このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

アラジン



「ただいまあ」
「……ここが家か?」
「狭くてごめんね」
「家……」
信じられないと言いたげにきょろきょろと辺りを見回したジャスミンに、朔太郎くんは苦笑いを浮かべました。別に僻みじゃないけど、王族からしたらそりゃ、こんなところが家だなんて信じられないんだろうな、と。
ジャスミンは、気が抜けて動けなくなってしまった朔太郎くんを背負って、家まで連れてきてくれました。ジャスミンの長い髪に半ば埋もれながら、体力お化け、と朔太郎くんは背中で思いましたが、大変助かったことも確かなので、道案内をしながら欠伸をしました。知らない街の夜を歩く皇子が目を輝かせていたことには、気づかないままでしたが。ぺったんこのクッションを叩いてなんとか無理やり膨らませた朔太郎くんは、ジャスミンに手渡しました。礼を言ってそれに腰掛けた彼は、朔太郎くんを見上げます。
「ここには、あんた一人か」
「アラジン。俺の名前だよ。同居人のアブーって奴がいる」
「そうか、アラジン……この家は、二人で住んでるにしては、手狭だな」
「座って寝れば案外広いもんだよ」
「横になれないのか!?」
「あー、頑張ればなれる」
「同居人は女か?」
「男だよ。なんで?」
「いや、邪魔をしてはいけないと思って……」
「ははは。皇子様を邪魔だなんて、畏れ多い」
「皇子なんて呼ぶな。ジャスミンでいい」
「あっそう。じゃあ、ジャスミン」
「……アラジン、お前、随分と肝が据わった奴だな」
「そうかな?アブーの方がすごいよ、一人ぼっちで砂漠を超えて運命の人を探しに来たんだ」
木で出来たカップに出涸らしのお茶を入れた朔太郎くんは、ジャスミンに手渡します。おっかなびっくりそれを受け取った彼は、猫のように目を細めながら、一口飲みました。美味しいなあ、とあからさまな嘘を吐かれて、朔太郎くんは笑いました。なんだ、皇子様なんて言ったって、普通の人じゃないか、と。
ジャスミンは、朔太郎くんの話を興味深そうに聞いて、幾つも質問をしました。踊り子たちと楽団のこと。市場で売っていた巻物や果物のこと。ここで暮らしている人のこと。そして、アラジンの生まれのこと。朔太郎くんも、それに誠実に答えました。踊り子たちはいろいろな街を回っていて、今ちょうどこの街にいるだけだけれど、この街の人々は歌や踊りが大好きで、夜になると酒場からは調子外れなカントリーと笑い声が聞こえてくること。市場で売っているものはほとんどの場合生産者と販売者が一緒だから、気になったものがあれば売り子に聞けば何でも答えてくれること。ここに暮らしている人たちは、明るく陽気で、少し血の気が多いところもあるけれど、街の仲間を見捨てたりはしない人ばかりだということ。自分は父を早くに亡くし、父のアラジンという名を引き継ぎ、母は少し離れた田舎町でゆっくり過ごしているということ。父の形見である魔術書を読み解き、いつか自分も魔法を使い、それを母に見せるのが夢であること。
「見せてみろよ。読めるかもしれない」
「えっ、本当?ジャスミンは魔法使えるの?」
「使えない。でも魔道学は学ばされた」
「やっぱりそういう学がないと魔法は使えないのかなあ」
「そうでもないぞ、魔力さえあれば……あ、なんだ、これ」
「ん?」
「この本、人間には使えない魔法ばかりだ」
「なにそれ!?」
「魔人の魔法が書いてある。ほら、ここ。我が友、ジーニーに捧ぐ」
「ジーニー?」
「この国の外れの洞窟に封印されてるランプの魔人だよ。お前の父さん、ジーニーと友達なのか?」
「わ、わかんない」
「すごいことだぞ。なんたってジーニーは、万能で、全知全能なんだ」
「へええ……」
ジャスミンが読んだところによれば、どうやらその本は、ランプの魔人ジーニーが使う魔法を纏めてあるようでした。ところどころに、「忘れっぽいお前のために書き記そう、この魔法が成功するコツは頭の中にジャガイモを百万個思い浮かべることだ」なんて文句が書いてある辺り、どうやら朔太郎くんのお父さんが書いたらしいということも分かりました。自分で読んでいたら辿り着けなかったであろう事実に、ぎゅうっと魔術書を抱きしめた朔太郎くんは、小さくお礼を言いました。泣き出してしまいそうな彼に、ジャスミンはおろおろと手を差し伸べます。
「この本にある魔法は使えないかもしれないけれど、ジーニーは伝説の魔人だぞ!お前の父上はすごいな!」
「うん、っうん」
「彼は三つの願いを叶えてくれるんだ。アラジンの父上は何を願っただろうな?」
「……わかんない、けど」
きっと素敵な願いだったに違いない。伝説の魔人と友達になるような人なのだから。膝を抱えてそう呟いた朔太郎くんは、がばっと顔を上げました。鼻も頬も真っ赤ですが、涙は溢れていませんでした。
話がひと段落したところで家を出て行こうとしたジャスミンを、朔太郎くんは止めました。こんな夜更けにあんたみたいなきらきらした格好のやつが彷徨いてたら、いいカモだ、と。身包み剥がれて王家に脅迫状が送りつけられるような目に遭いたくなかったらここにいろ、なんて半ば強制するような朔太郎くんの言葉に、でもそれは迷惑ではないか、とジャスミンは眉を下げます。それに首を横に振って応えた朔太郎くんは、へらりと笑いました。
「うちなら安心だよ。俺を信じて」
「……そ、そうか」
「どうかした?」
「いや、信じて、なんて、言われたことがなくて」
「……信じられない?」
「人を簡単に信用するなと、昔馴染みの大臣が口煩くてな」
「別に、信じなくてもいいけど」
「いいや。お前のことは、なんだかよく分からないけど、信じていい気がするんだ」
「そ、うですか」
「アラジン?」
「いえ、なんでも」
あまりに真っ直ぐな殺し文句に、朔太郎くんは顔を背けました。純粋無垢にも程がある。きょとんとジャスミンは彼を見ています。家の外では、梟が鳴きました。

夜が更けてから帰ってきた小野寺くんは、家にいた第二皇子に大層驚きましたが、あまり深く考えないタチなので驚いた程度で済みました。三人はすっかり意気投合し、様々な話をして、そのうちに寝てしまいました。朝日に目を開けた朔太郎くんは、自分の隣で横たわって丸くなっているジャスミンに嬉しそうに目を細めて、
「おはようございまーす」
「っひい!?」
「うちの皇子様がお世話になりましてー」
「っ、っ」
どうもー。とまるで寝起きドッキリのように潜めて間延びした声のまま片手を上げたのは、この国を取り仕切る大臣、ジャファーでした。朔太郎くんは、声も出ません。何故なら、首筋に細身の剣の切っ先が押し当てられているからです。友好的な台詞と裏腹に全く目が笑っていないジャファーは、ちらりとジャスミンに目をやり、ぐうぐう寝入っていることを確認して口を開きました。
「どうしてここが?とか、野暮なこと聞かないでくださいね」
「っ……」
「貴方、アラジンでしたっけ?本当、お世話になりました。ありがとうございます」
自分の名前が知られていること、野暮なことを聞くなという牽制、撒ききったはずの追っ手。三つを合わせて鑑みるに、恐らくは発信機と盗聴器でしょう。仕込まれていそうなものなんていくらでもジャスミンは身につけています。例えば、ケープに付けられたチャームとか。
穏やかな朝日と鳥の囀りには不釣り合いな、射殺すような目線に突き刺されて、朔太郎くんは身動き一つ取れませんでした。何も企んでいなかったとしても、疑わしきは斬れ、ということなのでしょう。寝息を立てるジャスミンが目を覚まさないことだけが救いでした。彼の前で血を流すようなことは、きっと大きな衝撃として残るでしょう。そんなこと、許されないと思ったのです。街の話を聞いて、市場を歩いて、何処にでもいる踊り子達に目を輝かせる彼には、綺麗でいて欲しいと。
「……まあ、皇子が世話になったので。ここで殺しはしませんが」
「……………」
「他殺だと、角も立ちますからね。貴方みたいな人の自殺も怪しまれる。事故死が一番いいんじゃないですか?」
「……死なない方向で」
「はあ?」
「あっはい……」
「……生きてて辛くなるのはあんたですよ」
ただの一般人のくせして皇子との繋がりを持っているだなんて、国家の転覆を企む輩はあんたを狙うに決まっている。だって、少なからずとも恩を感じているあんたを助けるためなら、このお人好しで優しい皇子はなんでもするでしょうからね。だから今のうちにここからフェードアウトしておいた方がいい。あんたのためですよ、アラジン。そう、恋人に言い聞かせるような甘い声で囁かれて、それもそうか、と朔太郎くんは思ってしまったのです。ジャスミンは友達だけれど皇子で、自分なんかとは立場が違って、迷惑を掛けてはいけないことは確かで、この男が言うことは間違っていない、とぼんやり思います。ただ、知り合ってしまったこと自体が間違いだったとは、思いたくありませんでした。
貴方に余命をあげましょう、とジャファーは笑いました。剣を押し当てられたままの朔太郎くんの隣で、ジャスミンはむにゃむにゃと寝返りを打ちます。小野寺くんの、アブーのことはどうするつもりだ、と聞こうと朔太郎くんは口を開こうとして、声はほぼ出せませんでした。
「ぁ、」
「わあああ!」
「ふぎゃんっ」
「運命の人!翡翠の首飾り!黒曜石の瞳!俺の運命の人!こんなところにいたんだね!」
「ふぎっ、はなっ、離せ!なん、やめろっ、なんだよお前!」
「会いたかった!会いたかったよお!」
「……あの……」
飛び起きたと同時、大臣に抱き付いて床に縫い止めホールドしている小野寺くんは、全く周りの声が耳に入っていないようでした。朔太郎くんの首元に突きつけられていた剣も、小野寺くんがタックルした拍子に跳ね除けられ、壁にぶっ刺さっています。大臣はぎゃんぎゃん喚いて暴れていますが、力仕事ばかりを請け負う小野寺くんにのしかかられて、それを退けられる人間なんて朔太郎くんは知りません。いたらゴリラか何かです。ジャスミンなら案外退けられるかもしれないな、と現実逃避していた頭を振って我に帰った朔太郎くんは、まだぐーすか寝腐っているジャスミンを揺すりました。
「ジャスミン!起きて!君の大臣が来たよ!」
「んん……あと五時間……」
「長いよ!ジャファー大臣がうちにいるんだ!起きろ!」
「……うるせ……」
「おい!クソゴリラ!起きろっつってんだろ!ふーっ!」
「ぎゃああっ」
揺する程度では起きなかったジャスミンは、朔太郎くんに叩かれ、叫ばれ、耳に思いっきり息を吹き込まれてようやく飛び起きました。ちなみに彼の弁明のために申し上げておきますと、いつもはそんなに寝起きが悪くはありません。ジャスミンは第一皇子の寝汚さに呆れ返る側の立場で、少し声を掛けられれば目覚めることができます。ただ今日に限っては、昨日少しばかり引っ掛けた普段飲まない安酒と、街に出ている興奮と、逃走劇のおかげで溜まった疲労のせいで、本調子ではなかったのです。そんな言い訳が彼の口から出る前に、ふーふーと毛を逆立てた猫のように朔太郎くんへと文句を吐こうとしたジャスミンは、自分の側近である大臣が昨夜知り合った友人の下敷きになって悲鳴を上げている事実に、目を丸くしました。実の所、その頃には大臣の抵抗はすっかり薄くなり、小野寺くんはやりたい放題マーキングしていたのですが。
「なんっ、えっ、なんで、ジャファー?」
「……たすけてえ……」
「あ、アブー、離してやってくれ、悪い奴じゃないんだ」
「離さない!やっと見つけたんだ!このまま一緒に暮らす!一生!」
「何の話だ!?」
「あー、あの、アブーが探してた運命の人ってやつ、ジャファー大臣にそっくりみたいだよ」
「とにかく解放してやってくれないか!ジャファーが白目剥きそうだ!」
「それは大変だ!」
「……おーじ……」
「だ、大丈夫か?」
小野寺くんに生気を吸い取られたかのようにふらふらしている大臣は、何とかジャスミンの腕の中に辿り着くと静かになりました。小野寺くんは、早く返せと言わんばかりにうずうずしています。一生懸命格好付けて登場したつもりが飛んだ目にあった、全て皇子のせいだ、お給金を五倍にしてもらいたい、あとこの国の政権を俺に引き渡してほしい、とぼそぼそ文句を言っている大臣をまるで無視したジャスミンは、朔太郎くんと小野寺くんに深く頭を下げました。
「本当にすまない」
「別にいいんだけど、」
「ジャスミン、俺の運命の人を返して」
「あの、アブー黙って」
「黙ったら返してくれる?」
「ああ、うん、後でな」
「やだああああ」
「それで、ジャスミン」
「やだ、早く帰ろう皇子!さっき殺すとか言ったの無しにするから!」
「お前そんなこと言ったのか。二人は俺の恩人だぞ」
「分かった分かった!もう全部なかったことにする!あいつ怖いから早く帰ろう!あいつだけどっか別の世界から来てるでしょ!」
「うるさーい!俺はジャスミンと話がしたい!二人で外に出てて!」
「えっ」
「やったー!」
「やだやだやだ!無理無理ジャスミン助けて」
「いや、俺もアラジンと話したいことがある。ジャファー、待っててくれ」
「ジャファー大臣っ、俺と朝のお散歩しませんかっ」
「ふぎゃあああっ」
小野寺くんがジャファーを小脇に抱えて朝の街に飛び出したのを見送り、ジャスミンと朔太郎くんは向かい合わせに座りました。申し訳無さそうに眉を下げるジャスミンが、ジャファーが置いていった短剣をちらりと見遣って、またぺこりと頭を下げます。怖かっただろう、痛かっただろう、驚いたことだろう。俺が城から逃げ出したりしなければ迷惑はかけなかった。会えたことは嬉しいけれど、これでは恩を仇でしか返していない。ぐずぐずとそう漏らすジャスミンの旋毛をしばらく見つめた朔太郎くんは、一つ息を吐いて、ジャスミンの頭に手を置きました。
「許す!」
「……そんな、簡単に」
「簡単さ。友達だろう?迷惑掛け合いっこしたって、問題はないのさ」
「そ、そうなのかな」
「そうだよ。ジャスミン、君には友達はいなかったの?」
「いつも隣にいるのは、第一皇子と大臣で……友達は、いなかった、かな」
「じゃあ、俺が友達一号だね。またおいで、待っているから」
「……迷惑をかけてしまう」
「じゃあ、次は君を驚かせる迷惑を俺も考えておくよ。それで言いっこなしだ」
「どんなだよ」
「そうだなあ、綺麗な着物がぼろぼろになるまで、この辺りを連れ回すとかかな」
「なんだそれ」
それは、ご褒美と言うんだ。ジャスミンがやっと笑いました。それを見て、朔太郎くんはなんとなくほっとして、つられて笑いました。外からは、恐らく大臣のものであろう悲鳴と、同じく恐らく小野寺くんのものであろう楽しげな笑い声が響いてきましたが、今の二人にそういった瑣末な物音は届いていませんでした。街に住む人々は、少しずつ賑わっていく喧騒に、朝が来たことを知ります。市場が忙しくなるまで、あと少しです。その前に、ジャスミンとジャファーはお城へ戻らなければなりません。それを分かっているから、もう会うことはないから、二人は二人きりになって、また会う約束をしました。約束が叶えられるかどうかより、約束をした事実を抱いて生きていこうとお互いに思っていたのです。
しばらくしてようやく、ジャファーがくたくたのふらふらになって目を回しながら帰ってきました。小野寺くんはやっと巡り会えた愛しい運命の相手と離れることにぐずぐずしていましたが、今度は城まで攫いに来いよ、なんてジャスミンの冗談を真に受けたようでした。それを聞いたジャファーは真っ青でしたが。
「じゃあな」
「うん。またね」
「ジャスミン、王様がんばって!」
「おー」
そうだ、と思い返したように、一歩家を出たジャスミンが踵を返しました。ジャファーに地図を広げさせ、今居る街から西へ行った先を指差します。青の洞窟、魔人の住処、と書かれたそこは、古くからジーニーが住まっていると伝えられる場所でした。
「普通の人間じゃ辿り着けない。ジーニーが会いたいと思った奴しか、ここまでは行けない」
「うん」
「けどアラジンなら行けるはずだ。父上の友人に会ってこい、良い話が聞けると思う」
「……ありがとう、ジャスミン」
「いや、世話になった礼には全く足りない」
地図を貰った時、この手を離して良いものか、と二人の頭に同じ疑問が湧き上がりましたが、聡明で敏い二人は何も言わず離れました。誰よりも子どもでいたいくせをして、我儘を言わずに大人のふりをすることが、二人して抜きん出て上手なのです。曖昧な笑顔でジャスミンを見送った朔太郎くんが、少し肩を落としたのを見て、小野寺くんは何も考えず口を出しました。だって彼は、子どもっぽくとも我慢も背伸びもせず自分らしくいる所を、運命の人に認めてもらいたいのですから。
「行ってみよっか?」

2/7ページ