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アラジン



遥か彼方、砂丘の果て。旅人が休息を求めて行き着くのは、煌びやかな都。オアシスの名の通り、豊かな水源と垂涎の的の食べ物、そして麗しの歌姫が多々舞い踊るその都には、王子が二人おりました。本来ならば、王位継承権はどちらか、ということになるのでしょうが、生まれの母も違えば父も違い、生まれ月も一月しか変わらない二人には、どうにも片方が王になるという考えは浮かばず、二人ともが公務に励んでおりました。遥か昔から隣り合って暮らしていた二家族が双方ともに王位を持つ複雑な王家なのです、お察しください。お互いに真面目で負けず嫌いなところも功を奏し、二分することもなく二人を見守ってくれた緩い国民性も背中を押した結果、二人の王子は生まれてこの方大した苦労もせず、二十年と少しの歳月を暮らしてきました。第一皇子、第二皇子、と呼ばれてはいますが、そんな順序は名ばかりです。公務の中では書き仕事担当、体力無しで運動は苦手、眠た気な目を眼鏡が隠している、あまり明るいとは言い難い見た目の、サラスヴァティ第一皇子。国民との親和を図り開催されるレクリエーションではどんなスポーツにも引っ張りだこ、公務の中でも体を動かす仕事は彼へ回され、よく通る声と第一皇子とのお揃いが嫌で金に染め上げられた髪が目印の、ジャスミン第二皇子。それに、二人に長く仕えている大臣。皇子たちの父である王が心配無用と判断する程度には、この国は豊かで、より良く廻っていました。
「外に出たい」
「判子押して」
「外に出たい」
「……判子」
「外」
「早く」
だん、と叩き付けられた朱印を渋々手に取るのは第二皇子、年度末の忙しなさに追いやられ睡眠時間を削ってまで予算案の細部点検に励んでいるのが第一皇子です。国を動かすということは、王座に座って高笑いしていれば良いというものではありません。第二皇子が貿易を繋ぐため諸外国を巡り挨拶回りをしている間、第一皇子はお城で溜まりに溜まった事務仕事を片付けていたのです。対外に晒され国外を飛び回って疲れた第二皇子も、室内に籠りきりで紙とインクに囲まれて疲れた第一皇子も、お互いにお互いを「お前の方が疲れてねえだろ」と思っています。お互い様だよ!これからも頑張ろう!助け合ってこの国を動かしていくんだ!みたいな考え方は、磨耗し疲弊した彼らにはありませんでした。
「お前がこれ見てる間にさあ、俺ちょっと、行きたいとこがあんだけど」
「判子」
「もう押した」
「……どこ行くつもりなの」
「別にいいじゃん」
「駄目」
「なんで」
「……滅茶苦茶怒られたの忘れたの?」
「ばれなきゃいいだろ」
「俺まで叱られんの御免だから」
「けち」
「この書類の続き取って。その中に埋まってるやつ」
「……げえ……」
山積みになった紙束を見て、第二皇子はうんざりしました。外に出たい、仕事も立場も全て忘れて外で思う存分走り回りたい。それは、第二皇子の昔からの夢でした。
いくら外回り担当とはいえ、立場上は皇子様。城の外を出歩くとなれば身辺警護がしつこく付いて回りますし、自由な時間などありません。第一皇子に比べれば比較的城下を訪れる機会も多い彼でしたが、それでも歩き回れるのは城の周りの安全な場所だけ。城から少し離れた場所に立ち並ぶ、国民の殆どが暮らす街々や、賑やかな店通りの市場には、訪れたことはありませんでした。いつかそこへ行きたい。強くそう願った第二皇子は、今から五年程前、お付きの目を掻い潜り、衛兵たちをぶん殴って気絶させ、一人で城を抜け出しました。夜の道を駆け抜けて、街へ、市場へと向かう足は、辿り着く前に折られました。すぐに気づいた城の者たちに、捕まってしまったのです。寝ているうちに置いて行かれた第一皇子はといえば、何もしていなければ何も知らないまま、目覚めた時には全てのことが終わっていたというのにも関わらず、一緒くたに散々叱られたのですから、渋るのも当然と言えるでしょう。こっぴどく小言を言われた上に、暫く自由を制限されてまで罰された第二皇子は、それでも懲りませんでした。何度も何度も繰り返して、外に出たい、と言うのです。これでは牢獄だ、籠の鳥じゃあるまいし、自由になるべきだ、そうだろう?と第二皇子は問いかけます。第一皇子は答えず、伏せた目を書類に落としたままでした。
「んだよ、石頭。ちょっとは協力しろよ」
「気が散る。黙って」
「じゃあ俺一人でも勝手に」
「ねえー!見て!もらった!王妃様に!」
「あっ」
どかんと激しい音を立てて開かれた重厚な扉の向こうには、きらきらきらめく翡翠の首飾りを見せびらかす大臣がいました。扉が開いた拍子に肩を跳ねさせた第一皇子は、ペン先が走って思いっきり真横に引いてしまった線に、がっくりと首を垂れました。
「それ俺がこないだ付けさせられてたやつじゃねえの」
「そうだよ。ぶっかぶかのゆるっゆる」
「なんでもらったんだよ」
「いっつも頑張ってるから」
「そりゃ良かったな」
「これ狙ってたんだ……俺にぴったり……」
「……俺らが身につけてるもん狙うのやめてくんねえかな……」
「別に欲しいとか思ってないじゃん」
「そうなの?」
「うん。常々、俺が皇子様の方が良い国になるな、って思ってるだけ」
「お前が大臣でいられんのほんと不思議」
「えー?かわいいからかな?」
「仕事が出来るからだよ」
深く溜息をついた第一皇子は、シンプルな翡翠の首飾りを喜んで眺めている大臣を遠い目で見ました。見た目も良ければ仕事も出来る、頭の大変切れる最高の大臣なのですが、ただ一つ欠点があるとすれば、それは自分大好きが過ぎるところでした。国王陛下の御成でございます、と声を掛ける前に、自分の見た目を取り敢えず整えるような大臣です。この前なんて「なんかこのスーツちょっと足りない。それ貸して」と国民の目の前で第二皇子の素敵なネクタイを引ったくって自分に締めやがりました。まあ第二皇子もネクタイをきちんと締めていたことなどないのですが、それはそれ。そんなことをしたら流石に怒られるとお思いでしょう。怒られませんでした。なんせかわいいので。頭が良い分底意地の悪さも切れ渡る大臣は、見目麗しさを存分に利用してこの立場を謳歌しています。
「つーかお前、もっと従順な態度を取れよ」
「なんで?」
「大臣だろ?」
「だって、大臣って偉いんでしょ?」
「そうだけど」
「皇子風情が生意気なんですけど。偉いんですけど、大臣」
「……こいつ人の下に付くことに向いてないよな?」
「就任式の時からこうだったじゃん、いい加減分かりなよ」
「なにしてんの?」
「予算案」
「こんなん大体間違ってないから平気だよ、えい」
「あっ」
「お前……」
「うわあ、間違えて判子を押してしまったあ。許してください、第一皇子様あ」
「……もういいや」
もう寝る、昨日は寝てない、ここで寝る、と椅子に深くもたれた第一皇子は、すぐにすうすうと寝息を立て始めました。寝起きが大変悪いことで有名な第一皇子です、下手に起こすと流血沙汰になるかもしれません。静かに部屋を出た第二皇子と大臣は、広い廊下を二人並んで歩き出しました。
「あいつなんであんな根詰めてんだろうな」
「もうすぐ王冠授与の式典だからじゃない。王様になるんだからちゃんとしないとって思ってんだよ、多分」
「ふうん……」
「二人で王様になるんだよ?他人事じゃないんだよ」
「……んー……」
「嬉しくないようで」
「嬉しくはねえかな」
「なんでさ。いいじゃん、王様。どうせ今とすることはほとんど変わんないよ」
「……でも、今よりもっと、城下と遠くなる」
「行っちゃえばいいじゃん」
「ん?」
「今のうちに。もっかい行っちゃえば?」
レッツゴー城下。今度は市場まできちんと逃げ切れよ、あそこの喧騒に紛れれば多分城の兵士じゃ見つからない。そう謳って、大臣は第二皇子の肩を叩きました。そっと連れ込まれた倉庫には、身を隠す為のケープとベール、歩きやすい靴。まるで御誂え向きのそれらに、第二皇子は目を剥きます。まあこんなこともあろうかとずっと用意してたわけだけども、と大臣は意地悪く笑いました。
城の外に待ち受けるのは、未知の世界。第二皇子の手を引き、自由へと連れ出す、彼が待っています。

はてさて、場所は変わって、城下。とはいえ城から少し離れたここは、少しばかり治安の良さが損なわれている、それでも栄える大きな市場のある賑わいの街です。
「見て、小野寺くん。このページ、物を増やす魔法だって」
「ほんとだ」
「なんて書いてあるんだろう」
「……朔太郎に読めなかったら俺にも読めないなあ……」
「魔術書は難しいんだよ、呪文のとこ以外は頑張って読めるようになったんだけど」
「ここはなんて書いてあるの?」
「ひとつのパンを、えっと……みっつ?三つくらいに、増やすことができます、って」
「すごい……」
「すごいねえ」
「魔法が使えたらいいのになあ」
「ねえ。そしたら毎日肉食えるよ」
「お肉……」
じゅるりと涎を啜った二人の青年は、外から鳴り響いた正午の鐘の音に靴を履きました。お仕事の時間です。
賑わう市場の片隅に、彼らの家はありました。父を亡くしてから、手元に残ったのは形見の魔術書だけ。近所に住み着いた野良猫が唯一の友達だった朔太郎くんのところに、ある雨の日、へとへとの男が転がり込んできたのです。それが小野寺くんでした。遠く遠くの東の国から、占い師に宣告された運命の人を探して旅をしてきたという彼を、朔太郎くんは大層気に入り、自分の家に住まわせることを決めました。それが、何年前のことだったでしょう。小野寺くんは未だ運命の人には巡り会えず、朔太郎くんも魔術書を完全に読み解くことはできないままですが、二人の仲はいつしか深まっていました。魔術書を読み解くために勉強しながら仕事をする朔太郎くんのために、小野寺くんは家事を一生懸命にこなし、自分も空いた時間は働きに出ています。それでも二人のお腹はぺこぺこで、服だってまともには買えません。富裕と貧困でこの世を分けるなら、彼らは確実に貧困側に立っていました。それでも自分たちのことを不幸せだとは思いませんでしたが。
「おはよう、アラジン」
「おはよう!」
「じゃあ、アラジン。俺今日は街の外れまで届け物がある日だから、少し遅くなるけど」
「行ってらっしゃい、おのっ、じゃなくって、アブー!」
あっぶね、と独り言ちた朔太郎くんと小野寺くんは、十字路で反対方向に別れました。この街では、というよりこの国では、本当の名前と仮名が別々にあるのです。本当の名前を知っていいのは、心を許した親しい相手だけ。家族の無い朔太郎くんと、遠くから旅をしてきた小野寺くんにとっては、お互いにお互いしか真名を知りません。おはようアラジン、と声を掛けられる度、朔太郎くんは挨拶を返しました。彼の仕事は、市場の取り締まりです。一応は国から任された仕事なのですが、だからといってお給金が高い訳ではありませんでした。
幼い頃から勉強できる環境下になかった朔太郎くんは、形見の魔術書を読み解くことが夢でした。その中から一つだけでも何か使えたら、誇りである父に並んだと胸を張れるのではないかと、ずっと夢見ています。一生懸命働いて、ご飯を食べて、訳のわからない文字ばかりの本と必死に向き合って、寝て、また朝から働いて。そんな毎日が突然に変わるとは、思えませんでした。
「おはよ。おいしそうな果物だね」
「安くするよ?買っていくかい」
「うーん、あー、残念。お金を置いてきちゃったみたい」
「あんたはいつもそうだねえ、ほら。またおいで」
「ん、ありがとう!」
ぷらぷらと市場を見回っている途中、馴染みの店から林檎を一つ貰いました。いつもお金を持っていないことなんて、とっくに知られているのです。売り子の温情に感謝しながら、朔太郎くんは路地を曲がりました。ここを抜ければ広場です。いつも街で一番の賑わいを見せるそこには、城の近くに本拠地を構える、歌や踊りや楽器の演奏を披露する団体が訪れているはずでした。
「ん?」
ちょうど演奏が終わったところなのでしょう。小銭を投げ入れられる箱や、笑顔で手を振る踊り子たちの向こう側。朔太郎くんから見てちょうど反対側に、その人はいました。見つかってはならないとでも言いたげに、明らかに怪しく顔を隠して、そっと建物の陰から広場を伺っています。旅の者だろうか、この街が初めてなのか、と朔太郎くんは首を傾げます。まさかあの楽団の売り上げを狙う輩ではあるまいな、と疑いの念が過ったのも確かでした。
広場を回り込みながら、そっと近づきます。ベールの隙間から覗く長い金の髪、首筋や体付きの感じからして男でしょうか。ケープを留める銀のチェーンに通っているチャームは、シンプルな作りですが、恐らくは上物でしょう。美しく光っています。靴には埃一つ無く、服の裾も汚れを知りません。旅の者というよりは、どこか貴族の生まれの者が御忍びで来ている、という線の方が濃いようです。ぼおっと広場の真ん中を眺めて、見惚れている様子の彼に、朔太郎くんは声をかけました。
「あの」
「うひっ」
「……なにしてんです?」
「あ、えっ、えっと、見ちゃ、いけないものだったのか?」
「いえ……」
「すまない、不躾なことを」
ベールを外して頭を下げた彼の顔を見て、朔太郎くんはぱくぱくと口を開けました。無学な自分でも見たことがある、この国で一番大きなお城に住んでる、一番偉い家族の息子。
「じっ、じゃすみっ、ぶっ」
「しーっ!」
口を塞いだ第二皇子、もとい、ジャスミンは、焦ったように辺りを見回しました。凍りついている朔太郎くんを引きずって路地の裏まで逃げた彼は、声を出すな、と低く唸って口に当てていた手を外します。さっきまでいた広場の方向から、男たちの怒号と怯える女の声が聞こえました。血相を変えた朔太郎くんの顔を見て、兵達が本当に迷惑を掛けている、この街に危害を与えたくて来たわけじゃないんだ、あいつら荒っぽくて、とジャスミンは頭を下げます。
「えっ、え、おっ、皇子様、ジャスミン様、ですよね?」
「そうだ」
「なんっ、えっ?なんで、こんなとこに、しかもそんなもん被って」
「あ、遊びに来てみたかったんだ、市場に」
「……は?」
「市場に来て、みんながなにをしているのか知って、楽しんでいる中に入るのが、夢だったんだ」
「は、えっ?なに、どういうこと?」
「あっ、ばれた」
「はっ!?」
「こっち!」
何が何だか分からないうちに、手を引かれて走り出します。市場に遊びに来たかった?この国の第二皇子様が?そしてどうして今俺の手を引いて走って逃げているんだ?頭の上にはてなを浮かべたままジャスミンに手を引かれる朔太郎くんは、次の言葉に目を剥きました。
「おい!止まれ!そこの男!皇子から手を離すんだ!」
「捕まえろ!生死は問わない!」
「ひっ」
「絶対止まんな!下手したら殺されるぞ!」
背後から迫る怒号は、ジャスミンを追ってきた兵達の物です。地の利などない皇子と兵士の逃亡追走劇に巻き込まれた朔太郎くんは、生死は問わない、殺される、という言葉に緊張で吐きそうになりながら、逆方向にジャスミンの手を引きました。家々の隙間に滑り込み、塀を駆け上がって屋根へ登ります。兵達の声が聞こえなくなるまで屋根を走り、洗濯物を干しているところに人が駆け込んできたので悲鳴を上げた女性に謝りながら、窓枠を伝って降りました。石畳の地面を駆け抜け、人に見つからない方へと逃げます。ずっと暮らしてきた街で、都会生まれなんかに追いつかれるとは、朔太郎くんには思えませんでした。この街は、自分の庭です。疲れも息切れも感じない程の緊張の中で、繋いだ手だけは離さないまま、走り続けます。
「っも、もういい!もっ、へ、平気だから!」
「ぐえっ」
「ぶわっ」
止まったところがちょうど下り坂だったので、どたどたと絡まって転がるように二人は落ちました。手を繋いだままごろごろと地面を転げた二人は、ようやくぜえぜえ息を吐きます。どれだけ逃げ続けていたのでしょうか、いつの間にか空は暗くなりかけていました。
「はあっ、げほっ、はああっ」
「わ、悪い、巻き込んで」
「いっ、いいんだ、おーじさま……」
「あんた、すごいな、あいつらを振り切るなんて」
とても助かった、夢が叶って本当に嬉しい、今日一日ありがとう、と立ち上がって手を離そうとするジャスミンは、足を止めました。朔太郎くんが手を離してくれなかったからです。繋がったままの手を見下ろして、ぶんぶんそれを振ったジャスミンは、首を傾げました。朔太郎くんは、へらりと笑います。
「……つ、疲れて、動けない」
「……………」

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