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アラジン



その洞窟は、二人が街を出て幾日も歩き通した先に、ひっそりとありました。ランプの魔人、ジーニーの住処。鬱蒼とした木々と切り立った岩に囲まれたそこは、果たして入り口と言えるのかどうかすら怪しい始末でしたが、確かにジャスミンから貰った地図はこの場所を指しているのです。彼が嘘をつくはずはないと、朔太郎くんは信じていました。
「お邪魔しまあす」
「暗いね」
「灯を付けようか。怪我でもしたら大変だ」
大きな荷物を背負えるほど、二人は裕福ではありません。持ち物と言ったら、必要最低限の食べ物飲み物、明かりの火種、地図とコンパス、くらいのものでした。薄暗くなった外よりも更に暗闇を増している洞窟の中をそっと覗き込んで、朔太郎くんはランタンに明かりを灯しました。高価なものなんて持っていない二人の精一杯、小さな蝋燭がぽつんと弱々しく揺れている程度の光でしたが、幸いなことに貧乏暮らしが功を奏して、二人は夜眼が効きました。あいてて、なんて声を漏らしながら頭を岩に擦る相手を笑いながら、じりじりと少しずつ先へと進んでいきます。外の空気はいつの間にか届かなくなり、ひんやりとした異質な雰囲気が漂い始めました。
「狭くて通れないね」
「荷物の中身を減らそうか」
「それとも置いていく?お腹が空いたら戻って来ることにして」
「うーん」
「食べちゃってもいいけど」
「置いていこうか。食べたらお腹が出っ張っちゃうし」
ジャスミンがこの場にいたら白眼を剥いて倒れたに違いありません。とんでもない決断をあっさりとしてのけた二人は、小さな荷物を岩の隙間に突っ込んで一応隠し、ランタンだけを体に引っ掛けて進むことにしました。朔太郎くんはズボンの背中側に形見の魔道書を無理やり押し込みました。これを魔人に見せれば真偽がわかると思ったのです。
肩が入るかどうか分からない程度の細い岩の隙間を、半ば無理やり二人は押し通ります。高い段差は、一人が一人を押し上げて、先に登った方が手を伸ばして引っ張り上げました。先の見えない崖では、上着を脱いで結びつけ命綱代わりにしながら降りました。まるで曲芸師のような様でしたが、残念なことにギャラリーはいません。漸く開けた場所に出た時には、二人のお腹はぺこぺこで、汗だくのへとへとでした。
「……そろそろ、一旦戻る?」
「でも、少し広いところに出た。なんだかそういうところって、うってつけじゃない?」
「なにが?」
「魔法陣とかさ、書いちゃったりしてさ。この真ん中に、どかーん!って出てくるんだよ、全知全能の魔人、ジーニーが」
体力の限界でぜえぜえしながら座り込みかけた朔太郎くんは、足を無理やり立たせてくるくる回り始めました。この辺この辺、と辿り着いたところは、ちょうど円形の広場の中心。ランタンを体から外した朔太郎くんは、ぺたりと腰を落ち着けて、魔道書を背中から引っ張り出しました。
「俺にはこれは読めないけど、父さんはきっとこの本をジーニーと一緒に作ったんだ。ジャスミンが教えてくれた、ええと、どのページだったかな……」
「ジャスミンは魔道書が読めたの?」
「うん。あっ、これかな。これは、傷を癒して体力を回復させる、人を救うための呪文なんだって」
「へえ」
「でも俺その呪文忘れちゃったんだよな。魔道書を持ってきてくれて助かったよ、アラジン」
「そうなの?でもほら、ここに書いて、」
「おー、貸してくれ。ははは、アラジン。若返りの水でも飲んだのか?お前、なんだか背が縮んでるぞ」
「あ、る……」
ひょいっと背後から手が伸びてきて、しゃがみこんで魔道書を開いていた朔太郎くんの横をすり抜けました。そこにいるのが当たり前のように会話に参加してきた彼は、懐かしいなあ、とにこにこしながら魔道書のページを捲っています。暗くて見えん、と独り言ちた彼は、指を鳴らして聖霊の燈を灯しました。一斉に明るくなった洞窟の中と、ふわふわと浮き上がって一番近くの灯の下に近づきページを手繰る彼に、囁くような声で朔太郎くんが零しました。
「……全知全能の魔人、ジーニー……」
「ん?なんだよ、今更改まって」
「……本当に、いたんだ……」
「本当もなにも、俺を召喚したのはアラジンじゃないか。あっ、そうだ、お前息子はどうしたんだ?しばらくここには来られないって、俺を寝かせて出て行ったじゃないか。寂しかったんだぞ!」
「……そ、……」
それはきっと俺の父さんだ。朔太郎くんは、そう魔人に伝えなければいけないことは分かっていても、声が出ませんでした。父とはもう二度と会えないことをジーニーは知らない、ならそれを伝えることがどれ程のショックになるか、喪った自分は知っているから。凍り付いている朔太郎くんに、どうしたんだよ、と降りてきたジーニーは不思議そうな顔をしました。
「アラジン?」
「……俺は……」
「んー……ごめんな。ちょっと、きついかも」
「は、」
「全知全能って、全部知ってるって意味なんだろ?お前が教えてくれたんだよ、アラジン」
今こうなった俺に知れないことはないんだ、と目の前に手を翳されて、ぱちんと朔太郎くんの視界は暗くなりました。まるで舞台を見ているように、頭の中で幕が開き、走馬灯のような回想が始まります。きっとこれは、ジーニーが見た、朔太郎の父であるアラジンとの記憶なのでしょう。魔法のランプの中で深く眠っていた自分を喚び起こし、洪水に呑まれそうな街を救ってくれと酷い怪我を負いながら願いを叫んだアラジン。三つの願いの一つとしてそれを叶えたジーニーは、二つ目の願いを住人の生活を元に戻すことに使う彼を、願い事とは関係なく自分の意思で、治しました。癒えた身体と復興する街に、三つの願いを叶えてくれてありがとう、きっと内心で自分は生きたいと願っていた、と笑うアラジンに、ジーニーは願いがあと一つ残っていることを伝えました。けれどもう願いなんてない、と困るアラジンを、ジーニーは好ましく思い、共に過ごすことを決めました。ジーニーはアラジンに魔術を教え、アラジンはそれを人々の為に使います。その時に魔道書が作られ、アラジンは未来の妻と出会いました。まるで友達のように過ごした2人は、アラジンとその妻の間に子どもが宿ったことで、しばらくの別れを決めたのです。幼い子どもは、あまりに強い魔力が近くに存在すると、人間ではなくそちらへ引っ張られてしまうから。暫しの別れを切り出したのは、ジーニーからでした。人間に化ければいいのに、君でも気を使うことができたのかい、と笑ったアラジンは、魔人の力を狙うものが現れないよう、彼が寂しくないよう、魔道書を持つ者が訪れるまでここで眠るようにと洞穴に封印の術をかけてジーニーを眠らせました。目が覚めた時に、妻と子どもを連れてくるよ。そういつも通りの笑顔で言い置いて、アラジンは去って行きました。それが、ジーニーとアラジンの記憶の、最後でした。
そこからは、朔太郎くん自身の記憶でした。父とは二度と会えなくなったこと。父の名前を引き継いで、アラジンとして生きることを決めたこと。形見の魔道書を読み解く為に必死で勉強したこと。母の元を離れて1人で暮らし始めたこと。それが2人に増えたこと。つい昨日のジャスミンとの出会いと、そこでジーニーの洞窟の存在を知ったこと。朔太郎くんの記憶の舞台を、ジーニーはただ黙って見つめていました。ふっと世界が戻ってきた時には、ジーニーは目を伏せて、それでも笑っていました。
「……そっか。匂いが違う気がしたんだ、アラジン。お前は、アラジンの息子だったんだな」
「……ジーニー。貴方に、会いにきたんだ」
「全部分かったよ。そっか、あいつ、三つ使い切る前に、あっちに行っちゃったのか」
そんな奴あんまりいないんだけどなあ、彼方に行く前に俺のこと思い出さなかったのかな、俺に願えばいなくならずに済んだのに、と眉を下げてジーニーは笑いました。自分の掛け替えのない友人であるアラジンにそっくりな、彼の大切な息子。名前を引き継いでアラジンを名乗るだけのことはある、瓜二つでそっくりな、神様の加護を受けるに相応しい子どもだと、ジーニーは思いました。今は亡き友人に、それを伝えたいと、心から思いました。全知全能の自分でも死者を蘇らせることはできないと知って、息子である彼がそれを望んでここを訪れているわけではないとも分かっていて、それでも望みました。もう一度だけ逢えたなら、と。
「よし。さあ、アラジン。魔道書を持って現れたのは君だ、俺は君の願い事を三つ叶えよう」
「えっ、いい、いいよ。そういうの無い」
「……そういうところまで父親にそっくりなんだな……」
「それより、これを受け取って欲しい。俺が持ってても読めないんだ。ジーニーが有効に使えるのなら、その方が父さんも喜ぶと思うし」
「えー!やだよ!その魔道書、ここの鍵なんだぞ!俺が持ってたら、鍵閉じ込めてるようなもんじゃんか!二度と出れねえよ!」
「あっ、そっか……」
「わー!もう!願い事叶えさせてくれよー!ここ何年も魔人として仕事してねえんだよ!」
「魔人なのに駄々こねてる……」
「そこのお前!お前でもいいぞ!願い事!」
「えっ、俺?」
「アブーって言ったっけ?それとも真名で読んだ方がいいか?」
「真名が分かるの?」
「そりゃ分かるさ。ジーニーだからな!」
「うーん……願い事かあ……」
「アラジンの息子で三つ、アブーで三つ、六個叶えてやってもいいぞ!」
「大盤振る舞いじゃん」
「お金持ち?かわいい女の子?魔導師になりたいんでも叶えられるし、あとは」
「じゃあ、ジーニーと一緒に外に出たい」
「……えっ」
「鍵がかかってて出られないんでしょう?魔道書を持って、俺たちと一緒に外に出るのは、願いのうちに入らない?」
「……アラジンの息子、そんなことに願い事使っちゃうのか?お前に何の得があるんだ?」
「んー、特に得はないけど。お腹空いたし、父さんの話をもっと聞かせて欲しいし、一緒に出てくれたら良いんだけどなって」
「……アラジンの息子……すげえめっちゃ感動する……」
「……強いて言うならそのアラジンの息子って長いからやめてほしい……」
「アラジン二号!」
「アラジンでいいです」
「アラジン!」
「あっ、俺願い事決まった、ジャファー大臣にもう一回会いたい!攫いに行くって約束したんだ!」
「攫いに行く?なんだそれ、詳しく」
「あのね」
「ねえ!長くなるから先に外に出ない!?」
「ちなみに俺はジーニーだけど有馬っていうんだ、どっちで呼んでもいいぞ」
「魔人にも真名があるんだ」
「悪用すんなよ!俺消えちゃうから!」
「そんな重大なものなんだ!?」
「そうだぞー、人間の真名とは違うんだ、俺よく知らねえけど」
「ねえ!外に出ようよ!?」

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