。取り消しも可能だ」
「……うーん」
少し考えた小野寺くんは、いいや、と首を横に振りました。理由は、ほとんど朔太郎くんと同じ。偽りの自分で運命の相手を迎えになんか行けないよ、と彼は笑いました。それにそんな大それた設定じゃ身に釣り合わなくて絶対ボロが出る、と大真面目に言った小野寺くんを、ジーニーは笑いました。
「成る程、成る程!あの魔術師、思考を寄せてはいたが同一には出来なかったんだな」
「いいの?小野寺くん」
「うん。けど、攫いに来いってジャスミンは言ってくれたから、いつかきっと攫いに行くよ。俺がもっと、胸を張って隣に立てるようになってからね」
「よし!アブー、アラジン、腹が減った!」
「うちには芋しかないよ」
「そんな質素で魔力汚染が食い止められるか!仕方があるまい、アブーは偽物に食われてしまったわけだしな」
次はないぞ、大サービスだ、と開かれた大広間に、二度目の朔太郎くんも初めての小野寺くんも、目を輝かせて歓喜の悲鳴を上げました。色とりどりの野菜に大きな肉、宝石箱のような果物と焼き菓子。ジーニーからのささやかな慰労も兼ねたその食事たちには、身体と心を癒し、誰もが幸せを思い出して笑顔になる、ほんの少しの魔法がかかっていました。


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