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アラジン



自らの魔法では外に出られなかった魔人も、全ての力の根源である願い事を糧とすれば、何年も前に掛けられた厳重な守りの結界を破ることができました。指先一つで家に戻ってきた3人は、「狭えな!」というジーニーの一言で壁に作られたゲートを通り、大広間で山盛りのご馳走に囲まれていました。こんなこと願ってないと焦る2人に、俺が腹減ったし俺が広い豪華な部屋で飯が食いたかっただけだ、とジーニーはあっけらかんと言い放ちました。本当なら契約者と同じ水準の生活をしなければならない魔人たちですが、ジーニーは力が有り余っているようで、ちょっとしばらくやりたいようにやらせてくれ、とお肉を齧りながら言いました。お肉なんて何年振りの2人は、半泣きでかっ喰らっていましたが。
「それで?大臣に会いたいって?」
「そう!俺の運命の人なんだ!」
「身形と立場を変えるか?違う人間に生まれ変わることはできないから、新しく付与した設定通りに動けるなら、それが一番早いと思うけどなあ」
「え?有馬なんて?」
「……偉い人のふりをできるように、素敵なお洋服と肩書きを有馬くんが貸してくれるって」
「へえー!」
「……ほんとに大丈夫か……?」
「……小野寺くん、ちょっと頭が悪いんだ」
「アラジン、ついてってやれよ」
「嫌だよ、君が行きなよ」
「俺は勿論行くよ、魔術をかけてほったらかしにはできない。でも、過干渉はしちゃいけないんだ。世の理は乱しちゃいけない。だから、アラジンが助けてやれって」
「……俺演技下手なんだけど」
「あっ、朔太郎!ジャスミンにも会えるかもしれないよ!」
「ジャスミン、ああ、俺のことをアラジンに教えた、次期皇帝か」
「んん……」
嘘をつくのはちょっと、と朔太郎くんは渋りました。彼にとっては、わざわざ遠い国から旅をしてきた目的こそジャファー大臣を手に入れることであって、会えるきっかけとしてジーニーの魔法を利用する形になります。しかし朔太郎くんの場合は、ジャスミンに会うために魔法の力を借りれば、自分のことを偽って彼に再会することになるのです。目的の差異、魔法も使いよう。それもそうか、としばらく考えていたジーニーは、手を打ちました。
「じゃあ、分かった。ジャスミンにも協力してもらおう。アラジンは前もってジャスミンに会って、説明しておけばいい」
「そんなの無理だよ、王宮にいるんだし」
「無理?誰に向かって言ってるんだ」
全知全能の魔人様に向かって、何をもってして無理と宣うのか。そう唄うように囁いたジーニーの金色の髪が艶めいて、魔力が広い部屋の中をいっぱいに満たしました。瞬くように消え失せたご馳走と、浮かび上がった魔法陣、舞い上がる風に、ジーニーが言葉を重ねます。
「たった今この瞬間からお前たちは、遠い国からやってきた旅の貴族だ。無論王宮には招待されているし、誰も違和感は覚えない。ただし、硝子の靴は三日で消える。その間に、アブーは大臣を手に入れる必要がある。分かったな?」
「うん!」
「アラジン。今晩君には、空飛ぶ絨毯を貸し与えよう。それはサービスだ、ジャスミンにこれから起こる大嘘を先に白状してくるといい」
「……怒られそう」
「大丈夫さ!ジャスミンは、君のことを信じている!全てを知る俺が言うんだ、間違いは無いだろう?」
昨日会った次期王様より、余程王様然としている。朔太郎くんがそう思うほどに、頂点に君臨し、全てを統べることが容易い力を持つ全知全能の魔人は、まるで昔馴染みの友人のように手を差し出しました。
「……三つしか叶えられない願いを自分以外のために使うような奴、俺が知る中じゃ、お前の父さんとお前くらいのもんだよ」
「そうかな」
「そうさ。ほら、落ちるなよ?」
皇子様に、外の世界を見せてやれ。そう背中を押されて絨毯に乗った朔太郎くんが振り向くより早く、突風と共に絨毯は舞い上がりました。ちゃりちゃりと鳴る金属音に、派手になりすぎず気品を持って飾り立てられた自分の身体を見下ろします。黄金の首飾りに柔らかなガウン、頭に乗せられた冠に、空を飛び一直線に王宮へと向かう絨毯の上で思わず叫びました。
「やりすぎだよ、ジーニーの馬鹿!」

一方その頃。
「……………」
「そんな顔されてもねえ」
「……次期皇帝を檻の中に閉じ込めるとかこの国の奴ら頭おかしいんじゃねえの……」
「第一皇子様の命でございますので、お許しください」
「あの野郎……」
「だって、やばいぐらいめっちゃくちゃ、ブチ切れてたよ」
「……迷惑はかけてない」
「じゃあ、心配をかけたんじゃない?」
ま、明日には出られるよ。皇子様が檻の中なんて、対外に知れたら事が事だからね。そう呆れたように笑ったジャファーは、恐らく夜中に腹が減るだろうと忍ばせてきた簡易食を格子の隙間から放りました。外に出た事がまんまとばれて牢屋行きになった第二皇子、ジャスミンはそれを受け取って、眉間に皺を寄せました。自分が悪いことをしたのは分かっていて、罰される事が正しいのも分かっているけれど、この扱いはないだろう、の顔です。ジャファーはかつこつと靴音を鳴らして、石段を上がって行ってしまいました。これで今晩は牢屋の中で過ごす事が決定です。簪で簡易に纏められた長い髪の毛をくしゃくしゃ掻き回しながら、腹立ち紛れに空腹を満たしつつ、ジャスミンはまだ怒っていました。こんな仕打ちを受けてしまっては、せっかく仲良くなった、初めてできた友人のことすら、蔑ろにされているようで。出会ってはいけなかったかのようで。
「……くそ、王様やめてやる」
「うわああああお願いどいてどいて轢いちゃうからどいて!あー!助けて!」
「!?」
耳を劈く轟音と共に、ついさっきジャファーが上って行った石造りの階段をがらがらとぶち壊しながら、半泣きの大声が降りてきました。上では護衛の兵士の悲鳴が聞こえます。赤と金の煌びやかな絨毯がふわりと止まって、泣き声の主が突っ伏していた顔をあげました。その手はがっちり絨毯の端を掴んでいて、そうでもしないと振り落とされる勢いだった事が、なにも知らないジャスミンにも、目に見えて分かりました。
「あああ……はああ……怖かった……なんで俺の言うこと聞いてくれないの、この絨毯……」
「……あ、アラジン?」
「……ジャスミン……」
「お前、なに……は?いや、その格好はどうした、なんだ、その絨毯は、それよりどうしてここが」
「あー、わあー、もう、乗って、取り敢えず乗って、ジャスミン。逃げないとまたこの絨毯、ものすごい勢いで旋回と急降下と急上昇を繰り返しちゃうから」
「乗るもなにも、俺ここから出られな、」
「だってさ、絨毯」
「ひっ……!?」
どがしゃあ、と酷い音を立てて猛スピードで体当たりしてきた魔法の絨毯に、牢屋の格子が一発でひしゃげて壊れました。その隙間から無理やり手を伸ばし、固まっているジャスミンを引っ張り出した朔太郎くんは、よし、逃げるぞ、二人乗りなんだから次こそ安全運転で頼むよ、と確認のように独り言ちて、土埃に汚れた彼を絨毯に乗せました。訳が分かっていないジャスミンは、されるがまま、なすがままです。
「えっ、え……なに、どっ、どこ行くんだ」
「空の旅だよ、皇子様。空中なら追っ手は来ないし、逃げる必要がなければこの絨毯も穏やかな運転ができるはずだからね」
「お前どうしたんだ、なにがあった」
「詳しくは上で話そう。今そんな悠長な余裕、なさそうだろ?」
階段の上に人差し指を向けた朔太郎くんにつられてそっちを見たジャスミンの耳にも、兵士たちの混乱が伝わってきました。この絨毯であの中を抜けるのか、というかあの中を抜けてきたアラジンは酷く消耗していなかったか、牢の格子を壊したところからしてこの絨毯はお淑やかな性格をしていないのではないか。ジャスミンの頭の中に危険信号が灯った辺りで、疲れ果てた笑顔の朔太郎くんが自分の腰布を握らせました。
「ほんとはもっとかっこよく登場するつもりだった。ごめんよ、ジャスミン」
「……いや、いい、充分だ、充分すぎる」
「さ、行こうか!」
返事のように唸りを上げた絨毯は、上に乗る2人を落とさないぎりぎりのバランスを保ちながら、兵士たちを蹴散らして王宮を飛び出しました。絨毯が通った後は、嵐でも通り過ぎたかのような有様でしたが。
「……………」
「……………」
「……ジャスミン、下を見ないほうがいい」
「……お前本当にどうしちゃったんだ……」
「幾多の死線を潜り抜けてきたんだ……」
「……………」
「熱はない、熱はないよジャスミン、おでこから手を離していいよ」
「……………」
「……君は黙ると印象が変わるから喋っててくれよ……」
「そうか」
「黙ってると、王様みたいに見えるよ」
「今のお前もそうだな」
「これには事情があるんだ」
「盗みじゃなければなんでもいい。それに、存外似合ってる」
「……そうかい?」
「琥珀か?俺のとお揃いだな」
朔太郎くんの首飾りに下がっていた宝石を指して、自分の足環についたものを見せたジャスミンは、へらりと笑いました。月の光を受けて金色に輝く宝石で、朔太郎くんはやっと同じ舞台に上がれたような思いになりました。
眼下に広がる街の灯りと、月と星に囲まれて、追手も無い静寂の中。朔太郎くんは、これから小野寺くんが起こそうとしている大事件の概要を事細かにジャスミンに説明しました。無事にジーニーに会えたことも、自分の父の話を聞けたことも、全て包み隠さずに話しました。ジャスミンはまるで自分のことのように喜び、その後に続いた大臣誘拐計画のことはあまり聞いていませんでした。皇子様程では無いにせよ、国を治める大臣を奪おうとすることは、確実に国を揺るがす騒動に発展するであろうと、朔太郎くんにだって分かっています。にこにこしているジャスミンの肩を掴んで、噛んで含めるようにもう一度告げました。
「ねえ、今晩帰ったらすぐに、ジャファー大臣に教えた方がいい。アブーは本気だよ、だって彼はずっと運命の人を探し続けてきたんだ。見つけたら離すわけがない、魔人の3つの願いはまだ2つ残っているんだから」
「ふうん、そっか」
「ジャスミン、聞いてる?俺、それを伝えに来たんだよ」
「聞いてるよ。けど、もしそれが起こったとしても、俺にはなんの関係もないだろ」
「あるでしょう、君が王様になる国なんだ」
「王様になりたいなんて、一言も言った覚えはないんだがな」
吐き捨てるようにそう呟いたジャスミンは、はっとしたように朔太郎くんの方へ向き直りました。言葉を失った彼に、下手くそな愛想笑いを浮かべたジャスミンは、違う違う、そういう意味じゃないんだ、聞いたことは確かにジャファーに伝えよう、そのために来たんだもんな、と早口に数瞬前を覆い隠そうとしました。
「……ジャスミン」
「悪いな、こうじゃなかった。俺の勘違いで、不快に思ったなら申し訳ない。そうだな、ちょっとだけ、アラジンが俺に会いに来てくれたのかと思ってしまったんだ。思い上がりも甚だしいな」
「会いに来たのは本当だよ。理由は後からついて来たんだ、ねえ」
「……嘘は嫌いだ」
「友達に会いに来るのに、理由を作った俺がおかしいんだ。だって、君みたいな友達、はじめてだから」
「……………」
「……ここなら、誰にも聞かれない。ジャスミン、君の本当を教えてよ。君の隣にいることを許されない俺なら、他に漏らすこともないから安心だろう?」
「そうじゃない。信じているから、話すんだ」
信じてと言ったのはお前だろう、アラジン。そう、ジャスミンは絞り出すように零しました。
昔からずっと、外に出たかったこと。お城の中には何でもあって、何一つ不自由なく過ごせたけれど、牢獄のようだと思っていたこと。自分は第一皇子ほど自分を殺して国のためには尽くせないこと。この先、王様になったら、今よりもっと牢獄の格子は厚くなり、拘束は厳しくなること。そんなことになるなら、ジャスミンの名はいらないとすら思っていること。ぽつり、ぽつりと、ジャスミンは朔太郎くんに語りました。何度も言葉に詰まって、言いかけては辞めて、それでも吐き出し続けました。街の灯りもすっかりなくなった頃、ジャスミンは何も言わなくなりました。ただ無言で、頷き、彼の手を握りながら聞いた朔太郎くんは、ようやく口を開きました。
「……ジャスミン」
「……そう呼ばれることすら苦しいと、思う自分が嫌なんだ」
「君は正しい。正しく有り過ぎて、自分を縛ってしまっているだけなんだ」
「こんな王はいらないだろう?自国を愛せない王が、民達の為になにができる」
「君が幸せであることが第一だ、逃げ出すことは悪いことじゃないよ」
「悪いことだ!俺には責任があって、この座に据えられたからには、最後まで」
「聞いて、ジャスミン」
「聞いてるよ!お前が間違っていないことも分かってる!」
手で髪を乱しながら俯いたジャスミンの身体を飾り立てる煌びやかな装飾品が、今の朔太郎くんには手枷と足枷に見えました。逃げ出すことは悪いことじゃなくても、それを許されずに彼は生きてきたのです。善悪以前に、それは運命に課せられた選択肢の奪取でした。選ぶことすらできず言われるがままに今まで過ごしてきた彼の、外の世界に対する憧れは、どれ程のものだったでしょう。ほんの一晩の逃避行が、どれだけ彼の心に救いをもたらしたのでしょう。救われた彼は、外の世界を知った彼は、元の鳥籠に戻りたいと、果たして本当に心から願うことができるかと問われた回答が、空の上にはありました。
「だから、もう、そもそも向いてないんだ、俺じゃなくて、あいつだけが王様になればいい。ジャスミンの名前だって、誰かにやったっていい。ちょうどお前がアラジンの名前を受け継いだように」
「……通り名の譲渡は、その人が喪われた時にしか許されていないよ」
「知ってるよ」
「俺から何度も、手の中の命を奪うって言うなら、俺は君の友達をやめる」
「……死にたいなんて言ってない」
「冗談でも次言ったら怒る」
「最初から怒ってたじゃねえかよ……」
「ジャスミン」
「あー、もういい。ジャスミンって呼ぶな、永遠に慣れねえんだよ、その名前。かっこつけるのもやめる、もうお前には何にも隠さない」
「じゃあなんて呼んだらいいのさ」
「真名でいいだろ、教えてやるから」
「はあ!?王様の真名!?荷が重い!」
「耳貸せよ」
「嫌だよ!もし俺が悪いやつだったらどうするつもりなの!」
「悪いやつなのか」
「う……」
髪をまとめていた簪と冠を乱暴に外して絨毯の上に放ったジャスミンは、今更そんなわけないだろ、冗談だ、と嘯いて装飾品を外し始めました。ふわりと風に舞う長い髪と、からからと積み上げられる身を飾っていた高級品たちに、さぞかし重かっただろうに、と朔太郎くんはぼんやり思いました。何重にも羽織らされていた布もまとめて脱いだ彼は、このぐらいがちょうどいい、と普段の朔太郎くんと同じような格好になりました。下穿きと腰布と羽織が一枚。そうしていると、王様には見えませんでした。着飾っている朔太郎くんの方が、王様に見えるくらいに。
「アラジン。俺のこと、もうジャスミンなんて呼ぶなよ」
「……2人の時だけだよ。それに、俺の真名も知っておいてよ」
「なんでさ。別に知らなくても構わない」
「俺が構うの!俺の真名は、新月の朔の字を取って、朔太郎だ」
「いい名前だな」
「……あんたそうやってさらっと……」
「俺の真名は、」


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